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なんか「人材を消耗品とみない」を「民主主義」と結びつけるのか気持ち悪い。非民主主義でも人材育成を重視した権力なんて昔からあったじゃないか。
本来、民主主義だと「消耗品扱いされる人」の意見も、政策に反映され易い。というだけのことです。自分や家族が消耗品にされそうな場合、民主国家だと、選挙とか言論とかで、反対できます。
非民主的とは、一般国民の意見を聞かなくても(政策決定に参加させなくても)許されるという体制ですから人を消耗品にする政策を、消耗品にされる側から、阻止し難い訳です。
ということで、一種の原理的、定義的なことですから、探せば例外は色々見つかるでしょうが、民主主義は人を消耗品扱いし難い体制です。
でも、リンク先の記事で悪い例とされている「ナチ」政権って、
「一度やらせてみてください! 」っていう 2年前に日本で聞いたことあるスローガンで
WWII前で一番民権的な制度のワイマール共和国で、法にのとって政権をとったのがナチですよねー
制度としての民主主義は、最低条件的な意味はあっても、民主主義であれさえいれば問題解決、みたいな元記事みたいな論点はやっぱり気持ち悪い
それは、「民主的手続きに従って、民主的制度を廃止することは可能か?」という話になりますな。立法手続きの技術論としてであれば、それは「可能」ということになります。憲法だって手続きを踏めば変えられるわけだから。ワイマール時代のドイツ人はそう考えた。
しかし、世の中にはそう考えない人もいる。たとえば、「自然権」という考え方がある。これは、キリスト教の神様から人間に与えられた権利ということになっていて、神様ではない人間どもの作った法律なんぞでは奪えない、ということになる。
でも、それは宗教的信念でしかないわけで……キリスト教の神様はそう言ったかもしれないけれど、イスラム教の神様はそんなこと言ってないぞ、とか言い出すと宗教戦争になるのでした。
もちろん日本人にはそんな宗教的信念なんぞないし、共産中国は宗教なんぞ否定するし……ねえ。一方アメリカ人は、政府が腐ったときのために国民に革命を起こす権利が必要だ、とかいって武器所有を正当化するのでした。いやはや。
>ということで、一種の原理的、定義的なことですから、探せば例外は色々見つかるでしょうが、民主主義は人を消耗品扱いし難い体制です。
もし、非民主主義で、消耗品扱いしてなければ、「一般国民の意見を聞かない」のでそのままだろうし、消耗品扱いしていれば「一般国民の意見を聞かない」のでそのままだろう。民主主義においては、消耗品扱いでも高い価格付けなら喜んで受け入れたりもするので、商法品扱いにいくのも、そう難しいことではない。ここで問題とすべきは民主制といった政治体制ではなくて、資本主義という経済体制についてを問題にすべきではないのか?と思うんだ。そもそも消耗品・耐久品(資産)といった考え方は、経済において重要で、それについてを決定するのは、政治体制というより経済体制なのだからね。
資本主義=お金を前提としてそれを目的とする=お金に収斂する=あるものを消費財消耗品とするか、耐久財資産品目とするかがわかれるというのが前提。そして、金がかかり、いつでも取り替えられて、老朽化しやすい(たとえば新技術に追いつかない技術屋があるとか、他に転用できないのができるとか)だと、消耗品扱いもむべなるかな、と思う。
金のために敢えて消耗品になるという選択肢は、資本主義だけかも知れませんが、旧ソビエトや、市場経済を取り入れる以前の中国でも、本人の意思に係わりなく人は消耗品でした。自爆テロの場合、残された家族へのテロ組織から援助という対価が大きいですが、宗教や思想の力も大きく、非常に中世的です。
権力で強制するにせよ、思想や宗教で納得させるにせよ、近代の民主国家以前は世界の何処でも、人を消耗品として扱うことは珍しくなかったはずです。
