アカウント名:
パスワード:
度々この手の話とその反発は繰り返されてるし、良く記事でも見るけど、最近もう一周して「本当に全く無問題なんだろうか」と考えることがある。
自分自身はFPSと格闘ゲーム好きなんだけど、思い返せばゲーセンでのスト2ブームの頃、対戦筐体でエキサイトしている人同士が聞こえるように暴言吐いたり、灰皿殴ったり、あまつさえ「あたかも自分自身が強くなったかのように」相手の席に近づいていって睨み続けたり椅子蹴ったりしてる様を、何度も見た。
彼らは大抵、別にヤンキーでもなく、どっちかっていうともやしっ子のようなオタク系の小柄な青年だったが、何かが影響して感情をコントロール出来なくしている風に見えた。
で、こういう現実を見た時、はたして本当に「ぜんぜん関係ないんだろうか」って思ってしまう。影響無いってのは詭弁、あるいはファンの言い訳なんじゃないかなと。
どうだろうか。
追記:度々研究結果で「影響なし」もしくは「かかる件による結果ではなく、元々自身が持っていた部分の発露による」と言う話が出てるのも知ってるが、それでも、って話です。
ゲームが普通の人に対して暴力的傾向を増長させないという主張はわかった。わかったと思う。
でも、もともと暴力的傾向を持っている人間に暴力的なゲームを与えると、どうなるのだろう?人を害する方法のとても良いチュートリアルを与えることになるんじゃないかな?または、ゲームをしなければ知らずに済んだ暴力的傾向に、気づいてしまうこともあるんじゃないかな?
たとえ100万人に一人、ゲームに過敏に反応する種類の暴力的傾向を持っているのだとしても、実際にことに及んだ場合、その被害は実際どうなるかわからない。子供同士の喧嘩やいじめが数件増える程度ならいいけど(全く全然よくないけど)、大量殺人とかになったらかなわない。
そんな稀なケースのために一般の人が割りを食うのは理にかなっていないとは思うけど、現実的な話、そういうことはないのかな?もしそうだとしてどうやってゲームを規制すりゃいいんだろう?
「ゲームのせいで暴力性に目覚めた」「ゲームのせいでチュートリアルになった」みたいな可能性は起き得るけど、それって別にゲームに限らないよね。
たとえば映画だと、古典的なので言えばA Clockwork Orange(1972年)やDirty Harry 2(1974年)なんかは模倣した殺人犯が複数出ているし、最近だとThe Town(2010年)を模倣した強盗事件も起きてる。(しかもThe Townの模倣犯は、映画内での手法を真似して警察捜査を妨害してる)
あるいは小説で、The Strange Schemes of Randolph Mason(1896年)なんかは、法の抜け穴を使った犯罪が描写され、模倣犯が続出したことから、それを防ぐために法改正まで行われてる。
他に、フィクションに限った話でなく、殺人じゃないけど、日本のグリコ・森永事件(1984年)なんかは、マスコミの報道内容から、それを模倣する脅迫犯が複数出てる。
というのを前提に、なぜ「ゲームが」という前提がつくのかを明確にしないとお話にならないと思うよ。少なくとも「ゲームが他のメディアに比べて、違法行為を行ったり、凶悪性を目覚めさせるコンテンツとしての性質が有意に強い」ことは証明されていないと思うのだけど。
あるいは「犯罪行為の描写」を全て(フィクション・ノンフィクション、小説や映画など媒体も問わず)禁止する、というなら、それはそれで説得力はあるかもしれないけどね。そうなったら色々大変じゃないかな、って気はする。
それなら「ゲームの有害性はほかのメディアと同等です」といえばいいのであって「ゲームは影響無い」って無関係を装わなければ良いのでは。「ゲームの影響ももちろんあるけどほかのメディアと同じぐらいだし、取り立てて規制するべきではないよね」って論調なら元々の感想は持ってないと思うよ。
広範囲のカテゴリの一部をどうこう言うのに、影響の有無って類似物との相対差でしか計れないから。「他のメディアも等しく影響がある」なら「人間同士のコミュニケーションにも等しく影響がある」になるし、そこまで来ると「人間が人間であることが原因」ぐらいに主語が広がるだけになってしまう。
だからこの手のコンテキストでは「影響がある」というのは「比較的狭いカテゴライズの類似項目に比べて影響が強い」という意味に解釈しないと話が進まない。
憶測の極論を元に議論を進めても絶対に結論は出ない。
憶測で結論は出ないのは同意するけど、極論ではなくて妥当な推論だと思う。よければ暴力的な人たちに暴力的なゲームを与えた場合を考えるということが、なぜ極論なのか教えて欲しい。レアケースなのは認めるけど、暴走した場合の社会的なインパクトはかなり大きい。
