The problem is that if done correctly it would be like pulling someone out from 1914 and asking them to read a contemporary British novel. There would be so much that needed explaining that either the book would have to come with hundreds of pages of footnotes or a lot of it would be unreadable.
リンク先のコメントにあるけど (スコア:0)
(問題は、100年後の世界を正しく予想できたとしてそれを書いたら、100年前の人に現代の小説を読ませるようなことになるということ。つまり、説明が必要なことが多すぎて、何百ページも脚注がないと読めない小説になってしまう。)
Re: (スコア:2)
いや、その脚注をちゃんと小説の本文にしようよ。
Re: (スコア:0)
同じことだよ。妙に説明が多い小説。
Re: (スコア:2)
「妙に説明が多い小説」が悪いことなのかどうか僕は即断できないけれど、「説明が必要だから脚注で説明しよう」という発想をするような人が書いたら読みにくい小説になるだろうなとは思う。でも、それを小説とか SF という表現形式のせいにされてもなあ。
Re:リンク先のコメントにあるけど (スコア:0)
小説の内容以前に前提として伝える必要のある情報量が多くなりすぎるというだけの話。
シリーズ化するというのはよくある手だな。
Re:リンク先のコメントにあるけど (スコア:2)
シリーズ化して世界の設定を小出しにして説明っぽくなるのを避けるのでももちろんいいけど、「小説の内容以前に前提として」ではなく、世界の設定自体が小説の内容の一部なんだよ。読者が知っている世界を舞台にする場合とは、当然書き方が変わる。だから、「100 年後の世界を正しく予想できたとしてそれを書いたら、 100 年前の人に現代の小説を読ませるようなことになる」という理屈は成り立たない。
「100 年後の世界を正しく予想してそれを 100 年後の人向けに書いたら、 100 年前の人に現代の小説を読ませるようなことになる」なら正しいけれど、そういう話はしていない。