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それに研究に必要不可欠な文献は研究室で収集しているものだし,図書館・図書室のある研究所・大学で研究のためにWikipediaを参照する必要性はまったくありません。
Wikipediaが役に立つということを否定する気はありませんが、このポイントだけに反応します。
うちの業界(社会科学)では、依拠すべき先行研究として、SSRNで公開されているWorking Paper(査読なし)を引用することは一般的ですが、それでもWikipediaのたぐいを中身が正しいものとして、「参考文献」に掲げることはないでしょう。もし、Wikipediaの内容が無条件に真だと考える人がいれば、修士1年からやり直せ!といわれるは必定。
私も、Wikipediaはよく参照するし、内容もだいたいにおいて正しいし、深い記述があったりして勉強にもなるのですが、それでもやはり学術論文の参考文献にリストアップするほどの信頼性があると考えたことはありません。引用の必要があれば、信頼できる文献にあたって必ず裏をとります。
新聞その他、ウェブサイトも、論文に引用することはありますが、先行研究と区別するため、注に出典をベタ書きし、参考文献リストには載せません。こういった資料は、先行研究というより、研究対象、一次資料(データ)という扱いです。(このような態度は、社会科学に特有でしょうが。)
もし、Wikipediaの内容が無条件に真だと考える人がいれば、
自分の専門分野については,そうかもしれません. ただ,ちょっとでも分野が違うと,研究者でも素人ですからね.状況は違ってきます.大学で論文は手に入りますが,論文というものは,概して「自分はxxをやりました」という報告であって,「この分野について,最近10年間のざっくりとした傾向を知りたい」という場合に,Wikipediaは非常に重宝します.
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クラックを法規制強化で止められると思ってる奴は頭がおかしい -- あるアレゲ人
ソース忘れたorz (スコア:3, 興味深い)
#被雇用者が雇われている時間に対して対価が支払われているのに、
#その時間を使った作業内容をGFDLで他の契約主体に渡せるのか、ってところで。
##つくばの別の独法でずっと前から2chなどはアク禁になってるのでAC
Re:ソース忘れたorz (スコア:3, 参考になる)
そのものではないが、たとえば職務著作にあたる可能性があるので一旦削除された項目のノート [wikipedia.org]。
Re:ソース忘れたorz (スコア:1, 参考になる)
それに研究に必要不可欠な文献は研究室で収集しているものだし,図書館・図書室のある研究所・大学で研究のために
Wikipediaを参照する必要性はまったくありません。
そもそも科学業界(?)の多くでは,よほどのことが無ければ諸々の理由でweb上の情報を論文に引用することすら不可能
です。
個人的な調べもののためにWikipediaにアクセスしたければ個人のパソコン(+無線)を使えば良いのです。
(管理されてる大学のネットワークを使うのが嫌で実際にそうしている大学教授を知っている)
Re:ソース忘れたorz (スコア:2, 興味深い)
>論文に引用することすら不可能
なんか本題から離れていくけど、そりゃ嘘です。
紙媒体で表現できない動画ファイル等や学術的なデータベースをURLを示して引用することは
広く行われてます。論文のオンライン版のサプリメントだったり、研究機関のウェブサイトに
掲示された情報だったり。
引用できるかできないかは、引用先が
著者が身分と名前を明らかにした署名記事か
それも含め学術的に信用がおけるかどうか(査読を経るとか、分野の権威であるとか)
にかかってます。Wikipediaは著者が匿名のうえ内容に信用がおけないため学術文献として
引用できないだけで、web上にあるかどうかは全然まったく関係がありません。
同様の理由で、執筆者がその分野の権威だったとしても掲載先がWikipediaでは
学術的な貢献としてみなされません、そういう話です。
Re:ソース忘れたorz (スコア:2, 興味深い)
同様に、研究に必要な文献や情報は研究室で収集しているものなので、google をはじめ、そもそもインターネットにアクセスする必要もありません、てことでしょうか?
