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そもそも、尿の混ざった水を飲みたくないという気持ちは、科学とは関係なく、心理的なもの。
それに対して科学的ではないといって、何か反論になるのだろうか。
定量的にいえば、ものすごく薄められているし、他に同程度の汚染はあるに決まっているとは思ったが。
それとその水を飲みたいかどうかはほぼ無関係。放尿されたという知識があって、それを薄めた水が水が目の前にある。それだけの話であって、科学が関与する余地はない。
とはいえまあ裁判になれば、科学的ではないと反論はされるだろうが。訴えなければよかったのに。
同意。気分が悪い。それで十分。科学的である必要なんかない。
不動産で事故物件が安くなるのと同じだ。
基本は気分の問題だというのはそのとおりだと思うけど、あまりにも科学的に意味のない気分を認めていると際限がないです。魔女狩りの時代に生きてるんじゃないのだから、事実に基づいて気分の方を変える努力もしなきゃと思います。
不動産の事故物件は、事故物件は気分が悪いから安くなるのではなくて、事故物件は気分が悪いからと言う人が多くて売れにくいから安くなるわけです。自分の気分は(科学的ではない考えに基づいていると納得できれば)変えられる可能性があるけど、多くの客(他人)が気分が悪いと言っているというのは変えようのない客観的事実ですから。でも、だからといって自分の気分が悪いのを認めろという主張が通るかどうかは別の話。
水道の客の多くが気分が悪いのだから、水道屋はその水を捨てて、その分の費用は小便した奴に請求すればいいんじゃないかな。
借家で自殺があったら大家は遺族に賠償請求できるでしょ?
請求するのは勝手だが、回収できるかは別の問題だ。
まぁ、保険会社が負担すると踏んだからこういう行動にでたんだろう。ついでに泥サライでもしておけば費用縮減になる。
小売店やってて泥棒に入ってもらえると、保険会社負担で売れ残りの在庫まで一掃できてラッキーってのはよくある話。
借家は自由競争経済だから、自殺によって客が寄りつかなくなったり家賃を下げざるを得なくなれば大家は損害を受ける。だから賠償請求できる。
一方、水道局はどんな損害を受けた?水を入れ替えたのは、住民からの苦情によるとはいえ、最終的には水道局の判断だし。水を入れ替えなければ住民が他の水道会社に逃げてしまうということもないだろうし、水の消費量が減ったところで、営利企業じゃないからべつに損害にはならないし。
住民は、損害を受けたと主張するかもしれない。ただし客観的な損害はなにもなくて、気分を害されたというだけだけど。
これからは契約書に「死ぬのは禁止」を付け足すべきだな。
>科学的である必要なんかない。これは同意したうえで、
「科学的に問題ない」ってのもどうかと思う。たとえば、放尿した人間が伝染病患者で、尿をもとに感染する可能性は?
希釈したら絶対に感染しないのか?とかそういう話もあるんでない?
まぁ、そもそも「処理済みの浄水池にふつうにはいれて屋根も何もない時点でどうよ」
って水道局側の問題がある気がするが
その指摘に対する答えは、元記事で、科学的に答えてありますね。
絶対にって。
100%どうこうとか考える考え方がそもそも科学的でない。
必ずしも科学的である必要がないというのには同意しますが、、「気分が悪くなるなら何でもNG」になるのなら、今回の件は「尿より死骸のほうが心理的に好ましい」とならない限り、貯水池そのものを廃止すべき、という話になるでしょう。
で、それは現実的に解決可能な問題なのでしょうか?全ての物事にそれを当てはめたら、今の私達の生活は到底維持できませんよ?
