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受賞するための条件に「その愚行をした人が死んでいるか生殖能力をなくしていること」とあるので、民主党に投票した日本人が受賞するのは2010年度、つまり来年の予定です。
何言ってんの。わかってないなあ。日本って国はどん底のピンチにならんと本気出さない国なんだよ。黒船からの明治維新や、敗戦からの高度経済成長みたいに。だから日本をどん底に落としてもらうために民主党を選んだんだよ、みんなは。#このまま自民党に任せておけばいつか誰かがなんとかしてくれるって思いこむ消極的な無能であるよりは、行動的なバカでありたい。
どん底のピンチにならんと本気出さない
それなんて「超人ロックのセカンドフェーズ」
民主党を選んだ動機自体が自民がダメっぽいので民主党なら何とかしてくれるという思考停止の産物なのではないかと思いますが。
>行動的なバカでありたい。
行動的なバカは最も悲惨な結果を招く。ただ、「バカ」というのは結果論でしか語りにくいので結局は「行動的」である事を選択するべきなんだろうなぁ。
その元ネタは組織論、それも上意下達型(より具体的には軍隊)の組織論だから、自由主義社会全体ではちょっと違うと思う。
行動が事前にはわからないが結果として愚かな場合(事前にわかっている場合は除く)、それで自滅することは(それが自滅の範囲を超えない限り)自由な試行の一環として許されている。結果は愚かと評されるだろうけども社会的に罰せられることはない。
大丈夫だよ。金王朝が倒れて、半島が併合されそうになったら、始まるよ!!
政治と宗教と野球の話は歓談に向かないというわかりやすい実例になってるね。
まあ、ダーウィン賞を受賞するほどの愚かな行動ではないけど。
宗教ってのはジャンルじゃなくてあり方だと思うよ。
無条件に信じることが出発点になってる知識体系は皆宗教。
という教義の宗教ですね。
いいえー、定義という分類ツールを提案してるだけでその定義に対する信仰は求めてないですから。
そんな宗教ばかりじゃないってのに、宗教にあやまれ!
信仰を出発点にしない宗教があるの?
#ネタだとすると元ネタが分らないなー。
私の#1699483の定義では通常宗教に入らないものも宗教になるという指摘ならば分る。それは宗教論争的なことになりそうなものをすべて含めるために意図的に広い定義にしたのだからそういう指摘は織り込み済み。また定義の意味合いの説明が足りてないから「それは、その定義を信じろってこと?(=宗教?w)」とまぜっかえした形の#1699622の指摘もわからなくもない。
けど、宗教で漏れているものがあるとはおもわなかったなぁ。
念のため言うと、信じてる内容の良し悪しを私は評価してないよ。信仰から始まるってことを別の言い方で言っただけ。
> 信仰を出発点にしない宗教があるの?
どうも話に聞く「仏教」って宗教のある一部はですね、神だとか死後の世界とかそういうのをまるで認めない [kazokuso.net]ところから出発するそうで・・・
本来、仏教では霊魂の存在をみとめず、生も死もありません。釈迦は弟子のマールンクヤに死後の世界について質問され「今すべきことをせずに、わかりもしないことを考えるのはやめなさい」と教えています。 死後の世界はあるか、ないか。有か無かとの問いに、是(ぜ)とも非(ひ)ともこたえないのです。こうした観念の遊びは苦悩の解決や人間の救いに役立たないという意味です。
# 私自身が仏教徒かどうかは疑問符が付くところですが、この問答は好きですw
というか、それがどうも教祖の始めたことらしいのですが、今日では教祖が神みたいなものにされちゃってるのが日本を含むあちこちでの仏教のように見えます。
哲学と宗教の境目の話ですね。儒教、道教なんかは仏教より歴史が短い分もっと分りやすいですが。
それらの教えの内容を弟子がちゃんと懐疑できてる内は「宗教(religion)」ではなかったのだと思うのですよ。(古代においては元々宗教と哲学の峻別は曖昧で意識されていないわけですし。)それが何か(教祖でも経典でも神でも世界観でも)を「まずは真実と信じる」に変質した時点で宗教化したのではないかと思うのです。
論語の内容を普通に論じるだけならは古代の哲学の学説である「儒学」なのだけど孔子廟 [wikipedia.org]を有り難がって参拝するようになると宗教的な「儒教」になってくる。
> それらの教えの内容を弟子がちゃんと懐疑できてる内は「宗教(religion)」ではなかったのだと思うのですよ。
大衆の何割かはあまり真面目に考えない部分があり、また弟子の何割かは上手に説明できない部分があるかと思います。・・・と考えたら以下のようなやり取りがあちこちで発生したかもしれないと妄想しました。
割に考える大衆:「どうして**は××なの?」説明下手な弟子:「とにかく教祖が言うから間違いないんだ!!疑うと地獄に落ちるぞ!!」考えてない大衆:「よしわかったおれ入信しちゃうぞ」
