アカウント名:
パスワード:
https://genron-tomonokai.com/genron8sp/hentou/ [genron-tomonokai.com]>共同討議参加者(井上明人、黒瀬陽平、さやわか、東浩紀)この参加者に最低限の知識を求めることが間違っています。
その上で粛々と事実を叩きつけて事実の周知に務めるしかないと思います。
> 第一世代でもアーケード系とパソコン系ではぜんぜんちがう。アーケードはストリート文化なんです。作り手としても学生運動やフォークソングブームに乗っかったひとたちが流れ込んでいて、不良文化などカウンターカルチャーとも結びついていた。他方でパソコン系は技術志向というか、いわば当時の理系オタクです。
この、1980年生まれの人が「ぜんぜんちがう」と断言しちゃうのがダメなところなんだろうなぁ。ゲーセンでゼビウスしてる人が家でロードランナーやってたんだし。なんだかファンタジーな想像が楽しそうですね。
マイコン・パソコン文化の源流の一つはアマチュア無線なんだよこれは当然カウンターカルチャーとも技術志向とも親和性が高い
> 源流の一つはアマチュア無線
アメリカはそうだが、日本は違うんじゃね?
電波新聞社の月刊マイコンは、もともとはラジオの製作という雑誌の別冊からスタートしています。
そして月マの別冊としてマイコンBASICマガジンがスタート、という流れだったかと。
またこういうデマを書く人がいる……。
マイコンBASICマガジンはラジオの製作の別冊付録としてスタート、その後独立創刊しています。月刊マイコンの別冊だったことはありません。
ソースは、マイコンBASICマガジン2003年5月号(最終号)の18ページと、今年開かれたイベント「ALL ABOUT マイコンBASICマガジンII」で参加者に配布された冊子「マイコンBASICマガジン HISTORY BOOK」の1・2ページです。
記憶に頼ってデマを書く前に、ちゃんと調べましょうよ……。
雑誌「I/O」の創刊前にマイコンの記事はどこに載っていたと思う?
その答えは「電子工作」雑誌、ってなると思う。ていうか、I/O も、その創刊当時は、体裁としては「マイコンも取り扱う趣味の電子工作雑誌」 [cocolog-nifty.com]でしょ。
まあ、電子工作趣味とアマチュア無線趣味は共通項が大きくて、電子工作雑誌でアマチュア無線のネタを扱ったり、アマチュア無線雑誌で電子工作のネタを扱うのは普通のことでしたが、それでも、あくまでパソコンの源流は電子工作であって、アマチュア無線じゃないと思うなぁ。
#私が最初に買ったパソコンはPC-6001ですが、「烏城無線」って店名のアマチュア無線と電子工作部品の店で買いました。店内の半分がアマチュア無線機器、のこり半分が電子工作部品って感じの店で、その片隅にPC-6001も置いてた。当時は電子工作部品を扱ってるとこって「○○無線」って名前の店が多かったけど、私はそういう店に「アマチュア無線の店」としてではなく、あくまで「電子工作部品の店」として通ってました。
秋葉原で部品を買ってラジオの自作をしていたなんて話は叔父さんからよく聞きましたけどそのあたりですかね。
初期のマイコン記事がよく載っていたのはCQ出版のトラ技やその別冊のインターフェース誌なのだI/Oの創刊者の星さんもCQ出版出身だよアマチュア無線に必要な各種計算や制御にマイコンは非常に有用で、愛好家はその性質から強力なネットワークを持っているのでマイコン情報も早かったんだそこが単なる電子工作とは違う
1960年代から1970年代にかけて、無線はBCLや、海賊放送などのアングラ、非合法活動など今からでは想像もつかないほど親しまれ、また当時の無線はハイテクの花形で大人の趣味でもあった無線技術には高度な計算や制御が必要とされ、(米国の)お金持ちのアマチュアは中古のミニコンを使い、貧乏人はそれを指をくわえて見ていたのだが、そこにマイコンが登場したからみんな飛びついた当時は最新情報は海外の雑誌や書籍を船便で取り寄せたりミニコミ誌から得る、電子部品屋の店員や常連客から聞くのが常だったが(日本の雑誌は遅れる)、アマチュア無線家は圧倒的な情
パンピーのコンピュータに対するイメージはハイテクと非人間性の二面的なものだったが、1980年代に入りマイコンがパンピーの知るところになると、根暗趣味の筆頭はマイコンが取って代わった1980年代初頭は無線・マイコン・アニメ・アイドルが根暗趣味四天王だったのですモテない、女の子と会話のできない男だけがやる趣味だったのです(オーディオには金持ちも大勢いたしクラシック音楽に対する漠然とした尊敬があったので敬遠気味ですんだのだが)このことに触れる人は今ではほとんどいなくなってしまったが、いくら強調しても足りないと思うインベーダーゲーム以降の大ブームが去ったあとのゲーセンは不良のたまり場と思われていてイメージは非常に悪かったし、当時たくさんあった家庭用ゲーム機は子供のオモチャにすぎなかった今日のゲームやパソコンのイメージ向上はすがやみつると堀井雄二とファミコンの偉大な貢献があったからなのです
ただの無線小僧だった。局発のPLLをディジタル制御したくてコンピュータに寄り道した。そのまま帰ることはなかった。
1980年代に青春時代を過ごした女性は総じて機械音痴だね。パソコンは教えられたことしかできない。自分で調べられない。そして今でもコンピュータアイテムを嫌っている。
