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※ただしPHPを除く -- あるAdmin
日本のITベンチャー企業の育成と経営的成功≠日本のソフトウェア産業・技術力の興隆 (スコア:4, すばらしい洞察)
面白い燻し銀の文章だと思ったけど、ぼくの考えはちょっと違う。
どうすれば日本のソフトウェア産業・技術力はもっと興隆するようになるのだろうか?
何故、日本の漫画界がこれ程までに興隆したのか?ということと考えると、手塚治虫という大天才(個人)がいたから。個人が自らの意思で徹底して完全主義的に作品を造ることを社会が許したから。彼がいなければ週刊少年ジャンプの興隆すらありえなかった。
ところが、この手塚治虫という大天才は、虫プロダクションというベンチャー企業を倒産させているのだ。
虫プロから育った人材は多いが、著名な門下生の作風は
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TaddyHatty - always @( posedge ↑ or negedge ↓ )
Re:日本のITベンチャー企業の育成と経営的成功≠日本のソフトウェア産業・技術力の興隆 (スコア:4, すばらしい洞察)
ソフトウェアエンジニアリングというものを誤解していませんか?
エンジニアリングの目指すところは一定水準以上の教育や訓練を受けた人材が
手順を踏めばほぼ同じ水準の品質・性能をもったモノを作り出せることですよ。
優秀なリーダや天才がいれば一時的に良い状況になるでしょうが、それを
エンジニアリングとして手順・教育・制度・プロセスなどにフィードバックして、
かかわる人材の底上げしていくことが大事なのです。天才は必要ですが、
そこだけに眼を奪われるのは危険ですよ。
そういう意味で、元記事は日本は国家的、業界的な取り組みを怠ったのではないか?
それが現状を招いているのではないか?という指摘だと思いますよ。
Re:日本のITベンチャー企業の育成と経営的成功≠日本のソフトウェア産業・技術力の興隆 (スコア:1)
そりはハードウェア製造のような、創造的な要素が乏しく、今時単純とはいかないが準定型的な作業の場合のお話し。ソフトウェアの場合、製造品質・コストは実質記録媒体の性能に支配され、製造原価は(ハードウェアに比べると零ではないが)微々たるものなので、製造に関するトラブルは無いにしても多くはないでしょう。
ところが製造以前のソフトウェア設計(ハードウェアでの各種図面作成に相当)では、「ほぼ同じ水準」を担保する教育やら訓練やらは確立されてなく(現状のハードウェアに比べて余りに自由度が多いプログラム作成環境が続く限り永遠に確立されるとは思いませんが)、結局個人の(才能及び経験に基づく)技量に依存しきっているし、「目指すところ」には達しないと思います。特に昨今のCPU性能の著しい向上に因って多少(といっても1乃至2桁程)の性能の悪さが顕在化されにくくなっているので、駄目なプログラマ(含SE)は自覚・成長し(または淘汰され)にくくなっています。(ハードウェア設計も同様ですが)ソフトウェア設計がハードウェア製造並に工業化できるのは、遠い未来にしか可能性は無いと思います。
Re:日本のITベンチャー企業の育成と経営的成功≠日本のソフトウェア産業・技術力の興隆 (スコア:1)
ハードウェア設計じゃなくて、ハードウェア製造。
でも、それなら、ソフトウェア設計じゃなくて、ソフトウェア製造について比較すべきかと思う。
ハードウェア設計の中では、部材と部材の繋がりを製造ラインで間違わないような形に設計するが、ソフトウェア設計ではそこまでできない。
開発言語で、パラメータへのアクセス方法や書式を単一のものに固定、限定されているなら別だと思うが。実際、そんな言語を現場は喜んで使うだろうか。
MicrosoftのVBAの書式の融通の広さや、Java/C++のGenericは便利だけど、逆に平均的な製造者を育てるには問題だと思ってる、元機械屋なソフト屋としてのコメントだからID
fj.jokes出身:
Re:日本のITベンチャー企業の育成と経営的成功≠日本のソフトウェア産業・技術力の興隆 (スコア:1)
だーかーらー、そーぢゃないの! VBAやらCやらを使う創造的な頭脳労働は、「製造」ぢゃなくて、「設計」! 昔みたいにプログラマ(データ及び処理方法手順を決め、関数名や変数名を決め、フローチャート等で表現する。)とコーダ(フローチャート等をプログラミング言語に機械的に翻訳し、コーディングシートを作る。)・パンチャ(コーディングシートからカードデッキ(今でのソースファイル)を作る。)・オペレータ(カードデッキをジョブとしてコンピュータに投入し、できたオブジェクトプログラム(媒体は紙テープや磁気テープ)をカードデッキと共に返す。)との線引きが明確であれば、コーダ以下が製造的工程(準定型的な作業)になる。しかし今時はプログラマ自身がソースプログラムの作成(及び必要であればオブジェクトプログラムへの翻訳)も行うので、テストや検証が済み動くプログラムが完成する迄は製造的な工程が挟まることは無い。この現実の変化を認識しないで昔ながらの「ソフトウェア製造」の概念を捨てられないと、「目指すところ」がいかに高く険しいかは理解できないでせう。