この妄想と今日の仏教の状況から我々が学べる事は、教祖だけ哲学の部分を悟っててもダメで
あたりまで教祖が面倒を見てあげられないとイカンということでしょうか。
# 4. 孫弟子がひ孫弟子を訓練できるように弟子が訓練できるように教祖が弟子を訓練して・・・# 以下無限ループ?
まぁ概ねそういうことだと思います。現代でもままあることではあります。権威主義的な態度というのはきわめて宗教的だと思います。官僚信仰とか試験信仰とかは単なる比喩でなく実際に信仰なのではないかと思っています。
(余談ですが、その信仰は未だ結構根強いように思われます。最近の官僚バッシングは「信仰」を裏切られたという気持ちからくる怒りに見えて仕方ありません。)
そう思うと実はナショナリズムなども一種の宗教じゃないかとか思うわけです。自国や自民族の様々な性質を無条件に信じることから始まりますからね。
>そう思うと実はナショナリズムなども一種の宗教じゃないかとか思うわけです。>自国や自民族の様々な性質を無条件に信じることから始まりますからね。
いやあ、そう思うと真に無宗教になるのは難しそうですね。例えば私なんかは「人々が世界を良くするのに努力する」のはきっと成功する、成功してほしいと思っているのですが(努力信仰とでも言いましょうか)、人々のありようによっては全く逆に努力なんかしないのが最適である可能性すらあるわけです。他のどなたかは自分のやる事に間違いなどは発生しないと固く信じて疑わない方もいらっしゃるような気がしますし(オレオレ信仰?)、ロイビトンとかヘルペスとかいうマークの付いた商品を購入する事でであたかも魂が清められるかのように振舞う人々もいるわけです(ブランド信仰)。
良く考えれば、「自分が生存している」という事は他の誰に何と言われようと「良い事であるはず」だと、ウツ等のご病気でない方ならそう思っているはず(オレオレ生命信仰とでも言いいますか)ですから、完全に信仰を捨てて生きるのは難しそうです。少なくともオレオレ生命信仰くらいは持ってないと自分の生命維持が難しそうですし、あまり「そうありたい姿」に近くはなさそうに見えます。
完全に信仰を捨てる事が難しいと言うことを受け入れるならば、何を信じるべきかということを考えたくなりました。オレオレ生命信仰は必要そうな条件であって十分ではなさそうなのですが、そこらへんはまた今度にしましょうか。
# やっぱり空飛ぶスパゲッティモンスター? ラーメン
オフトピもいいところですが、私にとっては楽しいやり取りが出来ました。ありがとうございます。
懐疑といえば、「私は考える、ゆえに私はある」の方法的懐疑で有名なデカルトは「暫定道徳」なんてことも書いています。
それはまぁ平たく言うと、方法的懐疑といっても自分の信念を全部いきなり疑うと日常生活に支障を生じるので、現状の信念を構成する知識は暫定的なものと理解した上でいったん受け入れて、その後、段階的に疑って徐々に置き換えて行きなさいよという実際的というか、エンジニアリング的というかな助言です。
私は「宗教」に関してもそんな感じでいいのではないかなと思っています。(「宗教」のみならず「常識」や「しつけ」と言われているものとかもある程度大人になってからそうやって置き換えていけばいいのかなと。)
禅宗では、「仏に出会えば釈迦を殺して仏の呪縛を破り、達磨に出会えば達磨を殺して・・・」なんてのが残ってる。仏教だって全部が教祖が神みたいなものにされちゃってるわけじゃない。仏を信じてるみたいな他力本願だって、「自力とか他力とか言ってるうちは本当の他力じゃない」などと言うから、「仏を信じる」とはチョト違う。
> 仏を信じてるみたいな他力本願だって、「自力とか他力とか言ってるうちは本当の他力じゃない」> などと言うから、「仏を信じる」とはチョト違う。
なるほど、素人の私が葬式などを通してなんとなく眺めた仏教と仏教関係者の認識には開きがあることが分りました。どうもありがとうございます。