民主主義でも、人を消耗品扱いするのが、難くなるだけで、それこそ、例えば、もっと大金が必要だとか、上手に騙す必要があるとか、するものの残ってゆくでしょうね。
資本主義と言えば、上場企業に対して、短期的な見返りを求める投資家が増えている(あるいはその声が大きくなっている)のは、大問題ですね。企業もそこに係わる様々人間(顧客も従業員)も、すべて消耗品として扱って、持続的な事業を考慮していない。非常に大規模な焼き畑みたいなもので、さらに金を集めている。高度化した資本主義の大きな弊害だと思いますが、今の処、私も、よい対策を知りません。
>市場経済を取り入れる以前の中国でも、本人の意思に係わりなく人は消耗品でした。
それは当然だろうね。しかし、消耗品という概念ではなくて、単に使う道具でしかなかったわけだ。使ったら捨てる壊れる道具といった位置づけであって、消耗品についてまわるコストとかいった概念も薄かったわけ。
>民主主義でも、人を消耗品扱いするのが、難くなるだけ
資本主義においては、逆に消耗品として扱いやすくなるわけなんだな。つまり、お金が絡む場合、人を消耗品とするかどうかは、再利用性の高さとかいった面でしか判断されないってことになっちゃう。
>上場企業に対して、短期的な見返りを求める投資家が増えて>いる(あるいはその声が大きくなっている)のは、大問題ですね。
それは資本主義の当然の帰結なので、それを今更問題にするのは、すでに遅いと思いますよ。
>非常に大規模な焼き畑みたいなもので、さらに金を集めている。
企業にしろ、耐久消費財の維持にはお金がかかる。そして、資本主義においては、利得に較べてお金がかからないことが前提になっているわけで、資本主義とはそういうものというのは、結構、昔から指摘されていたことでしたよ。それについて、どう折り合いをつけるのかは、消耗品か耐久品のどちらかであるか?は関係は少ないと思いますよ。
>私も、よい対策を知りません。
消費材とすることで資本主義がよくまわるなら、消費品になるし、耐久品であればよく回るのであれば耐久材になるだけでしょう。そして、そのどちらであれ、資本主義との付き合い方に差はありません。
そうですね、同意します。継続可能な(企業、経済、社会 etc.)を善しとするのは、資本主義とは、別の主義や思想ですね。
>継続可能な(企業、経済、社会 etc.)を善しとするのは、資本主義とは、>別の主義や思想ですね。
そうなんですよね。継続することで利得があるなら継続する。どこぞの資本主義のそのももの権化というか、ファンドなんか、先細りやこれ以上稼ぎを増やせないと判断したら、そこで会社身売りやら精算やら現在の不採算部門売却やら採算部門でも「投資の比率に見合わないから」売却とかね。
「人は城、人は石垣、人は堀」..うん、城だろうが石垣だろうが堀だろうが、金になるかどうか?なんだな。
でも、今の日本だと「人は城、人は石垣、人は堀」って言葉も曲解してる人多そう。「お客様は神様です」もいまだに曲解されたまま蔓延してるし。
> 人は城、人は石垣、人は堀
「人柱」を推奨しているとか、爆弾で生じた穴が、死体で埋められる様子だとか、曲解している人はいるかもしれませんね。
人を生かして能力を引き出すと城にも石垣にも勝る、という言葉がわざわざ賞賛されるということは、裏を返せば、人を消耗品だと見る戦略が、当時は(恐らくでも今でも)一般的だということです。
さらに付け加えると、戦略の良し悪しというのは、その時の周囲の状況・条件次第で、変化するものですね。何年にも渡って事業を続けるつもりか、自分が経営者としての在任中に物言う株主に対して成果を出せば良いだけなのか。(ゲームの理論などで色々研究されてますね)
太平洋戦争の場合、日米を比較して、日本は短期決戦を目指しており、それゆえ人の消耗の激しい戦略を採るのも、あながち間違いではなかったでしょう。
