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(#2708907)の元米はそうとはいいませんが、この手のストーリーに必ずと言っていいほど「技術的進歩により手作業が自動化するのは時代の必然(ドヤァ」なコメントがつくので、その前にコメント。
このストーリーの肝は、タレこみ文で書かれている内容ではやや不十分で、重要なのは、記事の4ページ目 http://gendai.ismedia.jp/articles/-/40925?page=4 [ismedia.jp] にある、「今までの《技術的進歩による手作業の自動化》とはどこが違うのか」でしょう。
経済の歴史を見ると、技術的進歩といえば、たいていは身体を使う手作業を機械化することを表していました。しかし、21世紀の技術的進歩は、これまで人間の領域とされてきた認知能力を必要とする幅広い仕事を機械化することを意味するのです
機織や車の制御を機械化するような過去の技術革新(終端端末的には、人間のオペレータが必要とされるシステム)とは異なる事象が進行している、と認識してから議論することが必要です。
同じことは、同時に進んでいる「グローバル化」でも顕著で、これまでは国境内の雇用・非雇用で労働問題や貿易不均衡が議論されていたのに21世紀になっては途上国時給数百円レベルの英語話者と雇用をガチコミしあう状況になっていることを、認識しているかどうかとか、(「フラット化する世界」を参照してください。これは「グローバル化すれば米国の資本家が儲けられる!すばらしー!」で 雇用を途上国と競う米国内の中産階級をまるっと無視していて、いっそすがすがしいまでに金持ち礼賛な態度なのに、アメリカでベストセラー)20世紀以前の世界・社会学的認識と異なっているますから。
#対抗する学派の左翼は19世紀的世界・社会学的認識でとどまっているけどな-:)w
現在までに自動化されてきたタスクは、これまで人間の領域とされてきた認知能力を必要としなかった、というのは意味のない区分けです。例えば時計には一定時間が経過したことを認識し針を進める機構が必要と言えます。逆に電卓は計算手順を機械的に踏めばよいだけなので、何も認知能力は必要ないということができます。自動調速プロペラなども適切な回転数を判断する能力が必要でしょう。人間を代替するあらゆる機構はなんらかの認知能力、または状況を限定する能力をもたねばならず、その程度は常に拡大してきました。ですから、歴史上の任意の点において、"実感"として人間には「未来の機械は、過去の機械と異なり、より強力な(認知)能力を持つ」という感覚が生じます。
機械の能力が改善すると、「過去の技術革新は、現在のものより原始的だった」ということが認識され、どんなものであれ、理解できるものだった、大した進歩ではなかったと思い込まれるのです。革新なのですから、過去と違うのは当たり前です。
随所にちりばめられている皮肉の意味が分からないのですが。
20世紀以前の世界・社会学的認識と異なっているって、どこが。貧困統計学の分野では、それこそ20世紀からずっと国際比較分析をやっていますがね。また、「フラット化する世界」がジニ係数の高いアメリカで一番ウケなくて、どの国でウケるというのやら。随所で意味不明です。
また、学派の左翼ほど経済のグローバル化の問題研究に熱心で、例えばマル経系の経済学者はグローバル経済分析をやたらとやっています。国民国家の枠にとらわれ続けている実証系ほど、この辺りは遅いというのが20世紀からの印象ですが、どちらの左派のお話をされているんでしょうかね。# それと、「社会学的認識」って「社会科学的認識」のことかしら。
横から失礼します。
> また、学派の左翼ほど経済のグローバル化の問題研究に熱心で、例えばマル経系の経済学者はグローバル経済分析をやたらとやっています。
興味深いです。私もちょっと固定観念に染まっていたと思うので簡単な解説か参考文献の紹介をいただけると嬉しいです。
元コメの人ではありませんが。マルクス主義の国際社会に対する視点は、国内での階級対立と闘争がグローバルベースに拡散したというものですから、グローバルな富の偏在や搾取・貧困の問題が守備範囲となっているのはむしろ当然かと。#2708930のいう「左翼」は具体的にどのような人たちを指しているのか興味があります。
> 「フラット化する世界」を参照してください。
こんな評価の低い本を参照させないでください…
元コメも称賛しているわけではないと思うんですけど?
