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この論文,一度日記で取り上げようかと試みたんですが,まじめに解説してたら「温度とは何か?」の部分だけでとんでもない長さになったんで断念.温度って,とても身近な物理量のくせに物理的にきちんと説明しようとすると面倒なんですよね……
そんなわけで多少厳密さを省きながら,ポイントだけ列記.
1. 温度とは何か?温度って何?って話は実はとても面倒くさい話になります.(ですのである程度は 前野先生のページ [nifty.com]あたりにぶん投げちゃいます)いろいろな表現のしかたはあるのですが,「温度」というのは「エネルギーの分配のしかた」だと思ってください.ここで
続きです.
4. じゃあ,今回の実験は何が新しいの?反転分布と負の温度は既知の現象です.では今回の話の何が新しいのかというと,それを運動の自由度方向で実現した,と言う点です.またまたやっかいな話になるのですが,実は温度というのは異なる自由度ごとに分離して異なる値をとることが可能です.例えばガスで,並進の温度は非常に高い(分子の飛んでいく速度の分布は幅を持っていて温度が高い)けど,振動温度は非常に低い(分子内の振動はほとんど励起されていなくて,ほぼ全てが最低振動状態にある)などです.これまでに作られた多くの反転分布は,原子や分子の内部励起を用いていて,電子励起だけに注目した場合の温度が負,とかそういう感じになります.例えば分子の集団を持ってきたとき,その各分子中の電子は高い準位にいる確率が非常に高い,とかです.こういう状態が作りやすいのは,内部励起状態が非常に離散的で,実質的に上の順位が無視できたりするためです.例えば一番下の2つの準位だけ見ると,上の方に分布している数が多い,とかそんな感じです.真の意味での負の温度だともっと上の状態はもっと多く占有されていないといけないのですが,「準位間のエネルギー差が大きくてずっと離れているから,まあ上の準位は今のところは見なかったことにしよう」と下の準位だけに注目して「負の温度」としているわけです.
ところが「粒子の運動(並進運動)」の方で負の温度を実現しようとすると,なかなかやっかいな状況が判明します.何度か述べた通り,負の温度(反転分布)ではエネルギーの高い状態の方がより多く占有されています.ところが困ったことに,「運動」というのは準位の離散化が小さく,準位間の間隔が非常に接近しているのです.そのため「上の準位は無視して~」と言うことが言えません.じゃあ目に付く全準位で反転分布にすれば良いじゃないか,というと,今度は「上の準位ほど占有確率が高い」という負温度の条件が襲いかかってきます.速度は速ければ速いほどエネルギーが高く,しかもエネルギーの上限は事実上ありません.この状況で,「上の準位を無視せずに負温度を実現しよう」と思い「エネルギーの高い順位ほど確率を上げて……」とやると,占有確率が上の方で発散していきます.つまりほぼ全粒子が無限大のエネルギーを持つ,と言うような無茶な状況が要求されてしまうわけです.
