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日本では、首相が保険適応にできないかと考えていた。
-----どういう理由なんだろう?
あとはわかるよな
20年程前、当時の自民党の幹事長が、 「担ぐ神輿は(頭が?)軽い方がいい」 と言った事が有りましてな。 で、その「当時の自民党の幹事長」は、今、何をやってるかと言いますと……
誰だよ理系首相とか言ってた奴は!
工学部卒で経営学部の助教授だったんですよね。こう言っちゃナンですが工学や医学のような応用分野は科学とはちょっと違って原理の方をあまり気にしないので、結構トンデモさんが多い(という印象がある)んですよ。
とは言え統計手法の専門家なのですから、エビデンスがないという事実を正しく認識して頂きたいものではありますが。
や、「原理は知らんけど統計的に効果は明らか」なんてのも充分に「エビデンス」ですよ。応用分野はそれでいいと思ってますし、ちゃんとデータ出せるものはトンデモではない(それを説明するものとして出された仮説がトンデモだったりすることはあるのかも知れませんが)。
代替医療について言えば、例えば中医学やホメオパシーでは「患者に合わせて個別の処方をするので統計なんてナンセンス」と、検証そのものを拒否する傾向にあります。実際は個別処方の検証以前に、「処方した群が処方されなかった群より治癒しているか」で代替医療そのものの効果を確認可能である筈なんです……が、大半はここに「好転反応」などの「悪化したことを無視する都合良い説明」を持ち込むことで、それすら拒否しているわけで。
工学も色々ですから、すべてが統計的な意味でのエビデンスを持つとは限らないか知れませんが、まともにデータも取れない、どころか反証可能な範囲の検証さえ行なっておらずトンデモに終わる例(常温核融合とかEMとか)も少なくはないので、そういうのはきちんと分類しましょうねと。
で、多数の人が「経験的事実」を主張し、それらのなかで大多数が一致する項目に関しては十分なエビデンスとなりうるわけですが。なぜ「個人的な経験的事実」なんてことに歪曲しようとするのでしょうか?
とはいえ、例えば(EBMと相性のよくない)精神医学においても属人的な治療を排除しようとするEBM万能主義者が猛威をふるっていて迷惑この上ないのです。A医師が行うとびっくりするほど効果があるが別の医師が行うとさっぱり、というオカルトチックな治療は現実にたくさんあるんですよ。(合理的な仮説はいくらでもありますが、属人的な事柄なので検証できません)
EBMの有用さを認めない人はいないと思うが、経験的治療を全否定するのはやはりEBMを理解していないと思うよ。
心霊療法なんかでも多数の方が経験的事実とやらを示されてますが、だからといって充分なエビデンスになるわけではありませんよね。「経験的事実」の段階ではどんなに数を集めても信頼性は皆無です。
エビデンスであるためには手法がきちんと定式化されている必要があります。この点で経験的事実はエビデンス足り得ません。しかしエビデンスは蓄積されなければエビデンスではありませんから、必ず経験の後追いをすることになりますし、例外も必ずあります。医療の目的は個々の患者を治したりQOLを高めることですから、重要なのは患者との個人的対応を行い、エビデンスと経験の有用なほうを選ぶことです。これがウィキにも書かれている正しいEBMなのですが。
「なぜ」経験的事実をいくら集めても信頼性があるとみなされないのかも説明してあげないと、「これほど明白な事実の受け入れを拒否するのは、頭の固い科学者が製薬会社に抱き込まれているからだ!」とかデンパ撒き散らす人がでてきかねないような気がします。当の本人には何言っても無駄ですが、ギャラリーには関心がある人もいるかもしれません。まあ前回のストーリーに貼られていたリンク [hatena.ne.jp]で十分ですが。とくにQ5.あたり。
> 「なぜ」経験的事実をいくら集めても信頼性があるとみなされないのかも説明してあげないと、
EBMを理解していない人がここにもいました。EBMにおけるエビデンスとは、手法と結果が明確にされているもののことです。ですから「経験的事実をいくら集めてもエビデンスとはみなされない」のは事実です。前者が該当しないので。しかし、EBMが主張するのはそこまでです。経験的事実をいくら集めても信頼性があるとみなされない、などというのは、EBMとは無関係な、まさにトンデモの発想です。
医療では、誰が治療したかということも結果に大きな影響があります。ここが科学と異なるところです。それはそれとして、誰がやっても効果のある治療を追求するのがEBMです。いわばアートとサイエンスの両方を大事にするものです。(従来はアート偏重でしたので)つまり、経験的だが信頼に足る医療+科学的な根拠に基づく医療がEBMです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A0%B9%E6%8B%A0%E3%81%AB%E5%9F%BA%E3%8... [wikipedia.org] EBMにまつわる誤解 [編集]
過去のEBM教育ではこのStep 1〜3の方法論を研ぎ澄ませることに重きを置き、またStep 4については必ずしも言葉で説明を尽くされて来なかった事から、医療者の中には「良い臨床研究を見つけて医療をマニュアル化することがEBMである」との誤解が広まった時期がある[4]。また、研修医の教育においても、EBMの考え方を取り入れることが、単にエビデンスをまとめた二次資料を読んでそこに書いてあることをそのまま実行することとして教えられているという
1 その文章に書かれている人間である治療者として高度な経験と技術とは、患者や他の医療者との対話・状況判断・統合力の部分に掛かります。つまり、ヒューマンスキルの部分についての話であり、特定の治療方法の効力について経験的に判断せよ、と言っているわけではありません。エビデンスの確立した治療方法の中から、患者が真に望む治療法を選択するために、人間としての経験が求められる、と読み取れます。
2 その記事の冒頭部分に 治療効果・副作用・予後の臨床結果に基づき医療を
> 治療効果・副作用・予後の臨床結果に基づき医療を行うというもので、専門誌や学会で公表された過去の臨床結果や論文などを広く検索し、時には新たに臨床研究を行うことにより、なるべく客観的な疫学的観察や統計学による治療結果の比較に根拠を求めながら、患者とも共に方針を決めることを心がける。>> と有ります。この部分は無視ですか?
