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そんなリスクのある臓器、使いたがるかなぁ
>ALS とは筋肉を動かす神経系の障害によって筋肉を動かす信号が伝わらなくなり、次第に筋力が衰える病。筋力は衰えても知能や視力、また内臓機能は衰えることはない。
日本語読めますか?
あと、余命幾許かの人だったら、藁にもすがる思いだろうにその程度のことも想像できませんかね。明日死ぬためには今日を生きぬかなくてはいけないんですが。
>次第に筋力が衰える病。筋力は衰えても知能や視力、また内臓機能は衰えることはない。「衰えない」とは言ってるが、「その臓器や血液経由で感染する恐れがない」とは言ってないよね。(リンク先Wikipediaだと「初めて報告されたのは19世紀でありながら、原因は未だに不明である。」)今までそういう移植が行われた前例も無さそうだし、安全性は未知数なんでは。
>余命幾許かの人だったら、藁にもすがる思いだろうに馬鹿な。
患者の不安につけ込んで、効果の少ない(あるいは「ない」)治療を施すことが、医師の倫理で許されるとでも?
>>余命幾許かの人だったら、藁にもすがる思いだろうに>馬鹿な。>患者の不安につけ込んで、効果の少ない(あるいは「ない」)治療を施すことが、>医師の倫理で許されるとでも?
製薬における臨床試験は、そうですよ。それなりの数の患者が、効果があるかないかわからない薬剤を投与されそれと同数の患者が効果がないと分かっている偽薬を投与される。
末期がん患者のための抗がん剤の試験なんて過酷です。新薬で治癒する可能性が低いのはともかく、偽薬ならそのまま死ぬに決まっている患者に偽薬を投与するわけですから。
えーと、誤解を与えるといけないので。
臨床試験は全てにおいて偽薬を対象に置くとは限りません。さすがに「放置したら急激に悪化することが確実」なケースにおいて「新薬と偽薬とで対照試験を行う」ことはしません。
そういう時は「効果があると分かっている既存薬」と「新薬」とを用いて比較し、「同等以上の効果があるか」という観点で確認します。あるいは、無治療リスクを軽減させるために「元の治療+治験薬(偽薬 or 新薬)」という形で行う場合もあります。
なのでその場合の患者のリスクは「新薬が全く効かないかも」というものであって、単純に「偽薬の人は無治療」にはなりません。(新薬の副作用や、複合治療による相互作用のリスクが別途ありますが)
ちょっと考えたら過酷過ぎるよ!なんて試験は、さすがにやる前に当局(国)から止められますって。
#あと実薬と偽薬の数は同数とは限らないとか色々ありますが余談なので省略
まず、これまで、治験を最初に実行するのは米国が多いです。最近では、アジア諸国なども最初の治験対象として選択されます。
認可のハードルが相対的に低いことと、認可された場合の市場が大きいことが選択理由です。米国で認可を得るにはFDAによって定められた全ての試験を機械的に一定サンプル数行うことが要求されます。また、偽薬より優れることを示すことは、すべての治験に求められ、対照試験として必要なサンプル数は、他の投与ケースと同数です。
末期がん患者用の新薬の治験であれば、放置すれば死が確実な患者が治験対象となりこの場合、医師はランダ
FDAが他国と比べ特に強くプラセボ対照試験を要求するのは事実ですが、「全ての試験で必ず実施しなければならない」というような書き方はさすがに誤りです。また後半も誤りとまでは言えませんが若干おどろおどろしい書き方がされているように思われます。
例えば>遺伝子治療などでと化学薬剤との同時治験では全く有意性を示すことができませんので、これは避けられない試験です。こういうものは、少なくとも最初は「他の治療法では良い効果が見込めない」「現在の治療法では副作用が大きい/効果が出る可能性が高くない」患者を対象におきます。また「治療からイベント(治
病変患者の移植を倫理的として批判することを不公平だと言うために、末期がん患者用の新薬の治験の場合を提示して「そういう場合もある」と言っているのに、「そういうものばかりではない」と主張されても無意味でしょう。
治癒のみこみのない患者の臓器を摘出することと比較して、どちらが不道徳だと主張するつもりはないですが、どちらかが殺人で、どちらかが殺人ではないという結論は得られないように思います。
そもそも末期がん患者とは治癒のみこみがない患者であって、彼らが新薬治験に参加するときは「藁にもすがる」思いで参加するか、なんらかの悟りand/or開
前のコメント内でも書いているように、あなたの挙げている内容自体が間違っていると言うつもりはありません。あなたのコメントからは、あなたの意図がどうあれ読む方に偏った印象を与えるのではないかと危惧して、補足しているのです。
例えば>被験者利益を検討する場などはほとんどないと思います。何を称して「ほとんどない」と断じているのか分かりませんが、治験の内容を検討する機会は様々な方を相手として会社内外で幾度も設けられ、その中で被験者利益についてももちろん検討します。また科学的妥当性と被験者利益は一本のものさしの両端ではありません。一方を
>しかしあなたの語り口が極端なので、あなたが「そういうものもある」というつもりでも、「そういうものばかりだ」という主張に見えているのです。
そうだろうか、、「そういうものもある」とはっきり言っているのに「そういうものばかりだ」と勝手に言い替えているみたいに見える。
最初から先入観を持つからそういう事になる。http://ja.wikipedia.org/wiki/DHMO [wikipedia.org]
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倫理は別として (スコア:0)
そんなリスクのある臓器、使いたがるかなぁ
Re: (スコア:0)
>ALS とは筋肉を動かす神経系の障害によって筋肉を動かす信号が伝わらなくなり、次第に筋力が衰える病。筋力は衰えても知能や視力、また内臓機能は衰えることはない。
日本語読めますか?
