Jenkins describes at least four functions of violent entertainment:
offering youngsters "fantasies of empowerment," "fantasies of
transgression," "intensification of emotional experience," and "an
acknowledgment that the world is not all sweetness and light.
さあ、ゲームの始まりです (スコア:2, 興味深い)
Re:さあ、ゲームの始まりです (スコア:1)
もっとも、不公正であるという理由だってあるかもしれませんので、できればもう少しきちんと論拠を示していただけるといいのですが。
Re:さあ、ゲームの始まりです (スコア:2, 興味深い)
圧力団体という意味で、です。 ところで、暴力表現や性描写の規制に反対する目的で結成された団体が「やはり暴力表現や性描写は悪かった」という調査結果なり意見をプレス発表する事などあり得るとでもお思いですか? そう考えると、「彼らが言っている事は本当に事実だろうか」と思うのが当然でしょう。
> 公正中立ってのは「何も主張しない」ことではありません。
それは理解しますが、
> ある立場をとっているからといって、その主張が不公正だという理由にはなりません。
特定の立場に基づく偏った意見、ですね。
> 不公正であるという理由だってあるかもしれませんので
前の私の記事で参照した URL [fepproject.org] にある、彼らが以前に行った主張や発表や働きかけをご覧いただければ判るでしょう。「暴力・性描写は悪くない!」を連呼しているだけではないですか。
話は変わりますが、反社会学のページを拝見し、マスコミの言う事を真に受ける事は無いというのには賛成ですが、だからといって今回の議論の様に、圧力団体のキャンペーンを真に受ける必要など、マスコミ以上に無いと思いました。
Re:さあ、ゲームの始まりです (スコア:1)
また、誰が言うことであろうと真偽の判定を自分の判断の下で行うのは当然のことです。この団体だろうが NRA だろうが神と名乗る誰かだろうが、それは同じです。
私が疑問に思ったのは、圧力団体=不公正というお話ではなくて、どういう立場にあろうともその主張が公正か不公正かは主張の内容で判断するべきだということです。団体の趣旨からその主張の結論が最初からわかっていても、だからといってその主張があやしいということにはなりません。人種差別に反対する団体はそれだけで眉唾というわけではないでしょう?今の場合、暴力表現や性描写が悪くないかどうかが問題なわけですが、それ自体は自明のことでもなんでもないので、主張が一体どのような根拠に基づいているのかを知らない限りは、真偽の判定などできはしません。それなのに簡単に結論だけ出して満足するのはそれこそ不公正な態度です。 連呼もなにも、ここはこの団体の mission やら活動履歴やらが書いてあるだけのページじゃないですか。リンク先の中身は読んだのでしょうか。それともタイトルを見て「これは暴力・性描写は悪くない!」と連呼しているだけだと判断されたのでしょうか。だったらほとんど全ての団体はお題目を連呼しているだけだということになりますが。
Re:さあ、ゲームの始まりです (スコア:2, 参考になる)
> 団体の趣旨からその主張の結論が最初からわかっていても、だからといって > その主張があやしいということにはなりません。
え? 「始めに結論ありき。理屈は後で付け足したり」の主張を、怪しいと思うな、とおっしゃるのですか? 反社会学のなぜ社会学はだめなのか [tripod.co.jp]はとても参考になるかと思います。
> リンク先の中身は読んだのでしょうか。
タイトル見れば判りそうな物ですけど・・・まあ、そうおっしゃるので、遅ればせながら リンクの先も見ました。その結果、
Re:さあ、ゲームの始まりです (スコア:3, すばらしい洞察)
