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「不気味の谷」と呼ばれる仮説の一番の問題点は、対岸があるのかというところでしょう。人間だと思っていたら実は違った、というほうがより嫌悪をまねくのではないか。人間とちょっと違う(不気味の谷手前の)方が、人間そっくりより好感度が高いのではないか。そのあたり、全く不明であり、現状ではどこまでいっても仮説にしかなれません。
# 好感度が落ち込むことは、証明はされていなかったものの経験則として知られており、# それを前提したキャラクター造形などは行われています。# そういう意味では、谷があること自体は、証明前から事実として確立しているといってもいいと思います。
対岸は「人間とあらゆる意味で区別が付かない」レベルなのでその好感度は人間と同じ。対岸があると言うことはいえるんじゃないでしょうか?「実は違った」とバレたところで「人間と区別が付かない」訳ではなくなるので不気味になるのは矛盾してないかと。
だから、確実に向こう岸にいる「人間」、確実に反対の岸にいる「明らかなロボット」、そして不気味の谷にいるであろう「人間そっくりなジェミノイド」で比較したわけでしょ?
あと、不気味の谷の手前の方が人間そっくりより好感度が高いかどうかは不気味の谷仮説では問題にされてないと思います。受け入れられる二つの領域の間に拒絶される領域があると言うことが主眼ではないかと。
#つまり、リアルアンドロイド目指して試行錯誤してるときに周囲に「キモい」とか言われても気にすんなよ!#っていいたかったのではないかと。#錯視みたいな人間の認知システムに関する理解と言う面もあると思いますが。
「人工物である」という設定そのものが不気味がられる要因だったら、「あらゆる意味で区別が付かない」って何よ?って話になってくる気がします。天然の放射性物質から出た放射線は安全で、人工の放射性物質から出た放射線は危険、と信じてやまない人が、世の中には一定数いるようです。
仮に、医者ですらクローンであることを見抜けないような完璧なクローン人間を作ったとしても。何らかのきっかけで「その人がクローン人間である」という事実を知ったとき、拒否反応を示す人はきっといるでしょう。
アンドロイドだって、どんなに精巧になって、人間と区別が付かなくなっても、アンドロイドとしてしか見られなくて、自分が人間じゃないことを隠しながら生きなければならない可能性もあります。
それは最早見た目の話とは全く無関係なのではないでしょうか。
その場合は、ある意味対岸がないと言えます。そうなってしまったら、本物の人間だって「こいつ実はロボット」と吹き込まれるだけで気持ち悪い存在になるのですから。
人間のごくごく手前までは不気味で、人間と全く同一になればその途端に不気味でなくなる、なんてことが現実的に起こりうると主張するのは、かなり難しいような気がするのです。そういう意味で、対岸は人間、という主張は、果たして受け入れられるものなのか疑問です。
逆に「人間と全く同一」なものにどうやって人間と違う反応をもてるのでしょう?
対岸にいるのは「人間と全く同一」なものであって、それが人間なのかどうかは本質的に重要ではありません。ただ、人間は「人間と全く同一」なので、対岸に存在しうる実態のうちの一つというわけです。またそのごくごく手前も不気味ではないのかもしれません。確実なのは人間は向こう岸にいる実例として使えるというだけです。
まぁ、理屈としては知性の定義もできてないのにAIの知性をはかるのに人間を利用するチューリングテストと似たようなものでしょうか。
感覚的にわかりにくいのはわかるのでこういう反応が返ってくるのは予想していましたが、その実態は何であるのか、というのは実は問題ではないと思うのです。不気味かどうかはきわめて主観的な事項であり、どう認識しているかが重要だとおもうのです。
#ちなみに外見的にどう見ても人間には見えないけど挙動はどう見ても人間なC3-POは全く不気味に感じないんだけどみんなはどうなんだろう。
> 逆に「人間と全く同一」なものにどうやって人間と違う反応をもてるのでしょう?「違う」という情報の存在。その情報は、受け手が信じてさえいれば、本当でも嘘でも構いません。
> またそのごくごく手前も不気味ではないのかもしれません。まぁ、すべての人間が全く同じライン上にいるとは思えませんので、ごくごく手前も不気味ではないのでしょう。
# ところで。逆に、人間にアンドロイドのふりをさせて、不気味の谷に反対側から落ちてゆくことはできるのだろうか。# 人間に十分近いアンドロイドを作るより、アンドロイドに十分近い人間を見つける方が簡単かもしれない。# もしもuron氏の言っていることが、正しいのであれば、十分にアンドロイドっぽい人間は、アンドロイドとして扱われるといえるはず。
結局、その反応が本物の人間に対して「あいつロボットなんだぜ」といったときと同じならそれは人間に対する反応と同じって事なんですよね。
基本的には明確な定義の難しい問題に対して人間を基準に判定しちゃいましょうって事なので細かい部分を気にするとアラが目立つんですよね。
人間にアンドロイドのふりをさせれば、っていうのはチューリングテストに対して人間に人工無能のふりをさせればどうなのさ?っていうのと同じで、「不気味の谷」や「チューリングテスト」を論じている面々からすればあまり関係ない話なんですよね。
アンドロイドに近い人間を見つける方が簡単だとは思うんで
ん?「人間と何ら変わらないアンドロイド」と「人間」は区別がつかないんですよね。それで、「人間」がアンドロイドのように振る舞うのは意味が無い。
そしたら、「人間と何ら変わらないアンドロイド」が、(一部のプログラムを、より過去に使われていたものに差し替えるなどして)よりアンドロイドっぽい振る舞いをするのは意味が無いということになる。それは、不完全なアンドロイドとどう違うのか?