いいえ。あなたの世界では、なるべく=それ以外のものはすべて排除する、なのですか?
同じくウィキペディアから。
Step 4 批判的吟味した情報の患者への適用 [編集]
問題の解決に向けて、得られた医学情報のほ
1.>あなたの世界では、なるべく=それ以外のものはすべて排除する、なのですか?
相当な理由の無い限り排除すべし、と読み取れます。この場合の相当な理由とは、既知の(エビデンスが存在する)有効な治療法が存在しない、などの状況が考えられます。
2.もちろん、臨床経験は必要です。しかし、よく文章を読んでください。Step.4での検討材料としては 得られた医学情報のほかに、一般常識や患者の希望を含めて、最良の選択肢 が挙げられています。
このうち、治療法についての直接的選択肢として考えられるのは、”得られた医学情報”の部分です。文脈からして、もちろん(Step2~3で得られた)客観
> すなわち、手段(治療法)を独自に編み出す事ではなく、
どうしてこんな極端な発想になるんでしょうか?経験的な医療がどういうものかご存知ですか?
> なんでその文章読んでそういう理解になるのさ!
EBMが何であるかには興味がないのですね。興味がないのなら理解していないのも納得です。
> Wikipediaでは、出典元を参照する事で検証可能である事はある程度重視されていますが、であるならば、出典元自体を根拠にすべきです。
ウィキペディアの信頼性について何らかのエビデンス(笑)があるのでしょうか。とりあえずこういう記事はありますが。 http://japan.cnet.com/news/media [cnet.com]
1.経験的な医療とは
知りません。しかし、Wikipediaの当該記事とあなたのコメントから、あなたの言う経験的な医療とは、客観的エビデンスの存在しない治療法の事であり、それを行うことがWikipediaの当該記事が定義する所のEBMの定義には含まれて居ないという事は判ります。
ちなみに、私は経験的な医療が良いとも悪いとも言っていません、それはWikipediaの当該記事が定義している所のEBMの定義からは外れる、と言っているだけです。
つまり、あなたが理解しているところのEBMの定義と、あなたの引用したWikipediaの記事の記載内容が食い違っている事を指摘しています。
あなたの興味がわたしのウィキペディアの記事の読解にしかないのなら(ウィキペディアの当該記事の正しさにも興味がないのなら)、あなたはウィキペディアについて一般論を述べて何がしたかったのですか?
> あなたの提示したWikipediaの記事の記載では、EBMとはエビデンスに基づく医療の事であり、どの段階の検討項目にも経験的治療方法を含むとは記載されて居ません。(重ねて言いますが、これは私の見解ではなく、Wikipediaのあなたの示した記事に書かれている事です)
ウィキペディアの記事でリサーチエビデンスと同列に臨床経験を考慮することが必須とされています。つまり
1.>あなたの興味がわたしのウィキペディアの記事の読解にしかないのなら(ウィキペディアの当該記事の正しさにも興味がないのなら)、あなたはウィキペディアについて一般論を述べて何がしたかったのですか。
あなたのWikipedia情報の取り扱い方について、その信頼性について大きな誤解があると思えたため、その点を最初に指摘しました。その後、あなたから反論がありましたので、その反論は的外れであることを指摘して差し上げたまでです。
Wikipediaの記述は、単に知的好奇心を満たすために参照する(参照した情報が間違っていても致命的結果をもたらさない)
> 投薬量を加減する事は経験的判断と言えるかも知れませんが、それを経験的だが信頼に足る医療、と分けて言う程の事でしょうか?