そもそもの間違いは、当時の総力戦研究所が、戦えば負けるという研究報告を出しているにも係わらず、確かな根拠もなく「実際の戦争は違う」といった程度の感想を述べて短期決戦が可能であるとした、開戦の決断です。
この日経ビジネスオンラインの記事は、その辺りを欠いたまま、しかもタイトルで、失敗の原因が「日本人」であるからかのように書いているので、何か少しずれた感じが残るのでしょう。
>この日経ビジネスオンラインの記事は、その辺りを欠いたまま、しかもタイトルで、失敗の原因が「日本人」であるからかのように書いているので、何か少しずれた感じが残るのでしょう。
って風には私には読めませんでしたが。。。日本人か否かの問題ではなく、当時の軍部の考え方ですよね。自分の自己保身と出世のみ考えて、兵隊は単なる駒のような発想と、犯した間違いを自己修正できない点が大きかったと言われていますね。
資産とコストと言うのは比喩的である種の誤解が生じやすい表現ですが、大枠でとらえれば私には納得できます。 今の官僚も昔の軍部も兵站を疎かにしている事は明らかですし、兵站を疎かにする背景には資産とコスト的な発想があると思います。代表戦で落選した某旧経産大臣がそれを軽んじた発言もあったばかりですし。。。。
紙一枚送る程度の手間って意味ですし、そういった証言がすべてでたらめだという話は聞いたことないんですが。
> 当時の軍部の考え方ですよね。
まるで軍部の暴走のような書き方していますけど、戦争を煽り安易な協定を拒否したのは新聞とそれに煽られた国民であって、正直な話をすると暗殺されるかもしれないような状況下では国民が疲弊するまで止められなかったんですよ。
そもそも資産とコストを対立項にしている時点でおかしい比喩です。資産は維持するのにコストがいるしコストをかける価値のあるものはすなわち資産でもあるので、そんなものは視点の違いでしかありません。日本人は謙虚なのだか自虐的なのだか知りませんが、いつまでたっても外国の方が優れていると思いたいのだなという感想です。
>戦争を煽り安易な協定を拒否したのは新聞とそれに煽られた国民であって
へぇー戦前の日本ではそんなに国民の権利が強くて政治家や軍人は国民の気分一つで暗殺されていたんですかそんな国だったとは知りませんでしたw
知らなかったの?それは知識不足も甚だしいですね。日露戦争の講和に対する日比谷焼打事件とかもご存じないでしょう。戦争時に民主的で合法な選挙によって政権交代が起きたことも知らないんでしょうね。ちゃんとした教育がなされていないと歴史から学ぶこともできないことがよく分かります。
ワオ絵に書いたような戦後民主主義の御題目。あるいは昭和の朽ち果てた議論。宮武外骨の批判対象の一つが他の新聞であったことも無視ですか。「徹底的に弾圧」って、黒塗りされた印刷物って今のテレビのピー音と同じで読んでいる方には大体何を言っているか分かったそうですよ。一切なかったようにする戦後のGHQの検閲や現在の言葉狩りよりよほど徹底されていませんね。弾圧とか服従とかってまるで国民と政府が全く別の存在であったかのような言い方は完全な間違いで、そういう政府を国民が求めていたという残念ではあるが民主主義の帰結でもあるでしょう。
>天皇や将軍を吊るし首にできなかったから
こういう発想が最も愚かで独裁的ですね。あなたは政治家になるべきではない。日本人は自分たちの国家が自分たちの代表であることを知っていたから無責任に一部指導者だけに責任を押し付けて自分は無罪であるかのように振舞わなかったのですが、そういう美徳は失われてしまったようです。
>> 今の官僚も昔の軍部も兵站を疎かにしている事は明らかですし、
たしかに,官僚は国家に仕えて低賃金(←同レベルの人材の民間企業での給与に比べて)で深夜まで働いている人材なのに,国民は官僚に対して「コスト」とか見ていないですね.…って話じゃないのか.
全ての部下を自分の防弾チョッキだと思っていた部長はこれを実践していたのか!