お役所もそうですが、研究者にとって最新情報や関連情報を効率よく調べることは、非常に大事。インターネットや web はそのための強力なツール。そもそも www は研究成果を効果的に交換するために始まったもの。それの利用を禁止するというのは、時代錯誤でしょう。
学術論文の参考文献で一番重要なのは、その同一の文献がちゃんと特定でき、かつ、広く一般に入手可能であること。その内容やそれを参照して演繹している内容が正しいかどうかの判断は、基本的には読者に委ねられている。なので、アクセスが保証できるのであれば、基本的にはインターネットでもいいはず。
もちろん、できるだけゴミ情報はなくしたいし、車輪の再発明で無駄に文献数を増やしてもしかたないので、その意味で査読制度は価値がある。また、研究の価値やインパクトを計る基準としての権威を与えるという役割も、それに変わる基準がない現状ではなくすわけには行かない。ただ、正しいかどうか、価値があるかどうかすぐには明確に判断できない分野もあるわけで、査読論文のみを参考文献として認めるというのはナンセンス。
たしかに、wikipedia を論文の参考文献として参照することは難しい。それは、正しさが保証されないためではなくて、いつでも同じものが参照できることを保証できないため。でも、最初の取っ掛かりとして wikipedia は結構役に立つ。
あとの問題は、wikipedia を利用するだけ利用して、それに対して貢献しないのか、というところ。役所的には、評価がむつかしい社会への貢献よりも、センセーショナルだが実は些細なマイナス評価を重視しそう。。。
Re:ソース忘れたorz (スコア:2, すばらしい洞察)
Wikipediaが役に立つということを否定する気はありませんが、このポイントだけに反応します。
うちの業界(社会科学)では、依拠すべき先行研究として、SSRNで公開されているWorking Paper(査読なし)を引用することは一般的ですが、それでもWikipediaのたぐいを中身が正しいものとして、「参考文献」に掲げることはないでしょう。もし、Wikipediaの内容が無条件に真だと考える人がいれば、修士1年からやり直せ!といわれるは必定。
私も、Wikipediaはよく参照するし、内容もだいたいにおいて正しいし、深い記述があったりして勉強にもなるのですが、それでもやはり学術論文の参考文献にリストアップするほどの信頼性があると考えたことはありません。引用の必要があれば、信頼できる文献にあたって必ず裏をとります。
新聞その他、ウェブサイトも、論文に引用することはありますが、先行研究と区別するため、注に出典をベタ書きし、参考文献リストには載せません。こういった資料は、先行研究というより、研究対象、一次資料(データ)という扱いです。(このような態度は、社会科学に特有でしょうが。)
Re:ソース忘れたorz (スコア:3, すばらしい洞察)
wikipediaは所詮リンク集あるいはabstract集です。
wikipediaの基本方針では、検証可能性すなわち情報源の明記を掲げています。
情報源の明記されていないwikipediaの記事を信頼することはwikipediaの方針にも反しています。
したがって(素人のトリビア的利用ではなく、自分の専門分野であれば)wikipediaをポインタとして経由することはあっても、最終的には一次情報源にあたってその個々の情報源が信頼に値するか判断するものであって、wikipedia自体を参考文献にすることはありえないでしょう。
#私は研究者ではないけど、少なくともコンピュータ関連ではそういう利用
Wikipediaの記述は固定されてませんからね (スコア:0)
誰もそんなことは言ってませんがな。
だいたい、査読ありの論文だって「絶対正しい」なんて思っちゃいけないでしょ。
Re:Wikipediaの記述は固定されてませんからね (スコア:0)
そのこと自体はwikipediaの引用を避ける理由にはなりませんな。
著書とか事典でも版を重ねるに当たって内容を書き換えたり書き加えたりなんて茶飯事ですから。
論文でもそういうものは版を指定して引用しているのだから、
“wikipediaを論文形式に沿った形で引用したいのなら”版を指定して引用すればいいこと。
#ただwikipediaの記述は「伝聞」にしか過ぎない状態なので論文の論拠とするにはちょっとまだねぇ。
#論述をwikipediaで展開しようとすると、最近は「それは『独自研究』だ」とされて削除対象だし:p
Re:ソース忘れたorz (スコア:1)
wikipediaに限らず,自分の詳しくない分野(だけど研究に必要)なことを調べるのに
とりあえず検索エンジンにクエリを投げて,ざっと調べてからさらに詳しい文献なりに
あたったり必要な情報を絞り込んだり,とかはよくやってますが.