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アレゲは一日にしてならず -- アレゲ見習い
科学的である必要があるのか (スコア:5, すばらしい洞察)
そもそも、尿の混ざった水を飲みたくないという気持ちは、
科学とは関係なく、心理的なもの。
それに対して科学的ではないといって、
何か反論になるのだろうか。
定量的にいえば、ものすごく薄められているし、
他に同程度の汚染はあるに決まっているとは思ったが。
それとその水を飲みたいかどうかはほぼ無関係。
放尿されたという知識があって、
それを薄めた水が水が目の前にある。
それだけの話であって、科学が関与する余地はない。
とはいえまあ裁判になれば、科学的ではないと反論はされるだろうが。
訴えなければよかったのに。
Re:科学的である必要があるのか (スコア:0)
同意。
気分が悪い。それで十分。
科学的である必要なんかない。
不動産で事故物件が安くなるのと同じだ。
Re:科学的である必要があるのか (スコア:2, すばらしい洞察)
基本は気分の問題だというのはそのとおりだと思うけど、
あまりにも科学的に意味のない気分を認めていると際限がないです。
魔女狩りの時代に生きてるんじゃないのだから、事実に基づいて気分の方を変える努力もしなきゃと思います。
不動産の事故物件は、事故物件は気分が悪いから安くなるのではなくて、
事故物件は気分が悪いからと言う人が多くて売れにくいから安くなるわけです。
自分の気分は(科学的ではない考えに基づいていると納得できれば)変えられる可能性があるけど、
多くの客(他人)が気分が悪いと言っているというのは変えようのない客観的事実ですから。
でも、だからといって自分の気分が悪いのを認めろという主張が通るかどうかは別の話。
Re: (スコア:0)
水道の客の多くが気分が悪いのだから、
水道屋はその水を捨てて、その分の費用は
小便した奴に請求すればいいんじゃないかな。
借家で自殺があったら大家は遺族に賠償請求できるでしょ?
Re:科学的である必要があるのか (スコア:1)
請求するのは勝手だが、回収できるかは別の問題だ。
まぁ、保険会社が負担すると踏んだからこういう行動にでたんだろう。
ついでに泥サライでもしておけば費用縮減になる。
小売店やってて泥棒に入ってもらえると、保険会社負担で
売れ残りの在庫まで一掃できてラッキーってのはよくある話。
Re: (スコア:0)
借家は自由競争経済だから、自殺によって客が寄りつかなくなったり家賃を下げざるを得なくなれば大家は損害を受ける。
だから賠償請求できる。
一方、水道局はどんな損害を受けた?
水を入れ替えたのは、住民からの苦情によるとはいえ、最終的には水道局の判断だし。
水を入れ替えなければ住民が他の水道会社に逃げてしまうということもないだろうし、
水の消費量が減ったところで、営利企業じゃないからべつに損害にはならないし。
住民は、損害を受けたと主張するかもしれない。
ただし客観的な損害はなにもなくて、気分を害されたというだけだけど。
Re: (スコア:0)
これからは契約書に「死ぬのは禁止」を付け足すべきだな。
Re: (スコア:0)
>科学的である必要なんかない。
これは同意したうえで、
「科学的に問題ない」ってのもどうかと思う。
たとえば、放尿した人間が伝染病患者で、尿をもとに感染する可能性は?
希釈したら絶対に感染しないのか?
とかそういう話もあるんでない?
まぁ、そもそも「処理済みの浄水池にふつうにはいれて屋根も何もない時点でどうよ」
って水道局側の問題がある気がするが
Re:科学的である必要があるのか (スコア:1)
その指摘に対する答えは、
元記事で、科学的に答えてありますね。
Re: (スコア:0)
絶対にって。
100%どうこうとか考える考え方がそもそも科学的でない。
Re: (スコア:0)
Re: (スコア:0)
必ずしも科学的である必要がないというのには同意しますが、、
「気分が悪くなるなら何でもNG」になるのなら、今回の件は「尿より死骸のほうが心理的に好ましい」
とならない限り、貯水池そのものを廃止すべき、という話になるでしょう。
で、それは現実的に解決可能な問題なのでしょうか?
全ての物事にそれを当てはめたら、今の私達の生活は到底維持できませんよ?