「最初に結論ありき、の団体の主張だから怪しいものだ、という理屈は常にどこでもあてはまるわけではないですよ」
といっているんです。部分否定なんです。そして、怪しいというからには、タイトルだけ読むんじゃなくて、ちゃんとその主張の論拠になっているところを示すか、論拠がないことを示して、その上で怪しいとか怪しくないとか結論を出さないといけないよ、という話なんです。
あなたは「これはインチキ団体だ」という「結論ありき」で見ているようですが、その結論に至るまでの過程が
Re:さあ、ゲームの始まりです (スコア:2, すばらしい洞察)
> 論拠がないことを示して、その上で怪しいとか怪しくないとか
何よりも、 彼らの元の主張 [fepproject.org]に、暴力ゲームは子供に害は無く有益であるという信頼の置けるデータが皆無なんです。 もちろん、子供を2つのグループに分けて、片方に暴力的なゲームをさせて、 その後で子供達の言動を比較し、「やっぱり悪影響がある」と結論付けている報告とか、 アンケートに基づいて影響ありと結論した報告なら、それこそ「検索すれば出て来る」といった感じでしょう。 (イマイチに思いますが、見付けた調査例 [cao.go.jp]) いずれにせよ、これらは「データに基づいて結論を出した」わけです。 よって、 影響が無いと結論付ける事はできない。影響があるかもしれない [ocha.ac.jp]という考えならば、私も「妥当かもね」と思えますが、この FEPP という団体は、 「どこその大学のナントカ教授は影響が無いといった意見を述べた」というのが、 延々と書き連ねてあって、だから影響は無いという論法なんです。 同様に、害が無いどころか有益だとする「論拠」なんですが、
Jenkins describes at least four functions of violent entertainment: offering youngsters "fantasies of empowerment," "fantasies of transgression," "intensification of emotional experience," and "an acknowledgment that the world is not all sweetness and light.
何でも Jenkins というどこぞの人間が "Lessons From Littleton" の本の何ページだかでこう述べている、だから暴力ゲームは子供に有益であると言っているんですね。 アホかと思います。 で、似たような事を言っている映画歴史家とか、メディア学者とかの意見が、 これでもか、これでもかと出て来て、だから暴力ゲームは子供に有益だという論拠に終始し、 「実験データが皆無」なんです。彼らの考える「調査」とは、単なるどこぞの人間も「文献調査」なんです。 だったら、 悪影響があるという人間を何人か探せば180度アベコベの結論になります。 これでは「反社会学」のページにあった、悪い例そのものです。
いずれにせよ、彼らの主張には「自分の都合」しか見えて来ません。 内容を見た限りでは、 本当に子供の福祉に気遣っている様な配慮が全く見られません。 一時が万事、 「害が有るという科学的に信頼の置ける証拠は無い」で片付けていますが、 確かに、子供は一日や二日で大人に成長する物ではないから害もすぐには現れないため、 影響を否定しようと思えばできるでしょう。 でも「暴力ゲームは子供に有益」かどうかは、 本当に子供の立場で物事を考える、 親とか教師の意見とか、アンケート結果とか、 実験データの方がずっと信憑性があります。 この FEPP という団体は、 表現の自由だけを主張するが、子供のことなどは考えていないので、 「暴力ゲームは子供に有益」という主張は、 暴力ゲームを規制しようとする社会一般の流れに一矢報いたいがために無理矢理こしらえた宣伝みたいで、こういった情報操作みたいな主張を表現の自由の名の元で行われるのは嫌ですね。