その通りです。薬物については有効な投与量というのがあります。例えば米国では一日最低200mgの投与で効果がある、つまりそれ以下では効果があるとはいえない場合、日本人相手にそれより少ない量を処方することはエビデンスに基づいているとは言えません。
当たり前すぎて書くのを忘れていましたが、根拠に基づこうが経験に基づこうが選ばれる治療法としては結果としては大差ありません。しかし、どんなに優れた治療法であってもエビデンスが揃
> また、Wikipediaの当該記事では> 個人的経験の例 :「私の経験では、ホルモン補充療法はどうやら心疾患を減らすようだ。同僚もそう言っている」 > という例が挙げられていますが、この文章は先ほどあなたの挙げた例とは大分次元が異なると思われます。> わたしは、あなたが経験的だが信頼に足る医療、と発言した際、上記のような次元の話を想定しました。
あなたも引用してお気づきにならないのが不思議ですが、経験の例として治療法の選択があげられていますね。常識的に考えられる臨床経験とも一致します。
> 上記のようなで挙げられたような個人的経験に基く治
はいおまたせ。
---------------あなたの前のコメントについてのレスポンス-------------------------ずいぶん強引なオチの付け方だと感じますが、そういうことですか。ならば、誤解を招くような表現はしないほうが良いと思いますよ。あの文脈で”経験的だが信頼に足る医療”などといわれれば、そういった判断ではなく、医師の個人的経験から有効な(客観的根拠無しの)治療法をも選択に含めるように受け取れます。一般的認識として、エビデンスのある治療法を各個人向けにアレンジする事と、上記の事は別問題ですから、文章表現を含めて、そこを明確にする事が重要だったのではないかと思います。
> Step4になってから新たな治療方法を検討に加えるとは書かれていません、と言っています。
EBMは「最初から個人的経験を排除しません」。新たな治療方法というのは存在しないのです。
あなたの主張の根拠は
> なるべく客観的な疫学的観察や統計学による治療結果の比較に根拠を求めながら、患者とも共に方針を決めること
この「なるべく」という部分にしかありません。EBMは従来の医療への大改革ですから、あなたの主張する「経験的な治療は一切排除すべし」という本質はいくら強調しても足りることはありませんから、ウィキペディアの記事にもそう強調して書かれているはずです。しかし
補足です。
> 問題は、弱いエビデンスと強い経験的根拠=定式化されていない実績がある場合にどちらを選択するかです。> 従来の医療では後者のみを(エビデンスがそもそもないので)、あなたは前者のみを、EBMでは両方を考慮します。
インフォームドコンセントの立場では患者に選択権がありますから、治療者は患者に両方の選択肢を伝えなければなりません。(もちろんエビデンスや実績を正確に伝える必要があります)「エビデンスがないから」といって後者を伝えないことは患者に対する裏切り行為です。
1.EBMについての私の主張などと言うものはありません。 私は、個人的経験を根拠とした医療、Wikipediaに記載されたEBM(客観的根拠に基づく医療)、あなたの主張するEBM(経験的根拠に基づく医療+客観的根拠に基づく医療)のいずれかが、正しいとも間違っているとも、どの方法が優れている/劣っているとも主張していません。また、これが正しいEBMだ、とも言っていません。私が考慮するのは、あなたが持ち出したWikipedia記事で定義されるEBMと、あなたの主張によって定義されるEBMだけです。
ただ、Wikipediaに記載されたEBM(客観的根拠に基づく医療)と、あなたの
あなたは常識に欠けるあまりないものねだりをしています。「ない」のは別にウィキペディアだからではありません。
> 私が考慮するのは、あなたが持ち出したWikipedia記事で定義されるEBMと、あなたの主張によって定義されるEBMだけです。
ウィキペディアもわたしもEBMを定義しません。EBMの解説をしているだけです。
EBMを定義することは誰にもできません(提唱者でさえ)。こうするのが望ましいという指針を述べることしかできません。治療や効果といった術語ですら客観的な定義を与えることはできません。(個々の行為や治ったという実感は客観的なものでは決してありません)
>批判的吟味の対象にならないというだけで、排除しているのではありません。排除するとどこに書いてありますか。あなたは原理的に対象にならないということと、対象になりうるが排除することの区別がついていませんね。
批判的吟味の対象にならないなら、いつ紛れ込むのですか?実質排除でしょう。あなたの言っている事は、詭弁そのものです。相手を言い負かしたいがための単なる言い換えです。
>Step 4では明確に臨床経験が挙げられています。臨床経験から治療経験を排除するととどこに書いてありますか。
あなたは言葉を適当に使いすぎです。治療経験を排除するとは書か
> 批判的吟味の対象にならないなら、いつ紛れ込むのですか?実質排除でしょう。
実質排除などとはあなたらしくない言い草ですね。定義はあるのですか?エビデンスはあるのですか?(笑)
> 治療経験を排除するとは書かれていませんが、
排除しないので書いていないのです。わざわざ排除するのなら大事なことですから常識的にはそう書きます。
> Step4でStep2~3で得られた治療法の適用方法を検討するとあります。
* リサーチエビデンス * 臨床状況と環境 * 患者の嗜好と行動
ウィキにも書かれている正しいEBM誰のwikiに書かれてるの?#ウィキペディアをウィキって略しちゃう人?
>「エビデンス」について語る文脈では、「経験的事実≒個人的な経験の範疇のこと」
え、EBMを語る上で『経験的事実』という単語にそんな定義があるんですか? ググったけどあんまりピンときませんでした。単なる思い込みかもしれないようなのは、「経験的事実」ではなくて単なる経験、あるいはせいぜい「実際の経験」だと思ってました。「経験的事実」という単語を聞くと、むしろ統計的に事実性が証明されたエビデンスの方を指すような印象を受けてしまいます。なんかソースがあったらご教示下さい。
>英国でのホメオパシーの状況については知らないのですが、もしかすると、日本でいうと漢方に近いものなのかと思う次第です。
全体の意見に納得できるので、ここだけは主張しておきたい。それは漢方を貶めているでしょう。病気と言うものの捉え方の違いだと思います。
代替医療という枠でくくるのであれば止むを得ないと考えますが。
http://mimizun.com/log/2ch/news/1261312297 [mimizun.com]【鳩山】鳩山由紀夫、幸夫妻に統一教会主催の合同結婚式での挙式疑惑が浮上
最悪最凶な所ですな...
