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エストニア、数学教育でコンピュータの使用を前提としたカリキュラムを取り入れる」記事へのコメント

  • >「携帯電話に保険をかけるべきか」「自分の寿命は」「美しい形の条件とは」

    こんな例を示されながら筆算ベースで議論が進んでいるところに、日本の教育を感じてしまったり。

    個人的には、リスクの割り出し方とか、人生設計は大げさとしてもリリース日から逆算してスケジュールを立てるときのコツとか、フィボナッチのようなデザイン基礎と、その応用の仕方とかを数学の観点から教えてもらえるっつーことに興奮する。

    大人になって「あの時、これを知っていたら勉強したのに・・・」と悔やむ経験は数学的なものが多い気がする。

    • by Anonymous Coward on 2013年02月15日 17時08分 (#2326076)

      うーんと。
      少し手を伸ばせば幾らでも手に入るものと、研鑽を積まなければ養われない物がある。
      あなたの興奮しているものは前者で、筆算や暗算「力」は後者である。
      後者の力があれば よりリアルに 前者のすばらしさを味わえる、ということを
      信じこまされているのが 日本の教育の限界、といいたいのかな。
      そうかもしれないね。
      火力発電の健康被害リスクが 原子力発電のそれよりも はるかに・・・というような
      議論ができない現状から考えると たしかにそうかもしれない。

      親コメント
      • by Anonymous Coward

        >少し手を伸ばせばいくらでも手に入る

        そう思っちゃんだろうな。
        個人的には、数学が応用できる場面に「気づく」ことも技術であり経験だと思うんだ。
        たくさんの応用方法を知っていることもまた力なんじゃないかと。というか現実ではそっちのほうがね・・・

ハッカーとクラッカーの違い。大してないと思います -- あるアレゲ

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