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映画現場で口伝されている格言に「雨の日に雨を撮るバカは居ない、夜間に夜を撮る間抜けはいない」という言葉があるそうです、ガンマと露出(トーン)がいじれれば撮影されてる時間などいくらでも偽装できます。もし報道写真の報道性を本当に守る気があるのなら、「業界で受け入れられている規格に従う加筆は許可されているいう」などというさじ加減ではなく、主観が介在していないという(報道の原則)ことをしっかり徹底したほうがいいのではないでしょうか。
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日々是ハック也 -- あるハードコアバイナリアン
写真かそれとも報道写真か (スコア:1)
映画現場で口伝されている格言に「雨の日に雨を撮るバカは居ない、夜間に夜を撮る間抜けはいない」という言葉があるそうです、
ガンマと露出(トーン)がいじれれば撮影されてる時間などいくらでも偽装できます。
もし報道写真の報道性を本当に守る気があるのなら、
「業界で受け入れられている規格に従う加筆は許可されているいう」などというさじ加減ではなく、
主観が介在していないという(報道の原則)ことをしっかり徹底したほうがいいのではないでしょうか。
Re:写真かそれとも報道写真か (スコア:2)
でも、報道写真大賞に選ばれるような作品って、必ず、撮影者の主張がびりびり伝わってくるようなものですよね。
写真そのものとしては、あくまで客観的な視点で撮影したという建前が主張できる必要があり、 それが撮られたコンテキスト込みで考えると、撮影者の意図が鮮烈に写し込まれている、というようなものが理想なのかな。
突き詰めると、写真としての善し悪し、加工されているかどうか等は本当はどうでもよくて、その写真が社会に与えたインパクトでのみ評価すべき・・・とか。 そうすると、報道写真大賞じゃなくて、報道大賞になっちゃうのか。微妙。