まず第一に「一種」と書きました様に「同一」、「同値」ではなくサブクラスであり、そういう属性を持っているという意味で書いています。私の定義(#1699483と#1699774あたりで書いている)で宗教であることに反しないならそれ以外の性質を持っていたとしても私の主張としては特に問題は発生しないわけです。
日本人を観ていればわかるとおり複数の宗教の影響下に入ることは問題なく可能ですし、欧州でも土着の民族宗教的行事(クリスマス、ハロウィン、イースターなど)をキリスト教が取り込むなど混交が発生しています。ナショナリズムが宗教の一種だとしても他の宗教の信仰と衝突はしません。
むしろナショナリストの中に「自称信心深くかつそれを声高に叫ぶ」人(政治勢力としてのキリスト教右派とか天皇崇拝者とか)がいるなどむしろ「信者」という属性に共通性・類似性があるような気さえします。一方、キリスト教を生んだユダヤ教は元来民族宗教ですし、様々な民族に見られる祖霊崇拝の類など血統に基づく宗教というのも珍しくなくて、そういう歴史的な面から見てもナショナリズムと宗教というのは結構近縁なのではないかと思います。
さらにいえばナショナリズム=ナショナル/民族アイデンティテイでもないでしょう。私がナショナリズムに関して言っている「自国や自民族の様々な性質を無条件に信じる」というのも、単に自分がその国家、民族の一員だというアイデンティティ以上のもの、例えば自国家、自民族の優秀さや伝統や統治者の血統の正当性などを無条件に信じるような側面も含めて考えていますので「アイデンティティ」で置き換えるのは狭すぎるというのもあります。(私などはそういういう意味で私のアイデンティティが日本人であることにゆらぎは殆どないけど、優越性や優秀性、そしてそれに基づく自国/自民族中心主義の正統性といったものは信じていないのでナショナリストとはいえない。)
私としてはナショナリストをあなたのいう「排外的ナショナリスト」に近い意味で使ってます。というのは単にナショナル・アイデンティティのあるだけでそれに関する思想的な面(いわゆる「ナショナリズム」)がない人を「ナショナリスト」と呼ぶのは世間の用法(例:Wikipediaのナショナリズム [wikipedia.org])に照らして違和感があるからです。
似たものを表現する関係としてサブクラスという関係を考えています。サブクラスと親のクラスはどちらが「優位」ということはありません。2つの分類の間にある構造的な類似(より厳密には包含)の関係を表現しているだけであり、何らかの種類の価値判断、価値の上下は伴いません。
そもそもこのコメントツリーでの宗教に関する私の定義(#1699483と#1699774あたりで書いている)「信じるところ(あるいは信仰)からはじまるものが宗教」は、おそらく世間に流布する定義に比べて一般化されたものです。(これは意図して一般化しています。)そして「(ナショナリズム」はその定義の下でサブクラスの関係にあるだと言っているだけです。
福岡市民(住民票的意味で)とか名古屋者(出生地、出身地的な意味で)とか日本人(法的な国籍、および歴史的に姓の由来である母方で言えばここ500年ばかりは日本の中部地方に住んできた一族の末裔という意味で)と地球人(まぁ地球に起源をもつと考えられているヒト科の生き物の意味で)は別に矛盾しないんじゃないですか?
どうレッテルを貼るのも貼る側の自由ですが、私がそれをどう思うかに関して言えば、単にアイデンティティを超えて思想的意味合いを持つ「ナショナリスト」というレッテルには違和感を覚えます。
それは参加してる面子の議論のスキルが低いか議論を楽しめないメンタリティかどっちかに問題があるだけで、政治でも宗教でもスポーツでも歓談の話題にはできるさ。ただ困るのは面子の能力の平均じゃなくて最低ラインが問題になることか…。
もっともこういう場でも見つけて雑談しておく以外に世論を自発的に形成する場はないんだから歓談にならなくて若干居心地悪くなってもやっとく価値はあると思うけどね。
要はTPOの問題だと思いますけどね。価値のある議論ならオフトピックも辞さず?
