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「かたわ」って差別語じゃね?と思ったら、海外同人が作ったのか。直すのも色々と簡単じゃなさそうだし、なんだかねえ。
そういう言葉狩りへの反論の意味もあると勝手に思ってます。
乙武さんだったっけか、「呼び名なんてどうでもいいから俺たちのことをもっと理解してくれ」って言ってたよね。言われて不快になる単語を避けるのはまぁ当然だけど、ハンディもちの人の意識も時代とともに変わってきている、ってそろそろみんな気付くべきだと思うんだ。
多少傲慢になってる人がいっぱいいるぞ、的な意味も含めて、ね。
>言われて不快になる単語を避けるのはまぁ当然あなたは優しい人だと思うのだけどね、私も障害者だけど、どちらかと言うとそういう「気を遣った言葉」のほうが不快というか寂しい気持ちになる人が多数派ですよ。実際は。
大多数の障害者自身の人たちは乙武さんの言葉どおり「呼び名なんてどうでもいい」と思ってるんです。だけど私たちは、そんな風に言葉に気を遣われるような存在には見て欲しくなくて、ただ、ちょっと重い荷物を持った貴方の友人として扱って欲しいだけです。
重い荷物を持ってドアを開けにくそうなら、貴方が友人がにするように、ただ開けてくれるだけで嬉しいですし歩きながらふうふう言ってたら、気が向いたら少し持つのを手伝ってくれたりしてもらえるならとても嬉しいですが「腕力無いな!しっかり歩けよ!」と軽口を叩いてくれるだけでも嬉しいです。
「この言葉は社会的弱者の気分を害する。そう思わない奴は(当の社会的弱者も含めて)死ね」という宗教で、その使用を忌避するのは宗教的儀式ですから、合理的根拠があると思うのがそもそもの間違いです。
案の定周囲のコメントに善意押し付け教徒が湧きまくってて吹いた
> そういう「気を遣った言葉」のほうが不快というか寂しい気持ちになる人が多数派ですよ。実際は。気を遣うあまり、それが存在自体を薄めてしまう(極端な言い方をすればなかったことにする)というような、「空気の読み過ぎ」がある気がします。
見ない、触れない、語らないことはある意味楽かもしれないですけど、現実に障がい者はいわゆる健常者と同じく存在し日常生活があり、出来ることもあれば出来ないこともある。つまり、意識として特別気を遣う必要なんかないんですよね。
で、このゲームの進行度はまだ10%くらいですけど、彼女たちの日常生活に(たとえフィクションでも)触れることがそういった「なかったことにする」ような意識を変えられるんじゃないかと勝手に思ったりしています。評価はさておき、この手のゲームが好きな人なら言葉の問題でうだうだ言う前に一度やってみるのもいいと思いますよ。(※もちろん18禁に反しない範囲で)
> つまり、意識として特別気を遣う必要なんかないんですよね。
そんなことはない。適切な手助けができているかどうかかなり気を遣う必要がある。スーパーの扉の開け閉め一つとっても、老人や子供連れ相手にどれだけ先回りして気を遣っていると思っているのか。気を遣うことはまったくかまわないが、気を遣う必要がないなどと言われて見過ごすわけにはいかない。
元コメの書き方が悪かったですが、「(いわゆる障がい者だからといって)意識として特別に気を遣う必要はない。」ということが言いたかったんです。(一般的な)社会的弱者への気遣いを否定しているわけではありません。
差別用語云々については議論がいろいろとあることは承知で、ここでも紛糾気味ですけど、元コメで私が言いたかったのはこうやって過剰に気を遣いすぎると「あれっ、何だかめんどくさそうだな。この用語を使っているものには触れない方がよさそうだ」という 意識が知らず知らずのうちに湧いてきて、意識の中でそういう存在を薄めてしまわないかと心配しているだけ
老人や子供連れや、書かなかったが身障者(母とか)には「特別に気を遣わなければ適切な手助けにならない」と言ってるわけ。身障者「だから」ではなく、その人その人の個別の困難に応じた特別な注意を払う必要があるということだ。
> 元コメの書き方が悪かったですが、「(いわゆる障がい者だからといって)意識として特別に気を遣う必要はない。」> ということが言いたかったんです。(一般的な)社会的弱者への気遣いを否定しているわけではありません。
それとも身体障碍者は「一般的な」社会的弱者ではないということでしょうか。あるいは社会的「弱者」ではないということか?
