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SFでは、同じ事を文章でどう見せるか、ってのはあまり重視されないんですかね。
大切なのはレトリックではなくトリック
同感。
例え他の部分が異なっていても、密室を使った推理小説で密室トリックが同じならパクリや二番煎じとなるのは避けられない。
二人目はパクリだが、五人ぐらいでやるとオマージュになり、十人やるとジャンルとなる。
『あれは2作目だから盗作だけど、だれか3作目、4作目をつくれば「ジャングル大帝もの」というジャンルが確立するのだ』
ゆうきまさみのはてしない物語で紹介されたとり・みきの発言。元ネタはライオンキングのジャングル大帝盗作問題(1994年)。「○○もの」の先がけ [twitter.com]としてゆうきまさみ自身も邂逅してる。
こう [srad.jp]ですか! わかりません><
例えばディストピアを描こうとして現実世界が描いてるディストピアだとわかったら書く気なくすだろうね。
「例えば」じゃなくてこの件そのもの…。
現実にユートピアを作ろうとして出来たのがディストピアなのだが、
それを陰々滅々やって進歩が無い文学分野が純文学、ノーベル文学賞の対象です。
ここでの本題は作家のモチベーションなわけで、読者がどう撮るかは無関係なんじゃないかな。
>同じ事
に含まれている範囲の問題ですがな・・・SF以外のカテゴリの小説だって同じでしょ。
むしろ、純文学だって同じ「同じ事」ってほとんど無いんじゃない?同じ要素の組み合わせでしょ。組み合わせ方まで同じ例ってないだろ。(文章だけ違って、同じ事柄の組み合わせの小説はありえない。それはパクリという)
君の言う、同じ事を文章でどう見せるか?っていう作風の例を複数挙げてみてくれ。同じ程度の例をSFを初め他の小説でも上げてみせるから。
貴方の意図には沿わないかもしれませんが、そもそも今回の件は現実と小説でメディアが違う訳で、あえて例を挙げるなら、同じ作品のメディアミックスで考えるのが適切ではないでしょうか。
たとえば、いくつか作られた「はやぶさ」映画化の件ではダメですか?小説に限定するなら海外文学の原語版、翻訳版、再翻訳版とか。
以後余談
まあ、貴方の仰りたいことは分かりますし、ある程度同意もできるんですが、多少なりと創作物を楽しむ身としては、要素の組み合わせだけってのは寂しすぎるんじゃないかと思うんですよ……
たとえば時系列の表現順序だけでも作品の出来を大きく左右するわけで、同じ要素を組み合わせた前例があったとしても、傑作は傑作たり得ると思いませんか?表現に比重を置くのは愚かな事なんでしょうか?
>いくつか作られた「はやぶさ」映画化の件ではダメですか?その例は脊髄反射でダメだと思ってしまう.....
あれは、はやぶさ視点の映画が無かったのが駄目の大本でしょう。(ジャンルすらパチもの)
「私は彼等からの逃亡に、ついに成功した。」「そう、このままでは、何れ彼らに殺されてしまうのは明白だからだ。」「私は、この広大な宇宙で自由を獲得した。・・・・・そう思っていた。」「・・・が、彼らに発見されてしまった。」「バカな、どうやって私の位置を特定したと言うのだ。」「私には想像も出来なかった。この時ほど彼らの技術に恐怖したことは無い。」 ・ ・ ・「それからも幾度と無く、自由の為の戦いを試みた。がその悉くが失敗に終わった。」「いや、彼らに再捕捉されたあの時に私の命運は尽きていたのであろう。」「私の命はもうすぐ終わる。」「もしこの通信を受信した方がいたら、私の後を追わされるモノたち伝えてほしい。」「私の屍を越えて行け、自由はこの広大な宇宙の果てにある。・・・・・と」
ジャンルの特徴もあるけど、作者の目指す方向性がそうなんでしょう。SFに文学性を取り入れるって言うと、ニューウェーブとかの運動もありました。そういう方向を目指す小説家もいて、でもサイエンスやテクノロジーを重視する小説家はもっといるってことです。
他の人も書いているが、まあジャンルとしての特性もある。SFの多くは(といっても全てでは無いが)、「現在当たり前では無いもの/ことが存在する世界」を書く。非実在の技術であるとか、未知の世界であるとか、違った物理法則であるとか、異なる社会制度とかそういうものだ(他にもいっぱいあるけど)。そういう「ちょっと違うもの」を書こうとしたのにそれが現実になっていたら、まあ書く気が失せてもしゃあない。