そうね。
あと、知り合いの集まりならともかくネットでは特にね。知ってる相手なら相手についての知識に基づいて多少は配慮できるけど知らない相手には(匿名の相手には特に)配慮のしようがないから。
7月辺りから、どんなトピでも政治ネタを投稿し、場所をわきまえられない残念な人達と思われたAC達も忘れずに。結果から見れば、君達の行動はマイナスであり、プラスには働かなかった。
日本の有権者じゃ対象人数が多すぎるから、代表して鳩山首相でOK?#まぁ本人の言動だけで受賞してもおかしくない位ですがw
そう書きたくなる気持ちもわからないではないけど、正確には
「報道機関が完全に腐敗した状況下での民主主義」
なのではないかと。
愚かと断ずるなら、民主主義よりベターな方法を教えてくれ。
# 「政治なんか」といってしまう愚昧さにゾッとする。# 権利+責任が不満なら日本から出て行け。マジで。
>何がgoodかなんて人それぞれなのに、万人にbetterな方法なんてあるわけないでしょう。
ありますよ。「政治」ってやつです。
「万人が平等で格差がなく、求めるに応じて得られ能力の応じて働く社会」がベターだという政治をすることにした国は「共産主義国」となり、「努力が報われ、その努力をする機会がなるべく均等になる社会」がベターだという政治をすることにした国は資本主義国となるだけです。
結果がベターになるかどうかはわかりませんが、少なくとも理論上は「万人がベター」になる仕組みになっています。その「万人がベター」な状態になるための条件が厳しすぎて、現状ではできていないというに過ぎません。例えばサボる人やズルをしようとする、いわゆる犯罪者のような人が一人でも紛れ込んでいればそれは達成不可能となります。
ある特定の思想を持つ集団の中にそうじゃない思想を持つ人が紛れ込むのだから、例えば「共産主義」の人が資本主義社会の中で「ベター」に思える結果に出会えるわけがないじゃないですか。つまり、達成するためにはそういう人たちを排除する必要があり、それは場合によっては死刑も辞さないということです。そういう意味では北朝鮮や中国などの共産主義国で、自由を訴える人たちを死刑にするのは「正しい」やり方ですね。共産主義的には。
正直に、社会や他者の生活に思考を巡らせることが困難なコミュニケーション能力に障害を抱えた人間なので、政治やそれに左右される社会のことに興味を持てません、って言えばいいじゃない。
とりあえず工作員もアンチ工作員も落ち着けよ。ここは2chじゃない。帰り道はこっちな http://www.2ch.net/ [2ch.net]
#工作員はもうちょっと練度上げないとダメなんじゃないの?臭いしキモいよ。
ダーウィン賞そっちのけでIDもACもこんだけ盛り上がれるんだから落ち着いていたらダメでしょ。本当はどんだけ政治が好きなんだよお前らといいたい。たかが有権者の3文字でオフトピがメインのストーリー一個飲み込むんだぜ。いまどきν速+だってこんなに釣れない。
ここのメインの年齢層が30代を過ぎて40代50代に移行しているかと思うと本当はもっとは耐性をつけた大人に育ってほしかったと思うが、ネットから取り残されたような煽り耐性の低さはむしろ/.Jの宝だ。ダーウィン賞はお前らにやりたい。
それこそ元民主党議員で例のなんとかえもんからもらったっていう偽メールを流して叩かれて鬱になって自殺した例のあの人こそ受賞すべきでしょう。自民党は法人ではないですから。
どう見ても怪文書にしか見えない下品な民主党バッシング文章 [mainichi.tv]も今見返してみるとなかなか感慨深いモノがあるな
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私は悩みをリストアップし始めたが、そのあまりの長さにいやけがさし、何も考えないことにした。-- Robert C. Pike
どう考えても (スコア:2, おもしろおかしい)
受賞条件 (スコア:4, おもしろおかしい)
受賞するための条件に「その愚行をした人が死んでいるか生殖能力をなくしていること」とあるので、民主党に投票した日本人が受賞するのは2010年度、つまり来年の予定です。
じゃあお前も受賞対象者だな。w (スコア:2)
Re:どう考えても (スコア:1, 興味深い)
何言ってんの。わかってないなあ。
日本って国はどん底のピンチにならんと本気出さない国なんだよ。黒船からの明治維新や、敗戦からの高度経済成長みたいに。
だから日本をどん底に落としてもらうために民主党を選んだんだよ、みんなは。
#このまま自民党に任せておけばいつか誰かがなんとかしてくれるって思いこむ消極的な無能であるよりは、行動的なバカでありたい。
Re:どう考えても (スコア:1)
それなんて「超人ロックのセカンドフェーズ」
fjの教祖様
Re:どう考えても (スコア:1, すばらしい洞察)
民主党を選んだ動機自体が自民がダメっぽいので民主党なら何とかしてくれるという
思考停止の産物なのではないかと思いますが。
Re: (スコア:0)
>行動的なバカでありたい。
行動的なバカは最も悲惨な結果を招く。
ただ、「バカ」というのは結果論でしか語りにくいので
結局は「行動的」である事を選択するべきなんだろうなぁ。
Re:どう考えても (スコア:2, すばらしい洞察)
その元ネタは組織論、それも上意下達型(より具体的には軍隊)の組織論だから、自由主義社会全体ではちょっと違うと思う。
行動が事前にはわからないが結果として愚かな場合(事前にわかっている場合は除く)、それで自滅することは(それが自滅の範囲を超えない限り)自由な試行の一環として許されている。結果は愚かと評されるだろうけども社会的に罰せられることはない。
Re: (スコア:0)
大丈夫だよ。
金王朝が倒れて、半島が併合されそうになったら、始まるよ!!