そこは「ふふっ、わかります? 意味」じゃないかと(違
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長期的な見通しやビジョンはあえて持たないようにしてる -- Linus Torvalds
一方 (スコア:1)
日本では、首相が保険適応にできないかと考えていた。
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どういう理由なんだろう?
あの首相の独断で検討開始! ということは… (スコア:0)
Re:あの首相の独断で検討開始! ということは… (スコア:2, おもしろおかしい)
20年程前、当時の自民党の幹事長が、
「担ぐ神輿は(頭が?)軽い方がいい」
と言った事が有りましてな。
で、その「当時の自民党の幹事長」は、今、何をやってるかと言いますと……
Re: (スコア:0)
誰だよ理系首相とか言ってた奴は!
理系というより (スコア:2)
工学部卒で経営学部の助教授だったんですよね。こう言っちゃナンですが工学や医学のような応用分野は科学とはちょっと違って原理の方をあまり気にしないので、結構トンデモさんが多い(という印象がある)んですよ。
とは言え統計手法の専門家なのですから、エビデンスがないという事実を正しく認識して頂きたいものではありますが。
Re:理系というより (スコア:1, おもしろおかしい)
エビデンスをどうぞ
Re: (スコア:0)
理論的にはホントのところよく分からないけれども、実際に役に立っているものを、エビデンスがないとかトンデモだと切って捨てられるわけで。
英国でのホメオパシーの状況については知らないのですが、もしかすると、日本でいうと漢方に近いものなのかと思う次第です。漢方に場合は、特定の場面では効果が証明されているものもあるわけですが、大部分は「エビデンスなにそれ、経験的事実だよ」という状態です。
統計的な意味でエビデンスがない?原理が分かってない?それでもやるなんてトンデモだよねといわれると、実際の問題を解決しなければいけない場面ではなかなか大変だなと思います。
#普通の医学でエビデンスがあるものは内科の一部の薬剤だけのように思うので、ほとんど状況は同じですよね。
Re:理系というより (スコア:3, 参考になる)
や、「原理は知らんけど統計的に効果は明らか」なんてのも充分に「エビデンス」ですよ。応用分野はそれでいいと思ってますし、ちゃんとデータ出せるものはトンデモではない(それを説明するものとして出された仮説がトンデモだったりすることはあるのかも知れませんが)。
代替医療について言えば、例えば中医学やホメオパシーでは「患者に合わせて個別の処方をするので統計なんてナンセンス」と、検証そのものを拒否する傾向にあります。実際は個別処方の検証以前に、「処方した群が処方されなかった群より治癒しているか」で代替医療そのものの効果を確認可能である筈なんです……が、大半はここに「好転反応」などの「悪化したことを無視する都合良い説明」を持ち込むことで、それすら拒否しているわけで。
工学も色々ですから、すべてが統計的な意味でのエビデンスを持つとは限らないか知れませんが、まともにデータも取れない、どころか反証可能な範囲の検証さえ行なっておらずトンデモに終わる例(常温核融合とかEMとか)も少なくはないので、そういうのはきちんと分類しましょうねと。
Re: (スコア:0)
昨年3月下旬のJCF9の荒田実験の再現報告、10月6日のICCF15の結果を踏まえての発言ですか?
【第15回 凝集系核科学国際会議(ICCF15)報告(北村 晃、高橋 亮人)】
http://dragon.elc.iwate-u.ac.jp/jcf/file/ICCF15repJCF.pdf
Arata-Zhang-Wang の発表は、Y. Arata によるpreprint を配布して行われた。
New reactor design として、多層縦列構造の反応セルを新たに作り、Pd?Ni/Zr 複合ナノパウダーとD ガス吸蔵の実験結果を発表した。
第一フェーズでは、Pd-Ni-ZrO2 パウダーがPd-ZrO2 パウダーより数倍
Re:理系というより (スコア:2, 参考になる)
エビデンスを示すというのは「理論的にはホントのところよく分からなくてもいいから、『実際に役に立っている』という証拠を示せ」ばOKなんですよ。「経験的事実だよ」と言うだけなら誰にでも出来るし、実際、西洋医学の現場でも、一人の医者が過去の自分の経験から「こうすれば治るはずだから」という形で治療方針を決めていた時代が長かったわけです。
でも、その「経験的事実」とか「治るはずだ」というのは、本当に正しいの? 単なる思い込みじゃないの? と問われたときに、きちんと筋道の通った「証拠(=エビデンス)」を示せるのか? ということです。
裏を返せば、「この○○という薬は、これこれこういう薬理作用を持っているので、これこれこういう病気に有効なはずだ」という「理屈」(=理学屋さんの好むような「原理」や「理論」)はどうでもよくて、「実際に、その病気に投与したときに治療成績がどうだったか」ということを、きっちりと示せるかどうかの方を重視するのがEvidence-based Medicineの考え方です。
要はエビデンスこそが、根拠もないのに『経験的事実だよ』と言って憚らないような(トンデモ系の)連中が言うものと、「本当に『実際に役に立っている』」ものを区別するための唯一の手段なんだから、工学/医学などの分野に「真面目に」取り組んでる人ほど軽視してはいけないものだし、漢方などの伝統医学が「実際に役に立っている」ことを実証する唯一の(と言っても良いほどの)手段なんだから、「エビデンスを否定する」ことは、自らその分野の価値を貶めることにつながる、ということを知らなければならないのです。
#フレームの元を承知で言えば、「エビデンスのなんたるかを知らんのに、知った風な口で否定するヤツこそが、応用科学や伝統医学にとっては、身内から足を引っ張る『迷惑な味方』」ってことで。
Re:理系というより (スコア:1)
で、多数の人が「経験的事実」を主張し、それらのなかで大多数が一致する項目に関しては十分なエビデンスとなりうるわけですが。
なぜ「個人的な経験的事実」なんてことに歪曲しようとするのでしょうか?