1960年代の半導体などの技術革新により無線・コンピュータともに飛躍的な性能向上があり、1970年代は日本のアマチュア無線の最盛期で(局数で米国を抜き日本の無線機メーカーが世界を席巻した)技術者や学生がミニコンなどに触れる機会に恵まれるようになり、個人でも高価な電卓を買う人が増え、最新の関数電卓が憧れの的でリレー回路以来の蓄積と広く流通していた汎用ロジックICのおかげでデジタル技術(ステートマシン)は広く普及していたが当時のICで実用的なコンピュータを自作することは難しく、趣味的なごく小規模な4ビットや8ビットプロセッサに留まっていたそういうところにやってきたのがマイコンというわけ無線、マイコンともにアマチュアが技術の最先端にいたのです
大学や高校のサークルや部活でもマイコンに最初に手を出したのは(もとからミニコンをよく使っていたガチや数学以外は)アマチュア無線や物理・科学一般のサークルや部活で、それが分裂したり乗っ取られたりして1970年代終わりごろからマイコン・パソコン部ができるなぜかというとゲーム目当ての連中が押し寄せてきて「パソコン部」の看板でもサークルの勧誘ができるようになったのですね
> 第一世代でもアーケード系とパソコン系ではぜんぜんちがう。アーケードはストリート文化なんです。作り手としても学生運動やフォークソングブームに乗っかったひとたちが流れ込んでい
アスキーのAXシリーズはじめMSXの初期ソフトを作っていた中に東大マイコンクラブメンバーがいて、ゲームアーツ創業メンバーとなるのでしたっけ。道理で質が飛び抜けたものがちょくちょく出た訳ですな。
はい、当時はパソコンゲーム開発者は大学生のアルバイトや契約社員が多かったのです特に地方のソフトハウスにはその地方の有力大学の学生が集まり、質の良いソフトが作られましたコンピュータ専攻の学生も少なくないので基礎もしっかりしていて、早い時期から良いコンパイラが作られたりしていました
五代ひろみさん!
男だとは・・・
その後,80年代のパソコン通信/BBSを経て,90年代にWindows95の普及と共にインターネットがアレゲ趣味のメディアとなった,って感じ?電子工作的な自作文化はマイコン/パソコンのフリーソフトに受け継がれたと見ても良いのかな.# もともと何かを作りたい意欲があった人は結構居て,# 実体がない≒法律の縛りがない(cf.アマチュア無線)から手を出すまでのハードルが下がっただけで,# 直接関連はない別個の現象だったのかも## ナイコンのくせにBASICやZ80マシン語の入門書買ってもらってた小学生(当時)のAC
PC8001のようなプラットフォームができてゲームが売られるようになったのが普及の原動力ですね自分で工作したりプログラムを書いて楽しむ人はそれ以前からいたのですが、そういう人たちもやっぱりゲームをするし、ゲーム目的の人も初期の素朴なゲームを改造したりして、それがハードにも手を出して共通の話題ができ、アマチュア無線でも電子工作でもゲーセンでもないパソコン文化が生まれたように思いますもちろん仕事で買ったけどプログラミングにハマった人も少なくないと思いますが(1980年頃の雑誌を読んだ印象です)電子工作好きな子供がワンボードマイコンにハマったりしたの
TK-80の場合はビットインに「完成させたが動かない」と持ち込まれるクレームが多く、調べると半導体を壊してしまっているケースが大半だったそうです。メーカー側としても手間がかからないはずのキットが逆に手間がかかって割に合わないので完成品を出そうという方に収束していったとか。
Altair 8800 や IMSAI とかを最初に国内に持ち込んだ業者は工人舎とかトヨムラとかその辺りの無線屋じゃなかったかな。PET-2001は工人舎で触ったな。他の業種じゃ海外から高価な電子部品のキットを取り寄せてアマチュアに売るというノウハウが無かったでしょう。
秋葉原の店舗なんかだと正にそんな感じでしたよ。
より多くのコメントがこの議論にあるかもしれませんが、JavaScriptが有効ではない環境を使用している場合、クラシックなコメントシステム(D1)に設定を変更する必要があります。
ハッカーとクラッカーの違い。大してないと思います -- あるアレゲ
そもそも (スコア:0)
https://genron-tomonokai.com/genron8sp/hentou/ [genron-tomonokai.com]
>共同討議参加者(井上明人、黒瀬陽平、さやわか、東浩紀)
この参加者に最低限の知識を求めることが間違っています。
その上で粛々と事実を叩きつけて事実の周知に務めるしかないと思います。
Re: (スコア:2, すばらしい洞察)
> 第一世代でもアーケード系とパソコン系ではぜんぜんちがう。アーケードはストリート文化なんです。作り手としても学生運動やフォークソングブームに乗っかったひとたちが流れ込んでいて、不良文化などカウンターカルチャーとも結びついていた。他方でパソコン系は技術志向というか、いわば当時の理系オタクです。
この、1980年生まれの人が「ぜんぜんちがう」と断言しちゃうのがダメなところなんだろうなぁ。
ゲーセンでゼビウスしてる人が家でロードランナーやってたんだし。
なんだかファンタジーな想像が楽しそうですね。
Re: (スコア:0)
マイコン・パソコン文化の源流の一つはアマチュア無線なんだよ
これは当然カウンターカルチャーとも技術志向とも親和性が高い
Re:そもそも (スコア:0)
> 源流の一つはアマチュア無線
アメリカはそうだが、日本は違うんじゃね?