Re:どう考えても (スコア:1)
政治と宗教と野球の話は歓談に向かないというわかりやすい実例になってるね。
まあ、ダーウィン賞を受賞するほどの愚かな行動ではないけど。
Re:どう考えても (スコア:1)
Re:どう考えても (スコア:1)
宗教ってのはジャンルじゃなくてあり方だと思うよ。
無条件に信じることが出発点になってる知識体系は皆宗教。
Re:どう考えても (スコア:1)
無条件に信じることが出発点になってる知識体系は皆宗教。
という教義の宗教ですね。
うじゃうじゃ
Re:どう考えても (スコア:1)
いいえー、定義という分類ツールを提案してるだけでその定義に対する信仰は求めてないですから。
Re:どう考えても (スコア:1)
そんな宗教ばかりじゃないってのに、宗教にあやまれ!
the.ACount
Re:どう考えても (スコア:1)
信仰を出発点にしない宗教があるの?
#ネタだとすると元ネタが分らないなー。
私の#1699483の定義では通常宗教に入らないものも宗教になるという指摘ならば分る。
それは宗教論争的なことになりそうなものをすべて含めるために意図的に広い定義にしたのだからそういう指摘は織り込み済み。
また定義の意味合いの説明が足りてないから「それは、その定義を信じろってこと?(=宗教?w)」とまぜっかえした形の#1699622の指摘もわからなくもない。
けど、宗教で漏れているものがあるとはおもわなかったなぁ。
念のため言うと、信じてる内容の良し悪しを私は評価してないよ。信仰から始まるってことを別の言い方で言っただけ。
Re:どう考えても (スコア:1)
> 信仰を出発点にしない宗教があるの?
どうも話に聞く「仏教」って宗教のある一部はですね、神だとか死後の世界とかそういうのをまるで認めない [kazokuso.net]ところから出発するそうで・・・
本来、仏教では霊魂の存在をみとめず、生も死もありません。釈迦は弟子のマールンクヤに死後の世界について質問され「今すべきことをせずに、わかりもしないことを考えるのはやめなさい」と教えています。
死後の世界はあるか、ないか。有か無かとの問いに、是(ぜ)とも非(ひ)ともこたえないのです。こうした観念の遊びは苦悩の解決や人間の救いに役立たないという意味です。
# 私自身が仏教徒かどうかは疑問符が付くところですが、この問答は好きですw
というか、それがどうも教祖の始めたことらしいのですが、今日では教祖が神みたいなものにされちゃってるのが日本を含むあちこちでの仏教のように見えます。
Re:どう考えても (スコア:1)
哲学と宗教の境目の話ですね。儒教、道教なんかは仏教より歴史が短い分もっと分りやすいですが。
それらの教えの内容を弟子がちゃんと懐疑できてる内は「宗教(religion)」ではなかったのだと思うのですよ。
(古代においては元々宗教と哲学の峻別は曖昧で意識されていないわけですし。)
それが何か(教祖でも経典でも神でも世界観でも)を「まずは真実と信じる」に変質した時点で宗教化したのではないかと思うのです。
例えば (スコア:1)
論語の内容を普通に論じるだけならは古代の哲学の学説である「儒学」なのだけど
孔子廟 [wikipedia.org]を有り難がって参拝するようになると宗教的な「儒教」になってくる。
Re:どう考えても (スコア:1)
> それらの教えの内容を弟子がちゃんと懐疑できてる内は「宗教(religion)」ではなかったのだと思うのですよ。
大衆の何割かはあまり真面目に考えない部分があり、また弟子の何割かは上手に説明できない部分があるかと思います。・・・と考えたら以下のようなやり取りがあちこちで発生したかもしれないと妄想しました。
