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秋葉原通り魔事件、映画化」記事へのコメント

  • by Anonymous Coward on 2011年10月18日 20時45分 (#2036508)

    それ(実在の事件をネタにすること)は本当に必要なことなのか? という疑問は出るような気はしますよね。
    特に、事件そのものを描くわけでもなく、その事件によって「何か」を失った/奪われた人の側からの描写なわけだから、他のこと(戦争でもテロでも事故でも)で「何か」を失ったり奪われたりした人をネタにしても同様のことを描くことができるようなものだったりすると、当該事件関係者の中には不快に思う人も出るかもしれませんね。

    ま、監督さん曰く、

    衝撃的な事件だったのに、時間の経過とともに話す人が少なくなってきた。映画にすることで永遠に残したかった

    とまで言うわけですから、単なる秋葉文化云々とか(舞台は秋葉みたいですが)事件現場がどうとかじゃなく、或いは被害者遺族役の女の子の健気さで泣かせるようなものでもなく、事件そのものやその背景についてまで深く考えさせるような、奥の深い描写になることを期待しようではありませんか。

    被害者遺族の気持ちは何処へ向けられるのか。その気持ちはどのように消化され、立ち直りを見せるのか。
    犯人に対する恨み? 憎しみ? それとも犯人の背負う背景に対する同情? 憐憫?
    題材にこの事件を選んだ以上、それはきっと「この事件でなければ描けない」ものなのでしょう。
    ただの事件/事故に巻き込まれたのではない、あの事件だからこその何かがあるのでしょう。
    ドキュメンタリーではなく、女性遺族の立ち直りを描くことにも、ちゃんと理由があるのでしょう。きっと。

    # と、思ってはみるものの、話題作りのためにこの題材を選んだんではなかろうかという穿った見方もしてしまうのは汚れてしまった大人だからでしょうか。

あつくて寝られない時はhackしろ! 386BSD(98)はそうやってつくられましたよ? -- あるハッカー

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