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ほら原発の見学ってあるでしょ。子供達が原子炉を見学に行き、自分たちが普段使っている電気がどこからくるか、またその利点とリスクなどを学ぶという。
これと同じように情操教育のために畜殺場の見学ってあれば良いと思うが。自分たちが普段食べている肉はどこからくるか、周囲に満ちあふれている牛丼やハンバーガーやフライドチキンなどがどれほどの血の上に成り立っているかを知るのは、発電所の見学よりずっと重要だ。是非ともこの団体の人にも参加してもらいたいし、やっぱりすべての人が一度は見ておくと良いと思う。
しかしこの大量消費社会の中で子供達に命の大切さを教えるってのは難しいだろうね。現実では単に余れば捨てられて、大切になんてされてないんだから。
生体解剖どころか、生体実験も動物を(ペットとして)飼うのもダメっつー過激派もいます。
さすがに学校で畜殺場は見にいったことはありませんが、中学校あたりで、それをテーマにした物語が国語の教科書に載っていた記憶はあります。(名前は失念してしまいました…)
こういう団体は「かわいい牛さんを「屠殺」するなんて人間らしい心があったらできないのよ」とかおそろしいことを平気で言いそう。鎌田慧の「ドキュメント屠場」の一読を勧めたい。
とりあえず、サルに左右される社会ではいけません。 これが至急解決すべき課題です。 いっそのこと、こう提案しましょう。
「かわいそう」という感情は抑制すべきもので、そのまま主張すべきものではありません
あう、目からウロコ。
どっちにせよ、魚に取っては、最後の力をふりしぼって逃げようとするわけで、大抵の場合は、リリースされても死んじゃいますよね。
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長期的な見通しやビジョンはあえて持たないようにしてる -- Linus Torvalds
情操教育? (スコア:3, すばらしい洞察)
-+- 想像力を超え「創造力」をも凌駕する、それが『妄想力』!! -+-
畜殺場を見学させれば? (スコア:3, すばらしい洞察)
ほら原発の見学ってあるでしょ。子供達が原子炉を見学に行き、自分たちが普段使っている電気がどこからくるか、またその利点とリスクなどを学ぶという。
これと同じように情操教育のために畜殺場の見学ってあれば良いと思うが。自分たちが普段食べている肉はどこからくるか、周囲に満ちあふれている牛丼やハンバーガーやフライドチキンなどがどれほどの血の上に成り立っているかを知るのは、発電所の見学よりずっと重要だ。是非ともこの団体の人にも参加してもらいたいし、やっぱりすべての人が一度は見ておくと良いと思う。
しかしこの大量消費社会の中で子供達に命の大切さを教えるってのは難しいだろうね。現実では単に余れば捨てられて、大切になんてされてないんだから。
Re:畜殺場を見学させれば? (スコア:3, 興味深い)
昔、小学生ぐらいに住んでいた家の近くに食肉用の豚を殺す場所がありました。
不思議なもので、トラックいっぱいに積まれてくる生きた豚たちの瞳は、
自分たちのこれからを知っているかのように悲しい瞳をしいたのを今でも強烈に記憶しています。
そして、絶命したときに発したであろう異常な奇声を初めて聞いた日の夜はなかなか寝付けなかったです。
あれを自分の目で耳で、見て聞いた人は誰しも少なからず命というものを考えさせられることでしょう。
少なくとも、自分は命・・・生や死について考えさせられました。
そして、自分はこれでもほんの一握りの幸せな生き物なんだろうなと感じました。
悲しいかな動物は他の生命を奪ってしか生きられないものです。
そして、それは人間も例外ではありません。(培養や合成したとしても、それらの元はきっと何らかの生命でしょう)
動物が生き物を殺さずに、すべての生き物と共生することは不可能です。
それは、地球生命が誕生してからの過去の歴史が証明していると思います。
命が尊いとか、地球よりも重いだとかは、余裕があるからいえるだけです。
そうは思っても人災による生命の死を少しでも少なくしたいという、愛護の気持ちも分からなくはないです。
だからこそ医療などの目的で解剖をする必要があるんじゃいですか?
将来どうしても必要な技術をもった人材を育てるために解剖するんじゃないですか?
解剖を通して医療に興味を持つ子だっているはずなんです。
その機会を、可能性を奪わないで。
今回のは小学生向けの科学ということで余計に批判を買っているんだと思いますが・・・仮にです、
このまま暴走した愛護がエスカレートして、生体解剖すべてに批判したりしたらどうなるでしょう?
私の友人は獣医の卵ですが、昔飼っていた猫が苦しんでいるのに何もしてやれなかったことを悔やんで獣医を目指したといいます。
彼は、私の知る限り命を軽んじて解剖に望んだことなどは一度もありません。
もしも友人が解剖のために医学の道を断念して、将来自分のペットを見て再び後悔するようなことはないんですか?
