The problem is that if done correctly it would be like pulling someone out from 1914 and asking them to read a contemporary British novel. There would be so much that needed explaining that either the book would have to come with hundreds of pages of footnotes or a lot of it would be unreadable.
リンク先のコメントにあるけど (スコア:0)
(問題は、100年後の世界を正しく予想できたとしてそれを書いたら、100年前の人に現代の小説を読ませるようなことになるということ。つまり、説明が必要なことが多すぎて、何百ページも脚注がないと読めない小説になってしまう。)
Re: (スコア:0)
我々が100年前の小説を読む際にどこまで予備知識が必要か考えてみるとよいと思う。歴史や地理の知識がかなり不足した状態でも小説自体は読める。どこまできちんと正しく理解したかと言われれば返答に詰まるけれど。
# もう誰も覚えていまいが、田中康夫の「なんとなくクリスタル」は本文より注釈のほうが字数が多いという妙ちくりんな小説であった。アレはやはり遠い異世界を描いたものだったのかと納得。
# フランク・ハーバートの「砂の惑星」は用語集の体裁をとった背景説明が親切かつ秀逸だったことを思い出した。
Re: (スコア:0)
田中のあれ、本文より注釈が多いということ自体がひとつの批評行為でありましてー
Re:リンク先のコメントにあるけど (スコア:0)
注釈あるいは説明なしで単独で完全に成立する文学というものが存在しうるかどうかという、言語学的にはそれなりにめんどうくさい問いかけ(皮肉)は感じる。あれはジョイスのユリシーズとか読もうとして挫折した結果じゃないかとつねづね思っていた。