最後に、これではゲームに悪影響ありという意見を否定しにくいだろうという事件を紹介します。 愛知県警の取調室で、少年はあっけらかんと答えた。『何でやったかって? 格闘ゲームで見た技がどれくらい効くか、試してみたかっただけですよ』 [ocha.ac.jp]
やっぱり、子供に「暴力を楽しむ心を育む」というのは、賛成できないですね。
Re:さあ、ゲームの始まりです (スコア:0)
>> だろうという事件を紹介します。
責任転嫁の口車にまんまと乗せられているだけ。企業や社会のせいにすればうやむやになることをちゃんと知ってるの。ここで「授業がつ
嫌悪感と法規制は分けて考えるべき (スコア:1)
学者たちの言うのは「問題とするような害は無い」あるいは「暴力的ゲームの愛好者は暴力的では無い」,引用したところなら「こうしたもので慰められたり,力づけられることもある」というくらい。日本では精神科医の香山リカが『テレビゲームと癒し』という書籍で,自分の臨床体験からテレビゲームの効用について述べています。もちろん,彼女はテレビゲームが好きだ,という立場で擁護しているわけですが,子供に対する理解や配慮は十分にあると思います。
話しをもどして。「暴力的ビデオゲームへの子供のアクセスを制限する法律」というのが,具体的にどんなものかまでは解からなかったんだけど,ことの発端は,あの高校生二人組による教師と生徒ら10数人を殺害した事件で,問題になってるゲームはDoomということらしい。
この様な事件があれば,被害者などの感情に配慮して,表現の一部を自粛するのはエンターテイメント作品として当然のことだとおもう。けれども,法律で規制するというのはどうか。たとえばの話し,ジェット旅客機のフライトシミュレーションゲームってのも,今は自粛中のようだけれど,こういうのをかたっぱしから*法律で*規制してったら,それこそ表現の自由の侵害でしょう。
たとえば,例の神戸の事件の犯行声明からの引用で感情を害させる人がいたとして,あなたはそれを法律で規制すべきとのお考えですか?
参考サイト:
「ジョイスティックが暴力の引き金に?」*1 [hotwired.co.jp]
「ゲームの中の暴力」*2 [cnet.com]
「テレビゲームが人間に与える影響」とは?*3 [fusosha.co.jp]
斜点是不是先進的先端的鉄道部長的…有信心
Re:嫌悪感と法規制は分けて考えるべき (スコア:1)
そうかなぁ。奴らのARGUMENT [fepproject.org] の所では論点が3つあって、
> だいいち,子供にハードコア・ポルノを見せたら立派な犯罪です。そんなことは誰もやらんでしょう。
いやぁ、ハードコア・ポルノは悪くない [fepproject.org]と言っているのは奴らですし、 別の所では青少年に対する 性教育の必要性を説いて [fepproject.org]います。 それで、若者は正しい情報を与えられていない事で、知る権利が奪われているそうです。(一般論として、性教育が不十分なケースが見受けられるという事を取り上げて、それを言論弾圧だと論点を摩り替えて非難しているようですが)
もちろん私も性教育の必要性は理解しますが、 奴らの言う性教育とは、表現の自由の名でハードコア・ポルノだって悪く無い、 むしろ性教育になって有益だと言っているわけで、奴らの言う事が両方ともに正しければ、 子供にハードコア・ポルノを見せて「性教育だ」となりますね。 そこまで来ると皆が同意、とはならないでしょう。
それにしても FEPP の連中には付いていけないですね。奴らが書いている事を読んだ限りでは、 いつか子供達が奴らの呼びかけに応えて立ち上がり、「ボクらに暴力ゲームをよこせ!」「ワタシにポルノビデオを見せて!」と FEPP の連中と手を取り合ってデモ行進し、表現の自由を高らかに謳いあげて一緒に闘う日が来るとでも思っているみたいで、 これなら「アポロ11号の月着陸は捏造だった」と主張する連中の方がまだマトモな様に思えます。
> たとえば,例の神戸の事件の犯行声明からの引用で感情を害させる
> 人がいたとして,あなたはそれを法律で規制すべきとのお考えですか?