Re:ソース忘れたorz (スコア:0)
自分の専門分野については,そうかもしれません.
ただ,ちょっとでも分野が違うと,研究者でも素人ですからね.状況は違ってきます. 大学で論文は手に入りますが,論文というものは,概して「自分はxxをやりました」という報告であって,「この分野について,最近10年間のざっくりとした傾向を知りたい」という場合に,Wikipediaは非常に重宝します.
後は,自分が知らない数学が出てきたりした場合で
Re:ソース忘れたorz (スコア:1, 参考になる)
バイオ系と一口に言っても、同じ生物であるヒトの細胞だけに限っても、細胞周期とか発癌とか発生工学とか、それぞれの分野がすごい勢いで発展してるので、ほんの少しずれただけでもカバーできない部分というのが多く、それでいてそれぞれの領域がリンクしてくるケースというのが非常に多いです。
そういうときは原著論文を読むだけでは、書かれている事柄が理解できないことも多いですし、例えばintroductionに書かれている背景も、そのまま鵜呑みにできない(著者がある程度恣意的に書いてる可能性がある)場合もあります。で、そういうときに何が読みたいかというと、要は総説記事(review)なんですね。もちろん、きちんとした学術誌に書かれてる英文総説を読むのがいちばんではあるんですが、自分の語学力の関係もあって、読むのに時間がかかってしまうことが多い。もちろんそれなりに読めはするんだけど、もともとが専門的でややこしい英文だったりするときちんと理解するのに時間がかかったり、日本語だったらナナメ読み、とばし読みで十分理解できるような部分でも、しっかり読まないと頭に入って来ないため、効率が悪くなる。「これが日本語だったら、一報読む時間で4-5報読めるのになあ」と感じることも、よくあります。それで日本語の総説を探したりもするんですが、数が少ないし、最新の研究内容に関する総説は(5-10年前よりははるかに早くなったとはいえ)なかなか出て来ない状況だったりします。それに英文総説ならオンラインジャーナルで公開されているのも多いんだけど、和文総説にはそういうのはほとんどありません。
では、他にもさんざん書いてる人がいますが、「研究者なら大学のウェブサイトで啓蒙すりゃいいじゃん」と言ってはいますが、「総説」として使えるような内容を公開しているところってのは数えるほどしかありません。研究者のお仕事はあくまで研究なので、発表してるのはあくまで「自分の研究成果」、つまり論文と同じようなスタンスでしかないのです。総説として知りたいのは、例えば大学や大学院の講義で使う講義ノートだったりするんですが、そもそもそういう「教育」の実績評価自体が機能してない現状では、講義ノートの公開は、むしろ教育者として(個性的な講義ができるということ)の自分の価値を下げるだけになりかねないので、みんなあまりやりたがらない(唯一の例外は、実績として認められる「教科書の執筆」くらい)。
そういう状況から言っても、ウィキペディアで求められてるような「一般向けに書かれた文章」がある、というのはありがたい状況だったりします。もちろんそれ単独で満足するのではなく、あくまで出発点というか、頭の中にだいたいの「話の輪郭」を作るくらいにしておいて、その上で英文総説などを読んで、正確さを補完するようにしてるわけです。あらかじめ輪郭を掴んでおけば、白紙の状態から読み始めるのに比べて、倍以上のスピードで読めるようになりますから。
Re:ソース忘れたorz (スコア:1)
Re:ソース忘れたorz (スコア:0)
Re:ソース忘れたorz (スコア:1)
もしくは緊急連絡用であろう携帯でそういうところにつないでるがために必要な連絡取れなくて大目玉とか。