あるいは、「人間と何ら変わらないアンドロイド」がアンドロイドっぽい振る舞いをすると、それは「人間」がアンドロイドっぽい振る舞いをしたのとは別物、というのならば、アンドロイドのふりをさせることで、「人間と何ら変わらないアンドロイド」と「人間」の区別をつけることができます。
「意味がない」と「区別が付かない」を混同されているようですがそのあたりはっきりさせてみたらいかがでしょうか。また、あわせて「何にとって」「意味がない」のかも考えてみるといいと思います。
「区別が付かない」ことの意味は「見た人が人間と同じ反応を返す」であろうということ、従って不気味の谷の対岸が存在するであろうということです。「区別が付かない」からと言ってありとあらゆる意味で「人間と等価になる」という主張ではありません。不気味の谷仮説は「見た人の反応」の話であって、アンドロイドに人権をとか、人間とアンドロイドの根源的な違いは何だと言う議論ではありません。
不気味の谷の向こう側が存在することがわかれば区別が付こうがどうしようがぶっちゃけ問題ではありません。
# 別の問題として提起するというなら理解できますが、今はそういう文脈での議論をしているつもりはないので。
ありとあらゆる意味で「人間と等価になる」わけではなく、単に「区別が付かない」だけの状態では、まだ向こう側にたどり着かないかもしれないし、そればかりか、人間であっても谷に落ちる可能性すらある、というのが私の主張です。
だいぶすっきりしました。ありがとうございます。
こちらの主張ですが、以下の構成になっています。
1・人間は不気味の谷の向こう側にいる。2・人間と区別のつかないアンドロイド」は、人間と区別がつかない。 よって見せられた人は「人に対する反応」を示す。3・従って、人間と区別のつかないアンドロイドは不気味の谷の向こう側に到達できる。よくある三段論法です。
従って、「不気味の谷に向こう側がある」という3の結論を否定するには1か2を否定する必要があります。
1を否定するのに「人間であっても谷に落ちる可能性すらある」というのでは不十分で、「不気味の谷の向こう側に人間は存在しない」ということを示す必要があります。ですので、不気味の谷を論じる際に人間が谷に落ち込めるという主張は意味がないと申し上げているわけです。
# 少なくとも一人が一時的にでも可能であればそれと全く同じになればいいので、不気味の谷に落ち込んで# 見せたところで『不気味の谷』に向こう岸があるかどうかは変わらない訳です。
つぎに、2の否定である『「区別が付かない」だけの状態では、まだ向こう側にたどり着かないかもしれない』ですが、こちらは区別がつかないにもかかわらず別の反応を示す事に対する合理的な説明がなされていないように思います。
「区別がつかない」のでありとあらゆる感覚器の反応はヒトに対するものと同じになり、脳が受ける刺激も同じになります。ここからどのように差が生み出されるのか。ここが一つのキモになると思います。
あと一つ指摘しておきますが「たどり着かないかもしれない」という言葉の解釈として「たどり着くものもある」というのを含めることもできるかと思いますがこの場合は向こう岸が存在しているということを意味しますのでこの意味ではないとしておきます。
私が主張しているのは、不気味の谷が「存在しない」ということではなく、「存在すると言いきれない」ということです。ですので、> 「不気味の谷の向こう側に人間は存在しない」ということを示す必要があります。私にはその必要はありません。しかし、あなたの論法で「存在する」と言い切るためには「向こう側に人間が必ず存在する」ことを示す必要があります。
> 不気味の谷を論じる際に人間が谷に落ち込めるという主張は意味がないと申し上げているわけです。仮に、たった1人の人間を除いて全員が「不気味」となったとき、「不気味の谷」なんて概念に何の意味があるでしょう。だいたいの人間が不気味でないことは、必要な要件とするのが妥当なように思えます。