もしも十分な解剖の機会がなくて知識と経験を得れずに獣医になってしまった彼が、その未熟さに悔やむことはないんですか?
批判するだけなら誰でもできます。
批判して思い通りになって、ある日問題が起きて批判した人たちは責任が取れるんですか?
勝手な思い上がりばかりで、安易に批判することなかれ。
友人のように解剖は医療関係ばかりではないでしょうけれど、必要だからやっているんです。
不必要な死など研究者だって望みません。
もしも、死を楽しむようなサイコ野朗がいるんなら、それは解剖が悪いわけではありません。
人間性がそもそも手遅れな人だというだけです。
解剖を見せられて全員がサイコ野朗になりますか?
確かにサイコになる一因になるかもしれないけれど、それを健常な心に育て上げるのが教育なんじゃありませんか?
私には動物愛護を盾に育児怠慢を進めているようにしか思えません。
--労使曰く、ひとごとを尽くして神頼み--
手遅れ (スコア:1)
生体解剖どころか、生体実験も動物を(ペットとして)飼うのもダメっつー過激派もいます。
Re:畜殺場を見学させれば? (スコア:1)
訂正:瞳をしいていた→瞳をしていた
はぁ、プレビューはもっと上手に使いましょうw(おまえがなw
--労使曰く、ひとごとを尽くして神頼み--
Re:畜殺場を見学させれば? (スコア:1)
見学だけでは不十分でしょう。
Re:畜殺場を見学させれば? (スコア:1)
ところが、現在我々の目の前にあるものは加工ずみが多い。すでに他の発言にもあるが、日頃目にしなくなったことによって、昔は当然だったものがいまや遊園地アトラクションよろしくのエキサイティングな体験に化けちゃったんだと思う。
皮肉な話し、戦争やら何やらで苦しんでいる人々の方が平穏無事な生活をおくる連中よりも命って奴を正確につかんでいるのではと、疑問に思うときがしばしば。
・・・だからこそ慎重にやらねばならないんだろうけどね。見ておくべきことだと思うんだけど、珍しい体験ってのが裏目にでるかもしれないわけだ。
*アフガニスタンの学校復興事業でこういうことやったら、正しい効果が出るだろうか。もっとも宗教的に厳しいかもしれないが・・・。
Re:畜殺場を見学させれば? (スコア:1, 参考になる)
#総合学習と称して自衛隊に見学にいくよりも、よっぽど教育的だと思うんだけど、、、、
Re:畜殺場を見学させれば? (スコア:1, 参考になる)
毎年やってるらしく、中止にはなっていませんでした
いやなんかね、生徒が涙流しながら鶏の首切るんですよ
先生が苦しまずに死なすことが出来る切り方教えて
TVで見たのに未だに覚えてます、こんなこというのもあれなんですが、効果的ですよ?(;´Д`)
#自衛隊もただ見に行くんじゃなくて、体験入隊とかさせればいいと思いますよ
Re:畜殺場を見学させれば? (スコア:0)
同じ頃、NHKのドキュメンタリー番組のCM(?)で、「ブロイラー製造工場」のVTRを見て、衝撃を受けたのを覚えています。足から逆さまに吊るされた鶏たちが、流
Re:畜殺場を見学させれば? (スコア:1)
>(名前は失念してしまいました…)
♪どなどな どーなー どーなー
#国語の教科書じゃないけど...
##そもそも畜殺場行きの荷馬車かどうかも不明
Re:畜殺場を見学させれば? (スコア:1)
『いーちーばー』へつづーくみちー
ということで、屠殺場ではなく市場へ行く荷馬車かと。
Re:畜殺場を見学させれば? (スコア:1)
あの歌には日本語訳詞では判らないこんな [worldfolksong.com]深い意味があるそうです。
#私自身も嫁さんに聞いて初めて知った。
Re:畜殺場を見学させれば? (スコア:1)
手元にある光村図書の『国語1』(平成5年度版、中学校用教科書)では
「命ということ」(著者:中沢晶子 『あしたは晴れた空の下で ぼくたちのチェルノブイリ』に収録)
という題で載っています。
この本はesbooks [esbooks.co.jp]で取り扱っているので
興味のある方は一読することをおすすめします(取り寄せですが)。
# Amazon.co.jpでは「この本は現在お取り扱いできません」となっている。
On topicな部分の内容の要約をしてみました。
====ここから
父の仕事の都合でドイツの学校で勉強している日本人の少年(日本の小学6年生ぐらい)が
「豚の解体を見学した後、ソーセージ作りの実習」を行なうことになる。
クラスのみんなで農家へ行くと、解体されるために納屋に
引っ張られる豚が目に入る。解体されることを知っているのか、
けたたましく鳴き叫ぶ豚。やがて、その悲鳴も途切れる。
中から「見たい奴はこっちに来い」といわれ、主人公を含む
何人かが納屋に入る。
中では解体法やそのための道具の説明を受ける。農家のおじさんに
「いまからソーセージを作るから手伝ってくれ」と言われるが、
誰も手伝おうとはしない。やがて、先生が豚のところへ行き、
豚の体に腕を突っ込み、「まだ温かい、触ってごらん」と促す。
10秒ほどの沈黙の後、クラスのマドンナ的存在の子が豚に手を突っ込み、
主人公を含む他の生徒もそれに続く...
