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私の記憶では、数学で「場合分け」が出てくるのは、高校からだと思う。
プログラミングは、場合分けのやりつづけるみたいなところがあるわけで、それが身についていないと結局何をやっているのかわからないまま無駄な時間を過ごすだけだ。
出るであろう意見に対する反論です。
まず、数学における場合分けを習ってからやった方が良い理由は、プログラミングレベルでそれが使えるくらい身につけようと思うと、それが一般にはかなりトレーニングが必要であるからです。
例えば、ある整数があって、それを3で割る。その後の処理で3で割りきれる場合と、割り切れない場合で場合分けすべきであるは、余りが1、2で場合分けすべきであるかをすぐに判断できるかは、それなりのトレーニングを積んでいないと出来ないと思うからです。
そのトレーニングは、数学の問題を多く解くことでつまれるものであると考えます。
もちろん、それが中学から出来る子はいるのは承知していますが、そういう子は自分で学べば良いわけで、むしろ授業でやるレベルは苦痛になるやもしれません。
#まあ、大人のプログラマでも、「おめぇ、高校の時に場合分けのトレーニングしてこなかったろう」と思う奴は少なくないですけどね。
>そのトレーニングは、数学の問題を多く解くことでつまれるものであると考えます。
それほどのもんでもないと思いますが
>むしろ授業でやるレベルは苦痛になるやもしれません。
できる子にとっては授業はレベルが低すぎてつまらず、合わない子にとっては苦痛になるということはあるかもしんない。
学習指導要領で必修とされてない科目なので、課外授業的なものになると思いますが成績評定には含めないとか、あわないと思う人は別の科目を選択できるようにするとか、できる子はどんどん勝手にいろいろ作っちゃっていい、というような風にしないと、できる人できない人両方にとって、つまらず苦痛しか残らないという最悪な状況になる可能性は結構あるか。
でもプログラムを書かないと何もできないに等しかった昔のコンピュータと違って、いまはPC買ってもらっても、プログラミングという世界があることに気づかない状況、なんで、PCにはプログラミングという楽しい世界があるんだよ~、というのを誰かが早いうちに見せてあげることには意味がある気がしますけど。
コードが書ける親や友人に恵まれてればいらないことではありますね。
> プログラミングという楽しい世界があるんだよ~、というのを誰かが早いうちに> 見せてあげることには意味がある気がしますけど。
それは、合意するのですが、授業でやるより、課外でよいと思うのです。そして、プログラミングを楽しむためには、より数学が必要であり、数学は楽しい世界であることを授業でやるべきなのです。
同じように楽しいことを教えているのに、なんで両者に違いがあるの?
数学は数学、プログラムはプログラムだと思いますがね。
プログラムを作っていると、アルゴリズム等の数学的考え方が必要な場合もあれば、ベクトルの座標変換の数式が必要な場合もありますが、それぞれ十分に習得してなくても、十分にプログラムは書けると思います。
プログラムを学ぶに当たって、何かの学問の知識を必要とするのではなくて、プログラムはプログラムで新しい言語、新しい学問という立ち位置の方がしっくりくる。
無論、プログラムにおいても、数学と同じく、様々な段階を経て、考え方・方法論に慣れるというステップは必要ですので、やたらに子供の頃から高度なステップを教えて意味があるのかどうかは疑問ですが。
その意味では、数学という学問はやたらに古いので、小学生で学ぶこと、中学生で学ぶことと段階を経て考える力を身につける方法論がそれなりにできあがっているので教育という意味では安心感はあります。
それに対して、プログラムはそういう小学生向けのプログラム教育、中学生向けのプログラム教育のような段階を経て学ぶような教育方法がおそらくまだどこにも存在してない。プログラムはこう学ぶべきだ!という方法論と、初等教育と中等教育でどの段階でどれをどのように学ばせるべきか?という論法は異なると思います。
その意味では、数学を学んでからという意見は実にごもっとです。数学的考え方がある程度あれば、プログラムの初等的な教育はある意味できているとしても良いかと言う気もします。基礎教育としての数学の重要性は最たるものかと思います。
・・・ただ、小学生を終えれば中学生になれば、個人的には、プログラム教育は十分に可能だとは思います。無論、先に述べたように問題は教育方法も含めて、方法論が一切確立されてない点かと思います。
(教える側の教える方法論の習得も含めて)現場と教えられる側(生徒の側)はノウハウが蓄積されるまで酷いことになりそうだなと思います。ノウハウが確立される前に終わりそうで、逆に長期的に見てプログラム教育に悪影響があるかもとちょっと心配してます。
> 例えば、ある整数があって、それを3で割る。その後の処理で3で割りきれる場合と、割り切れない場合で場合分けすべきであるは、余りが1、2で場合分けすべきであるかをすぐに判断できるかは、それなりのトレーニングを積んでいないと出来ないと思うからです。
それを例として出すなら、小学校で十分に学ぶから中学校ではプログラミングへ進んでよい、と言う事になりますね。
それなりのトレーニングの題材として、プログラミングは有用な方法だと思われます。無味乾燥で人工的な練習問題解くよりも、よほど実用的な問題で経験を積めるわけですから。
注意力が足りないか、単に面倒くさがりなだけかもしれません。
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※ただしPHPを除く -- あるAdmin
中学校では早すぎる (スコア:2)
私の記憶では、数学で「場合分け」が出てくるのは、高校からだと思う。
プログラミングは、場合分けのやりつづけるみたいなところがあるわけで、それが身についていないと結局何をやっているのかわからないまま無駄な時間を過ごすだけだ。
