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こういった話は前からあって原発事故のしばらく後に出た日経サイエンスにもカラーグラフ付きで死者数は化石燃料を使った発電のほうがずっと多い的な記事が出てましたよ。反論としては、核燃料の採掘から精製などの工程でも被害者が出ているのでは、というのがありますが、そういうのを入れても化石燃料に関わる死亡者数よりは恐らく少ないでしょう。
もともと潤沢なエネルギーを使って贅沢な文明生活を営むためには、誰かが危険を背負い込まなければならないのだけれども、化石燃料の場合は炭鉱労働者であるとか、発電所で働いてる人とか限られた人が被害に合うのに対して、原発はひとたび事故を起こすと、贅沢な文明生活を営んでいる自分たちに被害が及びかねないというのが決定的な違いですね。だから反対すると。
要は自分らに関係ない人間が死んでいるぶんには関係ない、快適な暮らしが享受できればそれでいいという実にエゴイスティックな構図なんですわ。そういう非常に汚らしいエゴを自覚せずに、反原発だとかキレイ事を言ってる人が実に多いんですね残念ながら。
どちらの立場に立っているかだけで、糞を投げ合ってるのはお互いでしょうよ。仮定を替えれば簡単にひっくり返る話を延々としても仕方が無いですが、一つだけ言える事がありますね。
自分は自分で守らねばならない。それを利己的であると批判された所で、自分の身を守るための行動をやめるわけには行きませんよね。身を守るという行為はすでに利己的ですから。
他国の誰かが死ぬのと、自分、あるいは身近な誰かが死ぬのを較べたとき他国の誰かの命を守ることを優先せよってのはそりゃあ理想としては良いかも知れませんが、そんなもん狂ってる。世界中の全員が、
エゴで目が眩んで考えが及ばないのか知りませんが快適で贅沢な暮らしを制限すれば、エネルギーの消費量は減り人命が失われるリスクも減らせるんですがね。
この話をすると突き詰めると「環境経済学」になるんですけど、以下を読んでみるとどうですか?
第2回 「環境にやさしい」は、めぐりめぐって自分の損になる http://archive.wiredvision.co.jp/blog/kojima/200705/200705290056.html [wiredvision.co.jp] 前回は、「環境問題を解決しようとすると、それがめぐりめぐって、自分たちに不幸をもたらすかもしれない」、そういうことを書いた。今回は、それがどうしてか、経済学の立場から解説しよう。その理由はとてもシンプルなことだ。一言でいうなら、「経済というのは、究極的には物々交換であって、自分が誰かの生産物を必要としないなら、自分の生産物も必
第2回 「環境にやさしい」は、めぐりめぐって自分の損になる http://archive.wiredvision.co.jp/blog/kojima/200705/200705290056.html [wiredvision.co.jp]
前回は、「環境問題を解決しようとすると、それがめぐりめぐって、自分たちに不幸をもたらすかもしれない」、そういうことを書いた。今回は、それがどうしてか、経済学の立場から解説しよう。その理由はとてもシンプルなことだ。一言でいうなら、「経済というのは、究極的には物々交換であって、自分が誰かの生産物を必要としないなら、自分の生産物も必
少なくとも、環境対策が「損になる」と断定形で書かれたタイトルは不適切ですね。そのような断定ができるほどの信頼性が確認できる論拠は、何も示されていません。また記事末尾を見ると、筆者自身の意図からも外れているように見受けられます。
環境問題対策が経済にどのような影響を与えるかについては、大規模なシミュレーションが種々行われています。たしかに無茶なことをすれば、経済なんていくらでもガタガタになり得ます。でも適切なペースで根気よく社会を変化させていけば、そんなひどいことにはなりにくいし、むしろ利益をもたらすだろうと見積もられています。・日本での検討例 [challenge25.go.jp] ・欧州での検討例 [europa.eu](もっと新しいのが最近発表されてた気がするけど、詳細失念)
また実例を挙げれば、・欧州では一次エネルギー使用 [europa.eu]
そのあたり、山形浩生氏を巻き込んでの大論争になった部分で。http://archive.wiredvision.co.jp/blog/kojima/200708/200708281000.html [wiredvision.co.jp]http://bizmakoto.jp/makoto/articles/0807/04/news138.html [bizmakoto.jp]http://cruel.org/cyzo/cyzo200311.html [cruel.org]