> こちらは区別がつかないにもかかわらず別の反応を示す事に対する合理的な説明がなされていないように思います。(#1992925)のACさんが言っておられる「差別」に近いものが挙げられます。アンドロイドであるという情報が、粗探しをさせ、不気味につながる、というものです。全く同一の対象であっても、事前の情報によって印象(=脳がうける刺激)は異なります。
このままじゃ、水掛け論になってしまいそうなので、別の方向から、私が何を心配しているのかと言いますと。「なぜ、アンドロイドを不気味であると考えるのか」ということです。
仮説1: 人間っぽいけど、何か不自然で人間っぽくない。それが不気味→この場合、人間と区別が付かなくなったら不気味さは消えると考えられます。すなわち、不気味の谷の向こう側は存在します。
仮説2: 人間じゃないのに、人間っぽい振る舞いをしている。それが不気味→この場合、人間にどんなに近づいても、それが人間でない限りは不気味です。また、区別が付かなくなれば、人間すら「人間じゃない」というレッテルを貼られて不気味がられるでしょう。この状態を、私は「不気味の谷の向こう側が存在する」とは考えません。
果たして、仮説1のように皆が考えていると言い切る根拠はあるか? 仮説2のように考えている人も多いのではないだろうか?そう考えたとき、不気味の谷の向こう側が本当に存在するかどうか疑問に思えるのです。
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人生の大半の問題はスルー力で解決する -- スルー力研究専門家
対岸があるのか (スコア:2, すばらしい洞察)
「不気味の谷」と呼ばれる仮説の一番の問題点は、対岸があるのかというところでしょう。
人間だと思っていたら実は違った、というほうがより嫌悪をまねくのではないか。
人間とちょっと違う(不気味の谷手前の)方が、人間そっくりより好感度が高いのではないか。
そのあたり、全く不明であり、現状ではどこまでいっても仮説にしかなれません。
# 好感度が落ち込むことは、証明はされていなかったものの経験則として知られており、
# それを前提したキャラクター造形などは行われています。
# そういう意味では、谷があること自体は、証明前から事実として確立しているといってもいいと思います。
Re: (スコア:4, すばらしい洞察)
対岸は「人間とあらゆる意味で区別が付かない」レベルなのでその好感度は人間と同じ。
対岸があると言うことはいえるんじゃないでしょうか?
「実は違った」とバレたところで「人間と区別が付かない」訳ではなくなるので不気味になるのは矛盾してないかと。
だから、確実に向こう岸にいる「人間」、確実に反対の岸にいる「明らかなロボット」、そして不気味の谷にいるであろう
「人間そっくりなジェミノイド」で比較したわけでしょ?
あと、不気味の谷の手前の方が人間そっくりより好感度が高いかどうかは不気味の谷仮説では問題にされてないと思います。
受け入れられる二つの領域の間に拒絶される領域があると言うことが主眼ではないかと。
#つまり、リアルアンドロイド目指して試行錯誤してるときに周囲に「キモい」とか言われても気にすんなよ!
#っていいたかったのではないかと。
#錯視みたいな人間の認知システムに関する理解と言う面もあると思いますが。
スルースキル:Lv2
Keep It Simple, Stupid!
Re: (スコア:1)
「人工物である」という設定そのものが不気味がられる要因だったら、「あらゆる意味で区別が付かない」って何よ?って話になってくる気がします。
天然の放射性物質から出た放射線は安全で、人工の放射性物質から出た放射線は危険、と信じてやまない人が、世の中には一定数いるようです。
仮に、医者ですらクローンであることを見抜けないような完璧なクローン人間を作ったとしても。
何らかのきっかけで「その人がクローン人間である」という事実を知ったとき、拒否反応を示す人はきっといるでしょう。
アンドロイドだって、どんなに精巧になって、人間と区別が付かなくなっても、アンドロイドとしてしか見られなくて、自分が人間じゃないことを隠しながら生きなければならない可能性もあります。
1を聞いて0を知れ!