Re:理系というより (スコア:1, すばらしい洞察)
医療の場面からすると、無茶なことをいうなぁ、と思う部分があります。
エビデンスとしては、コントロールをおいた研究が求められるわけですが、これがかなり困難な事業です。薬剤などでまともな研究をしようとすると治療群、コントロール群をそれぞれ少なくとも数十人、普通であれば数百人ということになります。また、小規模な医院などでは行えないため(そんなことをしたら客が来なくなります)、大規模な施設で理解ある被験者を集めて行わなければいけません。
そこにかかる費用、労力は莫大です。通常の医療の薬であれば、製薬企業が負担してくれて、治験を行う場も大学病院や大きな施設があり、行うことができるでしょう。逆にそのような後ろ盾のないものは、エビデンスを作るのは大変に困難だといわざるをえません。
「エビデンスを否定する」つもりはないですが、エビデンスを作るために負担しなければならない費用/労力は、精神論では片付けて良い問題だとは思えません。
Re: (スコア:0)
とはいえ、例えば(EBMと相性のよくない)精神医学においても属人的な治療を排除しようとするEBM万能主義者が猛威をふるっていて迷惑この上ないのです。
A医師が行うとびっくりするほど効果があるが別の医師が行うとさっぱり、というオカルトチックな治療は現実にたくさんあるんですよ。
(合理的な仮説はいくらでもありますが、属人的な事柄なので検証できません)
EBMの有用さを認めない人はいないと思うが、経験的治療を全否定するのはやはりEBMを理解していないと思うよ。
Re:理系というより (スコア:2)
経験的事実はその数がどれほど多かろうと、「十分なエビデンス」にはなり得ません。
>で、多数の人が「経験的事実」を主張し、それらのなかで大多数が一致する項目に関しては十分なエビデンスとなりうるわけですが。
経験的事実もエビデンスではありますが、エビデンスとしては極めて弱いものです。ですから「十分な」エビデンスという表現には同意できません。
これは何百人だろうと何千人だろうと、本質的に同じことです。
「飲んだ(飲ませた)、効いた、治った」式の報告はどこまで増えてもエビデンスとしては「不十分」です(強くその治療を行うことを勧める根拠としては不十分、という意味で)。
>なぜ「個人的な経験的事実」なんてことに歪曲しようとするのでしょうか?
ですから、私は特に歪曲だとは感じません。「エビデンス」について語る文脈では、「経験的事実≒個人的な経験の範疇のこと」だからです。
Re:理系というより (スコア:1)
エビデンスという、やや抽象的な言葉や概念の代わりに
「再現性があるのか?」 ではだめでしょうか?
「再現性」とそれを確保するのに十分な「比較・コントロール実験」
さらには、再現性を元にした「知識や成果物の共有」
これが、科学/技術の信頼性を保証し、現在の豊かな生活があると思うのです
再現性さえあれば、現状で理屈が分からなくても
十分意味がありますし、将来理屈が分かるかも知れません
理屈や理論なんかはどうでもよいという、技術屋さんでも
再現性を元にした、製品化が無ければ無能のレッテルを貼られます
また、新しい学問/技術故に再現性が得られなくても
研究している本人が、再現性の無いことに十分な問題意識を持っていれば
私は、トンデモとは判断しません
逆にトンデモな方々は、再現性の確保と言う概念を全く無視するか
ひどければ、言葉すら知らないフシがあります
私も含め/.Jにおられる方は、当たり前過ぎて
「再現性」や「比較・コントロール実験」について
改めて考えることは少ないかも知れませんが
世間の大半を占める方々には、聞いたことも無いし
およそ理解しがたい思考かもしれません
なぜならコントロール実験は
自身の思考や予想を否定するような結果が出ることも有り得、
自己正当化のみを目的とすれば全く無駄な行為です
もちろん、自説を裏付ける結果が出るかも知れませんが
コントロール実験の重要性を理解していない方にとっては
大した意味はもたないでしょう
こんなマゾヒスティックな行為を、嬉々として行う
科学者/技術者って、世間の方からは理解できない人種と
思われても仕方ないかな?と時々思ってしまいます
蛇足かもしれませんが
「知識や成果物の共有」も、物事の価値を決める
希少価値を下げる行為であり
自ら安売りをする行為になりかねません
改めて、科学者/技術者って、マゾだなぁと思います
それ故、再現性などを無視して、楽々に金や名声を手に入れる人間に対して
嫌悪感を抱くのでしょうけどね、、、、(自分のことですよ)
多数の経験的事実 (スコア:2)
心霊療法なんかでも多数の方が経験的事実とやらを示されてますが、だからといって充分なエビデンスになるわけではありませんよね。
「経験的事実」の段階ではどんなに数を集めても信頼性は皆無です。
Re:理系というより (スコア:1, すばらしい洞察)
エビデンスであるためには手法がきちんと定式化されている必要があります。この点で経験的事実はエビデンス足り得ません。
しかしエビデンスは蓄積されなければエビデンスではありませんから、必ず経験の後追いをすることになりますし、例外も必ずあります。
医療の目的は個々の患者を治したりQOLを高めることですから、重要なのは患者との個人的対応を行い、エビデンスと経験の有用なほうを選ぶことです。
これがウィキにも書かれている正しいEBMなのですが。
