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判決文はすごい量なのでとても読んでられないけど、冒頭だけ斜め読みすると、「将来のSVRxのロイヤリティ収入」はSCOに売られたらしい。
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ではSCOは一体何を持ってるの? (スコア:5, 興味深い)
SCOがNovellと契約を結んで1995年にUNIXに関する何かを、1億数1000万ドル相当の株式を払って買ったのは事実。 SCOは一体何を買ったのだろう。
判決文はすごい量なのでとても読んでられないけど、冒頭だけ斜め読みすると、「将来のSVRxのロイヤリティ収入」はSCOに売られたらしい。
Re:ではSCOは一体何を持ってるの? (スコア:2, 興味深い)
Re:ではSCOは一体何を持ってるの? (スコア:0)
もしそうだとすれば
SCOは、フリコミサギと同じ程度やね。
迷惑だ!
Re:ではSCOは一体何を持ってるの? (スコア:0)
地裁の判断は、「SCOはライセンスを受けたにすぎない」らしいですが、
独占販売権のためのライセンスだったとするなら、
「SCOのもつ著作権が侵害された」から
「SCOが独占する契約だった権利を無償でLinuxコミュニティに流した」
という訴えに変えられるかもしれませんね。
もしそのように戦略を変えてくると、NovellはLinuxからSCOが得ようと
していた補償の多くを引っ被ることになる可能性が。
いずれにしろ、SCOが買った何かがNovellによって無駄になっている
可能性は高そうで、ちょっとSCOが哀れ。
ポケットティッシュを100均の店で買ったら、その店がチラシと
一緒にポケットティッシュを皆に配っているのを目撃したのと同じ?
何が哀れだか (スコア:2, 興味深い)
こっちがそもそもの発端でしょ?
実際に訴えてるし、でも何ひとつ証明できずにボロボロみたいですけど。
>ポケットティッシュを100均の店で買ったら、その店がチラシと
>一緒にポケットティッシュを皆に配っているのを目撃したのと同じ?
買ったティッシュと無料のティッシュは同じものかもしれないけれど、
UNIX と linux は違うものなのでその例えは不適切です。
法廷でどこが違わないのか示せと言われても、何ひとつ示せていないのです。
Re:何が哀れだか (スコア:1, すばらしい洞察)
>UNIX と linux は違うものなのでその例えは不適切です。
だから、それをSCOが主張しているわけです。
買った物が、別の違うものの中に入って無料で配られてたと。
UNIXとLinuxが、本当に違うものだと断定できるほど、全てのソースコードを
比較検証してはいないので、私には議論できません。
あなたは断定できるほど、両方のソースコードを熟知してるわけですね。
>法廷でどこが違わないのか示せと言われても、何ひとつ示せていないのです。
逆はどうなのでしょう?
UNIX由来のコードが全くLinuxに含まれていないと示せたという話も聞いたことがない。
SCOは、数年前に一部の証拠閲覧を希望するアナリストに対して、UNIXからLinuxに
コピーされたコードを見せていますね。
法廷では示されていないのかしりませんが。
正直言って、関わった開発者の数と、その類似性からいえば、LinuxにUNIX由来のコードが
混入していても全然不思議には思いません。
SCOがNovellから何かを買ったのは事実で、それが無駄になったのも事実。
それをもって哀れと表現すると批判を受ける。
人情ってものがないのですね。
Re:何が哀れだか (スコア:1, おもしろおかしい)
それは所謂「悪魔の証明」。
コピーされたと主張するなら、主張する側が示すべきこと。
>SCOは、数年前に一部の証拠閲覧を希望するアナリストに対して、UNIXからLinuxに
>コピーされたコードを見せていますね。
私の記憶が確かなら「ドライバのソース(GPLなので、誰でも閲覧可能)を素人=アナリストにちらっと見せただけ」で、UNIXとLinuxのソースを比較したわけではありません。
しかもそのソースはLinuxのKernelですらない。
コピーされたと言うなら、法廷で示せば良いだけのこと。
それが出来なかったのはなぜでしょう?
Re:何が哀れだか (スコア:0)
>それをSCOが主張しているわけです。
結局のところ主張になっていないというのが大勢の見方ですし、
法廷もその方向で固まりつつあります。
法廷外では人を集めて何か説明したようですが、
ただの三文芝居だったという評価しか得られませんでした。
現実にそこから法廷に持ち込まれた材料が無い以上、
その評価は妥当であったと判断するべきでしょう。
現在に至るまで盗まれたという主張が事実であるかどうかすら、
自らが被害にあったかどうかすら、何ひとつ示せていないのです。
それでいて補償だけは求める。世間ではこれを詐欺と呼びます。