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この前、大学の先生と飲む機会がありましたが、その先生は「3,4回生こそ教養科目をとるべきだ」と自説を述べておられました。「1,2回生の教養科目だと、そこで終わりだから」と。なるほどなと思いました。理系文系問わず、勉強は一生するものだと思う私は、同感しました。
教養部の授業って、ただ教科書をなぞるだけなのばっかりでした。これでは、いくらやっても肝心のソウルは伝わらないと思います。
むしろ、左翼にかぶれた講師の授業のほうがソウルフルであり、伝わるものがありました。講師の資質(ソウル)の方が重要な気がします。
高校の物理の教師がソウルフルに君が代反対を唱えてました。授業しろっての。
先生の言ってることって、学生が(就職と単位取得のため以外の勉強を)やる気があれば、できるんですよね。
それをやる暇がない現状を変える方こそを、大人がしてやらなきゃならないのでは。大人だって忙しくて暇がない?では学生を云々言う義理はないでしょう。
大学生の時は、大学生って暇だなーと思ってたが、今の大学生は違うのか?ただ学科の範囲外の授業も聴きたいと思ってたのに何も出来なかったから、暇の問題じゃなく大学のシステムに問題があったとは思う。
大学生の時は、文系の学生って暇なんだなーと思ってました。
理系だけど、暇だと思ってた。工学部は忙しいとは聞いたな。
出身大学(工学系)は、3〜4年次の間にゼミナール形式の人文社会学系科目がありましたね。(記憶が確かなら2コマ4単位必要だった)卒業してだいぶ経っていますが、今もあるっぽい。
部門名が「人文科目って社会に出ると学べる機会がなかなかないのよね」となっていますが教養科目というレベルなら、大抵の学問は大学生でなくなっても学べると思います。
もし大学生の間にというなら、本物の研究施設やちゃんとした指導者が無いと体験が難しいような理系の学問で専攻以外の分野をしばらく学べると後々役立つこともあるかと。
まあ、何の役に立つのかその時には理解できないような専門外の学問を、社会人になって本当に忙しくなる前に勉強しておけということでしょうけど。
わかりませんでした。「そこで終わり」とは、そこで勉強することをやめるという意味でしょうか。それを2年ずらすことで止めなくなる理由はなさそうに思います。皮肉とかでなくて意味がわからなくてもやもやしているので、ぜひ説明してほしいです
>「そこで終わり」とは、そこで勉強することをやめるという意味でしょうか。その通りです。
あとは、発言した先生本人ではないので、正確には説明できないのですが、私の理解した範囲で説明します。先生は、「教育・学問のタコツボ化」を危惧されていました。専門化しすぎて、「隣は何をする人や」状態になってはいけない。現在の教養教育は、主に1,2回生で終わってしまっているのが、一つの原因ではないか?逆に、3,4回生から教養教育を始めた方が、タコツボ化を防ぐ手段になるのでは?というアイデアだと思います。もちろん、新入生から卒業まで、教養教育を受けるのが望ましいと思います。2年ずらすことの意味は、専門教育と教養教育との相乗効果を狙った意味もあるのかなと思います。(教養の)勉強をやめてしまう方は、どんな教育システムでもいるので、それはしかたがないと思います。
タコツボ結構。それを専門にする人はそうでなきゃ。
その人が専門以外の勉強をしているかどうかはその人の人間的魅力には影響するだろうけど、その人の専門的能力には影響しない。逆に、そうでないならそんなものは専門的分野じゃないんだよ。
その人の専門的能力には影響しない。
理論物理学者の湯川秀樹の場合はあてはまらないような。影響しないとは必ずしも言い切れないでしょう。漢学が家業みたいな一家の生まれ育ちだから専門が2本立てといって良いくらい。だから彼を引き合いに出すのはずるといわれればそれまでですが。
科学革命を起こす人はタコツボに頭を突っ込んでいない人だとクーンが言ってた。
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日々是ハック也 -- あるハードコアバイナリアン
3,4回生こそ教養科目を (スコア:1)
この前、大学の先生と飲む機会がありましたが、
その先生は「3,4回生こそ教養科目をとるべきだ」と
自説を述べておられました。
「1,2回生の教養科目だと、そこで終わりだから」と。
なるほどなと思いました。
理系文系問わず、勉強は一生するものだと
思う私は、同感しました。
Re:3,4回生こそ教養科目を (スコア:1)
教養部の授業って、ただ教科書をなぞるだけなのばっかりでした。これでは、いくらやっても肝心のソウルは伝わらないと思います。
むしろ、左翼にかぶれた講師の授業のほうがソウルフルであり、伝わるものがありました。講師の資質(ソウル)の方が重要な気がします。
Re: (スコア:0)
高校の物理の教師がソウルフルに君が代反対を唱えてました。授業しろっての。
Re: (スコア:0)
先生の言ってることって、
学生が(就職と単位取得のため以外の勉強を)やる気があれば、できるんですよね。
それをやる暇がない現状を変える方こそを、大人がしてやらなきゃならないのでは。
大人だって忙しくて暇がない?では学生を云々言う義理はないでしょう。
Re:3,4回生こそ教養科目を (スコア:1)
大学生の時は、大学生って暇だなーと思ってたが、今の大学生は違うのか?