Re: (スコア:0)
それは最早見た目の話とは全く無関係なのではないでしょうか。
Re: (スコア:1)
その場合は、ある意味対岸がないと言えます。
そうなってしまったら、本物の人間だって「こいつ実はロボット」と吹き込まれるだけで気持ち悪い存在になるのですから。
人間のごくごく手前までは不気味で、人間と全く同一になればその途端に不気味でなくなる、なんてことが現実的に起こりうると主張するのは、かなり難しいような気がするのです。
そういう意味で、対岸は人間、という主張は、果たして受け入れられるものなのか疑問です。
1を聞いて0を知れ!
Re: (スコア:1)
逆に「人間と全く同一」なものにどうやって人間と違う反応をもてるのでしょう?
対岸にいるのは「人間と全く同一」なものであって、それが人間なのかどうかは本質的に重要ではありません。
ただ、人間は「人間と全く同一」なので、対岸に存在しうる実態のうちの一つというわけです。
またそのごくごく手前も不気味ではないのかもしれません。
確実なのは人間は向こう岸にいる実例として使えるというだけです。
まぁ、理屈としては知性の定義もできてないのにAIの知性をはかるのに人間を利用するチューリングテストと似たようなものでしょうか。
感覚的にわかりにくいのはわかるのでこういう反応が返ってくるのは予想していましたが、
その実態は何であるのか、というのは実は問題ではないと思うのです。
不気味かどうかはきわめて主観的な事項であり、どう認識しているかが重要だとおもうのです。
#ちなみに外見的にどう見ても人間には見えないけど挙動はどう見ても人間なC3-POは全く不気味に感じないんだけどみんなはどうなんだろう。
スルースキル:Lv2
Keep It Simple, Stupid!
Re: (スコア:1)
> 逆に「人間と全く同一」なものにどうやって人間と違う反応をもてるのでしょう?
「違う」という情報の存在。その情報は、受け手が信じてさえいれば、本当でも嘘でも構いません。
> またそのごくごく手前も不気味ではないのかもしれません。
まぁ、すべての人間が全く同じライン上にいるとは思えませんので、ごくごく手前も不気味ではないのでしょう。
# ところで。逆に、人間にアンドロイドのふりをさせて、不気味の谷に反対側から落ちてゆくことはできるのだろうか。
# 人間に十分近いアンドロイドを作るより、アンドロイドに十分近い人間を見つける方が簡単かもしれない。
# もしもuron氏の言っていることが、正しいのであれば、十分にアンドロイドっぽい人間は、アンドロイドとして扱われるといえるはず。
1を聞いて0を知れ!
Re: (スコア:1)
結局、その反応が本物の人間に対して「あいつロボットなんだぜ」といったときと同じならそれは
人間に対する反応と同じって事なんですよね。
基本的には明確な定義の難しい問題に対して人間を基準に判定しちゃいましょうって事なので細かい
部分を気にするとアラが目立つんですよね。
人間にアンドロイドのふりをさせれば、っていうのはチューリングテストに対して人間に人工無能の
ふりをさせればどうなのさ?っていうのと同じで、「不気味の谷」や「チューリングテスト」を論じて
いる面々からすればあまり関係ない話なんですよね。
アンドロイドに近い人間を見つける方が簡単だとは思うんで
スルースキル:Lv2
Keep It Simple, Stupid!
Re: (スコア:1)
ん?
「人間と何ら変わらないアンドロイド」と「人間」は区別がつかないんですよね。
それで、「人間」がアンドロイドのように振る舞うのは意味が無い。
そしたら、「人間と何ら変わらないアンドロイド」が、(一部のプログラムを、より過去に使われていたものに差し替えるなどして)よりアンドロイドっぽい振る舞いをするのは意味が無いということになる。
それは、不完全なアンドロイドとどう違うのか?
あるいは、「人間と何ら変わらないアンドロイド」がアンドロイドっぽい振る舞いをすると、それは「人間」がアンドロイドっぽい振る舞いをしたのとは別物、というのならば、
アンドロイドのふりをさせることで、「人間と何ら変わらないアンドロイド」と「人間」の区別をつけることができます。
1を聞いて0を知れ!
Re: (スコア:1)
「意味がない」と「区別が付かない」を混同されているようですがそのあたりはっきりさせてみたらいかがでしょうか。
また、あわせて「何にとって」「意味がない」のかも考えてみるといいと思います。
「区別が付かない」ことの意味は「見た人が人間と同じ反応を返す」であろうということ、従って不気味の谷の対岸が
存在するであろうということです。
「区別が付かない」からと言ってありとあらゆる意味で「人間と等価になる」という主張ではありません。
不気味の谷仮説は「見た人の反応」の話であって、アンドロイドに人権をとか、人間とアンドロイドの根源的な違いは
何だと言う議論ではありません。
不気味の谷の向こう側が存在することがわかれば区別が付こうがどうしようがぶっちゃけ問題ではありません。
# 別の問題として提起するというなら理解できますが、今はそういう文脈での議論をしているつもりはないので。
スルースキル:Lv2
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Re:対岸があるのか (スコア:1)
ありとあらゆる意味で「人間と等価になる」わけではなく、単に「区別が付かない」だけの状態では、まだ向こう側にたどり着かないかもしれないし、
そればかりか、人間であっても谷に落ちる可能性すらある、というのが私の主張です。
1を聞いて0を知れ!