====要約終わり
なお、この作品に関するウラ取りのために検索をしてみると、
横校労ニュース320号 [www.ne.jp]に興味深い情報が載っています。
それによると、
など、この教材にまつわる複雑な事情が書かれています。
正直、良質な教材が現在の学生の目に触れられないのが残念でなりません。
(*)私は教科書しか持っていませんが、この教科書では出展の紹介が
「あしたは晴れた空の下で」とだけあり、そのあとに続く
「ぼくたちのチェルノブイリ」が抜けていることが確認できます。
Re:と場を見学させれば? (スコア:0)
こういう団体は「かわいい牛さんを「屠殺」するなんて人間らしい心があったらできないのよ」とかおそろしいことを平気で言いそう。鎌田慧の「ドキュメント屠場」の一読を勧めたい。
--NJTRe:と場を見学させれば? (スコア:0)
by キリスト教徒
Re:と場を見学させれば? (スコア:1)
-- 雪のない富士山もきれいだな
サルの言い分を聞くのが間違い (スコア:3, 興味深い)
とりあえず、サルに左右される社会ではいけません。 これが至急解決すべき課題です。 いっそのこと、こう提案しましょう。
Re:サルの言い分を聞くのが間違い (スコア:1)
あう、目からウロコ。
Re:サルの言い分を聞くのが間違い (スコア:0)
Re:サルの言い分を聞くのが間違い (スコア:0)
十分条件を満たしてると思いますが。
Re:サルの言い分を聞くのが間違い (スコア:0)
Re:サルの言い分を聞くのが間違い (スコア:0)
全く逆です。次にもっと釣れるように逃がすだけです。
だって、食糧にする為に釣るのではなく、釣る為に釣る、のですから。
Re:それもあるけど (スコア:0)
一層おもしろい釣りができるんですよ。
ま、どっちにしろ、自分がおもしろい釣りをするためにキャッチ&リリース
してるんであって、可哀想とかは関係なし。
Re:それもあるけど (スコア:1)
どっちにせよ、魚に取っては、最後の力をふりしぼって逃げようとするわけで、大抵の場合は、リリースされても死んじゃいますよね。
Re:それもあるけど (スコア:0)
Re:情操教育? (スコア:0)
そうですね。
人間が生きるには、「食う」ことによって別の生命を奪わなくてはならない。
その現実から目を逸らすような抗議活動は、それこそ生命に対する冒涜ではないでしょうか。
いただきます (スコア:1)
Re:情操教育のために (スコア:0)
情操教育と死 (スコア:1)
そんなことは殺さなくてもわかると思われるでしょうが
頭の中でわかっているのと、経験して理解しているのでは格が違います。
次に少なくとも生命の生や死について誰から促されることもなく
現実の事として自発的に考える機会になります。
この平和な世の中
頭の中では、今生きているのは現実で、これから起こることも現実だってわかっているのに
心の何処かで、これは夢かもしれないと思っているような人もいるかもしれません。
死というものは、人間の精神をより現実に引きつけます。
現実はゲームじゃない、やり直しが聞くことばかりじゃない
たった数センチ体に切り目が入っただけで命は消える事もある
そして、それは自分も例外ではなく、地球上にある無数の生命の一個でしかない
理解できたのならば愉快だというだけで、命を摘み取るような悲しい人間を作り上げないことには貢献できると思います。
生体解剖は、ついさっきまで自分の目の前で動いていた生き物を殺して行うものですから
これ以上に生き物の死を身近に感じることはないと思います。
戦争や事故のほうが死をリアルに感じることができると言うかもしれませんが
私も含め平和ボケした日本人は戦争などで人が死んでも、交通事故で死んでも
生命とはこういうものだと、まともに捉えることのほうが難しいと思います。
知らぬ間に居なくなった
その程度の認識が限界かと思います。
事故や戦争の当事者でないのならね。
第一、そんな危険なことは誰しも好き好んでやりはしません。
親なら、そんなことは我子にはさせたくはないでしょうし。
本当は人間には予想する、想像する力があるのだから
生物の死とはどういうものかを想像して理解するのがベストだとは思いますが
前述しているように、頭でわかっているのと、経験して理解しているのでは根本的に性質が違います。
現実に愉快犯だとか道徳性の乏しい、無関心な「心の貧しい」人が居るわけで
戦後日本は自分には無関係だとか、失敗することを恐れて
何事にも無関心な人を決して少なからず生み出してしまいました。
興味を持つ力、創造する力が弱くなっていると言うのは人類として退化しているのではないでしょうか?