> 非民主主義でも人材育成を重視した権力なんて昔からあったじゃないか。
非民主主義における独裁者はいつも必ず悪というわけではありません。たまたま独裁者に民衆のことを思いやる気持ちがあったからでしょう。(あるいは、人材育成を重視することが、まわりまわって自分の利益になると判断したか)。
非民主主義では、独裁者を選ぶことができませんから、民衆のことを思いやる独裁者か、そうでないかは、運まかせになります。
世襲による為政者は、十分に賢ければ自分の子孫の為に領民を大事にする。民主制による為政者にはそういうインセンティブが働かない為、政治が腐敗する。という理屈を今思い付いた。
;; もちろん、昔の独裁的な政治が腐敗しまくりなのは、よぉ~く知ってますが……。
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アレゲはアレゲ以上のなにものでもなさげ -- アレゲ研究家
人は城、人は石垣、人は堀 (スコア:5, 興味深い)
なんか「人材を消耗品とみない」を「民主主義」と結びつけるのか気持ち悪い。
非民主主義でも人材育成を重視した権力なんて昔からあったじゃないか。
Re:人は城、人は石垣、人は堀 (スコア:3, すばらしい洞察)
本来、民主主義だと「消耗品扱いされる人」の意見も、政策に反映され易い。というだけのことです。
自分や家族が消耗品にされそうな場合、民主国家だと、選挙とか言論とかで、反対できます。
非民主的とは、一般国民の意見を聞かなくても(政策決定に参加させなくても)許されるという体制ですから
人を消耗品にする政策を、消耗品にされる側から、阻止し難い訳です。
ということで、一種の原理的、定義的なことですから、探せば例外は色々見つかるでしょうが、民主主義は
人を消耗品扱いし難い体制です。
Re:人は城、人は石垣、人は堀 (スコア:1, 興味深い)
でも、リンク先の記事で悪い例とされている「ナチ」政権って、
「一度やらせてみてください! 」っていう
2年前に日本で聞いたことあるスローガンで
WWII前で一番民権的な制度のワイマール共和国で、法にのとって政権をとったのがナチですよねー
制度としての民主主義は、最低条件的な意味はあっても、民主主義であれさえいれば問題解決、みたいな元記事みたいな論点はやっぱり気持ち悪い
Re:人は城、人は石垣、人は堀 (スコア:1)
それは、「民主的手続きに従って、民主的制度を廃止することは可能か?」という話になりますな。立法手続きの技術論としてであれば、それは「可能」ということになります。憲法だって手続きを踏めば変えられるわけだから。ワイマール時代のドイツ人はそう考えた。
しかし、世の中にはそう考えない人もいる。たとえば、「自然権」という考え方がある。これは、キリスト教の神様から人間に与えられた権利ということになっていて、神様ではない人間どもの作った法律なんぞでは奪えない、ということになる。
でも、それは宗教的信念でしかないわけで……キリスト教の神様はそう言ったかもしれないけれど、イスラム教の神様はそんなこと言ってないぞ、とか言い出すと宗教戦争になるのでした。
もちろん日本人にはそんな宗教的信念なんぞないし、共産中国は宗教なんぞ否定するし……ねえ。一方アメリカ人は、政府が腐ったときのために国民に革命を起こす権利が必要だ、とかいって武器所有を正当化するのでした。いやはや。
Re:人は城、人は石垣、人は堀 (スコア:1)
>ということで、一種の原理的、定義的なことですから、探せば例外は色々見つかるでしょうが、民主主義は
人を消耗品扱いし難い体制です。
もし、非民主主義で、消耗品扱いしてなければ、「一般国民の意見を聞かない」のでそのままだろうし、
消耗品扱いしていれば「一般国民の意見を聞かない」のでそのままだろう。
民主主義においては、消耗品扱いでも高い価格付けなら喜んで受け入れたりもするので、
商法品扱いにいくのも、そう難しいことではない。
ここで問題とすべきは民主制といった政治体制ではなくて、資本主義という経済体制についてを
