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昔は、まず純文学といったものだけが、いわゆる読み物としての本であって小説なんかは、今でいうところのマンガと同じ扱いだった私の母親などは子供のころ、当時、朝日新聞に連載中だった氷点や続氷点を食い入るように読んでいたそうだが母の父、つまり私の祖父などからは、「そんな下らないものばかり読んでいないでもっと本を読め」と毎日のように言われていたそうだそれどころか、母が小中高と集めに集めた三浦綾子関連の全ての本を、大学受験のあたりで全部捨てられたとも……
しかし今やどうだろう?氷点を読むことを“読書”と認められない人が居なくなったばかりか、「ラノベを読んでも読解力は身につかない」などとドヤ顔で説教する始末であるこのまま行くとそのうち、「マンガを読んでも読解力は身につかない」などとドヤ顔で語るラノベ愛好家が出てきそうで恐ろしい
どのジャンルにもあるやつですね。ぱっと思い浮かぶ当たり音楽とかビデオゲームとか。
サザンがヒットしたてのころの「音楽評論家」の評価は、・歌詞が聞き取りにくいので評価以前の問題だ・騒々しいだけなど散々でしたね。
もっと古くでいうと、漢詩に対するひらがなに対する揶揄。夏目漱石の文章も軽過ぎて低俗だとして揶揄されてた。ピラミッドには、建設当時の労働者が若者に対する愚痴を壁に書きこんでいる。これらは全部、人間という種の持つ同じ習性から出てるんだと思う。
> ・歌詞が聞き取りにくいので評価以前の問題だ> ・騒々しいだけ
完全に正しいじゃん。
「歌詞が聞き取りにくい」までは正しいが、その結果「評価以前の問題だ」と評価した事に、論理の飛躍がある=誤りである。聴衆にとって非ネイティブ言語の歌は、大抵「歌詞が聞き取りにくい」が、それで聴衆にとって音楽性が失われるわけではない。
日本語の歌詞が日本人にとって聞き取りにくかったら聞き取れる人いないじゃん。そんなの歌としてはダメ。あんなのは歌じゃない。というのがその音楽評論家の意見だったんだろう。俺も同意見。
音楽評論家は、結局は何を目的としているのか。狭い範囲の一部のオタク基準で論評するだけであれば、それこそ何でもいい。それは結局は「好き嫌い」を色んな切り口で論じているだけにすぎない。あなたの「俺も同意見」と同じ。それは単なる好き嫌い。
大多数に対し一般化できるような評価を「評論家」として論じるのであれば、日本語が聞き取れるかどうかという、大多数の日本人が当時結局は重視しなかった要素を、さも大前提のようにとらえた時点で、評論としては失敗ですよね。完全に読み違えている。
というか古今東西「母国語話者でさえ歌詞が聞き取りづらい歌」なんてのはいくらでもあるので、それをもって「歌じゃない」(歌としてデキが悪い、という意味なんだろう)なんて語っちゃダメですよね。まだこう、「大衆歌謡としては、聞いた人が歌詞を聴き取れるようにせねば」とかなら分かる。(同様の論として「アニメの主題歌は~」と言えば、同意するかはさておき理解はできると思う)
実際は感覚的に肌に合うかどうかが先にあり、その嫌悪感をどうにか言語化しようとして「聞き取れないからダメ」って言ってるだけじゃないかなぁ。彼らは聞き取りやすい歌も歌ってるけど、それだってナントカして否定したくなっちゃうんじゃなかろうか。
どうでもいいけど、あのひと気持ち悪いよね。俺らの周りでは歌う身体障害者って言われてた。
# 身体障害者に失礼だとは思うけど、身体障害者は馬鹿にしていい風潮があった時代の話。
ほぇ、桑田佳祐??そんな感じはなかったが…世代?