5. では今回はそれをどうやって実現したのか?そこで今回,著者らは運動のエネルギーに上限を作りました.どうやったのかというと,格子を組ませてバンドを作ったのです.電子で考えてみましょう.電子は結晶のような周期的なポテンシャルの存在下では,「バンド」と呼ばれる(ほぼ)連続的な状態をとります.価電子帯,伝導帯とか言って,金属と絶縁体を分けているもとになるあれです.バンド構造もよく見ればギャップを挟んでさらに上のバンド,そのまた上のバンド……と無限に続いていくのですが,ギャップに隔てられた1つのバンドだけを見ればエネルギーに上限が作られています.これはレーザーなどで使う反転分布(負の温度)において,「本当はもっと上の準位もあるんだけど,エネルギー差が大きいからそこは無視して2つの準位だけで負温度と呼ぶ」と言うのと似た状況です.使ったのは電子ではなく39K原子ですが,原子であっても周期ポテンシャル中にうまいこと閉じ込めれば波動として全体に非局在化したような状態となり,バンドを組みます.ただしこいつが電子と異なるのは,電子がフェルミオン(1つの状態には1粒子しか詰まれない椅子取りゲーム)なのに対し,39Kはボソン(1つの状態に何個でも詰めこめる)だと言う点です.このため,39Kはバンドの底を全粒子が占めた様な分布を作ります(電子だと,席が埋まってしまうのでどんどんバンドの上の方まで詰まる必要がある).さてこの39Kを閉じ込めているポテンシャル,レーザーによって作られています.最初に作るポテンシャルは「格子点の位置でエネルギーが高くて,その中間でエネルギーが低い」と言うようなポテンシャルにしておきます.これは結晶中の電子(格子点の位置でエネルギーが低い)とは反対ですね.すると39K粒子にとっては「格子点を避け,ちょっと離れた部分を移動しているような分布」がエネルギーが低くなり,そういう状態をみんなで占めているわけです.そういった分布が実現した後に,レーザーをちょっといじってやってポテンシャルの形状を反対にひっくり返します.つまり「格子点の位置でエネルギーが低くて,離れた位置でエネルギーが高い」です.39K粒子の運動はレーザーの変調よりも遙かに遅いので追随できず,バンドの底に居た39Kは気がついた時には突然バンドの頂点に押し上げられていることになります.つまりこの39Kは,「バンド構造」において高い順位ばかりを選択的に占めている,と言う状況=運動量空間における反転分布(=負の温度)に叩き込まれたわけです.
なおこうして作成された「運動量空間における反転分布」は迅速に崩壊して「まっうな」分布に戻っていくため,寿命は数十ミリ秒程度となっています.
*実際には同時に,39K原子間の相互作用も斥力から引力になるような変調をかける.反発が勝つ状況だと,「近づけば近づくほどエネルギーが高い」というようにエネルギーの上限がなくなってしまい,反転分布が作れなくなるため引力であることが必須になる.
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皆さんもソースを読むときに、行と行の間を読むような気持ちで見てほしい -- あるハッカー
雑記その1 (スコア:5, 参考になる)
この論文,一度日記で取り上げようかと試みたんですが,まじめに解説してたら「温度とは何か?」の部分だけでとんでもない長さになったんで断念.温度って,とても身近な物理量のくせに物理的にきちんと説明しようとすると面倒なんですよね……
そんなわけで多少厳密さを省きながら,ポイントだけ列記.
1. 温度とは何か?
温度って何?って話は実はとても面倒くさい話になります.
(ですのである程度は 前野先生のページ [nifty.com]あたりにぶん投げちゃいます)
いろいろな表現のしかたはあるのですが,「温度」というのは「エネルギーの分配のしかた」だと思ってください.ここで
Re:雑記その1 (スコア:5, 参考になる)
続きです.
4. じゃあ,今回の実験は何が新しいの?
反転分布と負の温度は既知の現象です.では今回の話の何が新しいのかというと,それを運動の自由度方向で実現した,と言う点です.
またまたやっかいな話になるのですが,実は温度というのは異なる自由度ごとに分離して異なる値をとることが可能です.例えばガスで,並進の温度は非常に高い(分子の飛んでいく速度の分布は幅を持っていて温度が高い)けど,振動温度は非常に低い(分子内の振動はほとんど励起されていなくて,ほぼ全てが最低振動状態にある)などです.これまでに作られた多くの反転分布は,原子や分子の内部励起を用いていて,電子励起だけに注目した場合の温度が負,とかそういう感じになります.例えば分子の集団を持ってきたとき,その各分子中の電子は高い準位にいる確率が非常に高い,とかです.こういう状態が作りやすいのは,内部励起状態が非常に離散的で,実質的に上の順位が無視できたりするためです.例えば一番下の2つの準位だけ見ると,上の方に分布している数が多い,とかそんな感じです.真の意味での負の温度だともっと上の状態はもっと多く占有されていないといけないのですが,「準位間のエネルギー差が大きくてずっと離れているから,まあ上の準位は今のところは見なかったことにしよう」と下の準位だけに注目して「負の温度」としているわけです.