ここで結論出すのに必要なのは、暴力的傾向をもつ子供たちに暴力的なゲームを与えてみることだよね。そのことでガス抜きになるのか、傾向を増長させてしまい、暴走に至る可能性はないのか...しかし子供相手にそのような実験はなかなか行われそうにないから、やっぱり議論するしかないと思う。
他コメでも指摘されてるけど、「ゲーム」に限定する理由がないと前提がおかしい。「影響を与えうる」という根拠で語るなら、おおよそ殺人の描写がある全てのコンテンツを対象にすべき。そこで「ゲーム」だけを切り取るなら、ゲームが他コンテンツに比べて影響が強いことを証明すべき。
どちらもしてないから妥当じゃないよ。
いや、思考実験として有用だと思う。「そんなのは極論だから」考えるのをやめる方が有害。
現実の現象とどうやってすり合わせるかのビジョンがない極論や単純化は、ただの妄想や論点のすり替えでしかなくて、思考実験とは呼びません。
100万人に一人、小説に過敏に反応する種類の暴力的傾向を持っているかもしれない。100万人に一人、歌に過敏に反応する種類の暴力的傾向を持っているかもしれない。100万人に一人、アルコールに過敏に反応する種類の暴力的傾向を持っているかもしれない。100万人に一人、魚介類に過敏に反応する種類の暴力的傾向を持っているかもしれない。
でも、もともと暴力的傾向を持っている人間に銃を与えると、どうなるのだろう?人を殺害する方法のとても良い手段を与えることになるんじゃないかな?または、銃を撃たなければ知らずに済んだ暴力的傾向に、気づいてしまうこともあるんじゃないかな?
より多くのコメントがこの議論にあるかもしれませんが、JavaScriptが有効ではない環境を使用している場合、クラシックなコメントシステム(D1)に設定を変更する必要があります。
日々是ハック也 -- あるハードコアバイナリアン
暴力的なゲームで攻撃的な人格は形成されない? (スコア:2, 興味深い)
度々この手の話とその反発は繰り返されてるし、良く記事でも見るけど、最近もう一周して「本当に全く無問題なんだろうか」と考えることがある。
自分自身はFPSと格闘ゲーム好きなんだけど、思い返せばゲーセンでのスト2ブームの頃、対戦筐体でエキサイトしている人同士が聞こえるように暴言吐いたり、灰皿殴ったり、あまつさえ
「あたかも自分自身が強くなったかのように」相手の席に近づいていって睨み続けたり椅子蹴ったりしてる様を、何度も見た。
彼らは大抵、別にヤンキーでもなく、どっちかっていうともやしっ子のようなオタク系の小柄な青年だったが、何かが影響して感情をコントロール出来なくしている風に見えた。
で、こういう現実を見た時、はたして本当に「ぜんぜん関係ないんだろうか」って思ってしまう。
影響無いってのは詭弁、あるいはファンの言い訳なんじゃないかなと。
どうだろうか。
Re: (スコア:0)
追記:度々研究結果で「影響なし」もしくは「かかる件による結果ではなく、元々自身が持っていた部分の発露による」と言う話が出てるのも知ってるが、それでも、って話です。
Re:暴力的なゲームで攻撃的な人格は形成されない? (スコア:1)
ゲームが普通の人に対して暴力的傾向を増長させないという主張はわかった。わかったと思う。
でも、もともと暴力的傾向を持っている人間に暴力的なゲームを与えると、どうなるのだろう?
人を害する方法のとても良いチュートリアルを与えることになるんじゃないかな?
または、ゲームをしなければ知らずに済んだ暴力的傾向に、気づいてしまうこともあるんじゃないかな?
たとえ100万人に一人、ゲームに過敏に反応する種類の暴力的傾向を持っているのだとしても、
実際にことに及んだ場合、その被害は実際どうなるかわからない。
子供同士の喧嘩やいじめが数件増える程度ならいいけど(全く全然よくないけど)、
大量殺人とかになったらかなわない。
そんな稀なケースのために一般の人が割りを食うのは理にかなっていないとは思うけど、
現実的な話、そういうことはないのかな?もしそうだとしてどうやってゲームを規制すりゃいいんだろう?
Re:暴力的なゲームで攻撃的な人格は形成されない? (スコア:4, 興味深い)
でも、もともと暴力的傾向を持っている人間に暴力的なゲームを与えると、どうなるのだろう?
人を害する方法のとても良いチュートリアルを与えることになるんじゃないかな?
または、ゲームをしなければ知らずに済んだ暴力的傾向に、気づいてしまうこともあるんじゃないかな?