他の分野でもそういうのあるけどね。トリックで競うような推理小説書いてる人たち(もちろん、推理小説という分野そのものはもっと広いが)に対し、「全く同じトリックで、もっと登場人物の内面を掘り下げるとかして書くとかそういうのは重視されないの?」と言っても意味が無いのと同じ。
ジャンルとしてのSFなら「何かアイデアを用意し、それが存在することで人の認識、社会、行動などが”この現実”から変化するのかを見せること」が価値だと言っても過言ではないので、「アイデアが斬新」ではなくとも「変化を見せること」が上手であれば価値は生じます。(異論は色々あるでしょうけど、まあその辺は棚に上げて)アイデアは同じでも、短編を長編に書き直すことでさらに価値が産まれたり。
代表的なものが冷たい方程式。「一人分の燃料・空気しかない宇宙船に密航者が」という設定は山ほど使い回されており、その結末あるいは解決法も被っているケースが多々ありますが、語り口や描写の差で価値が認められたりします。
今回のケースは「現実のちょっと先にあえて挑戦するというジャンル」なので、「現実のちょっと先」が価値なわけですから、現実が先を行ったり、現実の先にコレはなさそうだ、と思えばそのアイデアはお蔵入りですよね。
そりゃそうだ、SFを好む人は「新しいもの」好きが多いんだもの。同じものを見せられるのを好まないのは当たり前。
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要素そのものではなく (スコア:0)
SFでは、同じ事を文章でどう見せるか、ってのはあまり重視されないんですかね。
Re:要素そのものではなく (スコア:2, すばらしい洞察)
大切なのはレトリックではなくトリック
Re: (スコア:0)
同感。
例え他の部分が異なっていても、
密室を使った推理小説で密室トリックが同じなら
パクリや二番煎じとなるのは避けられない。
Re:要素そのものではなく (スコア:2, すばらしい洞察)
二人目はパクリだが、五人ぐらいでやるとオマージュになり、十人やるとジャンルとなる。
Re:要素そのものではなく (スコア:1)
『あれは2作目だから盗作だけど、だれか3作目、4作目をつくれば「ジャングル大帝もの」というジャンルが確立するのだ』
ゆうきまさみのはてしない物語で紹介されたとり・みきの発言。
元ネタはライオンキングのジャングル大帝盗作問題(1994年)。
「○○もの」の先がけ [twitter.com]としてゆうきまさみ自身も邂逅してる。
Re: (スコア:0)
こう [srad.jp]ですか! わかりません><
Re: (スコア:0)
例えばディストピアを描こうとして現実世界が描いてるディストピアだとわかったら書く気なくすだろうね。
Re: (スコア:0)
「例えば」じゃなくてこの件そのもの…。
Re: (スコア:0)
現実にユートピアを作ろうとして出来たのがディストピアなのだが、
Re: (スコア:0)
SFでは、同じ事を文章でどう見せるか、ってのはあまり重視されないんですかね。
それを陰々滅々やって進歩が無い文学分野が純文学、ノーベル文学賞の対象です。
Re: (スコア:0)
ここでの本題は作家のモチベーションなわけで、読者がどう撮るかは無関係なんじゃないかな。
Re: (スコア:0)
>同じ事
に含まれている範囲の問題ですがな・・・
SF以外のカテゴリの小説だって同じでしょ。
むしろ、純文学だって同じ「同じ事」ってほとんど無いんじゃない?
同じ要素の組み合わせでしょ。
組み合わせ方まで同じ例ってないだろ。
(文章だけ違って、同じ事柄の組み合わせの小説はありえない。それはパクリという)
君の言う、同じ事を文章でどう見せるか?っていう作風の例を複数挙げてみてくれ。
同じ程度の例をSFを初め他の小説でも上げてみせるから。
Re:要素そのものではなく (スコア:2)
貴方の意図には沿わないかもしれませんが、
そもそも今回の件は現実と小説でメディアが違う訳で、
あえて例を挙げるなら、同じ作品のメディアミックスで考えるのが適切ではないでしょうか。
たとえば、いくつか作られた「はやぶさ」映画化の件ではダメですか?
