アカウント名:
パスワード:
戦前の終身の教科書だってアメリカの先住民との戦争の話や独立戦争の話を日清日露戦争に焼き直したエピソードが載ってたりしたし日本神話の話も改変が酷かったし(内容的に今でも規制がかかりそうな部分があるから仕方がなかったんだろうけど)30年ほど前まで定番だった「最後の授業」なんて今のアルザスロレーヌ地方ではドイツ語方言のアルザス語教育が行われてるという”事実”を知ってのけぞった覚えがある特に歴史的経緯、アルザス人がドイツ、フランス両側から差別を受けてきた事実を知ってから読み直すととんでもなくグロい話だったんだと気がついてゾッとした教科書なんて昔からそんなもの
あれはまるで愛国心を喚起する教材の様に見えて、よくよく調べると…ってのがなんともかんとも。文学的に見れば、無難な物かも知れないが、もうちょっと考えて選べよ、と。
でもコッチは最初からおかしいと言われ続けていたってのに、ゴリ押ししたって行為とか、文科省や大臣からしてそれを押しているって所はトンデモとでもしないと救いが無さすぎ。本自体で無くその成り立ちがトンデモってのは、将来的には判り辛いかも。というか、判り辛くなってくれなきゃ反知性主義の跋扈で日本は終わりだ。「あれが科学的価値観と社会が分かれる時の先駆けだった」なんて回顧はしたくない。
青空文庫にあるかな?と思って調べたら、「最後の授業」と同じドーデの作でこんなのもありました。村の学校(実話) [aozora.gr.jp]ここでもドイツ人がひどく書かれています。絶対に「実話」ではないと思いますが。ドーデの物語が虚構であるにもかかわらず、普仏戦争に負けたフランス人の対独報復心を正当化し、第一次大戦後の過酷な賠償金要求を行った結果がナチス台頭であるということもついでに教えるなら教材として可だと思います。
# 小学校で「最後の授業」の感想文を書かされたときは愛国心を前面に押し出して5重丸をもらいました イヤな私です
反知性主義って、本来は「反権威主義」的なものらしいですよ。だから、「道徳の教科書」という権威に対して懐疑することこそ、「反知性主義」の本道。
元々は、偉い大学出た教会の神父の「知性」を否定し、個人個人が直接神との対話を行うべき、ということらしいです。懐疑主義の一種だと思うし、そこに科学と論理のエッセンスを付け加えれば、非常に健全な主張だと思いますし、それは非常に「知性的」なことです。
実際は、科学(権威ではなく事実と反証を一歩一歩積み上げたもの)に対しても「権威」と鵜呑みにしてしまい、そこに安易に反発してしまうことも多いわけで、字義通りの「反知性主義」なトンデモが目立つのは否めないですが。
そもそも「反知性主義」は、anti-intellectualismの日本語訳だけど、インテリつまり知識人達の特権的な地位や傲慢さに対する至極まっとうな反感 [sankei.com]
より多くのコメントがこの議論にあるかもしれませんが、JavaScriptが有効ではない環境を使用している場合、クラシックなコメントシステム(D1)に設定を変更する必要があります。
吾輩はリファレンスである。名前はまだ無い -- perlの中の人
昔からデムパ満点だったわけだが (スコア:2, 興味深い)
戦前の終身の教科書だってアメリカの先住民との戦争の話や独立戦争の話を日清日露戦争に焼き直したエピソードが載ってたりしたし
日本神話の話も改変が酷かったし(内容的に今でも規制がかかりそうな部分があるから仕方がなかったんだろうけど)
30年ほど前まで定番だった「最後の授業」なんて
今のアルザスロレーヌ地方ではドイツ語方言のアルザス語教育が行われてるという”事実”を知ってのけぞった覚えがある
特に歴史的経緯、アルザス人がドイツ、フランス両側から差別を受けてきた事実を知ってから読み直すととんでもなくグロい話だったんだと気がついてゾッとした
教科書なんて昔からそんなもの
Re: (スコア:0)
Re:昔からデムパ満点だったわけだが (スコア:0)
あれはまるで愛国心を喚起する教材の様に見えて、よくよく調べると…ってのがなんともかんとも。
文学的に見れば、無難な物かも知れないが、もうちょっと考えて選べよ、と。
でもコッチは最初からおかしいと言われ続けていたってのに、ゴリ押ししたって行為とか、
文科省や大臣からしてそれを押しているって所はトンデモとでもしないと救いが無さすぎ。
本自体で無くその成り立ちがトンデモってのは、将来的には判り辛いかも。
というか、判り辛くなってくれなきゃ反知性主義の跋扈で日本は終わりだ。
「あれが科学的価値観と社会が分かれる時の先駆けだった」なんて回顧はしたくない。
Re:昔からデムパ満点だったわけだが (スコア:2, 興味深い)
青空文庫にあるかな?と思って調べたら、「最後の授業」と同じドーデの作でこんなのもありました。
村の学校(実話) [aozora.gr.jp]
ここでもドイツ人がひどく書かれています。絶対に「実話」ではないと思いますが。
ドーデの物語が虚構であるにもかかわらず、普仏戦争に負けたフランス人の対独報復心を正当化し、
第一次大戦後の過酷な賠償金要求を行った結果がナチス台頭であるということもついでに教えるなら
教材として可だと思います。
# 小学校で「最後の授業」の感想文を書かされたときは愛国心を前面に押し出して5重丸をもらいました イヤな私です
Re: (スコア:0)
反知性主義って、本来は「反権威主義」的なものらしいですよ。
だから、「道徳の教科書」という権威に対して懐疑することこそ、「反知性主義」の本道。
元々は、偉い大学出た教会の神父の「知性」を否定し、個人個人が直接神との対話を行うべき、ということらしいです。
懐疑主義の一種だと思うし、そこに科学と論理のエッセンスを付け加えれば、非常に健全な主張だと思いますし、それは非常に「知性的」なことです。
実際は、科学(権威ではなく事実と反証を一歩一歩積み上げたもの)に対しても「権威」と鵜呑みにしてしまい、そこに安易に反発してしまうことも多いわけで、字義通りの「反知性主義」なトンデモが目立つのは否めないですが。
Re: (スコア:0)
そもそも「反知性主義」は、anti-intellectualismの日本語訳だけど、インテリつまり知識人達の特権的な地位や傲慢さに対する至極まっとうな反感 [sankei.com]