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いやしくも科学的に考えるなら、宗教と言うものを考える時に見逃すことはできないことが1つあります。それは、「人類は信仰心に多大な投資をしてきた」と言う明白な事実です。
この事実は明白に次の結論を導きます。すなわち「信仰心を持つことは生き残るのに有利だった」と言うことです。実際、歴史上人類が信仰心と言うものに投資してきた資源は
たとえば昆虫はろうそくの炎に飛び込んでしまいます。これは炎に飛び込む事が生存に有利だったから発達したのでしょうか? 明らかにそうではなく、これは月や太陽といった光源に対して一定の角度で飛ぶ事で進路を決められるように発達してきた性質です。しかし、ろうそくという人工的な光源があちこちに出現した事により、その性質が「誤動作」して不利に働いてしまっているのです。
この議論は面白いですね。私の回答は、「有利とか不利とか言う前に昆虫の個体数にとって火に飛び込む数なんて誤差以下」と言うことです。捕食者に食われたりその他の死因にたいしてあまりにもレアなケースで、種の存続に有利とか不利とか言う段階に達していないのでしょう。その理由は、人類が夜に火をともすようになってからもうたぶん百万年以上は経っていると考えられるのに、現在でも昆虫は火に飛び込んでいるからです。もし不利とか言う段階に達していたら、何らかの対策を講じて今はもう飛び込まないはずです。
人類が虫が火に飛び込むことを気にするのは、夜間の固定光源のそばには(ほぼ確実に)人間がいたから、ただそれだけの理由でしょう。(種としての)昆虫は夜間に固定光源があること自体いまだに気付いていない可能性があります。
# ただ、近年あまりにも増えてますから、そろそろ気付くかも知れませんね(蜘蛛が蛍光灯のそばに巣を張りだすとか)。
さて、この論法にのっとるなら、問題は結局、信仰心を持つ人の数、信仰心につぎ込まれた資源(人命とかも含め)は、人類の数や人類が今までいろんなことに費してきた資源に対して、誤差の範囲なのか?と言うことになります。
そうだ、誤差なのだ、と言い切れる人にはそれで議論は終わりなのですが、私にとっては誤差と言うにはあまりにも膨大な犠牲が信仰心によってもたらされているとしか思えないのです。今まで宗教ゆえに死んだ人の数、信仰ゆえに払われた犠牲は、世界中の夜を飛ぶ蛾の数に対して、たまたま人間が灯していたランプに飛び込んでしまった蛾の数、くらいの比率でしかないのでしょうか?本気でそう思えますか?
それに、そう考えることは、今も多くの国で、宗教をバックにした政党が政権で大きな力を握っている、と言う事実とあまりにも矛盾しませんか?好むと好まざるとにかかわらず、信仰心は、現在でも世界のパワーバランスに大きな影響をもたらしているのです。
って矛盾はどう説明するの? 信仰に殉じて「たまたま人間が灯していたランプに飛び込んでしまった蛾の数、くらいの比率」以上に人間が死んでいるなら 「信仰心を持つことは生き残るのに有利だった」とは言えないと思うんだけどなぁ。
信仰に殉じて「たまたま人間が灯していたランプに飛び込んでしまった蛾の数、くらいの比率」以上に人間が死んでいるなら
「信仰心を持つことは生き残るのに有利だった」とは言えないと思うんだけどなぁ。
いえ、矛盾してはいませんよ。莫大な(無視しがたい)コストを支払ってきたのは事実なんだから、それを上回るメリットがあったはずだ、と言っているだけです。
そんなメリット何かない、と言うのは簡単ですが、それにしてはあまりにもコストが膨大だ(虫が火に飛び込む程度のコストではない)。と言うことですよ。
そして、手前味噌に自分の主張をつけくわえると、そのメリットとは「団結を強化し、意思を統一すること」であると思われるのです。我々のように高度に複雑な群を形成する動物にとって、団結し、意思を統一することは大変メリットのあることだったのだと思います。あらゆる犠牲を払ってお釣りがくるほどに。