割に考える大衆:「どうして**は××なの?」
説明下手な弟子:「とにかく教祖が言うから間違いないんだ!!疑うと地獄に落ちるぞ!!」
考えてない大衆:「よしわかったおれ入信しちゃうぞ」
この妄想と今日の仏教の状況から我々が学べる事は、教祖だけ哲学の部分を悟っててもダメで
あたりまで教祖が面倒を見てあげられないとイカンということでしょうか。
# 4. 孫弟子がひ孫弟子を訓練できるように弟子が訓練できるように教祖が弟子を訓練して・・・
# 以下無限ループ?
Re:どう考えても (スコア:1)
まぁ概ねそういうことだと思います。現代でもままあることではあります。
権威主義的な態度というのはきわめて宗教的だと思います。
官僚信仰とか試験信仰とかは単なる比喩でなく実際に信仰なのではないかと思っています。
(余談ですが、その信仰は未だ結構根強いように思われます。
最近の官僚バッシングは「信仰」を裏切られたという気持ちからくる怒りに見えて仕方ありません。)
そう思うと実はナショナリズムなども一種の宗教じゃないかとか思うわけです。
自国や自民族の様々な性質を無条件に信じることから始まりますからね。
Re:どう考えても (スコア:1)
>そう思うと実はナショナリズムなども一種の宗教じゃないかとか思うわけです。
>自国や自民族の様々な性質を無条件に信じることから始まりますからね。
いやあ、そう思うと真に無宗教になるのは難しそうですね。
例えば私なんかは「人々が世界を良くするのに努力する」のはきっと成功する、成功してほしいと思っているのですが(努力信仰とでも言いましょうか)、人々のありようによっては全く逆に努力なんかしないのが最適である可能性すらあるわけです。他のどなたかは自分のやる事に間違いなどは発生しないと固く信じて疑わない方もいらっしゃるような気がしますし(オレオレ信仰?)、ロイビトンとかヘルペスとかいうマークの付いた商品を購入する事でであたかも魂が清められるかのように振舞う人々もいるわけです(ブランド信仰)。
良く考えれば、「自分が生存している」という事は他の誰に何と言われようと「良い事であるはず」だと、ウツ等のご病気でない方ならそう思っているはず(オレオレ生命信仰とでも言いいますか)ですから、完全に信仰を捨てて生きるのは難しそうです。少なくともオレオレ生命信仰くらいは持ってないと自分の生命維持が難しそうですし、あまり「そうありたい姿」に近くはなさそうに見えます。
完全に信仰を捨てる事が難しいと言うことを受け入れるならば、何を信じるべきかということを考えたくなりました。オレオレ生命信仰は必要そうな条件であって十分ではなさそうなのですが、そこらへんはまた今度にしましょうか。
# やっぱり空飛ぶスパゲッティモンスター? ラーメン
オフトピもいいところですが、私にとっては楽しいやり取りが出来ました。ありがとうございます。
Re:どう考えても (スコア:1)
懐疑といえば、「私は考える、ゆえに私はある」の方法的懐疑で有名なデカルトは「暫定道徳」なんてことも書いています。
それはまぁ平たく言うと、
方法的懐疑といっても自分の信念を全部いきなり疑うと日常生活に支障を生じるので、
現状の信念を構成する知識は暫定的なものと理解した上でいったん受け入れて、
その後、段階的に疑って徐々に置き換えて行きなさいよという
実際的というか、エンジニアリング的というかな助言です。
私は「宗教」に関してもそんな感じでいいのではないかなと思っています。
(「宗教」のみならず「常識」や「しつけ」と言われているものとかもある程度大人になってからそうやって置き換えていけばいいのかなと。)
Re:どう考えても (スコア:1)
禅宗では、「仏に出会えば釈迦を殺して仏の呪縛を破り、達磨に出会えば達磨を殺して・・・」なんてのが残ってる。
仏教だって全部が教祖が神みたいなものにされちゃってるわけじゃない。
仏を信じてるみたいな他力本願だって、「自力とか他力とか言ってるうちは本当の他力じゃない」などと言うから、「仏を信じる」とはチョト違う。
the.ACount
Re:どう考えても (スコア:1)
> 仏を信じてるみたいな他力本願だって、「自力とか他力とか言ってるうちは本当の他力じゃない」
> などと言うから、「仏を信じる」とはチョト違う。
なるほど、素人の私が葬式などを通してなんとなく眺めた仏教と仏教関係者の認識には開きがあることが分りました。どうもありがとうございます。
Re:どう考えても (スコア:1)
まず第一に「一種」と書きました様に
「同一」、「同値」ではなくサブクラスであり、そういう属性を持っているという意味で書いています。私の定義(#1699483と#1699774あたりで書いている)で宗教であることに反しないならそれ以外の性質を持っていたとしても私の主張としては特に問題は発生しないわけです。