おっしゃることには同意します。私が言いたかったことは「(差別用語問題に代表される)過剰な配慮」ととらえてください。一般的に手助けが必要な人に手を差し伸べることは障がい者云々ではなくあたりまえのことです。個々に対するそれぞれの事情を「特別」とおっしゃるならそれもあたりまえのことです。私が言った「特別」と言ったのは意識の中で壁を作るような、むしろ「区別」に近いような概念です。
私の中であたりまえに思っていることを書かなかったのは言葉に対する配慮が足りないと言われても仕方がないのでその点はお詫びします。
> それとも身体障碍者は「一般的な」社会的弱者ではないということでしょうか。書いた後にここも言葉が足りなかったなと思いましたが、もちろんそうではありません。一般的な、というのは身障者も含む全体を意味していたつもりでした。
まぁ、この部分について議論するつもりはさらさらありませんのでスルーしていただいて結構です。
> 大多数の障害者自身の人たちは乙武さんの言葉どおり「呼び名なんてどうでもいい」と思ってるんです。
あなたは障害者を代表して意見できる立場なんですか?コメントからは身体障害者だと思われますが、現状では身体障害者よりもはるかに差別されている精神障害者の立場は考えたことはありますか?
>精神障害者の立場は考えたことはありますか?本人でなくて精神障害児を抱えている親の別ACだけど元コメの意見に1票入れるよ。うちの子も、友人として扱って欲しい。池沼とかキチガイとか好きに呼んでいいと思うよ、友人としてなら。
ふむ....大切なことではあるな。意識しないのと差別しないのはイコールじゃないし、状況によって障害関係なく送受両方が上手く気がつかえるといいんですがねー。
# ただ、小学生のころに、感情の強い(たぶんなにかしら問題あったんじゃないかなという人)と普通に接してゲーム貸したら、わけわかんないこと言って返してくれないうえ、ブンなぐられたことについては今もどう扱ってよいかわからない感情となっている。
まあ誰にっていうかどういうニュアンスで言われるかによるんじゃないかな。黒人が友人の黒人に対して「よう、ニガー」って言うのと、北部のリベラルな民主党支持者が友人の黒人に対して「よう、ニガー」って言うのと、南部の保守的な共和党支持者が赤の他人の黒人に対して「よう、ニガー」って言うのとでは、全然意味が違ってくる。
日本だって石原慎太郎が「おいそこのカタワ」とか言ったら普通に不愉快だろうし。でもまあ言葉を換えて「おいそこの身体的挑戦者」って言ったところでニュアンスが同じなら結局不快だよね。
言葉を言い換えるのは「あなたを攻撃するつもりはないです」という意思表示としてある程度有効なんだろうけど逆に言うと攻撃する気満々の差別主義者が差別主義者のままって時点で一番の問題点が全然解決してないっていう。
ニュアンスの問題もありますが、例えば愚かな発言をした(おそらく健常な)人間に対しても「統失」「知障」などという罵倒が今でも普通に成立するわけです。そこのところの意識がまず問題。
> 「腕力無いな!しっかり歩けよ!」と軽口を叩いてくれるだけでも嬉しいです。
私は身体障害者ではありませんが、例えば腕を怪我するとか風邪を引いてふらふらだとか単に荷物をかかえて身動きがとれないとかいった理由で往生している時に赤の他人にこんなことを言われると、(控えめに言っても)いい気分にはなりません。
引用が前後しますが
> ただ、ちょっと重い荷物を持った貴方の友人として扱って欲しいだけです。
手助けはやぶさかではありませんが、もしかしてそれ以上の馴れ馴れしさを望んでいるのですか?
「差別語」っていう抽象的な基準が一人歩きしてしまってるのがよくないよな。
身障者の侮辱表現であり、彼らが気分を害する可能性を考慮して濫用を避けるべき、とか噛み砕いてくれれば、無用の反発も起きないと思うんだが。
それもまだ足りないよ。侮蔑表現かどうかなんてそれを言った人やその時の状況によって違うし、そもそも他人が気分を害することを避ける「べき」かどうか。
「濫用を」とわざわざ付けた意図を慮ってくれい。
配慮のしすぎに不満を述べる人(障害者)もいるけど、んななんでもかんでもあんたらの期待通りに動けねえよ、とも言いたくなる。今は悪意をもってこの言葉を用いる人が少ないから、この単語自体の害意も薄れているのであって、事ある毎にかたわ呼ばわりされたら腹を立てるに決まっている。そういう時代を経て、言葉を封じるというアイデアが生まれたわけで。
自分は、そういう方法を考えた人達の思いも同等に大切と思ってしまうよ。
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計算機科学者とは、壊れていないものを修理する人々のことである