あと、余命幾許かの人だったら、藁にもすがる思いだろうに
その程度のことも想像できませんかね。
明日死ぬためには今日を生きぬかなくてはいけないんですが。
Re: (スコア:1)
>次第に筋力が衰える病。筋力は衰えても知能や視力、また内臓機能は衰えることはない。
「衰えない」とは言ってるが、「その臓器や血液経由で感染する恐れがない」とは言ってないよね。
(リンク先Wikipediaだと「初めて報告されたのは19世紀でありながら、原因は未だに不明である。」)
今までそういう移植が行われた前例も無さそうだし、安全性は未知数なんでは。
>余命幾許かの人だったら、藁にもすがる思いだろうに
馬鹿な。
患者の不安につけ込んで、効果の少ない(あるいは「ない」)治療を施すことが、
医師の倫理で許されるとでも?
Re: (スコア:1, 参考になる)
>>余命幾許かの人だったら、藁にもすがる思いだろうに
>馬鹿な。
>患者の不安につけ込んで、効果の少ない(あるいは「ない」)治療を施すことが、
>医師の倫理で許されるとでも?
製薬における臨床試験は、そうですよ。
それなりの数の患者が、効果があるかないかわからない薬剤を投与され
それと同数の患者が効果がないと分かっている偽薬を投与される。
末期がん患者のための抗がん剤の試験なんて過酷です。
新薬で治癒する可能性が低いのはともかく、偽薬ならそのまま死ぬに決まっている患者に
偽薬を投与するわけですから。
Re: (スコア:4, 参考になる)
えーと、誤解を与えるといけないので。
臨床試験は全てにおいて偽薬を対象に置くとは限りません。
さすがに「放置したら急激に悪化することが確実」なケースにおいて「新薬と偽薬とで対照試験を行う」ことはしません。
そういう時は「効果があると分かっている既存薬」と「新薬」とを用いて比較し、「同等以上の効果があるか」という観点で確認します。
あるいは、無治療リスクを軽減させるために「元の治療+治験薬(偽薬 or 新薬)」という形で行う場合もあります。
なのでその場合の患者のリスクは「新薬が全く効かないかも」というものであって、単純に「偽薬の人は無治療」にはなりません。
(新薬の副作用や、複合治療による相互作用のリスクが別途ありますが)
ちょっと考えたら過酷過ぎるよ!なんて試験は、さすがにやる前に当局(国)から止められますって。
#あと実薬と偽薬の数は同数とは限らないとか色々ありますが余談なので省略
Re: (スコア:1, 参考になる)
まず、これまで、治験を最初に実行するのは米国が多いです。最近では、
アジア諸国なども最初の治験対象として選択されます。
認可のハードルが相対的に低いことと、認可された場合の市場が大きいことが選択理由です。
米国で認可を得るにはFDAによって定められた全ての試験を機械的に一定サンプル数
行うことが要求されます。また、偽薬より優れることを示すことは、すべての治験に求め
られ、対照試験として必要なサンプル数は、他の投与ケースと同数です。
末期がん患者用の新薬の治験であれば、放置すれば死が確実な患者が治験対象となり
この場合、医師はランダ
Re: (スコア:1)
FDAが他国と比べ特に強くプラセボ対照試験を要求するのは事実ですが、「全ての試験で必ず実施しなければならない」というような書き方はさすがに誤りです。
また後半も誤りとまでは言えませんが若干おどろおどろしい書き方がされているように思われます。
例えば
>遺伝子治療などでと化学薬剤との同時治験では全く有意性を示すことができませんので、これは避けられない試験です。
こういうものは、少なくとも最初は「他の治療法では良い効果が見込めない」「現在の治療法では副作用が大きい/効果が出る可能性が高くない」患者を対象におきます。
また「治療からイベント(治
Re: (スコア:0)
病変患者の移植を倫理的として批判することを不公平だと言うために、末期がん患者用の新薬の治験の場合を提示して「そういう場合もある」と言っているのに、「そういうものばかりではない」と主張されても無意味でしょう。
治癒のみこみのない患者の臓器を摘出することと比較して、どちらが不道徳だと主張するつもりはないですが、どちらかが殺人で、どちらかが殺人ではないという結論は得られないように思います。
そもそも末期がん患者とは治癒のみこみがない患者であって、彼らが新薬治験に参加するときは「藁にもすがる」思いで参加するか、なんらかの悟りand/or開
Re: (スコア:1)
前のコメント内でも書いているように、あなたの挙げている内容自体が間違っていると言うつもりはありません。
あなたのコメントからは、あなたの意図がどうあれ読む方に偏った印象を与えるのではないかと危惧して、補足しているのです。
例えば
>被験者利益を検討する場などはほとんどないと思います。
何を称して「ほとんどない」と断じているのか分かりませんが、治験の内容を検討する機会は様々な方を相手として会社内外で幾度も設けられ、その中で被験者利益についてももちろん検討します。
また科学的妥当性と被験者利益は一本のものさしの両端ではありません。一方を
Re:倫理は別として (スコア:1)
>しかしあなたの語り口が極端なので、あなたが「そういうものもある」というつもりでも、「そういうものばかりだ」という主張に見えているのです。
そうだろうか、、「そういうものもある」とはっきり言っているのに「そういうものばかりだ」
と勝手に言い替えているみたいに見える。
最初から先入観を持つからそういう事になる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/DHMO [wikipedia.org]