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アレゲは一日にしてならず -- アレゲ研究家
どこかの先生がおっしゃられていたのですが (スコア:0)
人間は死ぬわけですからその死の恐怖を和らげるためにボケが存在すると
そうすることで死の直前まで恐怖を感じることなく死ねるから幸せである。
逆に辛いのは癌患者のように余命が知らされて死の直前まで意識があることの方が
人にとって辛いと言う事らしいのですが…
どう思います?
#どちらがいいのかわかりませがね
発言の文脈は? (スコア:1)
・学術的な意図でなされたものか
・患者(とその家族)への精神的なケアとしてなされたものか
で解釈は変わるところですね。
飼っていた犬が死を間近にした時、獣医さんが
「もし尿毒症が起きたらひどい痙攣を起こすから家族は見ていて辛いかもしれない、
でもそうなった時は本人(犬)の意識はもうなくなってるから苦しみは感じない」
と言ってくれました。
それは獣医学的見地によるものなのだったのか、家族への慰めとしてついた「優しい嘘」だったのか……。
(幸いその犬は穏やかに息を引き取りましたが)
Someday, somehow, gonna make it alright but not right now.