Re:多数の経験的事実 (スコア:1, すばらしい洞察)
「なぜ」経験的事実をいくら集めても信頼性があるとみなされないのかも説明してあげないと、「これほど明白な事実の受け入れを拒否するのは、頭の固い科学者が製薬会社に抱き込まれているからだ!」とかデンパ撒き散らす人がでてきかねないような気がします。当の本人には何言っても無駄ですが、ギャラリーには関心がある人もいるかもしれません。
まあ前回のストーリーに貼られていたリンク [hatena.ne.jp]で十分ですが。とくにQ5.あたり。
Re: (スコア:0)
? そもそも、そういう「小規模な医院」で新たなエビデンスを「自力で示す」必要があるのですか? 小規模な医院で「客が来るかどうか」が大きな問題になるような状況なのであれば、研究よりも「診療」自体が優先されて然るべきだと思いますが。そのときに行う治療方針について、「(他の研究グループから)すでにエビデンスが示されているもの」を出来るだけ採用する、というのが、小規模な医院での「EBMへの取り組
Re: (スコア:0)
> 「なぜ」経験的事実をいくら集めても信頼性があるとみなされないのかも説明してあげないと、
EBMを理解していない人がここにもいました。
EBMにおけるエビデンスとは、手法と結果が明確にされているもののことです。
ですから「経験的事実をいくら集めてもエビデンスとはみなされない」のは事実です。前者が該当しないので。
しかし、EBMが主張するのはそこまでです。
経験的事実をいくら集めても信頼性があるとみなされない、などというのは、EBMとは無関係な、まさにトンデモの発想です。
医療では、誰が治療したかということも結果に大きな影響があります。ここが科学と異なるところです。
それはそれとして、誰がやっても効果のある治療を追求するのがEBMです。いわばアートとサイエンスの両方を大事にするものです。(従来はアート偏重でしたので)
つまり、経験的だが信頼に足る医療+科学的な根拠に基づく医療がEBMです。
Re: (スコア:0)
……これは"EBM"が何の略語か判った上でのネタですよね?
#EBM = Evidence Based Medicine = (科学的な)根拠に基づく医療
#なので「普通は」その後半部だけをEBMと呼びます。
#「EBM以外の部分も重視すべき」という主張なら「まぁそういう主張もあるよね」とは
#言えますが、さすがに前者までEBMに混ぜ込もうというのはちょっとねぇ…
Re: (スコア:0)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A0%B9%E6%8B%A0%E3%81%AB%E5%9F%BA%E3%8... [wikipedia.org]
EBMにまつわる誤解 [編集]
過去のEBM教育ではこのStep 1〜3の方法論を研ぎ澄ませることに重きを置き、またStep 4については必ずしも言葉で説明を尽くされて来なかった事から、医療者の中には「良い臨床研究を見つけて医療をマニュアル化することがEBMである」との誤解が広まった時期がある[4]。また、研修医の教育においても、EBMの考え方を取り入れることが、単にエビデンスをまとめた二次資料を読んでそこに書いてあることをそのまま実行することとして教えられているという
Re: (スコア:0)
1 その文章に書かれている人間である治療者として高度な経験と技術とは、患者や他の医療者との対話・状況判断・統合力の部分に掛かります。
つまり、ヒューマンスキルの部分についての話であり、特定の治療方法の効力について経験的に判断せよ、と言っているわけではありません。
エビデンスの確立した治療方法の中から、患者が真に望む治療法を選択するために、人間としての経験が求められる、と読み取れます。
2 その記事の冒頭部分に
治療効果・副作用・予後の臨床結果に基づき医療を
Re: (スコア:0)
> 治療効果・副作用・予後の臨床結果に基づき医療を行うというもので、専門誌や学会で公表された過去の臨床結果や論文などを広く検索し、時には新たに臨床研究を行うことにより、なるべく客観的な疫学的観察や統計学による治療結果の比較に根拠を求めながら、患者とも共に方針を決めることを心がける。
>
> と有ります。この部分は無視ですか?
いいえ。あなたの世界では、なるべく=それ以外のものはすべて排除する、なのですか?
同じくウィキペディアから。
Step 4 批判的吟味した情報の患者への適用 [編集]
問題の解決に向けて、得られた医学情報のほ
Re: (スコア:0)
1.
>あなたの世界では、なるべく=それ以外のものはすべて排除する、なのですか?
相当な理由の無い限り排除すべし、と読み取れます。
この場合の相当な理由とは、既知の(エビデンスが存在する)有効な治療法が存在しない、などの状況が考えられます。
2.
もちろん、臨床経験は必要です。しかし、よく文章を読んでください。
Step.4での検討材料としては
得られた医学情報のほかに、一般常識や患者の希望を含めて、最良の選択肢
が挙げられています。
このうち、治療法についての直接的選択肢として考えられるのは、”得られた医学情報”
の部分です。文脈からして、もちろん(Step2~3で得られた)客観
Re: (スコア:0)
> すなわち、手段(治療法)を独自に編み出す事ではなく、
どうしてこんな極端な発想になるんでしょうか?経験的な医療がどういうものかご存知ですか?