こんな感じでお答えになりますかね。
# 火に飛び込む虫については、ひょっとしたら本当は無視できる比率なんかじゃなくて、多数の個体が火に # 焼かれるような犠牲を支払っても虫にとって必要な何かがあって、それでやむをえず飛び込んでいるのか # も知れませんねえ。しかし、炎と月の光を見分けることがそれほど困難か、っつーとちょっと疑問です。 # やっぱわざわざ対策するようなことだと思ってないんじゃないかと…。
莫大なコストを支払ってきたら、その行為にメリットがあったはずというのは自明ではないですよね。 私は宝くじに莫大なコストを払ってきたが、その行為にメリットはなかったと思います。 でも、宝くじを運用している組織やたまたま宝くじに当たった人には、宝くじという幻想を維持するメリットはあると思いますが。
私は宝くじに莫大なコストを払ってきたが、その行為にメリットはなかったと思います。 でも、宝くじを運用している組織やたまたま宝くじに当たった人には、宝くじという幻想を維持するメリットはあると思いますが。
まず、あなたは(おそらく意図的に)個体のレベルともっと大きな集団のレベルを混同して話していますね。ものごとには例外がつきものなので、個人のレベルで運よく成功しようと、あるいは失敗しようと、それで全体を論ずるわけには行きません。
それを踏まえてあえて個人のレベルでお話ししますと、あなたが今も生きていて、その上スラドに書き込めるくらいの経済力を保っていると言うことは、1つの事実を示しています。それは、「あなたが宝くじに投じた金額は、莫大ではなかった」と言うことです。どう見ても、あなたが経済的に破綻して飢え死にするレベルに達していません。そうではないですか?あなたが個人的に莫大だと思っていても、他をきりつめれば何とかなる程度の金額ではなかったでしょうか。つーか、何ともなっていなかったら今あなたと私はこうやって議論はできないはずです。
結局、宝くじと言うあまりにも見返りの薄いギャンブルが一般に受け入れられているのは、1回に投じる金額があまりに低いからでしょう。
私は、人が宗教に投じてきた金額は、宝くじ程度のものではなかった、と思っているのです。まあ人類の滅亡レベルまで行かなくても、すくなくとも、「隣りに宗教なんてものに無駄金を投じない国があったとしたら、その国との戦争に負けるレベル」くらいの資源は投じてきた、と思っています。どうでしょう。どうもこのへん定量的な話になりようがなくてすいませんね。
そんなことはない、宝くじレベルの、「あたらなくてもともと」くらいの犠牲しか投じていない。と言う人もいるかも知れませんが、そうなると、宗教について世界中であんまり人が大騒ぎしすぎるような気がします(このスラドでの議論も含めて)。
現代においては信仰よりも会社の方が安全に生き残る手段のような気がします。
これにはまったく同意です。現代社会においては、「信仰心を通じて結束する」戦略よりも、「各人がてんでに自分の利益(金)を追求する」戦略のほうが、全体としてうまく働く、と言うことが実証されかかっているように思います。「金を求める」戦略にも欠点があると思うので、完全に決着がついたとは思っていませんが、現状ではどう見ても金が有利ですね。今後は果たしてどうなるのでしょうか。興味深く観察しています。
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アインシュタインでさえ (スコア:2, 興味深い)
いやしくも科学的に考えるなら、宗教と言うものを考える時に見逃すことはできないことが1つあります。それは、「人類は信仰心に多大な投資をしてきた」と言う明白な事実です。
この事実は明白に次の結論を導きます。すなわち「信仰心を持つことは生き残るのに有利だった」と言うことです。実際、歴史上人類が信仰心と言うものに投資してきた資源は
Re: (スコア:5, 興味深い)
たとえば昆虫はろうそくの炎に飛び込んでしまいます。これは炎に飛び込む事が生存に有利だったから発達したのでしょうか?