ただ学科の範囲外の授業も聴きたいと思ってたのに何も出来なかったから、暇の問題じゃなく大学のシステムに問題があったとは思う。
the.ACount
Re: (スコア:0)
大学生の時は、文系の学生って暇なんだなーと思ってました。
Re:3,4回生こそ教養科目を (スコア:1)
理系だけど、暇だと思ってた。
工学部は忙しいとは聞いたな。
the.ACount
Re: (スコア:0)
出身大学(工学系)は、3〜4年次の間にゼミナール形式の人文社会学系科目がありましたね。
(記憶が確かなら2コマ4単位必要だった)
卒業してだいぶ経っていますが、今もあるっぽい。
Re: (スコア:0)
部門名が「人文科目って社会に出ると学べる機会がなかなかないのよね」となっていますが
教養科目というレベルなら、大抵の学問は大学生でなくなっても学べると思います。
もし大学生の間にというなら、本物の研究施設やちゃんとした指導者が無いと体験が難しいような
理系の学問で専攻以外の分野をしばらく学べると後々役立つこともあるかと。
まあ、何の役に立つのかその時には理解できないような専門外の学問を、社会人になって本当に
忙しくなる前に勉強しておけということでしょうけど。
Re: (スコア:0)
わかりませんでした。
「そこで終わり」とは、そこで勉強することをやめるという意味でしょうか。
それを2年ずらすことで止めなくなる理由はなさそうに思います。
皮肉とかでなくて意味がわからなくてもやもやしているので、ぜひ説明してほしいです
Re:3,4回生こそ教養科目を (スコア:1)
>「そこで終わり」とは、そこで勉強することをやめるという意味でしょうか。
その通りです。
あとは、発言した先生本人ではないので、正確には説明できないのですが、私の理解した範囲で説明します。
先生は、「教育・学問のタコツボ化」を危惧されていました。専門化しすぎて、「隣は何をする人や」状態になってはいけない。現在の教養教育は、主に1,2回生で終わってしまっているのが、一つの原因ではないか?
逆に、3,4回生から教養教育を始めた方が、タコツボ化を防ぐ手段になるのでは?というアイデアだと思います。
もちろん、新入生から卒業まで、教養教育を受けるのが望ましいと思います。
2年ずらすことの意味は、専門教育と教養教育との相乗効果を狙った意味もあるのかなと思います。
(教養の)勉強をやめてしまう方は、どんな教育システムでもいるので、それはしかたがないと思います。
Re: (スコア:0)
タコツボ結構。それを専門にする人はそうでなきゃ。
その人が専門以外の勉強をしているかどうかはその人の人間的魅力には影響するだろうけど、
その人の専門的能力には影響しない。逆に、そうでないならそんなものは専門的分野じゃないんだよ。
Re:3,4回生こそ教養科目を (スコア:1)
その人の専門的能力には影響しない。
理論物理学者の湯川秀樹の場合はあてはまらないような。
影響しないとは必ずしも言い切れないでしょう。
漢学が家業みたいな一家の生まれ育ちだから専門が2本立てといって良いくらい。
だから彼を引き合いに出すのはずるといわれればそれまでですが。
Re: (スコア:0)
科学革命を起こす人はタコツボに頭を突っ込んでいない人だとクーンが言ってた。