スキャットとか、外国語(極端なこと言うと自分が知らない言語でも)などは、歌詞を理解しなくても気持ち良ければいいんじゃないの?歌詞を理解すれば、より評価しやすいけど、歌や歌付きの音楽、歌なしの音楽だって気持ちよければ、そういう評価だろう。
文字に書き起こしたものが、文学に分類されるのか、単なる文字列(を印刷した本を国会図書館に納品してお金をもらう話がありましたね)なのか、その中間なのかは置いといて、それを読んで気持ちよければ、その時間を作り出したものに対して評価すべきじゃないかなぁ。
読解力なんて、天声人語をありがたがってる時点でどうでもいいじゃ
音楽は間違いなく衰退していると思う。クラシック音楽みたいに時間をかけて真剣に聴くようなものは流行らない。文学も同様じゃないだろうか。
ビデオゲームはよく知らない。
流行り廃りの話なんですか?これって
そうでしょ。高尚な純文学でなく低俗なラノベが流行ってるのが気に入らないってのとそれが気に入らない人との罵り合い。
そもそもクラシックが流行った時代ってあったんですかね。
19世紀初頭から20世紀初頭のヨーロッパはクラシックの黄金時代でした。
当時の話を読むと、ベートーベンに始まってワーグナーやブラームス、ドボルザークなどの作曲家、マーラーやフォン・ビュロー、トスカニーニなどの指揮者、リストやパガニーニなどの演奏家は現代のロックスター並みの扱いを受けています。
クラシックが衰退しているのは、20世紀に入って「かしこまってありがたく聴きやがれ」という風潮があらゆるクラシック作品に適用されてしまったからじゃないかと、個人的には思っています。
実際にはそんなご大層なものばかりじゃないんです。ドボルザークは基本的に流行歌みたいにきれいなメロディを聞き流すもの、ワーグナーは舞台版ロード・オブ・ザ・リングみたいなもの、マーラーは臆面もなく垂れ流される厨二病を楽しむもの、リストやパガニーニの作品は「指が速すぎワロタwww」と超絶テクニックに感心するもの、モーツァルトのオペラに至ってはおバカなプロットをギャハハと笑い飛ばせばいいだけ。
もっと肩の力を抜いてコンサートに来てもらえるようになればクラシックも息を吹き返すのかなあ。
歌芝居であれば、セラミュ(セーラームーンのミュージカル)テニプリのミュージカルみたいに多数の人にとって、時には親子連れで泣き出さずに舞台に夢中になることができる作品がもっと多ければさらによいのかも。
ドラマや映画に出てくる知能の高いカリスマ犯罪者みたいのが大抵クラシック好きの設定でクラシックに詳しい製作側が「クラシックはご大層/高尚なもの」として描いてる感がするのでクラシック自体がなんか嫌になった
王様が音楽に通じてるとは限らんだろ。
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日々是ハック也 -- あるハードコアバイナリアン
時代が変わった (スコア:4, すばらしい洞察)
昔は、まず純文学といったものだけが、いわゆる読み物としての本であって
小説なんかは、今でいうところのマンガと同じ扱いだった
私の母親などは子供のころ、当時、朝日新聞に連載中だった氷点や続氷点を食い入るように読んでいたそうだが
母の父、つまり私の祖父などからは、「そんな下らないものばかり読んでいないでもっと本を読め」と毎日のように言われていたそうだ
それどころか、母が小中高と集めに集めた三浦綾子関連の全ての本を、大学受験のあたりで全部捨てられたとも……
しかし今やどうだろう?
氷点を読むことを“読書”と認められない人が居なくなったばかりか、「ラノベを読んでも読解力は身につかない」などとドヤ顔で説教する始末である
このまま行くとそのうち、「マンガを読んでも読解力は身につかない」などとドヤ顔で語るラノベ愛好家が出てきそうで恐ろしい
Re:時代が変わった (スコア:0)
どのジャンルにもあるやつですね。
ぱっと思い浮かぶ当たり音楽とかビデオゲームとか。
Re:時代が変わった (スコア:1)
サザンがヒットしたてのころの「音楽評論家」の評価は、
・歌詞が聞き取りにくいので評価以前の問題だ
・騒々しいだけ
など散々でしたね。
もっと古くでいうと、漢詩に対するひらがなに対する揶揄。
夏目漱石の文章も軽過ぎて低俗だとして揶揄されてた。
ピラミッドには、建設当時の労働者が若者に対する愚痴を壁に書きこんでいる。
これらは全部、人間という種の持つ同じ習性から出てるんだと思う。
Re: (スコア:0)
> ・歌詞が聞き取りにくいので評価以前の問題だ
> ・騒々しいだけ
完全に正しいじゃん。
Re: (スコア:0)
「歌詞が聞き取りにくい」までは正しいが、その結果「評価以前の問題だ」と評価した事に、論理の飛躍がある=誤りである。
聴衆にとって非ネイティブ言語の歌は、大抵「歌詞が聞き取りにくい」が、それで聴衆にとって音楽性が失われるわけではない。
Re: (スコア:0)