と、個人的に思ってしまいます。
テキトーに考えてるから愉快犯なんてのが出てくるんです
テキトーではなく適当に
死というものを「夢のような遠いこと」みたいにではなく
それは現実に今も起きていて自分も何時そうなるかもしれないし
意外に簡単にそれは起きて、そうなったものは二度と戻ってはこない
と認識するだけでも
そんな「心の貧しい」人たちを生み出すこと少なくすることができるんじゃないでしょうか?
オフトピ気味ですが、死を知ることで少なからず自分の中で死に対する準備ができるので
死を意識することは悪いことだとは思いません。
それを悪いことなどと言ったら末期患者や家族へのホスピスケアなんていりませんよね?
--労使曰く、ひとごとを尽くして神頼み--
Re:情操教育と死 (スコア:1)
ご期待に沿わないコメントをあげたことはお詫びします。
言葉のすじから推測するに#137792 [srad.jp]のACと同一人物のようですね
>どこらへんがどう情操教育になるのか、じっくり聞こうじゃないか。
貴方はどこで「家族でやる意味など」と言う単語を出したでしょうか?
貴方的には私が流れを読めなかったというような判断らしいですが
#137792 [srad.jp]のコメントだけで貴方の希望する答えをはじき出すのは困難かと思います。
#137350 [srad.jp]にしても 「家族でやる」なんて単語は出てきませんし、kamuy氏の意向はどうだか知りませんが
家族でやる教育だけが情操教育だとも思えません。
そして死を考えることが情操教育にどう結びつくかを理解できなかったのですか?
まず、自分の希望する答えを求めるならば、もっと真っ当な聞き方をしたほうがいいと思いますよ
少なくとも自分の頭の中にある考えだけで相手に答えを求めないほうがいいと思いますよ
それとも何ですか、貴方は根本的にコミュニケーションの仕方が私と異なる人種なのですか?
売り言葉に買い言葉ですが、貴方も私と一緒で小学からやり直したほうがいいのでは?
--労使曰く、ひとごとを尽くして神頼み--
Re:情操教育と死 (スコア:2)
ココでAC氏が言わんとしている [srad.jp]のは、
「子供に対して親を(家族)を殺害させることが情操教育になる訳がないだろうが」
ということではないかと。
この点については私も賛成です。こんなコトをしたって、膨大な量のトラウマ持ちの子供と、ごく少数の境界を跳び越えてしまった「化け物」を生み出すだけですよ。
対して、AD氏の発言 [srad.jp]はコメントの繋げ方によって「情操教育としての親殺し」を積極擁護し、「親殺しによる情操教育というモノの是非を問う」AC氏のコメントに反論しているように見受けられます。
そのような流れが見えることから別口のAC氏のコメント [srad.jp]では「流れを読め」と。「家族でやる」コトの意味を、分かり易く書くなら「家族を殺る(やる)」コトにより得られる情操教育としての意義を、説明して見せよ、と。
#無理矢理深読みすれば
#「小学校に戻って、実際に親を殺して、それから反論してみせろよ」
#と仰有ってるのでしょう。
これに対して
>家族でやる教育だけが情操教育だとも思えません。
とのことですが、コレを見てやっと勘違いに気付きました。
AD氏は
「家族で(家庭内で)の教育だけが情操教育なのか?」
と仰有りたいのでしょうか。
AC氏はそんなことを言っているのではなく、一貫した主張として
「家族を殺害することが、子供情操教育だという考えは間違ってるだろうが」
と、こう言ってるのです。
「ヤル」という言葉を「殺る(殺害)」と読めるか「やる(実施・実行)」としか読めないかの違いってコトですね。
まさに、コミュニケーション手段の相違と言うことで。
最後にAD氏に一つ質問。
子供が自らの親を殺害することを、情操教育の一環として採用しますか?
情操教育と言うことで、あなたは自分の親を生きたまま解剖できますか?
#このコメント、やりすぎだと思うが、まあ、マイナスされるのも覚悟の上だしな。
#…でも念のため下駄をカマしておこう(爆)
-+- 想像力を超え「創造力」をも凌駕する、それが『妄想力』!! -+-
Re:情操教育のために (スコア:0)
これで安易に人を傷つける、もしくは殺す人が減るか増えるかは知りませんが。