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コンピュータは旧約聖書の神に似ている、規則は多く、慈悲は無い -- Joseph Campbell
wikiを受容してもらえるか否か (スコア:4, 興味深い)
自分達の事業部は営業チームと技術開発チームと制作チームに別れていたのですが、
3つきれいに分かれました。
自分が居たところの実体と、それについて思ったことなので、違うパターンがあったらぜひ教えてください...
技術開発チームは積極的にネタを書きこんでコラボレーションを図る土壌があって、積極的。wikiが繁栄しやすい。
ネタ探しが辛くなると積極的にネタを突っ込んでおいて予防線を張り合うので、そこそこ情報が集まる。
営業チームはwikiで書こうがeメールで書こうが、結果
「~~について考査いたしましたのでよろしくお願いします」
という全体配信メールを打って、結果やフィードバックをメールで全部見る(メールで時系列管理したがる)ので、
あまり激しく繁栄できず、またノウハウを開示してしまうことになるので警戒しあって誰も
おいしいところを書きたがらないので、どんどん衰退する(数字をつくるアドバンテージに絡む)。
どちらかというと技術面で弱いので、ちょっと複雑なことをすると技術や制作に「すみませんがお願いします」になりがち。
製作チームは与えられた仕事や自分の業務管掌はすべて把握してしまい、
日々のルーチンワークについてはどんなに面倒な内容でも担当はカラダで覚えていたり、
知らなくても誰かにその場で聞いちゃえばよくなってしまっている。
さらには生き字引になってる人の集団なので、「そんなの(内部)常識」なことは結局書き出さず、繁栄せず。
日々のルーチンが忙しくてかいてる暇があったらもう1件処理して!ということをいわれがちでなおさら書かない。
結果としては営業チームと製作チームはpptやxlsファイルを
べたべた貼ってしまい、ファイルサーバとなんら変わらないとか、
wiki文法覚えるのが面倒なのか、業務が増えるのを拒むのか
いずれも上位または下位で新しい物好きしか手を出さないという、
不思議な現象を目の前で見ました。
技術部はプラグイン入れたり、少しずつ増殖していったりして「あー、やってるなー」って傍から見てもわかる...
2006/01月にwikiを建ててみたんですが、
日ごろからwikiに慣れてる自分に結局「例の件、かいといてね」っていわれて
全部「書記」を任されてしまい、wikiって集団で読み書きできるのがいいのに、という大義名分はまったく生かされませんでした。
で、その辺wikiがダメなところを、blogにすると、時系列掲示板として機能するんで
そこそこ繁栄するんです。
これって
1をならべて新たな1をお互い用意しあうってよりも、1に対してあーだこーだ井戸端会議するのが
慣れてるからなのかなぁ...
ご意見、問題の解決案求む。
( ´・ω・`)いままでとこれからを比べる生活
ぱんかれ
Re:wikiを受容してもらえるか否か (スコア:2, 参考になる)
結局、生き字引化した人って、情報を出すことについてあまりにも怠惰でして、口頭で聞くことすらままならないのに書くことなんててんでやってくれません。
#技術部署内だけの声かけなんですけどねえ
#どうせ「技術的」ではない内容が生き字引の内容なんだから、早く白状して楽になってしまえばいいのですが
結局、私の備忘録になってしまっています。
まあ、他の担当に情報の在り処を知らせるのにWikiへのリンクを出したりしてアピールしてますが(苦
ちなみに社内クローズドNWです。社外には晒せません。
自分にしか出来ないことを抱え込みたいタイプの人 (スコア:1)
Re:自分にしか出来ないことを抱え込みたいタイプの人 (スコア:0)
人員をいつでも交換可能な状態に保つことが、会社にとって最高の状態
Re:自分にしか出来ないことを抱え込みたいタイプの人 (スコア:2, 興味深い)
業務知識や専門性を人から分離するのは一定の底上げには役に立つので有用な一方、それを絶対枠として思い込んでしまうと他社に一歩先んじるために必要な部分が失われてしまう。競争力の底は組織の知識で向上できるけど、競争力の先端は個人の知識が支えるもの。
ルーチン作業色が強い会社か、そうでないかとか会社のタイプによっても完全分離~完全統合のスペクトルのどの位置に自社を置くかはかなり違ってくる。
Re:自分にしか出来ないことを抱え込みたいタイプの人 (スコア:0)
人間では無理。全員機械なら可能。
Re:自分にしか出来ないことを抱え込みたいタイプの人 (スコア:0)
(床にペンキ塗ってたらいつの間にか足の踏み場がなくなってる感じ?)
それがわかってるから社員同士はお互いの偏屈さを許しあってるのかも。
程度の差はあれ「自分には代替不可能な価値がある(…んじゃないかな…多分…少しは…)」という
幻想にすがってる人が大半でしょうから、バランスが難しいですね。
#「異様に抱え込みたがる人」は不安なんじゃないかな。
#上手なケアが必要なのかもしれないなあ…
Re:wikiを受容してもらえるか否か (スコア:0)
考え方の違いもあるのかな?
自分はアウトプットが苦手なので、耳が痛い言葉です。
ただ、昨日の自分は他人、というのもあるので、積極的にメモしていく環境として
Wikiは使いやすいツールのひとつだなぁ、と思います。
Re:wikiを受容してもらえるか否か (スコア:2, 興味深い)
成果主義が日本にも導入されて以来、各個人的には、会社の反映より、自分の評価なわけです。長期的には終身雇用もないわけで、なおさら自分のノウハウをクローズにしたがる。
故に、ナレッジを積極的に共有させて、違う部署や違う業務へ貢献した場合は、積極的に評価し、逆にそれを拒む人は、逆にマイナス評価する。
えげつないけど、これが一番確実だそうだ。
ポイントは、書き込んだだけでなく、その書き込みに反応があって、更にコラボレーションするところまでフォローするチームがあること(人事がらみ)
当然、チームの人員を取られるので、その部署の責任者も巻き込む必要があり、人事横断的な権限が必要。
IBMでは、そういうお見合いをつかさどる部署があるようです。(それでV字回復したと世間ではいわれてるそうな)
Re:wikiを受容してもらえるか否か (スコア:0)