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まぁ、立式の考え方を指導するという目的であれば、
皿が5つあって、一皿に3個ずつリンゴがのっている ↓単位(3個のった皿)とその「単位」の組数(皿が5つ)# 問題文の表記順に惑わされてはいけない ↓3×5
で、何ら問題ないと思います。
ここで、安易に「交換則が成り立つからどっちでも同じだ」などと言うのは間違いですね。リンク先さんからの参照先にあるように、例えば5つの皿に3巡してリンゴをのせると解釈して
単位(一巡当たり5皿)とその「単位」の組数(3巡する) ↓5×3
というならわかりますが。
交換則というのは演算結果が等
ここで、安易に「交換則が成り立つからどっちでも同じだ」などと言うのは間違いですね。
それは「交換則」を理解していない証拠のような発言だな。
交換則というのは「a*b と b*a が同じ数値になる」という意味 ではない。
交換則というのは「順序を入れ替えた場合に、単位をも含めた一貫性が崩れない演算と、崩れる演算が存在する。この場合は崩れない」という意味だ。一貫性が崩れないからこそ、どちらでもよいのであって、一貫性が崩れる場合は順序を維持しなくてはいけない。では、なぜ掛け算では一貫性が崩れないのか?!
時速10kmで、2時間走りました。全部で何km走ったのでしょう?
と、
2時間同じ速度で走りました。速度は時速10kmです。全部で何km走ったのでしょう?
は
「ひと皿あたりA個のリンゴがB皿分あると全部でC個」 は文章.文章は具体的事象を記述したもので,意味を持つ.文章においてAとBは非可換.
「A × B = C」 は数式.数式は文章を抽象化したもので,計算の方法・法則のみを示し,意味はない.自然数の乗算の数式において,AとBは可換.
「A(個/皿) × B(皿) = C(個)」 は数式.ただし単位を付された個々の数値は意味を持つ.自然数の乗算の数式なので,A(個/皿) と B(皿) は可換.ただしAとBは可換ではない.
よって,意味の理解を問う場合は文章(または少なくとも,単位を付した数の数式)を回答させるべきなのです.議論の対象と
「ひと皿あたりA個のリンゴがB皿分あると全部でC個」は文章.文章は具体的事象を記述したもので,意味を持つ.文章においてAとBは非可換.
その文章は、「皿がB皿あり、1つの皿にはA個のりんごが載っている。全部でC個のりんごがある」と同じ意味だろうが。A と B は可換だ。
> A と B は可換だ。
いいえ.
「ひと皿あたりA個のリンゴがB皿分あると全部でC個」と「ひと皿あたりB個のリンゴがA皿分あると全部でC個」は違う意味を持つ文章です.
「ひと皿あたりA個」と「B皿分」は可換ですが,単なるAとBそのものは(意味的に)可換ではありません.そのことを明確にするために3つ目の例として「単位付きの数式」を挙げました.単位付きの数を単位ごと交換することはできますが,単位を差し置いて数だけ交換することはできません.
要は,意味を持つ数値には単位を付せ,単位の無い数式に意味の存在を求めるな,と言いたかったのですが,小学2~3年生に「(個/皿)」という洗練された記法を使えというのは無茶だと思ったので,文章で答えさせればいいという主張をした次第です.
「3つの皿があります。このときにりんごの個数が知りたい。1つの皿にはりんごは5個づつ載っています」
gomhan さんの言うような構文解釈的な方法では、この文章は式にできない。# 代数を使えば 3 = x / 5 とできる。しかし小学生は代数を習わないのだ。
「構文解析的に文章から式を組み立てる」のでは、式を成立させられなくなる場合がある。しかし、国語レベルで順序を入れ替えてしまえば、代数を使わずに式を組み立てられるようになる。そのためには要素同士の順序性に拘泥した式の立て方を教えてはいけないのだ。
意味論的に同じ文章を、違うものとして扱う事に間違いの根源がある。
> 意味論的に同じ文章を、違うものとして扱う事に間違いの根源がある。
そうは主張してないのですよ.というか,私も「構文解析的に文章から式を組み立てる」ことに反対の立場です.
私の主張は,「本来意味を持たない等価な数式を,意味論的に違うものとして扱う事に間違いの根源がある」です.
上で挙げた例なら,(1)「ひと皿あたりA個のリンゴがB皿分あると全部でC個」(2)「B皿分の,ひと皿あたりA個のリンゴがあると全部でC個」は同じ意味を持つ文章です.
ただし,このことと,自然数の乗算の交換法則(ⅰ) A × B = C(ⅱ) B × A = Cは対応していません.
(1)(2)は意味論的な等価性で,(ⅰ)(ⅱ)は数論的な等価性だからです.
ですから,(1)の計算法として(ⅰ)(ⅱ)のどちらを使ってもいいし,(2)の計算法として(ⅰ)(ⅱ)のどちらを使ってもいいのです.
ゆえに,「(ⅰ)は(1)の意味を持ち,(ⅱ)は(2)の意味を持つが,(1)と(2)が意味論的に等価なので(ⅰ)と(ⅱ)も意味論的に等価である」という主張も,やはり容認できません.
ましてや,(1')「ひと皿あたりB個のリンゴがA皿分あると全部でC個」を持ち出して,「(1)と(1')が意味論的に非等価なので,(1)の意味を持つ(ⅰ)と,(1')の意味を持つ(ⅱ)は意味論的に非等価である」などとする主張に至っては何をかいわんや,です.
