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ラットといえども命があるのだということ、それでも解剖するのは何故か、その辺も含めて教える価値があると思うのですが。
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私は悩みをリストアップし始めたが、そのあまりの長さにいやけがさし、何も考えないことにした。-- Robert C. Pike
解剖といってもやることは殺戮 (スコア:0)
>という自覚はないんだろうな
同時に生き物を殺すことによって快楽を覚える変質者の芽も刈り取ることもできます。
※ 小さな子供が平気で「殺す」「死んだ」という言葉を使う時代。生物学者の卵が増えるか、それとも変質者が増えるか。
誤りを以て誤りを正す、ですか。 (スコア:2, すばらしい洞察)
ラットといえども命があるのだということ、それでも解剖するのは何故か、その辺も含めて教える価値があると思うのですが。
> ※ 小さな子供が平気で「殺す」「死んだ」という言葉を使う時代。
で、ラットの解
Re:誤りを以て誤りを正す、ですか。 (スコア:2, 参考になる)
カエルは生徒が各自で調達してくることになっていたのですが、
当日、カエルを調達すること自体を忘れていた生徒がいました。
生徒は、みんな「忘れた奴は他の生徒に見せてもらえばいい」
くらいにしか考えていませんでした。
ところが、その時の先生の言葉は
「このカエルはあなたたちのために命を落とすのです。
そんないい加減な気持で解剖なんてしてはいけません。
今日の予定は中止します。」
というものでした。
その言葉は今でも私の胸に突き刺さっています。
そう、忘れた生徒とは私のことでした。
私はその後生化学を専攻し、実験動物を扱う立場になりましたが、
殺処分するときに感謝の意だけは忘れませんでした。
実験動物は、抗体を作るのに使っただけでも、生態系を乱さないために
殺処分しなければなりません。これら犠牲の下に今の科学があることを
身体で感じることができたいい経験でした。