差別用語 (スコア:0)
「かたわ」って差別語じゃね?と思ったら、海外同人が作ったのか。直すのも色々と簡単じゃなさそうだし、なんだかねえ。
Re:差別用語 (スコア:1)
そういう言葉狩りへの反論の意味もあると勝手に思ってます。
Re: (スコア:0)
乙武さんだったっけか、「呼び名なんてどうでもいいから俺たちのことをもっと理解してくれ」って言ってたよね。
言われて不快になる単語を避けるのはまぁ当然だけど、ハンディもちの人の意識も
時代とともに変わってきている、ってそろそろみんな気付くべきだと思うんだ。
多少傲慢になってる人がいっぱいいるぞ、的な意味も含めて、ね。
Re:差別用語 (スコア:1)
>言われて不快になる単語を避けるのはまぁ当然
あなたは優しい人だと思うのだけどね、私も障害者だけど、どちらかと言うと
そういう「気を遣った言葉」のほうが不快というか寂しい気持ちになる人が多数派ですよ。実際は。
大多数の障害者自身の人たちは乙武さんの言葉どおり「呼び名なんてどうでもいい」と思ってるんです。
だけど私たちは、そんな風に言葉に気を遣われるような存在には見て欲しくなくて、
ただ、ちょっと重い荷物を持った貴方の友人として扱って欲しいだけです。
重い荷物を持ってドアを開けにくそうなら、貴方が友人がにするように、ただ開けてくれるだけで嬉しいですし
歩きながらふうふう言ってたら、気が向いたら少し持つのを手伝ってくれたりしてもらえるならとても嬉しいですが
「腕力無いな!しっかり歩けよ!」と軽口を叩いてくれるだけでも嬉しいです。
Re: (スコア:0)
「この言葉は社会的弱者の気分を害する。そう思わない奴は(当の社会的弱者も含めて)死ね」という宗教で、その使用を忌避するのは宗教的儀式ですから、合理的根拠があると思うのがそもそもの間違いです。
Re: (スコア:0)
案の定周囲のコメントに善意押し付け教徒が湧きまくってて吹いた
Re: (スコア:0)
> そういう「気を遣った言葉」のほうが不快というか寂しい気持ちになる人が多数派ですよ。実際は。
気を遣うあまり、それが存在自体を薄めてしまう(極端な言い方をすればなかったことにする)というような、
「空気の読み過ぎ」がある気がします。
見ない、触れない、語らないことはある意味楽かもしれないですけど、現実に障がい者はいわゆる健常者と同じく存在し
日常生活があり、出来ることもあれば出来ないこともある。つまり、意識として特別気を遣う必要なんかないんですよね。
で、このゲームの進行度はまだ10%くらいですけど、彼女たちの日常生活に(たとえフィクションでも)触れることがそういった
「なかったことにする」ような意識を変えられるんじゃないかと勝手に思ったりしています。
評価はさておき、この手のゲームが好きな人なら言葉の問題でうだうだ言う前に一度やってみるのもいいと思いますよ。
(※もちろん18禁に反しない範囲で)
Re: (スコア:0)
> つまり、意識として特別気を遣う必要なんかないんですよね。
そんなことはない。適切な手助けができているかどうかかなり気を遣う必要がある。
スーパーの扉の開け閉め一つとっても、老人や子供連れ相手にどれだけ先回りして気を遣っていると思っているのか。
気を遣うことはまったくかまわないが、気を遣う必要がないなどと言われて見過ごすわけにはいかない。
Re: (スコア:0)
元コメの書き方が悪かったですが、「(いわゆる障がい者だからといって)意識として特別に気を遣う必要はない。」
ということが言いたかったんです。(一般的な)社会的弱者への気遣いを否定しているわけではありません。
差別用語云々については議論がいろいろとあることは承知で、ここでも紛糾気味ですけど、元コメで私が言いたかったのは
こうやって過剰に気を遣いすぎると「あれっ、何だかめんどくさそうだな。この用語を使っているものには触れない方がよさそうだ」という
意識が知らず知らずのうちに湧いてきて、意識の中でそういう存在を薄めてしまわないかと心配しているだけ
Re: (スコア:0)
老人や子供連れや、書かなかったが身障者(母とか)には「特別に気を遣わなければ適切な手助けにならない」と言ってるわけ。
身障者「だから」ではなく、その人その人の個別の困難に応じた特別な注意を払う必要があるということだ。
> 元コメの書き方が悪かったですが、「(いわゆる障がい者だからといって)意識として特別に気を遣う必要はない。」
> ということが言いたかったんです。(一般的な)社会的弱者への気遣いを否定しているわけではありません。
それとも身体障碍者は「一般的な」社会的弱者ではないということでしょうか。
あるいは社会的「弱者」ではないということか?