????なんとなくわかることはあんたが経済学の大きな論争特に19世紀から20世紀にかけてのものをまるで理解してないことぐらいか。それ以前のアダム・スミスも読んでないような気がするんだが。経済学以前に1920年の戯曲RURでは肉体労働どころか事務仕事も全部人造人間に任せてますよ。
手に職系は残るよ例に挙げられている「塗装工」は元々熟練的な部分が少ない(父親が塗装工であったビートたけし談)修理工に関しても、単純な作業の部分は消えていくと思われる。だが、誰でも簡単に熟練度を上げられるもの以外は残ると思う。
グローバル化に関して言えば、これとは全く違って明快だ。何故ならば、歴史が繰り返されているだけだからだ。グローバル化が始まった大航海時代、スペイン、ポルトガルとの競争に勝ったオランダは貿易の覇者となった。ところが当時のオランダ人男子の身長は平均160cm半ばで中世時代より低くなってしまった。(今日では180cmを超えて
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コンピュータは旧約聖書の神に似ている、規則は多く、慈悲は無い -- Joseph Campbell
何時かはどんな仕事も変わっていくと思いますよ。 (スコア:3, すばらしい洞察)
その時に必要な仕事と言うのは、形を変えたり、新しく出てきたりするものだと思いますよ。
#なんでも維持が良い訳じゃないと思う。
#問題はスキルチェンジや、新しい形態に対応できるようにする社会環境があれば良いと思う・・・
Re:何時かはどんな仕事も変わっていくと思いますよ。 (スコア:2, すばらしい洞察)
(#2708907)の元米はそうとはいいませんが、この手のストーリーに必ずと言っていいほど
「技術的進歩により手作業が自動化するのは時代の必然(ドヤァ」なコメントがつくので、その前にコメント。
このストーリーの肝は、タレこみ文で書かれている内容ではやや不十分で、
重要なのは、記事の4ページ目 http://gendai.ismedia.jp/articles/-/40925?page=4 [ismedia.jp] にある、
「今までの《技術的進歩による手作業の自動化》とはどこが違うのか」でしょう。
経済の歴史を見ると、技術的進歩といえば、たいていは身体を使う手作業を機械化することを表していました。しかし、21世紀の技術的進歩は、これまで人間の領域とされてきた認知能力を必要とする幅広い仕事を機械化することを意味するのです
機織や車の制御を機械化するような過去の技術革新(終端端末的には、人間のオペレータが必要とされるシステム)とは異なる事象が進行している、と認識してから議論することが必要です。
同じことは、同時に進んでいる「グローバル化」でも顕著で、これまでは国境内の雇用・非雇用で労働問題や貿易不均衡が議論されていたのに
21世紀になっては途上国時給数百円レベルの英語話者と雇用をガチコミしあう状況になっていることを、認識しているかどうかとか、
(「フラット化する世界」を参照してください。これは「グローバル化すれば米国の資本家が儲けられる!すばらしー!」で
雇用を途上国と競う米国内の中産階級をまるっと無視していて、いっそすがすがしいまでに金持ち礼賛な態度なのに、アメリカでベストセラー)
20世紀以前の世界・社会学的認識と異なっているますから。
#対抗する学派の左翼は19世紀的世界・社会学的認識でとどまっているけどな-:)w
Re:何時かはどんな仕事も変わっていくと思いますよ。 (スコア:3)
現在までに自動化されてきたタスクは、これまで人間の領域とされてきた認知能力を必要としなかった、というのは意味のない区分けです。例えば
時計には一定時間が経過したことを認識し針を進める機構が必要と言えます。逆に電卓は計算手順を機械的に踏めばよいだけなので、何も認知
能力は必要ないということができます。自動調速プロペラなども適切な回転数を判断する能力が必要でしょう。人間を代替するあらゆる機構は
なんらかの認知能力、または状況を限定する能力をもたねばならず、その程度は常に拡大してきました。ですから、歴史上の任意の点において、
"実感"として人間には「未来の機械は、過去の機械と異なり、より強力な(認知)能力を持つ」という感覚が生じます。
機械の能力が改善すると、「過去の技術革新は、現在のものより原始的だった」ということが認識され、どんなものであれ、理解できるものだった、
大した進歩ではなかったと思い込まれるのです。革新なのですから、過去と違うのは当たり前です。
Re: (スコア:0)
随所にちりばめられている皮肉の意味が分からないのですが。
20世紀以前の世界・社会学的認識と異なっているって、どこが。
貧困統計学の分野では、それこそ20世紀からずっと国際比較分析をやっていますがね。
また、「フラット化する世界」がジニ係数の高いアメリカで一番ウケなくて、どの国でウケるというのやら。
随所で意味不明です。
また、学派の左翼ほど経済のグローバル化の問題研究に熱心で、例えばマル経系の経済学者はグローバル経済分析をやたらとやっています。
国民国家の枠にとらわれ続けている実証系ほど、この辺りは遅いというのが20世紀からの印象ですが、どちらの左派のお話をされているんでしょうかね。
# それと、「社会学的認識」って「社会科学的認識」のことかしら。
Re: (スコア:0)
横から失礼します。
> また、学派の左翼ほど経済のグローバル化の問題研究に熱心で、例えばマル経系の経済学者はグローバル経済分析をやたらとやっています。
興味深いです。私もちょっと固定観念に染まっていたと思うので簡単な解説か参考文献の紹介をいただけると嬉しいです。
Re: (スコア:0)
元コメの人ではありませんが。
マルクス主義の国際社会に対する視点は、国内での階級対立と闘争がグローバルベースに拡散したというものですから、グローバルな富の偏在や搾取・貧困の問題が守備範囲となっているのはむしろ当然かと。
#2708930のいう「左翼」は具体的にどのような人たちを指しているのか興味があります。
Re: (スコア:0)
> 「フラット化する世界」を参照してください。
こんな評価の低い本を参照させないでください…
Re: (スコア:0)
元コメも称賛しているわけではないと思うんですけど?
Re: (スコア:0)
????
なんとなくわかることは
あんたが経済学の大きな論争
特に19世紀から20世紀にかけてのものをまるで理解してないことぐらいか。
それ以前のアダム・スミスも読んでないような気がするんだが。
経済学以前に1920年の戯曲RURでは肉体労働どころか事務仕事も全部人造人間に任せてますよ。
Re: (スコア:0)
手に職系は残るよ
例に挙げられている「塗装工」は元々熟練的な部分が少ない(父親が塗装工であったビートたけし談)
修理工に関しても、単純な作業の部分は消えていくと思われる。
だが、誰でも簡単に熟練度を上げられるもの以外は残ると思う。
グローバル化に関して言えば、これとは全く違って明快だ。
何故ならば、歴史が繰り返されているだけだからだ。
グローバル化が始まった大航海時代、スペイン、ポルトガルとの競争に勝ったオランダは貿易の覇者となった。
ところが当時のオランダ人男子の身長は平均160cm半ばで中世時代より低くなってしまった。
(今日では180cmを超えて