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ジャーナリストは権力の目付け役であるという理想化された定義からすれば、優秀で危険なジャーナリストは、権力者に対してまさに恐怖=テロ(terror)を行うものであるはずです。その上で多少の汚い手口は、ジャーナリズムの観点からは許容されるべきだと思います。法と規範に則った公明正大なやり方で大事件の糸口なんかつかめっこないでしょ。
その上で武田氏の記事は(前半しか読んでないけど)、ジャーナリズムが本来行うべきテロリズムを、コンピュータウイルスが半自動的にやっちゃってることの指摘って意味で面白いと思いました。
法治国家である以上、手段が正しいことが最前提だと考えます。
(公)権力の悪を公的=公衆的(public)な議論の場に引っ張り出すというのは抵抗権の行使の一形態であり得るので、手段の法的正当性は究極的には無視され得ると思います。
個人的には非常に危険な考えだと思っています。
まーそうですよね。だからバランス&チェックとかいう月並みなアレが報道についても機能しなきゃいけないわけで。
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皆さんもソースを読むときに、行と行の間を読むような気持ちで見てほしい -- あるハッカー
それはジャーナリズムじゃなくて (スコア:5, すばらしい洞察)
#ジャーナリストを名乗る情報テロリストなんて珍しくもないが
Re:それはジャーナリズムじゃなくて (スコア:2, 興味深い)
ジャーナリストは権力の目付け役であるという理想化された定義からすれば、優秀で危険なジャーナリストは、権力者に対してまさに恐怖=テロ(terror)を行うものであるはずです。その上で多少の汚い手口は、ジャーナリズムの観点からは許容されるべきだと思います。法と規範に則った公明正大なやり方で大事件の糸口なんかつかめっこないでしょ。
その上で武田氏の記事は(前半しか読んでないけど)、ジャーナリズムが本来行うべきテロリズムを、コンピュータウイルスが半自動的にやっちゃってることの指摘って意味で面白いと思いました。
あまりにも危険な発想だと… (スコア:5, すばらしい洞察)
法治国家である以上、手段が正しいことが最前提だと考えます。
たとえ話は、理解を妨げるだけかもしれませんが
「ジャーナリズムだから、少年の実名報道してもいい。」
「社会の不正が正すためにジャーナリズムとして個人を攻撃する」
と同様、個人的には非常に危険な考えだと思っています。
もちろん大本営発表だけを報道していろ、という意味ではないですよ。
# Open? Yes,open! By con.
Re:あまりにも危険な発想だと… (スコア:1)
(公)権力の悪を公的=公衆的(public)な議論の場に引っ張り出すというのは抵抗権の行使の一形態であり得るので、手段の法的正当性は究極的には無視され得ると思います。
まーそうですよね。だからバランス&チェックとかいう月並みなアレが報道についても機能しなきゃいけないわけで。
Re:あまりにも危険な発想だと… (スコア:0)
>抵抗権の行使の一形態であり得るので、手段の法的正当性は究極的には無視され
>得ると思います。
「抵抗権」などという「自然法」を持ち出したら、何がなんだか分からなくなりますね。
実質的に機能しないんじゃないかと・・・。
たとえば、貴方は「良心」や「道徳」と具体的な行動として定義できますか?
出来なければ「何でもかんでも抵抗権」で通じてしまいますよ。
Re:あまりにも危険な発想だと… (スコア:0)
> 出来なければ「何でもかんでも抵抗権」で通じてしまいますよ。
その論理を逆に用いると違法でなければ何をしてもいいということになってしまいますよ。#1168617で挙げられている例は(ケースバイケースですが)違法ではありません。それでもプラスモデや賛同するコメントがついているということは、「良心」や「道徳」と具体的な行動を結びつけているということです。ここはやはり「良心」や「道徳」は具体的な行動に対して何らかの強制力を持つものと考えるべきではないでしょうか。そうすると「何でもかんでも抵抗権」ということにはならないですよね。