問題にすべきではないのか?と思うんだ。そもそも消耗品・耐久品(資産)といった考え方は、
経済において重要で、それについてを決定するのは、政治体制というより経済体制なのだからね。
資本主義=お金を前提としてそれを目的とする=お金に収斂する=あるものを消費財消耗品と
するか、耐久財資産品目とするかがわかれるというのが前提。
そして、金がかかり、いつでも取り替えられて、老朽化しやすい(たとえば新技術に追いつかない
技術屋があるとか、他に転用できないのができるとか)だと、消耗品扱いもむべなるかな、と思う。
Re:人は城、人は石垣、人は堀 (スコア:1)
金のために敢えて消耗品になるという選択肢は、資本主義だけかも知れませんが、
旧ソビエトや、市場経済を取り入れる以前の中国でも、本人の意思に係わりなく
人は消耗品でした。自爆テロの場合、残された家族へのテロ組織から援助という
対価が大きいですが、宗教や思想の力も大きく、非常に中世的です。
権力で強制するにせよ、思想や宗教で納得させるにせよ、近代の民主国家以前は
世界の何処でも、人を消耗品として扱うことは珍しくなかったはずです。
民主主義でも、人を消耗品扱いするのが、難くなるだけで、それこそ、例えば、
もっと大金が必要だとか、上手に騙す必要があるとか、するものの残ってゆく
でしょうね。
資本主義と言えば、上場企業に対して、短期的な見返りを求める投資家が増えて
いる(あるいはその声が大きくなっている)のは、大問題ですね。
企業もそこに係わる様々人間(顧客も従業員)も、すべて消耗品として扱って、
持続的な事業を考慮していない。非常に大規模な焼き畑みたいなもので、さらに
金を集めている。高度化した資本主義の大きな弊害だと思いますが、今の処、
私も、よい対策を知りません。
Re:人は城、人は石垣、人は堀 (スコア:1)
>市場経済を取り入れる以前の中国でも、本人の意思に係わりなく人は消耗品でした。
それは当然だろうね。
しかし、消耗品という概念ではなくて、単に使う道具でしかなかったわけだ。
使ったら捨てる壊れる道具といった位置づけであって、消耗品についてまわる
コストとかいった概念も薄かったわけ。
>民主主義でも、人を消耗品扱いするのが、難くなるだけ
資本主義においては、逆に消耗品として扱いやすくなるわけなんだな。
つまり、お金が絡む場合、人を消耗品とするかどうかは、再利用性の高さ
とかいった面でしか判断されないってことになっちゃう。
>上場企業に対して、短期的な見返りを求める投資家が増えて
>いる(あるいはその声が大きくなっている)のは、大問題ですね。
それは資本主義の当然の帰結なので、それを今更問題にするのは、
すでに遅いと思いますよ。
>非常に大規模な焼き畑みたいなもので、さらに金を集めている。
企業にしろ、耐久消費財の維持にはお金がかかる。
そして、資本主義においては、利得に較べてお金がかからないことが
前提になっているわけで、資本主義とはそういうものというのは、
結構、昔から指摘されていたことでしたよ。
それについて、どう折り合いをつけるのかは、消耗品か耐久品の
どちらかであるか?は関係は少ないと思いますよ。
>私も、よい対策を知りません。
消費材とすることで資本主義がよくまわるなら、消費品になるし、
耐久品であればよく回るのであれば耐久材になるだけでしょう。
そして、そのどちらであれ、資本主義との付き合い方に差は
ありません。
Re:人は城、人は石垣、人は堀 (スコア:1)
そうですね、同意します。
継続可能な(企業、経済、社会 etc.)を善しとするのは、資本主義とは、
別の主義や思想ですね。
Re:人は城、人は石垣、人は堀 (スコア:1)
>継続可能な(企業、経済、社会 etc.)を善しとするのは、資本主義とは、
>別の主義や思想ですね。
そうなんですよね。
継続することで利得があるなら継続する。
どこぞの資本主義のそのももの権化というか、ファンドなんか、
先細りやこれ以上稼ぎを増やせないと判断したら、そこで
会社身売りやら精算やら現在の不採算部門売却やら
採算部門でも「投資の比率に見合わないから」売却