Re: (スコア:0)
おっしゃることには同意します。私が言いたかったことは「(差別用語問題に代表される)過剰な配慮」ととらえてください。
一般的に手助けが必要な人に手を差し伸べることは障がい者云々ではなくあたりまえのことです。
個々に対するそれぞれの事情を「特別」とおっしゃるならそれもあたりまえのことです。
私が言った「特別」と言ったのは意識の中で壁を作るような、むしろ「区別」に近いような概念です。
私の中であたりまえに思っていることを書かなかったのは言葉に対する配慮が足りないと言われても仕方がないので
その点はお詫びします。
> それとも身体障碍者は「一般的な」社会的弱者ではないということでしょうか。
書いた後にここも言葉が足りなかったなと思いましたが、もちろんそうではありません。
一般的な、というのは身障者も含む全体を意味していたつもりでした。
まぁ、この部分について議論するつもりはさらさらありませんのでスルーしていただいて結構です。
Re: (スコア:0)
> 大多数の障害者自身の人たちは乙武さんの言葉どおり「呼び名なんてどうでもいい」と思ってるんです。
あなたは障害者を代表して意見できる立場なんですか?
コメントからは身体障害者だと思われますが、現状では身体障害者よりもはるかに差別されている精神障害者の立場は考えたことはありますか?
Re: (スコア:0)
>精神障害者の立場は考えたことはありますか?
本人でなくて精神障害児を抱えている親の別ACだけど
元コメの意見に1票入れるよ。うちの子も、友人として扱って欲しい。
池沼とかキチガイとか好きに呼んでいいと思うよ、友人としてなら。
Re:差別用語 (スコア:1)
ふむ....大切なことではあるな。
意識しないのと差別しないのはイコールじゃないし、状況によって障害関係なく送受両方が上手く気がつかえるといいんですがねー。
# ただ、小学生のころに、感情の強い(たぶんなにかしら問題あったんじゃないかなという人)と普通に接してゲーム貸したら、わけわかんないこと言って返してくれないうえ、ブンなぐられたことについては今もどう扱ってよいかわからない感情となっている。
M-FalconSky (暑いか寒い)
Re: (スコア:0)
まあ誰にっていうかどういうニュアンスで言われるかによるんじゃないかな。
黒人が友人の黒人に対して「よう、ニガー」って言うのと、
北部のリベラルな民主党支持者が友人の黒人に対して「よう、ニガー」って言うのと、
南部の保守的な共和党支持者が赤の他人の黒人に対して「よう、ニガー」って言うのとでは、
全然意味が違ってくる。
日本だって石原慎太郎が「おいそこのカタワ」とか言ったら普通に不愉快だろうし。
でもまあ言葉を換えて「おいそこの身体的挑戦者」って言ったところでニュアンスが同じなら結局不快だよね。
言葉を言い換えるのは「あなたを攻撃するつもりはないです」という意思表示としてある程度有効なんだろうけど
逆に言うと攻撃する気満々の差別主義者が差別主義者のままって時点で一番の問題点が全然解決してないっていう。
Re: (スコア:0)
ニュアンスの問題もありますが、例えば愚かな発言をした(おそらく健常な)人間に対しても「統失」「知障」などという罵倒が今でも普通に成立するわけです。そこのところの意識がまず問題。
Re: (スコア:0)
> 「腕力無いな!しっかり歩けよ!」と軽口を叩いてくれるだけでも嬉しいです。
私は身体障害者ではありませんが、例えば腕を怪我するとか風邪を引いてふらふらだとか単に荷物をかかえて身動きがとれないとかいった理由で往生している時に赤の他人にこんなことを言われると、(控えめに言っても)いい気分にはなりません。
引用が前後しますが
> ただ、ちょっと重い荷物を持った貴方の友人として扱って欲しいだけです。
手助けはやぶさかではありませんが、もしかしてそれ以上の馴れ馴れしさを望んでいるのですか?
Re: (スコア:0)
Re: (スコア:0)
「差別語」っていう抽象的な基準が一人歩きしてしまってるのがよくないよな。
身障者の侮辱表現であり、彼らが気分を害する可能性を考慮して濫用を避けるべき、
とか噛み砕いてくれれば、無用の反発も起きないと思うんだが。
Re: (スコア:0)
それもまだ足りないよ。
侮蔑表現かどうかなんてそれを言った人やその時の状況によって違うし、
そもそも他人が気分を害することを避ける「べき」かどうか。
Re: (スコア:0)
「濫用を」とわざわざ付けた意図を慮ってくれい。
配慮のしすぎに不満を述べる人(障害者)もいるけど、んななんでもかんでもあんたらの期待通りに動けねえよ、とも言いたくなる。
今は悪意をもってこの言葉を用いる人が少ないから、この単語自体の害意も薄れているのであって、
事ある毎にかたわ呼ばわりされたら腹を立てるに決まっている。
そういう時代を経て、言葉を封じるというアイデアが生まれたわけで。
自分は、そういう方法を考えた人達の思いも同等に大切と思ってしまうよ。