Re:中学校では早すぎる (スコア:2)
出るであろう意見に対する反論です。
まず、数学における場合分けを習ってからやった方が良い理由は、プログラミングレベルでそれが使えるくらい身につけようと思うと、それが一般にはかなりトレーニングが必要であるからです。
例えば、ある整数があって、それを3で割る。その後の処理で3で割りきれる場合と、割り切れない場合で場合分けすべきであるは、余りが1、2で場合分けすべきであるかをすぐに判断できるかは、それなりのトレーニングを積んでいないと出来ないと思うからです。
そのトレーニングは、数学の問題を多く解くことでつまれるものであると考えます。
もちろん、それが中学から出来る子はいるのは承知していますが、そういう子は自分で学べば良いわけで、むしろ授業でやるレベルは苦痛になるやもしれません。
#まあ、大人のプログラマでも、「おめぇ、高校の時に場合分けのトレーニングしてこなかったろう」と思う奴は少なくないですけどね。
Re:中学校では早すぎる (スコア:2)
>そのトレーニングは、数学の問題を多く解くことでつまれるものであると考えます。
それほどのもんでもないと思いますが
>むしろ授業でやるレベルは苦痛になるやもしれません。
できる子にとっては授業はレベルが低すぎてつまらず、合わない子にとっては苦痛になるという
ことはあるかもしんない。
学習指導要領で必修とされてない科目なので、課外授業的なものになると思いますが
成績評定には含めないとか、あわないと思う人は別の科目を選択できるようにするとか、
できる子はどんどん勝手にいろいろ作っちゃっていい、というような風にしないと、できる人できない人
両方にとって、つまらず苦痛しか残らないという最悪な状況になる可能性は結構あるか。
でもプログラムを書かないと何もできないに等しかった昔のコンピュータと違って、
いまはPC買ってもらっても、プログラミングという世界があることに気づかない状況、
なんで、PCにはプログラミングという楽しい世界があるんだよ~、というのを誰かが早いうちに
見せてあげることには意味がある気がしますけど。
コードが書ける親や友人に恵まれてればいらないことではありますね。
Re:中学校では早すぎる (スコア:1)
> プログラミングという楽しい世界があるんだよ~、というのを誰かが早いうちに
> 見せてあげることには意味がある気がしますけど。
それは、合意するのですが、授業でやるより、課外でよいと思うのです。そして、プログラミングを楽しむためには、より数学が必要であり、数学は楽しい世界であることを授業でやるべきなのです。
Re: (スコア:0)
同じように楽しいことを教えているのに、なんで両者に違いがあるの?
Re:中学校では早すぎる (スコア:1)
数学は数学、プログラムはプログラムだと思いますがね。
プログラムを作っていると、アルゴリズム等の数学的考え方が必要な場合もあれば、ベクトルの座標変換の数式が必要な場合もありますが、それぞれ十分に習得してなくても、十分にプログラムは書けると思います。
プログラムを学ぶに当たって、何かの学問の知識を必要とするのではなくて、プログラムはプログラムで新しい言語、新しい学問という立ち位置の方がしっくりくる。
無論、プログラムにおいても、数学と同じく、様々な段階を経て、考え方・方法論に慣れるというステップは必要ですので、やたらに子供の頃から高度なステップを教えて意味があるのかどうかは疑問ですが。
その意味では、数学という学問はやたらに古いので、小学生で学ぶこと、中学生で学ぶことと段階を経て考える力を身につける方法論がそれなりにできあがっているので教育という意味では安心感はあります。
それに対して、プログラムはそういう小学生向けのプログラム教育、中学生向けのプログラム教育のような段階を経て学ぶような教育方法がおそらくまだどこにも存在してない。プログラムはこう学ぶべきだ!という方法論と、初等教育と中等教育でどの段階でどれをどのように学ばせるべきか?という論法は異なると思います。
その意味では、数学を学んでからという意見は実にごもっとです。数学的考え方がある程度あれば、プログラムの初等的な教育はある意味できているとしても良いかと言う気もします。基礎教育としての数学の重要性は最たるものかと思います。
・・・ただ、小学生を終えれば中学生になれば、個人的には、プログラム教育は十分に可能だとは思います。無論、先に述べたように問題は教育方法も含めて、方法論が一切確立されてない点かと思います。
(教える側の教える方法論の習得も含めて)現場と教えられる側(生徒の側)はノウハウが蓄積されるまで酷いことになりそうだなと思います。ノウハウが確立される前に終わりそうで、逆に長期的に見てプログラム教育に悪影響があるかもとちょっと心配してます。
それなりのトレーニング (スコア:0)
> 例えば、ある整数があって、それを3で割る。その後の処理で3で割りきれる場合と、割り切れない場合で場合分けすべきであるは、余りが1、2で場合分けすべきであるかをすぐに判断できるかは、それなりのトレーニングを積んでいないと出来ないと思うからです。
それを例として出すなら、小学校で十分に学ぶから中学校ではプログラミングへ進んでよい、と言う事になりますね。
Re: (スコア:0)
例えば、ある整数があって、それを3で割る。その後の処理で3で割りきれる場合と、割り切れない場合で場合分けすべきであるは、余りが1、2で場合分けすべきであるかをすぐに判断できるかは、それなりのトレーニングを積んでいないと出来ないと思うからです。
それなりのトレーニングの題材として、プログラミングは有用な方法だと思われます。
無味乾燥で人工的な練習問題解くよりも、よほど実用的な問題で経験を積めるわけですから。
#まあ、大人のプログラマでも、「おめぇ、高校の時に場合分けのトレーニングしてこなかったろう」と思う奴は少なくないですけどね。
注意力が足りないか、単に面倒くさがりなだけかもしれません。