とかね。
「人は城、人は石垣、人は堀」..うん、城だろうが
石垣だろうが堀だろうが、金になるかどうか?なんだな。
Re:人は城、人は石垣、人は堀 (スコア:1)
#存在自体がホラー
人はモノ?(Re:人は城、人は石垣、人は堀) (スコア:0)
でも、今の日本だと「人は城、人は石垣、人は堀」って
言葉も曲解してる人多そう。
「お客様は神様です」もいまだに曲解されたまま蔓延してるし。
Re:人はモノ?(Re:人は城、人は石垣、人は堀) (スコア:2)
> 人は城、人は石垣、人は堀
「人柱」を推奨しているとか、爆弾で生じた穴が、死体で埋められる様子だとか、
曲解している人はいるかもしれませんね。
人を生かして能力を引き出すと城にも石垣にも勝る、という言葉がわざわざ賞賛され
るということは、裏を返せば、人を消耗品だと見る戦略が、当時は(恐らくでも今でも)
一般的だということです。
さらに付け加えると、戦略の良し悪しというのは、その時の周囲の状況・条件次第で、
変化するものですね。何年にも渡って事業を続けるつもりか、自分が経営者としての
在任中に物言う株主に対して成果を出せば良いだけなのか。
(ゲームの理論などで色々研究されてますね)
太平洋戦争の場合、日米を比較して、日本は短期決戦を目指しており、それゆえ人
の消耗の激しい戦略を採るのも、あながち間違いではなかったでしょう。
そもそもの間違いは、当時の総力戦研究所が、戦えば負けるという研究報告を出して
いるにも係わらず、確かな根拠もなく「実際の戦争は違う」といった程度の感想を述べ
て短期決戦が可能であるとした、開戦の決断です。
この日経ビジネスオンラインの記事は、その辺りを欠いたまま、しかもタイトルで、
失敗の原因が「日本人」であるからかのように書いているので、何か少しずれた感じ
が残るのでしょう。
Re:人はモノ?(Re:人は城、人は石垣、人は堀) (スコア:2)
>この日経ビジネスオンラインの記事は、その辺りを欠いたまま、しかもタイトルで、失敗の原因が「日本人」であるからかのように書いているので、何か少しずれた感じが残るのでしょう。
って風には私には読めませんでしたが。。。日本人か否かの問題ではなく、当時の軍部の考え方ですよね。自分の自己保身と出世のみ考えて、兵隊は単なる駒のような発想と、犯した間違いを自己修正できない点が大きかったと言われていますね。
資産とコストと言うのは比喩的である種の誤解が生じやすい表現ですが、大枠でとらえれば私には納得できます。
今の官僚も昔の軍部も兵站を疎かにしている事は明らかですし、兵站を疎かにする背景には資産とコスト的な発想があると思います。代表戦で落選した某旧経産大臣がそれを軽んじた発言もあったばかりですし。。。。
Re:人はモノ?(Re:人は城、人は石垣、人は堀) (スコア:1)
Re: (スコア:0)
Re: (スコア:0)
紙一枚送る程度の手間って意味ですし、そういった証言がすべてでたらめだという話は聞いたことないんですが。
Re:人はモノ?(Re:人は城、人は石垣、人は堀) (スコア:1)
> 当時の軍部の考え方ですよね。
まるで軍部の暴走のような書き方していますけど、戦争を煽り安易な協定を拒否したのは新聞とそれに煽られた国民であって、正直な話をすると暗殺されるかもしれないような状況下では国民が疲弊するまで止められなかったんですよ。
そもそも資産とコストを対立項にしている時点でおかしい比喩です。
資産は維持するのにコストがいるしコストをかける価値のあるものはすなわち資産でもあるので、そんなものは視点の違いでしかありません。
日本人は謙虚なのだか自虐的なのだか知りませんが、いつまでたっても外国の方が優れていると思いたいのだなという感想です。
Re: (スコア:0)
>戦争を煽り安易な協定を拒否したのは新聞とそれに煽られた国民であって
へぇー戦前の日本ではそんなに国民の権利が強くて政治家や軍人は国民の気分一つで暗殺されていたんですか
そんな国だったとは知りませんでしたw
Re: (スコア:0)
知らなかったの?