> なんでその文章読んでそういう理解になるのさ!
EBMが何であるかには興味がないのですね。興味がないのなら理解していないのも納得です。
> Wikipediaでは、出典元を参照する事で検証可能である事はある程度重視されていますが、であるならば、出典元自体を根拠にすべきです。
ウィキペディアの信頼性について何らかのエビデンス(笑)があるのでしょうか。とりあえずこういう記事はありますが。
http://japan.cnet.com/news/media [cnet.com]
Re: (スコア:0)
1.経験的な医療とは
知りません。しかし、Wikipediaの当該記事とあなたのコメントから、あなたの言う経験的な医療とは、客観的エビデンスの存在しない治療法の事であり、それを行うことがWikipediaの当該記事が定義する所のEBMの定義には含まれて居ないという事は判ります。
ちなみに、私は経験的な医療が良いとも悪いとも言っていません、それはWikipediaの当該記事が定義している所のEBMの定義からは外れる、と言っているだけです。
つまり、あなたが理解しているところのEBMの定義と、あなたの引用したWikipediaの記事の記載内容が食い違っている事を指摘しています。
Re: (スコア:0)
あなたの興味がわたしのウィキペディアの記事の読解にしかないのなら(ウィキペディアの当該記事の正しさにも興味がないのなら)、あなたはウィキペディアについて一般論を述べて何がしたかったのですか?
> あなたの提示したWikipediaの記事の記載では、EBMとはエビデンスに基づく医療の事であり、どの段階の検討項目にも経験的治療方法を含むとは記載されて居ません。(重ねて言いますが、これは私の見解ではなく、Wikipediaのあなたの示した記事に書かれている事です)
ウィキペディアの記事でリサーチエビデンスと同列に臨床経験を考慮することが必須とされています。
つまり
Re: (スコア:0)
1.
>あなたの興味がわたしのウィキペディアの記事の読解にしかないのなら(ウィキペディアの当該記事の正しさにも興味がないのなら)、あなたはウィキペディアについて一般論を述べて何がしたかったのですか。
あなたのWikipedia情報の取り扱い方について、その信頼性について大きな誤解があると思えたため、その点を最初に指摘しました。その後、あなたから反論がありましたので、その反論は的外れであることを指摘して差し上げたまでです。
Wikipediaの記述は、単に知的好奇心を満たすために参照する(参照した情報が間違っていても致命的結果をもたらさない)
Re: (スコア:0)
> 投薬量を加減する事は経験的判断と言えるかも知れませんが、それを経験的だが信頼に足る医療、と分けて言う程の事でしょうか?
その通りです。
薬物については有効な投与量というのがあります。例えば米国では一日最低200mgの投与で効果がある、つまりそれ以下では効果があるとはいえない場合、日本人相手にそれより少ない量を処方することはエビデンスに基づいているとは言えません。
当たり前すぎて書くのを忘れていましたが、根拠に基づこうが経験に基づこうが選ばれる治療法としては結果としては大差ありません。
しかし、どんなに優れた治療法であってもエビデンスが揃
Re: (スコア:0)
> また、Wikipediaの当該記事では
> 個人的経験の例 :「私の経験では、ホルモン補充療法はどうやら心疾患を減らすようだ。同僚もそう言っている」
> という例が挙げられていますが、この文章は先ほどあなたの挙げた例とは大分次元が異なると思われます。
> わたしは、あなたが経験的だが信頼に足る医療、と発言した際、上記のような次元の話を想定しました。
あなたも引用してお気づきにならないのが不思議ですが、経験の例として治療法の選択があげられていますね。常識的に考えられる臨床経験とも一致します。
> 上記のようなで挙げられたような個人的経験に基く治
Re: (スコア:0)
はいおまたせ。
---------------あなたの前のコメントについてのレスポンス-------------------------
ずいぶん強引なオチの付け方だと感じますが、そういうことですか。ならば、誤解を招くような表現はしないほうが良いと思いますよ。あの文脈で”経験的だが信頼に足る医療”などといわれれば、そういった判断ではなく、医師の個人的経験から有効な(客観的根拠無しの)治療法をも選択に含めるように受け取れます。
一般的認識として、エビデンスのある治療法を各個人向けにアレンジする事と、上記の事は別問題ですから、文章表現を含めて、そこを明確にする事が重要だったのではないかと思います。
Re: (スコア:0)
> Step4になってから新たな治療方法を検討に加えるとは書かれていません、と言っています。
EBMは「最初から個人的経験を排除しません」。新たな治療方法というのは存在しないのです。
あなたの主張の根拠は
> なるべく客観的な疫学的観察や統計学による治療結果の比較に根拠を求めながら、患者とも共に方針を決めること
この「なるべく」という部分にしかありません。
EBMは従来の医療への大改革ですから、あなたの主張する「経験的な治療は一切排除すべし」という本質はいくら強調しても足りることはありませんから、ウィキペディアの記事にもそう強調して書かれているはずです。しかし
Re: (スコア:0)
補足です。
> 問題は、弱いエビデンスと強い経験的根拠=定式化されていない実績がある場合にどちらを選択するかです。
> 従来の医療では後者のみを(エビデンスがそもそもないので)、あなたは前者のみを、EBMでは両方を考慮します。
