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馴れ合いか喧嘩というよりも、興味の向く先の違いだと思いますね。興味が「人」に向くか、「事、物」に向くか。
「人」に興味があった場合には、その人とどの部分でどう共感できるか、というのが重要だと思います。この場合は意見が対立して泣き別れに終わった場合には収穫は0なわけです。Mixiはこれに近いと。そしてMixiでは意見というよりも好みが論じられ(「人」に興味があるから)、この場合は「人」と「意見」はより密接に関係しているので意見の否定は人格の否定につながります。それで否定は御法度になり同意のみのコミュニティができあがると。
が、「人」ではなくて「事、物」(政治的事柄、技術的、科学的真実)自体に興味があった場合には、意見を戦わせて問題点を明らかにするというのは必須のメソッドであるわけです。この場合は意見を述べているのが「誰」かなんてことは関係ないわけで(むしろバイアスがかかりうるわけで)、この場合は匿名コミュニティ2chがうまく機能するのではないかと。
馴れ合いというか、慰めは誰だって必要としていると思いますよ。2ch行って喧嘩するのも「かまって欲しい」という欲求の屈折した現れではないですか?いや、この意見そのものもそうかもしれません。
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ナニゲにアレゲなのは、ナニゲなアレゲ -- アレゲ研究家
「女の相談事」みたいな考え方なんじゃないでしょうか (スコア:5, すばらしい洞察)
といっても、男はどうだ、女はどうだ、ってことが言いたいんじゃなくて、単にいわゆる一般的な形式の「女の相談事」というスタイル自体を思い浮べていただきたいんですが。
それがmixiのコミュニケーションスタイルに近いんではないかと。
「こっちが一生懸命話しているのに無視するのはよくない」っていうのがありますよね。
それに近い感覚なんではないかと。インターネットだからといって、意味のある情報を交換したいんじゃなくて、「繋がってる感じ」というのだけが欲しいと。
実際に話した内容についてどうこう言うのが目的な
Re:「女の相談事」みたいな考え方なんじゃないでしょうか (スコア:3, すばらしい洞察)
馴れ合いか喧嘩というよりも、興味の向く先の違いだと思いますね。興味が「人」に向くか、「事、物」に向くか。
「人」に興味があった場合には、その人とどの部分でどう共感できるか、というのが重要だと思います。この場合は意見が対立して泣き別れに終わった場合には収穫は0なわけです。Mixiはこれに近いと。そしてMixiでは意見というよりも好みが論じられ(「人」に興味があるから)、この場合は「人」と「意見」はより密接に関係しているので意見の否定は人格の否定につながります。それで否定は御法度になり同意のみのコミュニティができあがると。
が、「人」ではなくて「事、物」(政治的事柄、技術的、科学的真実)自体に興味があった場合には、意見を戦わせて問題点を明らかにするというのは必須のメソッドであるわけです。この場合は意見を述べているのが「誰」かなんてことは関係ないわけで(むしろバイアスがかかりうるわけで)、この場合は匿名コミュニティ2chがうまく機能するのではないかと。
馴れ合いというか、慰めは誰だって必要としていると思いますよ。2ch行って喧嘩するのも「かまって欲しい」という欲求の屈折した現れではないですか?いや、この意見そのものもそうかもしれません。