それは知識不足も甚だしいですね。日露戦争の講和に対する日比谷焼打事件とかもご存じないでしょう。
戦争時に民主的で合法な選挙によって政権交代が起きたことも知らないんでしょうね。
ちゃんとした教育がなされていないと歴史から学ぶこともできないことがよく分かります。
Re: (スコア:0)
> 正直な話をすると暗殺されるかもしれないような状況下では
ご冗談でしょ。
御真影をばら撒いて天皇を神格化させたり、宮武外骨みたいな反体制派的なマスコミや運動家を徹底的に弾圧しておいて臣民に責任をなすりつけるとは卑怯にもほどがある。
日清・日露の戦争での未亡人や孤児たちの厭戦感情が広まらないよう、戦死遺族の悲嘆を描いた絵画すら弾圧しておいて、ナニを寝言をいうのやら。
戦前のこうした「自分で弾圧・服従させた臣民どもに責任をなすりつける」態度と、現在の「貧困に付け込んで、補助金の麻薬漬けにした地方自治体に責任をなすりつける原発推進派」の態度は根底で同じなんですね。
天皇や将軍を吊るし首にできなかったから、権力者からみた日本の庶民というのはいつまでたっても消耗品として消費する対象でしかない。
Re: (スコア:0)
ワオ
絵に書いたような戦後民主主義の御題目。あるいは昭和の朽ち果てた議論。
宮武外骨の批判対象の一つが他の新聞であったことも無視ですか。
「徹底的に弾圧」って、黒塗りされた印刷物って今のテレビのピー音と同じで読んでいる方には大体何を言っているか分かったそうですよ。
一切なかったようにする戦後のGHQの検閲や現在の言葉狩りよりよほど徹底されていませんね。
弾圧とか服従とかってまるで国民と政府が全く別の存在であったかのような言い方は完全な間違いで、そういう政府を国民が求めていたという残念ではあるが民主主義の帰結でもあるでしょう。
>天皇や将軍を吊るし首にできなかったから
こういう発想が最も愚かで独裁的ですね。あなたは政治家になるべきではない。
日本人は自分たちの国家が自分たちの代表であることを知っていたから無責任に一部指導者だけに責任を押し付けて自分は無罪であるかのように振舞わなかったのですが、そういう美徳は失われてしまったようです。
Re: (スコア:0)
>天皇や将軍を吊るし首にできなかったから、権力者からみた日本の庶民というのはいつまでたっても消耗品として消費する対象でしかない。
あーあ、遂に反原発派が馬脚を現したな。衣の下の鎧が見えてますよ。新左翼さん。
Re:人はモノ?(Re:人は城、人は石垣、人は堀) (スコア:1)
>> 今の官僚も昔の軍部も兵站を疎かにしている事は明らかですし、
たしかに,官僚は国家に仕えて低賃金(←同レベルの人材の民間企業での給与に比べて)で深夜まで働いている人材なのに,国民は官僚に対して「コスト」とか見ていないですね.…って話じゃないのか.
(他)人は城、(他)人は石垣、(他)人は堀 (スコア:0)
全ての部下を自分の防弾チョッキだと思っていた部長はこれを実践していたのか!
Re: (スコア:0)
> 非民主主義でも人材育成を重視した権力なんて昔からあったじゃないか。
非民主主義における独裁者はいつも必ず悪というわけではありません。
たまたま独裁者に民衆のことを思いやる気持ちがあったからでしょう。
(あるいは、人材育成を重視することが、まわりまわって自分の利益になると判断したか)。
非民主主義では、独裁者を選ぶことができませんから、
民衆のことを思いやる独裁者か、そうでないかは、運まかせになります。
Re:人は城、人は石垣、人は堀 (スコア:1)
世襲による為政者は、十分に賢ければ自分の子孫の為に領民を大事にする。
民主制による為政者にはそういうインセンティブが働かない為、政治が腐敗する。
という理屈を今思い付いた。
;; もちろん、昔の独裁的な政治が腐敗しまくりなのは、よぉ~く知ってますが……。
Re: (スコア:0)