日本人を観ていればわかるとおり複数の宗教の影響下に入ることは問題なく可能ですし、欧州でも土着の民族宗教的行事(クリスマス、ハロウィン、イースターなど)をキリスト教が取り込むなど混交が発生しています。ナショナリズムが宗教の一種だとしても他の宗教の信仰と衝突はしません。
むしろナショナリストの中に「自称信心深くかつそれを声高に叫ぶ」人(政治勢力としてのキリスト教右派とか天皇崇拝者とか)がいるなどむしろ「信者」という属性に共通性・類似性があるような気さえします。一方、キリスト教を生んだユダヤ教は元来民族宗教ですし、様々な民族に見られる祖霊崇拝の類など血統に基づく宗教というのも珍しくなくて、そういう歴史的な面から見てもナショナリズムと宗教というのは結構近縁なのではないかと思います。
さらにいえばナショナリズム=ナショナル/民族アイデンティテイでもないでしょう。
私がナショナリズムに関して言っている「自国や自民族の様々な性質を無条件に信じる」というのも、単に自分がその国家、民族の一員だというアイデンティティ以上のもの、例えば自国家、自民族の優秀さや伝統や統治者の血統の正当性などを無条件に信じるような側面も含めて考えていますので「アイデンティティ」で置き換えるのは狭すぎるというのもあります。
(私などはそういういう意味で私のアイデンティティが日本人であることにゆらぎは殆どないけど、優越性や優秀性、そしてそれに基づく自国/自民族中心主義の正統性といったものは信じていないのでナショナリストとはいえない。)
ナショナリストの定義 (スコア:1)
私としてはナショナリストをあなたのいう「排外的ナショナリスト」に近い意味で使ってます。
というのは単にナショナル・アイデンティティのあるだけでそれに関する思想的な面(いわゆる「ナショナリズム」)がない人を
「ナショナリスト」と呼ぶのは世間の用法(例:Wikipediaのナショナリズム [wikipedia.org])に照らして違和感があるからです。
サブクラスに価値判断は含まない (スコア:1)
似たものを表現する関係としてサブクラスという関係を考えています。サブクラスと親のクラスはどちらが「優位」ということはありません。2つの分類の間にある構造的な類似(より厳密には包含)の関係を表現しているだけであり、何らかの種類の価値判断、価値の上下は伴いません。
そもそもこのコメントツリーでの宗教に関する私の定義(#1699483と#1699774あたりで書いている)「信じるところ(あるいは信仰)からはじまるものが宗教」は、おそらく世間に流布する定義に比べて一般化されたものです。(これは意図して一般化しています。)そして「(ナショナリズム」はその定義の下でサブクラスの関係にあるだと言っているだけです。
呼び方 (スコア:1)
福岡市民(住民票的意味で)とか名古屋者(出生地、出身地的な意味で)とか日本人(法的な国籍、および歴史的に姓の由来である母方で言えばここ500年ばかりは日本の中部地方に住んできた一族の末裔という意味で)と地球人(まぁ地球に起源をもつと考えられているヒト科の生き物の意味で)は別に矛盾しないんじゃないですか?
どうレッテルを貼るのも貼る側の自由ですが、私がそれをどう思うかに関して言えば、単にアイデンティティを超えて思想的意味合いを持つ「ナショナリスト」というレッテルには違和感を覚えます。
Re:どう考えても (スコア:1)
それは参加してる面子の
議論のスキルが低いか
議論を楽しめないメンタリティか
どっちかに問題があるだけで、政治でも宗教でもスポーツでも歓談の話題にはできるさ。
ただ困るのは面子の能力の平均じゃなくて最低ラインが問題になることか…。
もっともこういう場でも見つけて雑談しておく以外に世論を自発的に形成する場はないんだから歓談にならなくて若干居心地悪くなってもやっとく価値はあると思うけどね。
Re:どう考えても (スコア:1)
要はTPOの問題だと思いますけどね。
価値のある議論ならオフトピックも辞さず?
Re:どう考えても (スコア:1)
そうね。
あと、知り合いの集まりならともかくネットでは特にね。
知ってる相手なら相手についての知識に基づいて多少は配慮できるけど
知らない相手には(匿名の相手には特に)配慮のしようがないから。
Re:どう考えても (スコア:1, すばらしい洞察)
7月辺りから、どんなトピでも政治ネタを投稿し、場所をわきまえられない
残念な人達と思われたAC達も忘れずに。
結果から見れば、君達の行動はマイナスであり、プラスには働かなかった。
Re: (スコア:0)
日本の有権者じゃ対象人数が多すぎるから、代表して鳩山首相でOK?
