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元投稿者にとっては、ボタンを叩くことが、ボタンに対する虐待なのです。
たぶん。
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ナニゲにアレゲなのは、ナニゲなアレゲ -- アレゲ研究家
ビデオゲームと「暴力性」 (スコア:1)
もともと、どんなビデオゲームも本質は暴力的な訳で、「リアリティー」により影響する云々っていう言説は、科学的根拠を云々する以前に、「リアリティーが、増せばますほどゲームっていうものは面白くなる」と思っている○ル・ゲイツさんみたいに滑稽な視線のような感じがします。
ニ文法というのは、一方の見方を「特権化」して一方を「隔離・摘発」する働きがあるのでは、ないかと思っています。(ここでは、「暴力的でない(子供向け)ゲーム」に対し「暴力表現の激しいゲーム」とか)
元々、ビデオゲームは暴力的な訳で、「二つ」に分けてで議論するというのは、なんかなーと思いますしねー。別に、暴力って一概に悪いものではないし、そこにある美学とかもあると思いますし。それ自体も、「エンターテイメント」や「芸術」として成り立つような気がします。
ゲーマーとしての感触としては、ゲームの中で得られる「暴力としてのエンターテイメント」と現実で行われる「暴力」って別物な感じがします。ある「エンターテイメント」っていう前提があって、ビデオゲームの「暴力性」は、成り立っている訳ですよね。
ただ、単に現実にヒトを殴っても「スコア」に繋がらないことなんて、判ってて彼らはビデオゲームをしている訳だし、もともとビデオゲームについての現実認識というのは、逆にある程度確立されてないとビデオゲームを楽しむことが難しい気もします。
やっぱり、社会生活でどう振舞うかっていうのは、教育とか多面的な社会背景とか別にしてみることのがよっぽど重要ではないかと思ったりする訳です。
Re:ビデオゲームと「暴力性」 (スコア:0)
この前提は変な気がします。
具体例で言えば、「どこでもいっしょ」とか、あとは音ゲーとか、どのへんが暴力的でしょうか?
Re:ビデオゲームと「暴力性」 (スコア:1)
うーん。「どこでもいっしょ」は、別に革新的な感じはないけれど新しいゲームの分野なのでしょうかねー、皆さんの鋭い洞察を待ちます(笑)。
音ゲー系もある種のCPUとの対戦ですからそこあたりが、「暴力的」と言えば、そんな気がします。そういったところは、昔のテニスゲームから脈絡と受け継いできたものと言えるカモ。
「どこでも~」は、ある種双方向のリアクションがあるんだけど、それに「映画を観ること」のような側面をプラスしたビデオゲームなのではないかと‥。
そんなゲームは、最近増えているような気がして、それについてはまた別な洞察が必要な気がしますねー。例えば、小説を読むようなサウンドノベルや映画的なゲームですよね。
それの元となるものは、映画や小説を「エンターテイメント」として捉えると、どういうことになるのかという洞察が必要な気がして、またそれについては私はまだ考えが開けていないので、またいろいろ考えてみたいと思います(^^)。
Re:ビデオゲームと「暴力性」 (スコア:1)
そういう論法だと、しりとりや早口言葉も「暴力的」と言えば、そんな気がします。
将棋や囲碁も擬似戦争という意味で暴力的。
スポーツや鬼ごっこのような競争的な遊びも暴力的。
「遊び」全般に当てはまってしまうので、コンピュータゲームに限定する理由はどこにもないですね。
うじゃうじゃ
Re:ビデオゲームと「暴力性」 (スコア:0)
元投稿者にとっては、ボタンを叩くことが、ボタンに対する虐待なのです。
たぶん。