さあ、私はその必要は無いかと思いますが、そう思う人がいるかもしれませんね。でももしどこかの誰かが、ゲームのプレーヤーが「酒鬼薔薇」になって、何人小学生を虐殺できるかを競うゲームを作ったら、そんな忌まわしい物は規制して欲しいですけどね。
Re:嫌悪感と法規制は分けて考えるべき (スコア:1)
元から論点ずれてるし。でもまあ,もう少しだけ。
#といいつつ,長いぞこちらも。
はじめに,ハードコアについてですが,米国は日本のような犯罪性を帯びたポルノってのはご法度で,ハードコアといっても単純に描写が露骨って意味だったと思います。たしかシバリもNGだし。監禁,強姦はもってのほか。だから,彼らがハードコアといったときに,日本のエロゲーを連想すると,誤解が広がるっつうか。そこでの話しは,そうしたものの弁護ではないはず。もしかして,そうなの? あ。いやいや。
ハードコアポルノ作品を使って,子供に性的な虐待を加えることはもちろん可能でしょう。でも,そういう話しじゃないじゃん。彼らの言うのは。単にオシベとメシベじゃなくて実物を見せればって話しでしょ。
なだいなだのエッセイにあったんですが,彼の友人のフランス人夫婦は,子供の隣りのベッドでセックスしてたんだそうです。それもしっかり物心がつくころになってもやってたそうな。なだいなだも,さすがにびっくりしたらしいんですが,だからといって子供に悪影響があったかというと,そうとも思えなかったらしいです。
ようするに,性規範については民族や文化の違いってのが大きいので,特に米国の場合は法律で規制する対象としては向かないのではないかと。
で,暴力ゲームに話しを戻して。
私は,「ファンタシーとしての暴力」については,「現実の暴力」は別物だと思っていて。もし,その「ファンタシー」で負の感情を満たしているのだとしても,それは認めるべきです。理由は単純で「ファンタシーとしての暴力」には(現実の)被害者が存在しないからです。いたら大問題ですが。
被害も無しに,特定のファンタシーについて規制をかける,負の感情を持つことそのものを罰することは,思想信条の自由に反するはずです。それでも罪を問うには被害者の存在と,加害行為との因果関係の立証が必要で,仮に立証可能であれば,規制などといわず,高校銃撃事件の共謀罪で告発すればいい話しになる。
法律で規制する場合に問題になるのは,子供がDoomのような過激なバイオレンスゲームをやったときに,子供に何らかの害があるか,ようするに虐待に相当するかってことなんですが,これについては断言できるようなものでは無いと思うわけです。
たとえば,お父さんが Doom を子供と一緒にやったとして,それが,子供を虐待したことになるのかどうか。もちろん,お母さんは嫌悪感を覚えるでしょうが。それが法律となると,たとえば親権を移すに相当するような虐待行為なのか,という問題も生まれます。
「何人小学生を虐殺できるかを競うゲーム」というので,『バトルロワイヤル』という小説を思い出しました。「さあ,ゲームの始まりです!」というのも,その映画のキャッチコピーだったかも。その辺りがネタだったのかな。
どちらも観て/読んでないんでアレなんですが,どちらも評価されてるところをみると,少なくとも小説/映画のジャンルでは,暴力表現が評価されてることになる。ゲームだけはダメというなら,それなりの理由がなければ。ゲーム脳とか。
斜点是不是先進的先端的鉄道部長的…有信心
Re:さあ、ゲームの始まりです (スコア:0)
他人に指摘されてから、後だしで論を展開している時点で
すでに言い負かされいるかと。
永遠に反論していればよしとするその考えが不思議ですが、
すでに自分の最初の発言から変質してしまっていますよ。
Re:さあ、ゲームの始まりです (スコア:0)
> タイトル見れば判りそうな物ですけど・・・まあ、そうおっしゃるので、遅ればせながらリンクの先も見ました。その結果、
たとえ話をしようか。
とある新書があったとして、
Re:さあ、ゲームの始まりです (スコア:1)
> とある新書があったとして、(以下、省略)
面白い。別のたとえ話で簡単に論破されるようなチャチですね。
「ビニ本なんか子供が買うなだって? 中を見て確認するまではエロ本だなんて判る物か!」と本屋の店頭で言い返すのと同程度の理屈ですね。
多分、あなたが、リンクのページも見てないか、見ても読めないかのどちらかだろうよ。
ところであなたはリンク先を読んだ上で何か意見でもあるのかい? 結構、長いぜ。まあ、あなたは「読んでから意見を言え」って趣旨なんだから、自分にも当てはめれば?