ところが「粒子の運動(並進運動)」の方で負の温度を実現しようとすると,なかなかやっかいな状況が判明します.何度か述べた通り,負の温度(反転分布)ではエネルギーの高い状態の方がより多く占有されています.ところが困ったことに,「運動」というのは準位の離散化が小さく,準位間の間隔が非常に接近しているのです.そのため「上の準位は無視して~」と言うことが言えません.
じゃあ目に付く全準位で反転分布にすれば良いじゃないか,というと,今度は「上の準位ほど占有確率が高い」という負温度の条件が襲いかかってきます.速度は速ければ速いほどエネルギーが高く,しかもエネルギーの上限は事実上ありません.この状況で,「上の準位を無視せずに負温度を実現しよう」と思い「エネルギーの高い順位ほど確率を上げて……」とやると,占有確率が上の方で発散していきます.つまりほぼ全粒子が無限大のエネルギーを持つ,と言うような無茶な状況が要求されてしまうわけです.
5. では今回はそれをどうやって実現したのか?
そこで今回,著者らは運動のエネルギーに上限を作りました.どうやったのかというと,格子を組ませてバンドを作ったのです.
電子で考えてみましょう.電子は結晶のような周期的なポテンシャルの存在下では,「バンド」と呼ばれる(ほぼ)連続的な状態をとります.価電子帯,伝導帯とか言って,金属と絶縁体を分けているもとになるあれです.バンド構造もよく見ればギャップを挟んでさらに上のバンド,そのまた上のバンド……と無限に続いていくのですが,ギャップに隔てられた1つのバンドだけを見ればエネルギーに上限が作られています.これはレーザーなどで使う反転分布(負の温度)において,「本当はもっと上の準位もあるんだけど,エネルギー差が大きいからそこは無視して2つの準位だけで負温度と呼ぶ」と言うのと似た状況です.
使ったのは電子ではなく39K原子ですが,原子であっても周期ポテンシャル中にうまいこと閉じ込めれば波動として全体に非局在化したような状態となり,バンドを組みます.ただしこいつが電子と異なるのは,電子がフェルミオン(1つの状態には1粒子しか詰まれない椅子取りゲーム)なのに対し,39Kはボソン(1つの状態に何個でも詰めこめる)だと言う点です.このため,39Kはバンドの底を全粒子が占めた様な分布を作ります(電子だと,席が埋まってしまうのでどんどんバンドの上の方まで詰まる必要がある).
さてこの39Kを閉じ込めているポテンシャル,レーザーによって作られています.最初に作るポテンシャルは「格子点の位置でエネルギーが高くて,その中間でエネルギーが低い」と言うようなポテンシャルにしておきます.これは結晶中の電子(格子点の位置でエネルギーが低い)とは反対ですね.すると39K粒子にとっては「格子点を避け,ちょっと離れた部分を移動しているような分布」がエネルギーが低くなり,そういう状態をみんなで占めているわけです.
そういった分布が実現した後に,レーザーをちょっといじってやってポテンシャルの形状を反対にひっくり返します.つまり「格子点の位置でエネルギーが低くて,離れた位置でエネルギーが高い」です.39K粒子の運動はレーザーの変調よりも遙かに遅いので追随できず,バンドの底に居た39Kは気がついた時には突然バンドの頂点に押し上げられていることになります.つまりこの39Kは,「バンド構造」において高い順位ばかりを選択的に占めている,と言う状況=運動量空間における反転分布(=負の温度)に叩き込まれたわけです.
なおこうして作成された「運動量空間における反転分布」は迅速に崩壊して「まっうな」分布に戻っていくため,寿命は数十ミリ秒程度となっています.
*実際には同時に,39K原子間の相互作用も斥力から引力になるような変調をかける.反発が勝つ状況だと,「近づけば近づくほどエネルギーが高い」というようにエネルギーの上限がなくなってしまい,反転分布が作れなくなるため引力であることが必須になる.