#まぁ本人の言動だけで受賞してもおかしくない位ですがw
Re: (スコア:0)
# 政治なんかに興味ないのに有権者呼ばわりされるのは不愉快です。
Re:どう考えても (スコア:1, 興味深い)
Re:どう考えても (スコア:1)
そう書きたくなる気持ちもわからないではないけど、正確には
「報道機関が完全に腐敗した状況下での民主主義」
なのではないかと。
Re: (スコア:0)
愚かと断ずるなら、民主主義よりベターな方法を教えてくれ。
# 「政治なんか」といってしまう愚昧さにゾッとする。
# 権利+責任が不満なら日本から出て行け。マジで。
Re: (スコア:0)
万人にbetterな方法なんてあるわけないでしょう。
無邪気に"ベター"なんていってしまう愚昧さにぞっとしますね。
> # 権利+責任が不満なら日本から出て行け。マジで。
元コメントには不満だなんて書いていませんよ。
政治なんかには興味ないと言ってるだけです。
ま、不満といえば税金取られることでしょうか。
その不満が外国に住む不便さを上回れば
そのときはもちろん外国に行きますよ。
Re:どう考えても (スコア:1)
>何がgoodかなんて人それぞれなのに、万人にbetterな方法なんてあるわけないでしょう。
ありますよ。「政治」ってやつです。
「万人が平等で格差がなく、求めるに応じて得られ能力の応じて働く社会」がベターだという政治をすることにした国は「共産主義国」となり、「努力が報われ、その努力をする機会がなるべく均等になる社会」がベターだという政治をすることにした国は資本主義国となるだけです。
結果がベターになるかどうかはわかりませんが、少なくとも理論上は「万人がベター」になる仕組みになっています。その「万人がベター」な状態になるための条件が厳しすぎて、現状ではできていないというに過ぎません。例えばサボる人やズルをしようとする、いわゆる犯罪者のような人が一人でも紛れ込んでいればそれは達成不可能となります。
万人とは?(Re:どう考えても) (スコア:1)
「万人 = 一人の例外もなく全員」 なのか「万人 = 多くの人々」なのかという話になると思います。また、後者の場合「切り捨てられる人々」の集合をどう取るか、ということが問題になります。
例えば、実際あるかどうかは知りませんが、仮にAという政策で「実質的に政治家が賄賂を得ることができなくなった」としましょう。この場合、後者の意味では政策Aを実行することは「万人にベター」と言えますが、前者の意味では、少なくとも贈収賄によって不当な利益を得ようとしている人々にとって「ベター」ではありませんから、「万人にベター」とは言えない、ことになります。
私の経験する範囲では「政治に興味のない」という人々の言い分は、大体このような意味で「万人にベターは有り得ない」という話になります。ただ「万人」をこのような意味取るのはナンセンスだとも思いますし、かと言って「万人」をどう取るのか、というのは難しい問題で、それは政治の本質に関わっていると思います。
Best regards, でぃーすけ
Re:どう考えても (スコア:1)
ある特定の思想を持つ集団の中にそうじゃない思想を持つ人が紛れ込むのだから、例えば「共産主義」の人が資本主義社会の中で「ベター」に思える結果に出会えるわけがないじゃないですか。つまり、達成するためにはそういう人たちを排除する必要があり、それは場合によっては死刑も辞さないということです。そういう意味では北朝鮮や中国などの共産主義国で、自由を訴える人たちを死刑にするのは「正しい」やり方ですね。共産主義的には。
Re:どう考えても (スコア:1, 興味深い)
>万人にbetterな方法なんてあるわけないでしょう。
>無邪気に"ベター"なんていってしまう愚昧さにぞっとしますね。
これまでも多くの政治体制が試みられてきましたし、
またこれからも過ちと悲哀にみちたこの世界中で試みられていくことでしょう。
民主主義が完全で賢明であると見せかけることは誰にも出来ません。
実際のところ、民主主義は最悪の政治形態と言うことが出来ます。
これまでに試みられてきた民主主義以外のあらゆる政治形態を除けば、ですが。
と、ウィンストン・チャーチルが言ってました。
Re: (スコア:0)
正直に、社会や他者の生活に思考を巡らせることが困難な
コミュニケーション能力に障害を抱えた人間なので、
政治やそれに左右される社会のことに興味を持てません、って言えばいいじゃない。
工作員乙 (スコア:3, すばらしい洞察)
ほんっと、余裕なくなってきてんだな。
Re:工作員乙 (スコア:2, すばらしい洞察)
とりあえず工作員もアンチ工作員も落ち着けよ。ここは2chじゃない。
帰り道はこっちな http://www.2ch.net/ [2ch.net]
#工作員はもうちょっと練度上げないとダメなんじゃないの?臭いしキモいよ。
ダーウィン賞はお前らにやりたい (スコア:3, すばらしい洞察)
ダーウィン賞そっちのけでIDもACもこんだけ盛り上がれるんだから落ち着いていたらダメでしょ。
本当はどんだけ政治が好きなんだよお前らといいたい。
たかが有権者の3文字でオフトピがメインのストーリー一個飲み込むんだぜ。いまどきν速+だってこんなに釣れない。
ここのメインの年齢層が30代を過ぎて40代50代に移行しているかと思うと本当はもっとは耐性をつけた大人に育ってほしかったと思うが、
ネットから取り残されたような煽り耐性の低さはむしろ/.Jの宝だ。ダーウィン賞はお前らにやりたい。
Re:ダーウィン賞はお前らにやりたい (スコア:1)
ドウシテオレハ、ココニイルンダ!
Re:どう考えても (スコア:1)
それこそ元民主党議員で例のなんとかえもんからもらったっていう偽メールを流して叩かれて鬱になって自殺した例のあの人こそ受賞すべきでしょう。自民党は法人ではないですから。
よげんのしょ (スコア:1, おもしろおかしい)
どう見ても怪文書にしか見えない下品な民主党バッシング文章 [mainichi.tv]も今見返してみるとなかなか感慨深いモノがあるな