小説に限定するなら海外文学の原語版、翻訳版、再翻訳版とか。
以後余談
まあ、貴方の仰りたいことは分かりますし、ある程度同意もできるんですが、
多少なりと創作物を楽しむ身としては、
要素の組み合わせだけってのは寂しすぎるんじゃないかと思うんですよ……
たとえば時系列の表現順序だけでも作品の出来を大きく左右するわけで、
同じ要素を組み合わせた前例があったとしても、傑作は傑作たり得ると思いませんか?
表現に比重を置くのは愚かな事なんでしょうか?
Re:要素そのものではなく (スコア:1)
>いくつか作られた「はやぶさ」映画化の件ではダメですか?
その例は脊髄反射でダメだと思ってしまう.....
#存在自体がホラー
Re: (スコア:0)
あれは、はやぶさ視点の映画が無かったのが駄目の大本でしょう。(ジャンルすらパチもの)
「私は彼等からの逃亡に、ついに成功した。」
「そう、このままでは、何れ彼らに殺されてしまうのは明白だからだ。」
「私は、この広大な宇宙で自由を獲得した。・・・・・そう思っていた。」
「・・・が、彼らに発見されてしまった。」
「バカな、どうやって私の位置を特定したと言うのだ。」
「私には想像も出来なかった。この時ほど彼らの技術に恐怖したことは無い。」
・
・
・
「それからも幾度と無く、自由の為の戦いを試みた。がその悉くが失敗に終わった。」
「いや、彼らに再捕捉されたあの時に私の命運は尽きていたのであろう。」
「私の命はもうすぐ終わる。」
「もしこの通信を受信した方がいたら、私の後を追わされるモノたち伝えてほしい。」
「私の屍を越えて行け、自由はこの広大な宇宙の果てにある。・・・・・と」
Re: (スコア:0)
ジャンルの特徴もあるけど、作者の目指す方向性がそうなんでしょう。
SFに文学性を取り入れるって言うと、ニューウェーブとかの運動もありました。そういう方向を目指す小説家もいて、でもサイエンスやテクノロジーを重視する小説家はもっといるってことです。
Re: (スコア:0)
他の人も書いているが、まあジャンルとしての特性もある。
SFの多くは(といっても全てでは無いが)、「現在当たり前では無いもの/ことが存在する世界」を書く。非実在の技術であるとか、未知の世界であるとか、違った物理法則であるとか、異なる社会制度とかそういうものだ(他にもいっぱいあるけど)。
そういう「ちょっと違うもの」を書こうとしたのにそれが現実になっていたら、まあ書く気が失せてもしゃあない。
他の分野でもそういうのあるけどね。トリックで競うような推理小説書いてる人たち(もちろん、推理小説という分野そのものはもっと広いが)に対し、「全く同じトリックで、もっと登場人物の内面を掘り下げるとかして書くとかそういうのは重視されないの?」と言っても意味が無いのと同じ。
Re:要素そのものではなく (スコア:1)
ジャンルとしてのSFなら
「何かアイデアを用意し、それが存在することで人の認識、社会、行動などが”この現実”から変化するのかを見せること」
が価値だと言っても過言ではないので、「アイデアが斬新」ではなくとも「変化を見せること」が上手であれば価値は生じます。
(異論は色々あるでしょうけど、まあその辺は棚に上げて)
アイデアは同じでも、短編を長編に書き直すことでさらに価値が産まれたり。
代表的なものが冷たい方程式。
「一人分の燃料・空気しかない宇宙船に密航者が」という設定は山ほど使い回されており、その結末あるいは解決法も被っているケースが多々ありますが、語り口や描写の差で価値が認められたりします。
今回のケースは「現実のちょっと先にあえて挑戦するというジャンル」なので、「現実のちょっと先」が価値なわけですから、現実が先を行ったり、現実の先にコレはなさそうだ、と思えばそのアイデアはお蔵入りですよね。
Re: (スコア:0)
SFでは、同じ事を文章でどう見せるか、ってのはあまり重視されないんですかね。
そりゃそうだ、SFを好む人は「新しいもの」好きが多いんだもの。
同じものを見せられるのを好まないのは当たり前。