日本語の歌詞が日本人にとって聞き取りにくかったら聞き取れる人いないじゃん。
そんなの歌としてはダメ。あんなのは歌じゃない。
というのがその音楽評論家の意見だったんだろう。
俺も同意見。
Re: (スコア:0)
音楽評論家は、結局は何を目的としているのか。
狭い範囲の一部のオタク基準で論評するだけであれば、それこそ何でもいい。
それは結局は「好き嫌い」を色んな切り口で論じているだけにすぎない。
あなたの「俺も同意見」と同じ。それは単なる好き嫌い。
大多数に対し一般化できるような評価を「評論家」として論じるのであれば、
日本語が聞き取れるかどうかという、大多数の日本人が当時結局は重視しなかった要素を、
さも大前提のようにとらえた時点で、評論としては失敗ですよね。
完全に読み違えている。
Re: (スコア:0)
というか古今東西「母国語話者でさえ歌詞が聞き取りづらい歌」なんてのはいくらでもあるので、
それをもって「歌じゃない」(歌としてデキが悪い、という意味なんだろう)なんて語っちゃダメですよね。
まだこう、「大衆歌謡としては、聞いた人が歌詞を聴き取れるようにせねば」とかなら分かる。
(同様の論として「アニメの主題歌は~」と言えば、同意するかはさておき理解はできると思う)
実際は感覚的に肌に合うかどうかが先にあり、その嫌悪感をどうにか言語化しようとして「聞き取れないからダメ」って言ってるだけじゃないかなぁ。
彼らは聞き取りやすい歌も歌ってるけど、それだってナントカして否定したくなっちゃうんじゃなかろうか。
Re: (スコア:0)
どうでもいいけど、あのひと気持ち悪いよね。
俺らの周りでは歌う身体障害者って言われてた。
# 身体障害者に失礼だとは思うけど、身体障害者は馬鹿にしていい風潮があった時代の話。
Re: (スコア:0)
ほぇ、桑田佳祐??
そんな感じはなかったが…世代?
Re: (スコア:0)
スキャットとか、外国語(極端なこと言うと自分が知らない言語でも)などは、歌詞を理解しなくても気持ち良ければいいんじゃないの?
歌詞を理解すれば、より評価しやすいけど、歌や歌付きの音楽、歌なしの音楽だって気持ちよければ、そういう評価だろう。
文字に書き起こしたものが、文学に分類されるのか、単なる文字列(を印刷した本を国会図書館に納品してお金をもらう話がありましたね)なのか、その中間なのかは置いといて、それを読んで気持ちよければ、その時間を作り出したものに対して評価すべきじゃないかなぁ。
読解力なんて、天声人語をありがたがってる時点でどうでもいいじゃ
Re: (スコア:0)
音楽は間違いなく衰退していると思う。
クラシック音楽みたいに時間をかけて真剣に聴くようなものは流行らない。
文学も同様じゃないだろうか。
ビデオゲームはよく知らない。
Re: (スコア:0)
流行り廃りの話なんですか?これって
Re: (スコア:0)
そうでしょ。
高尚な純文学でなく低俗なラノベが流行ってるのが気に入らない
ってのとそれが気に入らない人との罵り合い。
Re: (スコア:0)
そもそもクラシックが流行った時代ってあったんですかね。
Re: (スコア:0)
19世紀初頭から20世紀初頭のヨーロッパはクラシックの黄金時代でした。
当時の話を読むと、ベートーベンに始まってワーグナーやブラームス、ドボルザークなどの作曲家、マーラーやフォン・ビュロー、トスカニーニなどの指揮者、リストやパガニーニなどの演奏家は現代のロックスター並みの扱いを受けています。
クラシックが衰退しているのは、20世紀に入って「かしこまってありがたく聴きやがれ」という風潮があらゆるクラシック作品に適用されてしまったからじゃないかと、個人的には思っています。
実際にはそんなご大層なものばかりじゃないんです。ドボルザークは基本的に流行歌みたいにきれいなメロディを聞き流すもの、ワーグナーは舞台版ロード・オブ・ザ・リングみたいなもの、マーラーは臆面もなく垂れ流される厨二病を楽しむもの、リストやパガニーニの作品は「指が速すぎワロタwww」と超絶テクニックに感心するもの、モーツァルトのオペラに至ってはおバカなプロットをギャハハと笑い飛ばせばいいだけ。
もっと肩の力を抜いてコンサートに来てもらえるようになればクラシックも息を吹き返すのかなあ。
Re:時代が変わった (スコア:1)
歌芝居であれば、
セラミュ(セーラームーンのミュージカル)
テニプリのミュージカル
みたいに多数の人にとって、時には親子連れで泣き出さずに舞台に夢中に
なることができる作品がもっと多ければさらによいのかも。
Re: (スコア:0)
ドラマや映画に出てくる知能の高いカリスマ犯罪者みたいのが大抵クラシック好きの設定で
クラシックに詳しい製作側が「クラシックはご大層/高尚なもの」として描いてる感がするので
クラシック自体がなんか嫌になった
Re: (スコア:0)
Re: (スコア:0)
王様が音楽に通じてるとは限らんだろ。