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ほら原発の見学ってあるでしょ。子供達が原子炉を見学に行き、自分たちが普段使っている電気がどこからくるか、またその利点とリスクなどを学ぶという。
これと同じように情操教育のために畜殺場の見学ってあれば良いと思うが。自分たちが普段食べている肉はどこからくるか、周囲に満ちあふれている牛丼やハンバーガーやフライドチキンなどがどれ
生体解剖どころか、生体実験も動物を(ペットとして)飼うのもダメっつー過激派もいます。
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「科学者は100%安全だと保証できないものは動かしてはならない」、科学者「えっ」、プログラマ「えっ」
情操教育? (スコア:3, すばらしい洞察)
-+- 想像力を超え「創造力」をも凌駕する、それが『妄想力』!! -+-
畜殺場を見学させれば? (スコア:3, すばらしい洞察)
ほら原発の見学ってあるでしょ。子供達が原子炉を見学に行き、自分たちが普段使っている電気がどこからくるか、またその利点とリスクなどを学ぶという。
これと同じように情操教育のために畜殺場の見学ってあれば良いと思うが。自分たちが普段食べている肉はどこからくるか、周囲に満ちあふれている牛丼やハンバーガーやフライドチキンなどがどれ
Re:畜殺場を見学させれば? (スコア:3, 興味深い)
昔、小学生ぐらいに住んでいた家の近くに食肉用の豚を殺す場所がありました。
不思議なもので、トラックいっぱいに積まれてくる生きた豚たちの瞳は、
自分たちのこれからを知っているかのように悲しい瞳をしいたのを今でも強烈に記憶しています。
そして、絶命したときに発したであろう異常な奇声を初めて聞いた日の夜はなかなか寝付けなかったです。
あれを自分の目で耳で、見て聞いた人は誰しも少なからず命というものを考えさせられることでしょう。
少なくとも、自分は命・・・生や死について考えさせられました。
そして、自分はこれでもほんの一握りの幸せな生き物なんだろうなと感じました。
悲しいかな動物は他の生命を奪ってしか生きられないものです。
そして、それは人間も例外ではありません。(培養や合成したとしても、それらの元はきっと何らかの生命でしょう)
動物が生き物を殺さずに、すべての生き物と共生することは不可能です。
それは、地球生命が誕生してからの過去の歴史が証明していると思います。
命が尊いとか、地球よりも重いだとかは、余裕があるからいえるだけです。
そうは思っても人災による生命の死を少しでも少なくしたいという、愛護の気持ちも分からなくはないです。
だからこそ医療などの目的で解剖をする必要があるんじゃいですか?
将来どうしても必要な技術をもった人材を育てるために解剖するんじゃないですか?
解剖を通して医療に興味を持つ子だっているはずなんです。
その機会を、可能性を奪わないで。
今回のは小学生向けの科学ということで余計に批判を買っているんだと思いますが・・・仮にです、
このまま暴走した愛護がエスカレートして、生体解剖すべてに批判したりしたらどうなるでしょう?
私の友人は獣医の卵ですが、昔飼っていた猫が苦しんでいるのに何もしてやれなかったことを悔やんで獣医を目指したといいます。
彼は、私の知る限り命を軽んじて解剖に望んだことなどは一度もありません。
もしも友人が解剖のために医学の道を断念して、将来自分のペットを見て再び後悔するようなことはないんですか?
もしも十分な解剖の機会がなくて知識と経験を得れずに獣医になってしまった彼が、その未熟さに悔やむことはないんですか?
批判するだけなら誰でもできます。
批判して思い通りになって、ある日問題が起きて批判した人たちは責任が取れるんですか?
勝手な思い上がりばかりで、安易に批判することなかれ。
友人のように解剖は医療関係ばかりではないでしょうけれど、必要だからやっているんです。
不必要な死など研究者だって望みません。
もしも、死を楽しむようなサイコ野朗がいるんなら、それは解剖が悪いわけではありません。
人間性がそもそも手遅れな人だというだけです。
解剖を見せられて全員がサイコ野朗になりますか?
確かにサイコになる一因になるかもしれないけれど、それを健常な心に育て上げるのが教育なんじゃありませんか?
私には動物愛護を盾に育児怠慢を進めているようにしか思えません。
--労使曰く、ひとごとを尽くして神頼み--
手遅れ (スコア:1)
生体解剖どころか、生体実験も動物を(ペットとして)飼うのもダメっつー過激派もいます。
Re:畜殺場を見学させれば? (スコア:1)
訂正:瞳をしいていた→瞳をしていた
はぁ、プレビューはもっと上手に使いましょうw(おまえがなw
--労使曰く、ひとごとを尽くして神頼み--