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ソースを見ろ -- ある4桁UID
大丈夫でしょう (スコア:1)
まぁ、立式の考え方を指導するという目的であれば、
皿が5つあって、一皿に3個ずつリンゴがのっている
↓
単位(3個のった皿)とその「単位」の組数(皿が5つ)
# 問題文の表記順に惑わされてはいけない
↓
3×5
で、何ら問題ないと思います。
ここで、安易に「交換則が成り立つからどっちでも同じだ」などと言うのは間違いですね。
リンク先さんからの参照先にあるように、例えば5つの皿に3巡してリンゴをのせると解釈して
単位(一巡当たり5皿)とその「単位」の組数(3巡する)
↓
5×3
というならわかりますが。
交換則というのは演算結果が等
意味の一貫性が交換則なのだから、もちろん駄目だ (スコア:1)
それは「交換則」を理解していない証拠のような発言だな。
交換則というのは「a*b と b*a が同じ数値になる」という意味 ではない。
交換則というのは「順序を入れ替えた場合に、単位をも含めた一貫性が崩れない演算と、崩れる演算が存在する。この場合は崩れない」という意味だ。一貫性が崩れないからこそ、どちらでもよいのであって、一貫性が崩れる場合は順序を維持しなくてはいけない。では、なぜ掛け算では一貫性が崩れないのか?!
時速10kmで、2時間走りました。全部で何km走ったのでしょう?
と、
2時間同じ速度で走りました。速度は時速10kmです。全部で何km走ったのでしょう?
は
fjの教祖様
意味と式は分けるべき (スコア:1)
「ひと皿あたりA個のリンゴがB皿分あると全部でC個」
は文章.文章は具体的事象を記述したもので,意味を持つ.文章においてAとBは非可換.
「A × B = C」
は数式.数式は文章を抽象化したもので,計算の方法・法則のみを示し,意味はない.自然数の乗算の数式において,AとBは可換.
「A(個/皿) × B(皿) = C(個)」
は数式.ただし単位を付された個々の数値は意味を持つ.自然数の乗算の数式なので,A(個/皿) と B(皿) は可換.ただしAとBは可換ではない.
よって,意味の理解を問う場合は文章(または少なくとも,単位を付した数の数式)を回答させるべきなのです.
議論の対象と
Re: (スコア:1)
その文章は、
「皿がB皿あり、1つの皿にはA個のりんごが載っている。全部でC個のりんごがある」
と同じ意味だろうが。A と B は可換だ。
fjの教祖様
Re:意味と式は分けるべき (スコア:1)
> A と B は可換だ。
いいえ.
「ひと皿あたりA個のリンゴがB皿分あると全部でC個」と
「ひと皿あたりB個のリンゴがA皿分あると全部でC個」は違う意味を持つ文章です.
「ひと皿あたりA個」と「B皿分」は可換ですが,単なるAとBそのものは(意味的に)可換ではありません.
そのことを明確にするために3つ目の例として「単位付きの数式」を挙げました.
単位付きの数を単位ごと交換することはできますが,単位を差し置いて数だけ交換することはできません.
要は,意味を持つ数値には単位を付せ,単位の無い数式に意味の存在を求めるな,と言いたかったのですが,
小学2~3年生に「(個/皿)」という洗練された記法を使えというのは無茶だと思ったので,文章で答えさせればいいという主張をした次第です.
Re:意味と式は分けるべき (スコア:1)
「3つの皿があります。このときにりんごの個数が知りたい。1つの皿にはりんごは5個づつ載っています」
gomhan さんの言うような構文解釈的な方法では、この文章は式にできない。
# 代数を使えば 3 = x / 5 とできる。しかし小学生は代数を習わないのだ。
「構文解析的に文章から式を組み立てる」のでは、式を成立させられなくなる場合がある。しかし、国語レベルで順序を入れ替えてしまえば、代数を使わずに式を組み立てられるようになる。そのためには要素同士の順序性に拘泥した式の立て方を教えてはいけないのだ。
意味論的に同じ文章を、違うものとして扱う事に間違いの根源がある。
fjの教祖様
Re:意味と式は分けるべき (スコア:1)
> 意味論的に同じ文章を、違うものとして扱う事に間違いの根源がある。
そうは主張してないのですよ.というか,私も「構文解析的に文章から式を組み立てる」ことに反対の立場です.
私の主張は,
「本来意味を持たない等価な数式を,意味論的に違うものとして扱う事に間違いの根源がある」
です.
上で挙げた例なら,
(1)「ひと皿あたりA個のリンゴがB皿分あると全部でC個」
(2)「B皿分の,ひと皿あたりA個のリンゴがあると全部でC個」
は同じ意味を持つ文章です.
ただし,このことと,自然数の乗算の交換法則
(ⅰ) A × B = C
(ⅱ) B × A = C
は対応していません.
(1)(2)は意味論的な等価性で,(ⅰ)(ⅱ)は数論的な等価性だからです.
ですから,
(1)の計算法として(ⅰ)(ⅱ)のどちらを使ってもいいし,
(2)の計算法として(ⅰ)(ⅱ)のどちらを使ってもいいのです.
ゆえに,
「(ⅰ)は(1)の意味を持ち,(ⅱ)は(2)の意味を持つが,(1)と(2)が意味論的に等価なので(ⅰ)と(ⅱ)も意味論的に等価である」
という主張も,やはり容認できません.
ましてや,
(1')「ひと皿あたりB個のリンゴがA皿分あると全部でC個」
を持ち出して,
「(1)と(1')が意味論的に非等価なので,(1)の意味を持つ(ⅰ)と,(1')の意味を持つ(ⅱ)は意味論的に非等価である」
などとする主張に至っては何をかいわんや,です.