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>論語に言う「不惑」とはなんぞや
「四十而不惑」は孔子という天才をもってしてもそこまで達するのに40年の歳月を要したということでしょう。
凡夫たる者の身には、その一生の内には到底及ばぬ境地と思っています。
せいぜい、命がつきるまで諦めずに足掻き続けられたらいいなというのが願いです。
スラド風に意訳すると「安定バージョンのリリースまでには40年の歳月を費やした」ってことですね。
そもそも、学に志すのが15歳とか遅すぎだろうと思うのが現在の感覚ですが、平均寿命の短かった古代ではなおのことと思います。
春夏を1年、秋冬を1年と数える二倍年暦 [furutasigaku.jp]説というものがありまして、リンク先では、孔子の時代では現代の1年を2年と数えたのが妥当だと主張しています。
それを受け入れると、7歳半で学に志し、15歳で立ち、20歳で不惑というのは「さすが偉人」と納得のいくものになります。
・・・あくまでも、こういう説もありますよ、という紹介ですがね。
面白いですね。そう言う解釈があるんですか。そうだとすると彼我の差のさらに広大な事を思わずにはいられません。
# 現代という観点からなら、自らの意志をもって学ぶことを選択するのが# 15歳というのは、かなり早い方なんじゃないかとも思えますけど。
余談ですが、惑の解釈には「まよう」のほかに「狭い枠にとらわれる」があるようで、不惑の解釈をただ「まようことがなくなった」だけでは無く「狭い枠(物の見方)にとらわれなくなった」としているものもありますね。
「物事を予断無く客観的に判断できるようになった」というくらいの意味でしょうか。
春夏を1年、秋冬を1年と数える 二倍年暦 [furutasigaku.jp]説というものがありまして、リンク先では、孔子の時代では現代の1年を2年と数えたのが妥当だと主張しています。
孔子の「学に志す」って、読み書きの初等教育のことじゃなくて、
気づいていないのかもしれないので。「学に志す」を「読み書き始めよう!」と解釈したのはあなた一人だけなんじゃないかな・・・
#1697147を書いたものですが、あの文章を#1697265のAC氏のように、> 孔子の「学に志す」って、読み書きの初等教育のことと読み取る人がいるとはゆめにも思いませんでした。きっと私の説明が足らなかったのでしょうね。申し訳ありません。>#1697265のAC氏
古代で15歳と言えばすでに大人ですし、その千年後から始まる科挙ですら、10歳までに最初の段階の試験を合格できないとその後のキャリアが断たれてしまうことを考えると、孔子ほどの才を持つものが7歳半で己の人生を学か武かのどちらで身を立てようと志すのは早すぎる気はしません。
まあ、倍年暦の話は与太かも知れませんが、こんなネタを元にあれやこれや想像を巡らすのは楽しいものです。
ということしたいんですね。
#本人乙
その前に、こっちのまよってるやつ [mainichi.jp]が文明ごとリセットしてくれそうですよ。
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※ただしPHPを除く -- あるAdmin
UNIX Timeとは関係ないですが・・・ (スコア:4, 参考になる)
>論語に言う「不惑」とはなんぞや
「四十而不惑」は孔子という天才をもってしても
そこまで達するのに40年の歳月を要したということでしょう。
凡夫たる者の身には、その一生の内には到底及ばぬ境地と思っています。
せいぜい、命がつきるまで諦めずに足掻き続けられたらいいなというのが願いです。
Re:UNIX Timeとは関係ないですが・・・ (スコア:5, おもしろおかしい)
スラド風に意訳すると
「安定バージョンのリリースまでには40年の歳月を費やした」
ってことですね。
うじゃうじゃ
Re:UNIX Timeとは関係ないですが・・・ (スコア:3, すばらしい洞察)
「40歳台になったら頭が硬くなり周囲の革新的な意見に惑わされる事がなくなった」では?
(意訳:耐力も落ち目だし、もう新しい事になんか構ってられるか!)
