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今回の件の是非は兎も角、Wikipediaの掲げる「中立性」は手段なのか、目的なのか、いまいち判らない
たとえば、明確に自身に関する嘘が書かれていても、それが(悪魔の証明的な意味で)嘘だと証明ができなければ、その記述が消せないのなその記述に「信頼できる情報源」とやらがなければ誰かが消してくれる【かもしれない】けど、それが例えばタブロイド紙や、あるいは平気で誤報をかます新聞だったりすると、もはや覆すのは困難になる
ケースバイケースとはいえ、形而上学的な「中立性」に拘るあまり、実質的な中立性・正確性を捨ててるようにも見えて、いまいち釈然としない感じはあるかな
明確な嘘なら、その記述自体に「信頼できる情報源」がないので消せるのでは?
「明確な嘘」であっても「信頼できる情報源」をでっちあげるのがマスメディアですよ。
たとえば従軍慰安婦問題、朝日の誤報が明らかになったのは何年後でしたか?それまでは朝日の記事の内容が「信頼できる情報源」として扱われていたわけですが。
そうでなくても新聞記事もTVニュースもノンフィクションを謳う書籍も捏造・歪曲当たり前。しかしそれを嘘だと指摘する側がメディアに取り上げられたり書籍化されないかぎり、情報源としては否定される。
そんなにいやなら、未来永劫覆ることのない事実だけ書かれた教科書でも読んで生きていくしかないやねぇ…。
というお花畑な妄言を否定したら、
未来永劫覆ることのない事実だけ書かれた教科書でも読んで生きていくしかない
ことにされる
意味不明すぎw
そういう方針をWikipediaは10年以上やってるんだ、ごめんね。意味不明なわけなんだけど、変えたければ参加して変えてください。
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コンピュータは旧約聖書の神に似ている、規則は多く、慈悲は無い -- Joseph Campbell
中立性は目的か手段か (スコア:2, 興味深い)
今回の件の是非は兎も角、Wikipediaの掲げる「中立性」は手段なのか、目的なのか、いまいち判らない
たとえば、明確に自身に関する嘘が書かれていても、それが(悪魔の証明的な意味で)嘘だと証明ができなければ、その記述が消せないのな
その記述に「信頼できる情報源」とやらがなければ誰かが消してくれる【かもしれない】けど、それが例えばタブロイド紙や、あるいは平気で誤報をかます新聞だったりすると、もはや覆すのは困難になる
ケースバイケースとはいえ、形而上学的な「中立性」に拘るあまり、実質的な中立性・正確性を捨ててるようにも見えて、いまいち釈然としない感じはあるかな
Re: (スコア:0)
明確な嘘なら、その記述自体に「信頼できる情報源」がないので消せるのでは?
Re: (スコア:1)
「明確な嘘」であっても「信頼できる情報源」をでっちあげるのがマスメディアですよ。
たとえば従軍慰安婦問題、朝日の誤報が明らかになったのは何年後でしたか?
それまでは朝日の記事の内容が「信頼できる情報源」として扱われていたわけですが。
そうでなくても新聞記事もTVニュースもノンフィクションを謳う書籍も捏造・歪曲当たり前。
しかしそれを嘘だと指摘する側がメディアに取り上げられたり書籍化されないかぎり、情報源としては否定される。
Re: (スコア:0)
そんなにいやなら、未来永劫覆ることのない事実だけ書かれた教科書でも読んで生きていくしかないやねぇ…。
Re:中立性は目的か手段か (スコア:0)
明確な嘘なら、その記述自体に「信頼できる情報源」がないので消せるのでは?
というお花畑な妄言を否定したら、
未来永劫覆ることのない事実だけ書かれた教科書でも読んで生きていくしかない
ことにされる
意味不明すぎw
Re: (スコア:0)
そういう方針をWikipediaは10年以上やってるんだ、ごめんね。意味不明なわけなんだけど、変えたければ参加して変えてください。