明らかにそうではなく、これは月や太陽といった光源に対して一定の角度で飛ぶ事で進路を決められるように発達してきた性質です。しかし、ろうそくという人工的な光源があちこちに出現した事により、その性質が「誤動作」して不利に働いてしまっているのです。
ドーキンスはこの例により、人類の祖先の段階で自然淘汰により有利とされたのは「宗教そのものではなく」別の要因であって、「宗教はその不幸な副産物」なのかもしれないと論じています。
そしてその「別の要因」として彼は「子供が親を妄信的に信じる事」が生存に有利に働いたのではないか。宗教はそれが誤作動したものではないかという説を提唱しています。
//Sinraptor
Re:アインシュタインでさえ (スコア:1)
この議論は面白いですね。私の回答は、「有利とか不利とか言う前に昆虫の個体数にとって火に飛び込む数なんて誤差以下」と言うことです。捕食者に食われたりその他の死因にたいしてあまりにもレアなケースで、種の存続に有利とか不利とか言う段階に達していないのでしょう。その理由は、人類が夜に火をともすようになってからもうたぶん百万年以上は経っていると考えられるのに、現在でも昆虫は火に飛び込んでいるからです。もし不利とか言う段階に達していたら、何らかの対策を講じて今はもう飛び込まないはずです。
人類が虫が火に飛び込むことを気にするのは、夜間の固定光源のそばには(ほぼ確実に)人間がいたから、ただそれだけの理由でしょう。(種としての)昆虫は夜間に固定光源があること自体いまだに気付いていない可能性があります。
# ただ、近年あまりにも増えてますから、そろそろ気付くかも知れませんね(蜘蛛が蛍光灯のそばに巣を張りだすとか)。
さて、この論法にのっとるなら、問題は結局、信仰心を持つ人の数、信仰心につぎ込まれた資源(人命とかも含め)は、人類の数や人類が今までいろんなことに費してきた資源に対して、誤差の範囲なのか?と言うことになります。
そうだ、誤差なのだ、と言い切れる人にはそれで議論は終わりなのですが、私にとっては誤差と言うにはあまりにも膨大な犠牲が信仰心によってもたらされているとしか思えないのです。今まで宗教ゆえに死んだ人の数、信仰ゆえに払われた犠牲は、世界中の夜を飛ぶ蛾の数に対して、たまたま人間が灯していたランプに飛び込んでしまった蛾の数、くらいの比率でしかないのでしょうか?本気でそう思えますか?
それに、そう考えることは、今も多くの国で、宗教をバックにした政党が政権で大きな力を握っている、と言う事実とあまりにも矛盾しませんか?好むと好まざるとにかかわらず、信仰心は、現在でも世界のパワーバランスに大きな影響をもたらしているのです。
Re:アインシュタインでさえ (スコア:2, すばらしい洞察)
>この事実は明白に次の結論を導きます。すなわち「信仰心を持つことは生き残るのに有利だった」と言うことです。
と書いてあるんだけど、そのあとで
>今まで宗教ゆえに死んだ人の数、信仰ゆえに払われた犠牲は、世界中の夜を飛ぶ蛾の数に対して、
>たまたま人間が灯していたランプに飛び込んでしまった蛾の数、くらいの比率でしかないのでしょうか?本気でそう思えますか?
って矛盾はどう説明するの?