「ゲームのせいで暴力性に目覚めた」「ゲームのせいでチュートリアルになった」みたいな可能性は起き得るけど、それって別にゲームに限らないよね。
たとえば映画だと、古典的なので言えばA Clockwork Orange(1972年)やDirty Harry 2(1974年)なんかは模倣した殺人犯が複数出ているし、最近だとThe Town(2010年)を模倣した強盗事件も起きてる。
(しかもThe Townの模倣犯は、映画内での手法を真似して警察捜査を妨害してる)
あるいは小説で、The Strange Schemes of Randolph Mason(1896年)なんかは、法の抜け穴を使った犯罪が描写され、模倣犯が続出したことから、それを防ぐために法改正まで行われてる。
他に、フィクションに限った話でなく、殺人じゃないけど、日本のグリコ・森永事件(1984年)なんかは、マスコミの報道内容から、それを模倣する脅迫犯が複数出てる。
というのを前提に、なぜ「ゲームが」という前提がつくのかを明確にしないとお話にならないと思うよ。少なくとも「ゲームが他のメディアに比べて、違法行為を行ったり、凶悪性を目覚めさせるコンテンツとしての性質が有意に強い」ことは証明されていないと思うのだけど。
あるいは「犯罪行為の描写」を全て(フィクション・ノンフィクション、小説や映画など媒体も問わず)禁止する、というなら、それはそれで説得力はあるかもしれないけどね。そうなったら色々大変じゃないかな、って気はする。
Re: (スコア:0)
それなら「ゲームの有害性はほかのメディアと同等です」といえばいいのであって「ゲームは影響無い」って無関係を装わなければ良いのでは。
「ゲームの影響ももちろんあるけどほかのメディアと同じぐらいだし、取り立てて規制するべきではないよね」って論調なら元々の感想は持ってないと思うよ。
Re: (スコア:0)
広範囲のカテゴリの一部をどうこう言うのに、影響の有無って類似物との相対差でしか計れないから。
「他のメディアも等しく影響がある」なら「人間同士のコミュニケーションにも等しく影響がある」になるし、そこまで来ると「人間が人間であることが原因」ぐらいに主語が広がるだけになってしまう。
だからこの手のコンテキストでは「影響がある」というのは「比較的狭いカテゴライズの類似項目に比べて影響が強い」という意味に解釈しないと話が進まない。
Re: (スコア:0)
憶測の極論を元に議論を進めても絶対に結論は出ない。
Re:暴力的なゲームで攻撃的な人格は形成されない? (スコア:1)
憶測で結論は出ないのは同意するけど、極論ではなくて妥当な推論だと思う。
よければ暴力的な人たちに暴力的なゲームを与えた場合を考えるということが、なぜ極論なのか教えて欲しい。
レアケースなのは認めるけど、暴走した場合の社会的なインパクトはかなり大きい。
ここで結論出すのに必要なのは、暴力的傾向をもつ子供たちに暴力的なゲームを与えてみることだよね。
そのことでガス抜きになるのか、傾向を増長させてしまい、暴走に至る可能性はないのか...
しかし子供相手にそのような実験はなかなか行われそうにないから、やっぱり議論するしかないと思う。
Re: (スコア:0)
他コメでも指摘されてるけど、「ゲーム」に限定する理由がないと前提がおかしい。
「影響を与えうる」という根拠で語るなら、おおよそ殺人の描写がある全てのコンテンツを対象にすべき。
そこで「ゲーム」だけを切り取るなら、ゲームが他コンテンツに比べて影響が強いことを証明すべき。
どちらもしてないから妥当じゃないよ。
Re: (スコア:0)
いや、思考実験として有用だと思う。
「そんなのは極論だから」考えるのをやめる方が有害。
Re: (スコア:0)
現実の現象とどうやってすり合わせるかのビジョンがない極論や単純化は、ただの妄想や論点のすり替えでしかなくて、思考実験とは呼びません。
Re: (スコア:0)
100万人に一人、小説に過敏に反応する種類の暴力的傾向を持っているかもしれない。
100万人に一人、歌に過敏に反応する種類の暴力的傾向を持っているかもしれない。
100万人に一人、アルコールに過敏に反応する種類の暴力的傾向を持っているかもしれない。
100万人に一人、魚介類に過敏に反応する種類の暴力的傾向を持っているかもしれない。
Re: (スコア:0)
でも、もともと暴力的傾向を持っている人間に銃を与えると、どうなるのだろう?
人を殺害する方法のとても良い手段を与えることになるんじゃないかな?
または、銃を撃たなければ知らずに済んだ暴力的傾向に、気づいてしまうこともあるんじゃないかな?