インフォームドコンセントの立場では患者に選択権がありますから、治療者は患者に両方の選択肢を伝えなければなりません。(もちろんエビデンスや実績を正確に伝える必要があります)
「エビデンスがないから」といって後者を伝えないことは患者に対する裏切り行為です。
Re: (スコア:0)
1.EBMについての私の主張などと言うものはありません。
私は、個人的経験を根拠とした医療、Wikipediaに記載されたEBM(客観的根拠に基づく医療)、あなたの主張するEBM(経験的根拠に基づく医療+客観的根拠に基づく医療)のいずれかが、正しいとも間違っているとも、どの方法が優れている/劣っているとも主張していません。
また、これが正しいEBMだ、とも言っていません。私が考慮するのは、あなたが持ち出したWikipedia記事で定義されるEBMと、あなたの主張によって定義されるEBMだけです。
ただ、Wikipediaに記載されたEBM(客観的根拠に基づく医療)と、あなたの
Re: (スコア:0)
あなたは常識に欠けるあまりないものねだりをしています。
「ない」のは別にウィキペディアだからではありません。
> 私が考慮するのは、あなたが持ち出したWikipedia記事で定義されるEBMと、あなたの主張によって定義されるEBMだけです。
ウィキペディアもわたしもEBMを定義しません。EBMの解説をしているだけです。
EBMを定義することは誰にもできません(提唱者でさえ)。こうするのが望ましいという指針を述べることしかできません。
治療や効果といった術語ですら客観的な定義を与えることはできません。(個々の行為や治ったという実感は客観的なものでは決してありません)
Re: (スコア:0)
>批判的吟味の対象にならないというだけで、排除しているのではありません。排除するとどこに書いてありますか。あなたは原理的に対象にならないということと、対象になりうるが排除することの区別がついていませんね。
批判的吟味の対象にならないなら、いつ紛れ込むのですか?実質排除でしょう。
あなたの言っている事は、詭弁そのものです。相手を言い負かしたいがための単なる言い換えです。
>Step 4では明確に臨床経験が挙げられています。臨床経験から治療経験を排除するととどこに書いてありますか。
あなたは言葉を適当に使いすぎです。治療経験を排除するとは書か
Re: (スコア:0)
> 批判的吟味の対象にならないなら、いつ紛れ込むのですか?実質排除でしょう。
実質排除などとはあなたらしくない言い草ですね。定義はあるのですか?エビデンスはあるのですか?(笑)
> 治療経験を排除するとは書かれていませんが、
排除しないので書いていないのです。わざわざ排除するのなら大事なことですから常識的にはそう書きます。
> Step4でStep2~3で得られた治療法の適用方法を検討するとあります。
* リサーチエビデンス
* 臨床状況と環境
* 患者の嗜好と行動
誰の?(スコア:-1, あげ足取り) (スコア:0)
ウィキにも書かれている正しいEBM
誰のwikiに書かれてるの?
#ウィキペディアをウィキって略しちゃう人?
Re: (スコア:0)
>「エビデンス」について語る文脈では、「経験的事実≒個人的な経験の範疇のこと」
え、EBMを語る上で『経験的事実』という単語にそんな定義があるんですか? ググったけどあんまりピンときませんでした。
単なる思い込みかもしれないようなのは、「経験的事実」ではなくて単なる経験、あるいはせいぜい「実際の経験」だと思ってました。
「経験的事実」という単語を聞くと、むしろ統計的に事実性が証明されたエビデンスの方を指すような印象を受けてしまいます。
なんかソースがあったらご教示下さい。
Re: (スコア:0)
「事実」という言葉に客観性を感じてらっしゃるようですが、判断の材料にするためにはどのみち主体的な認識が必要になりますので、ここでは「主観的に事実だと思っていること」くらいに考えてくださればよいと思います。
(「事実そのもの」を考えても外に出さ/せないので出番がないということです。同じく「思い込み」かどうかは他人でなければ判断できませんので区別しません)
ですから、元コメではないのですが
> 「経験的事実≒個人的な経験の範疇のこと」
というのは上記の理解でいいと思
Re: (スコア:0)
ウィキという語感が好きなのでときどきやります。(ペディアはペドフィリア等を連想させるのであまり好きではありません)
文脈上、何か別のものと誤解されかねないときにはやらないよう心がけています。
Re: (スコア:0)
EBMといえども個人を治療するという一回限りの事象を扱うわけですから、最終的にはベイズ的にならざるを得ませんが、いいとこ取りを狙っているということでしょう。
世の中にはベイズ主義を理解できない人もいますが、ここで暴れていた彼もその一人なんでしょう。
Re: (スコア:0)
>英国でのホメオパシーの状況については知らないのですが、もしかすると、日本でいうと漢方に近いものなのかと思う次第です。
全体の意見に納得できるので、ここだけは主張しておきたい。
それは漢方を貶めているでしょう。
病気と言うものの捉え方の違いだと思います。
代替医療という枠でくくるのであれば止むを得ないと考えますが。
Re: (スコア:0)
本人のせいなのか奥さんのせいなのかは判らないけど。
統一教会だそうで... (スコア:0)
http://mimizun.com/log/2ch/news/1261312297 [mimizun.com]
【鳩山】鳩山由紀夫、幸夫妻に統一教会主催の合同結婚式での挙式疑惑が浮上
最悪最凶な所ですな...
Re: (スコア:0)
Re: (スコア:0)
Re: (スコア:0)
そこは
「ふふっ、わかります? 意味」
じゃないかと(違