Re:対岸があるのか (スコア:1)
だいぶすっきりしました。ありがとうございます。
こちらの主張ですが、以下の構成になっています。
1・人間は不気味の谷の向こう側にいる。
2・人間と区別のつかないアンドロイド」は、人間と区別がつかない。
よって見せられた人は「人に対する反応」を示す。
3・従って、人間と区別のつかないアンドロイドは不気味の谷の向こう側に到達できる。
よくある三段論法です。
従って、「不気味の谷に向こう側がある」という3の結論を否定するには1か2を否定する必要があります。
1を否定するのに「人間であっても谷に落ちる可能性すらある」というのでは不十分で、
「不気味の谷の向こう側に人間は存在しない」ということを示す必要があります。
ですので、不気味の谷を論じる際に人間が谷に落ち込めるという主張は意味がないと申し上げているわけです。
# 少なくとも一人が一時的にでも可能であればそれと全く同じになればいいので、不気味の谷に落ち込んで
# 見せたところで『不気味の谷』に向こう岸があるかどうかは変わらない訳です。
つぎに、2の否定である『「区別が付かない」だけの状態では、まだ向こう側にたどり着かないかもしれない』ですが、
こちらは区別がつかないにもかかわらず別の反応を示す事に対する合理的な説明がなされていないように思います。
「区別がつかない」のでありとあらゆる感覚器の反応はヒトに対するものと同じになり、脳が受ける刺激も同じに
なります。ここからどのように差が生み出されるのか。ここが一つのキモになると思います。
あと一つ指摘しておきますが「たどり着かないかもしれない」という言葉の解釈として「たどり着くものもある」
というのを含めることもできるかと思いますがこの場合は向こう岸が存在しているということを意味しますので
この意味ではないとしておきます。
スルースキル:Lv2
Keep It Simple, Stupid!
Re:対岸があるのか (スコア:1)
私が主張しているのは、不気味の谷が「存在しない」ということではなく、「存在すると言いきれない」ということです。
ですので、
> 「不気味の谷の向こう側に人間は存在しない」ということを示す必要があります。
私にはその必要はありません。しかし、あなたの論法で「存在する」と言い切るためには「向こう側に人間が必ず存在する」ことを示す必要があります。
> 不気味の谷を論じる際に人間が谷に落ち込めるという主張は意味がないと申し上げているわけです。
仮に、たった1人の人間を除いて全員が「不気味」となったとき、「不気味の谷」なんて概念に何の意味があるでしょう。
だいたいの人間が不気味でないことは、必要な要件とするのが妥当なように思えます。
> こちらは区別がつかないにもかかわらず別の反応を示す事に対する合理的な説明がなされていないように思います。
(#1992925)のACさんが言っておられる「差別」に近いものが挙げられます。
アンドロイドであるという情報が、粗探しをさせ、不気味につながる、というものです。
全く同一の対象であっても、事前の情報によって印象(=脳がうける刺激)は異なります。
このままじゃ、水掛け論になってしまいそうなので、別の方向から、私が何を心配しているのかと言いますと。
「なぜ、アンドロイドを不気味であると考えるのか」ということです。
仮説1: 人間っぽいけど、何か不自然で人間っぽくない。それが不気味
→この場合、人間と区別が付かなくなったら不気味さは消えると考えられます。すなわち、不気味の谷の向こう側は存在します。
仮説2: 人間じゃないのに、人間っぽい振る舞いをしている。それが不気味
→この場合、人間にどんなに近づいても、それが人間でない限りは不気味です。また、区別が付かなくなれば、人間すら「人間じゃない」というレッテルを貼られて不気味がられるでしょう。この状態を、私は「不気味の谷の向こう側が存在する」とは考えません。
果たして、仮説1のように皆が考えていると言い切る根拠はあるか? 仮説2のように考えている人も多いのではないだろうか?
そう考えたとき、不気味の谷の向こう側が本当に存在するかどうか疑問に思えるのです。
1を聞いて0を知れ!