エネルギー削減と経済成長を両立できればパーフェクト、みんなハッピーだけど、もしうまくいかなかったら経済成長を捨てた分だけ貧困削減も未達になっている訳で。
経済成長による貧困削減によって救われる貧しい命、というのもあるんじゃないの? という。
転向したロンボルグ [srad.jp]を論拠にしている時点で、顧みる価値は殆どないかと。
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犯人は巨人ファンでA型で眼鏡をかけている -- あるハッカー
他人が死ぬことに対する痛みはないんでしょう (スコア:5, すばらしい洞察)
こういった話は前からあって原発事故のしばらく後に出た日経サイエンスにも
カラーグラフ付きで死者数は化石燃料を使った発電のほうがずっと多い的な記事が出てましたよ。
反論としては、核燃料の採掘から精製などの工程でも被害者が出ているのでは、というのが
ありますが、そういうのを入れても化石燃料に関わる死亡者数よりは恐らく少ないでしょう。
もともと潤沢なエネルギーを使って贅沢な文明生活を営むためには、誰かが危険を背負い込まなければ
ならないのだけれども、化石燃料の場合は炭鉱労働者であるとか、発電所で働いてる人とか
限られた人が被害に合うのに対して、原発はひとたび事故を起こすと、贅沢な文明生活を営んでいる
自分たちに被害が及びかねないというのが決定的な違いですね。だから反対すると。
要は自分らに関係ない人間が死んでいるぶんには関係ない、快適な暮らしが享受できればそれでいいという
実にエゴイスティックな構図なんですわ。
そういう非常に汚らしいエゴを自覚せずに、反原発だとかキレイ事を言ってる人が実に多いんですね残念ながら。
Re: (スコア:0)
どちらの立場に立っているかだけで、糞を投げ合ってるのはお互いでしょうよ。
仮定を替えれば簡単にひっくり返る話を延々としても仕方が無いですが、一つだけ言える事がありますね。
自分は自分で守らねばならない。
それを利己的であると批判された所で、自分の身を守るための行動をやめるわけには行きませんよね。
身を守るという行為はすでに利己的ですから。
他国の誰かが死ぬのと、自分、あるいは身近な誰かが死ぬのを較べたとき他国の誰かの命を守ることを優先せよってのはそりゃあ理想としては良いかも知れませんが、そんなもん狂ってる。世界中の全員が、
Re: (スコア:2)
エゴで目が眩んで考えが及ばないのか知りませんが
快適で贅沢な暮らしを制限すれば、エネルギーの消費量は減り
人命が失われるリスクも減らせるんですがね。
Re: (スコア:0, 参考になる)
この話をすると突き詰めると「環境経済学」になるんですけど、以下を読んでみるとどうですか?
調査不足では (スコア:3)
少なくとも、環境対策が「損になる」と断定形で書かれたタイトルは不適切ですね。
そのような断定ができるほどの信頼性が確認できる論拠は、何も示されていません。また記事末尾を見ると、筆者自身の意図からも外れているように見受けられます。
環境問題対策が経済にどのような影響を与えるかについては、大規模なシミュレーションが種々行われています。
たしかに無茶なことをすれば、経済なんていくらでもガタガタになり得ます。でも適切なペースで根気よく社会を変化させていけば、そんなひどいことにはなりにくいし、むしろ利益をもたらすだろうと見積もられています。
・日本での検討例 [challenge25.go.jp]
・欧州での検討例 [europa.eu](もっと新しいのが最近発表されてた気がするけど、詳細失念)
また実例を挙げれば、
・欧州では一次エネルギー使用 [europa.eu]
Re:調査不足では (スコア:1)
そのあたり、山形浩生氏を巻き込んでの大論争になった部分で。
http://archive.wiredvision.co.jp/blog/kojima/200708/200708281000.html [wiredvision.co.jp]
http://bizmakoto.jp/makoto/articles/0807/04/news138.html [bizmakoto.jp]
http://cruel.org/cyzo/cyzo200311.html [cruel.org]
エネルギー削減と経済成長を両立できればパーフェクト、みんなハッピーだけど、
もしうまくいかなかったら経済成長を捨てた分だけ貧困削減も未達になっている訳で。
経済成長による貧困削減によって救われる貧しい命、というのもあるんじゃないの? という。
Re:調査不足では (スコア:2)
転向したロンボルグ [srad.jp]を論拠にしている時点で、顧みる価値は殆どないかと。