まじめな話:
あれこれ迷っているうちは成長の可能性があるけど、迷わなくなったら後は枯れるだけだと思います。
ホントに迷わなくなったら、前例踏襲のみになりそうですし……
notice : I ignore an anonymous contribution.
Re: (スコア:0)
耐力って……誤変換なのか、意図的なものなのか。
# まもなく不惑だが下半身は衰える気配がないので AC
Re: (スコア:0)
バグが出尽くして安定稼動する理想的なシステムでは?
Re:UNIX Timeとは関係ないですが・・・ (スコア:3, 興味深い)
そもそも、学に志すのが15歳とか遅すぎだろうと思うのが現在の感覚ですが、
平均寿命の短かった古代ではなおのことと思います。
春夏を1年、秋冬を1年と数える二倍年暦 [furutasigaku.jp]説というものがありまして、
リンク先では、孔子の時代では現代の1年を2年と数えたのが妥当だと主張しています。
それを受け入れると、7歳半で学に志し、15歳で立ち、20歳で不惑というのは
「さすが偉人」と納得のいくものになります。
・・・あくまでも、こういう説もありますよ、という紹介ですがね。
Re:UNIX Timeとは関係ないですが・・・ (スコア:1)
面白いですね。そう言う解釈があるんですか。
そうだとすると彼我の差のさらに広大な事を思わずにはいられません。
# 現代という観点からなら、自らの意志をもって学ぶことを選択するのが
# 15歳というのは、かなり早い方なんじゃないかとも思えますけど。
余談ですが、惑の解釈には「まよう」のほかに「狭い枠にとらわれる」が
あるようで、不惑の解釈をただ「まようことがなくなった」だけでは無く
「狭い枠(物の見方)にとらわれなくなった」としているものもありますね。
「物事を予断無く客観的に判断できるようになった」というくらいの意味でしょうか。
Re: (スコア:0)
Re: (スコア:0)
そもそも、学に志すのが15歳とか遅すぎだろうと思うのが現在の感覚ですが、
平均寿命の短かった古代ではなおのことと思います。
春夏を1年、秋冬を1年と数える 二倍年暦 [furutasigaku.jp]説というものがありまして、
リンク先では、孔子の時代では現代の1年を2年と数えたのが妥当だと主張しています。
それを受け入れると、7歳半で学に志し、15歳で立ち、20歳で不惑というのは
「さすが偉人」と納得のいくものになります。
・・・あくまでも、こういう説もありますよ、という紹介ですがね。
孔子の「学に志す」って、読み書きの初等教育のことじゃなくて、
余計なお世話かもしれませんが、 (スコア:0)
気づいていないのかもしれないので。
「学に志す」を「読み書き始めよう!」と解釈したのはあなた一人だけなんじゃないかな・・・
Re:余計なお世話かもしれませんが、 (スコア:1)
#1697147を書いたものですが、あの文章を#1697265のAC氏のように、
> 孔子の「学に志す」って、読み書きの初等教育のこと
と読み取る人がいるとはゆめにも思いませんでした。
きっと私の説明が足らなかったのでしょうね。申し訳ありません。>#1697265のAC氏
古代で15歳と言えばすでに大人ですし、
その千年後から始まる科挙ですら、10歳までに最初の段階の試験を合格できないと
その後のキャリアが断たれてしまうことを考えると、
孔子ほどの才を持つものが7歳半で己の人生を学か武かのどちらで身を立てようと
志すのは早すぎる気はしません。
まあ、倍年暦の話は与太かも知れませんが、
こんなネタを元にあれやこれや想像を巡らすのは楽しいものです。
Re: (スコア:0)
ということしたいんですね。
#本人乙
Re:UNIX Timeとは関係ないですが・・・ (スコア:1)
その前に、こっちのまよってるやつ [mainichi.jp]が文明ごとリセットしてくれそうですよ。
-------- tear straight across --------
Re: (スコア:0)
わくわくって感じですね
Re: (スコア:0)
40歳にしてファックであれば神々しさも感じられるが(ex.小田晋)、20歳ではただのDQNだ。