信仰に殉じて「たまたま人間が灯していたランプに飛び込んでしまった蛾の数、くらいの比率」以上に人間が死んでいるなら
「信仰心を持つことは生き残るのに有利だった」とは言えないと思うんだけどなぁ。
Re:アインシュタインでさえ (スコア:1)
いえ、矛盾してはいませんよ。莫大な(無視しがたい)コストを支払ってきたのは事実なんだから、それを上回るメリットがあったはずだ、と言っているだけです。
そんなメリット何かない、と言うのは簡単ですが、それにしてはあまりにもコストが膨大だ(虫が火に飛び込む程度のコストではない)。と言うことですよ。
そして、手前味噌に自分の主張をつけくわえると、そのメリットとは「団結を強化し、意思を統一すること」であると思われるのです。我々のように高度に複雑な群を形成する動物にとって、団結し、意思を統一することは大変メリットのあることだったのだと思います。あらゆる犠牲を払ってお釣りがくるほどに。
こんな感じでお答えになりますかね。
# 火に飛び込む虫については、ひょっとしたら本当は無視できる比率なんかじゃなくて、多数の個体が火に
# 焼かれるような犠牲を支払っても虫にとって必要な何かがあって、それでやむをえず飛び込んでいるのか
# も知れませんねえ。しかし、炎と月の光を見分けることがそれほど困難か、っつーとちょっと疑問です。
# やっぱわざわざ対策するようなことだと思ってないんじゃないかと…。
Re: (スコア:0)
莫大なコストを支払ってきたら、その行為にメリットがあったはずというのは自明ではないですよね。
私は宝くじに莫大なコストを払ってきたが、その行為にメリットはなかったと思います。
でも、宝くじを運用している組織やたまたま宝くじに当たった人には、宝くじという幻想を維持するメリットはあると思いますが。
宗教のメリットとしての因果関係は信仰の厚い集団が薄い集団に優るという暗黙の理解があって初めて成り立つと思いますが、
歴史的にみて、集団間の争いにおいては信仰の厚い集団が薄い集団を蹂躙してきたかもしれないが、
これが人類全体にとってメリットデメリットとなると微妙です。
これは証明するのは簡単ではないのではないでしょうか。
現代においては信仰よりも会社の方が安全に生き残る手段のような気がします。
Re:アインシュタインでさえ (スコア:1)
まず、あなたは(おそらく意図的に)個体のレベルともっと大きな集団のレベルを混同して話していますね。ものごとには例外がつきものなので、個人のレベルで運よく成功しようと、あるいは失敗しようと、それで全体を論ずるわけには行きません。
それを踏まえてあえて個人のレベルでお話ししますと、あなたが今も生きていて、その上スラドに書き込めるくらいの経済力を保っていると言うことは、1つの事実を示しています。それは、「あなたが宝くじに投じた金額は、莫大ではなかった」と言うことです。どう見ても、あなたが経済的に破綻して飢え死にするレベルに達していません。そうではないですか?あなたが個人的に莫大だと思っていても、他をきりつめれば何とかなる程度の金額ではなかったでしょうか。つーか、何ともなっていなかったら今あなたと私はこうやって議論はできないはずです。
結局、宝くじと言うあまりにも見返りの薄いギャンブルが一般に受け入れられているのは、1回に投じる金額があまりに低いからでしょう。
私は、人が宗教に投じてきた金額は、宝くじ程度のものではなかった、と思っているのです。まあ人類の滅亡レベルまで行かなくても、すくなくとも、「隣りに宗教なんてものに無駄金を投じない国があったとしたら、その国との戦争に負けるレベル」くらいの資源は投じてきた、と思っています。どうでしょう。どうもこのへん定量的な話になりようがなくてすいませんね。
そんなことはない、宝くじレベルの、「あたらなくてもともと」くらいの犠牲しか投じていない。と言う人もいるかも知れませんが、そうなると、宗教について世界中であんまり人が大騒ぎしすぎるような気がします(このスラドでの議論も含めて)。
これにはまったく同意です。現代社会においては、「信仰心を通じて結束する」戦略よりも、「各人がてんでに自分の利益(金)を追求する」戦略のほうが、全体としてうまく働く、と言うことが実証されかかっているように思います。「金を求める」戦略にも欠点があると思うので、完全に決着がついたとは思っていませんが、現状ではどう見ても金が有利ですね。今後は果たしてどうなるのでしょうか。興味深く観察しています。
Re:アインシュタインでさえ (スコア:1)
個体にとっての有利・不利と種族にとっての有利・不利は違う。
種族にとってどうなのかは滅亡するまで分からない。(塞翁が馬)
the.ACount