Re:そもそも (スコア:2)
電波新聞社の月刊マイコンは、もともとはラジオの製作という雑誌の別冊から
スタートしています。
そして月マの別冊としてマイコンBASICマガジンがスタート、という流れだったかと。
ベーマガは月刊マイコン別冊ではない (スコア:0)
またこういうデマを書く人がいる……。
マイコンBASICマガジンはラジオの製作の別冊付録としてスタート、
その後独立創刊しています。
月刊マイコンの別冊だったことはありません。
ソースは、マイコンBASICマガジン2003年5月号(最終号)の18ページと、
今年開かれたイベント「ALL ABOUT マイコンBASICマガジンII」で
参加者に配布された冊子「マイコンBASICマガジン HISTORY BOOK」の
1・2ページです。
記憶に頼ってデマを書く前に、ちゃんと調べましょうよ……。
Re: (スコア:0)
雑誌「I/O」の創刊前にマイコンの記事はどこに載っていたと思う?
Re:そもそも (スコア:2)
その答えは「電子工作」雑誌、ってなると思う。
ていうか、I/O も、その創刊当時は、体裁としては「マイコンも取り扱う趣味の電子工作雑誌」 [cocolog-nifty.com]でしょ。
まあ、電子工作趣味とアマチュア無線趣味は共通項が大きくて、
電子工作雑誌でアマチュア無線のネタを扱ったり、
アマチュア無線雑誌で電子工作のネタを扱うのは普通のことでしたが、
それでも、あくまでパソコンの源流は電子工作であって、アマチュア無線じゃないと思うなぁ。
#私が最初に買ったパソコンはPC-6001ですが、「烏城無線」って店名のアマチュア無線と電子工作部品の店で買いました。店内の半分がアマチュア無線機器、のこり半分が電子工作部品って感じの店で、その片隅にPC-6001も置いてた。当時は電子工作部品を扱ってるとこって「○○無線」って名前の店が多かったけど、私はそういう店に「アマチュア無線の店」としてではなく、あくまで「電子工作部品の店」として通ってました。
Re: (スコア:0)
秋葉原で部品を買ってラジオの自作をしていたなんて話は叔父さんからよく聞きましたけどそのあたりですかね。
Re: (スコア:0)
初期のマイコン記事がよく載っていたのはCQ出版のトラ技やその別冊のインターフェース誌なのだ
I/Oの創刊者の星さんもCQ出版出身だよ
アマチュア無線に必要な各種計算や制御にマイコンは非常に有用で、愛好家はその性質から強力なネットワークを持っているのでマイコン情報も早かったんだ
そこが単なる電子工作とは違う
Re: (スコア:0)
1960年代から1970年代にかけて、無線はBCLや、海賊放送などのアングラ、非合法活動など今からでは想像もつかないほど親しまれ、また当時の無線はハイテクの花形で大人の趣味でもあった
無線技術には高度な計算や制御が必要とされ、(米国の)お金持ちのアマチュアは中古のミニコンを使い、貧乏人はそれを指をくわえて見ていたのだが、そこにマイコンが登場したからみんな飛びついた
当時は最新情報は海外の雑誌や書籍を船便で取り寄せたりミニコミ誌から得る、電子部品屋の店員や常連客から聞くのが常だったが(日本の雑誌は遅れる)、アマチュア無線家は圧倒的な情
Re: (スコア:0)
パンピーのコンピュータに対するイメージはハイテクと非人間性の二面的なものだったが、1980年代に入りマイコンがパンピーの知るところになると、根暗趣味の筆頭はマイコンが取って代わった
1980年代初頭は無線・マイコン・アニメ・アイドルが根暗趣味四天王だったのです
モテない、女の子と会話のできない男だけがやる趣味だったのです
(オーディオには金持ちも大勢いたしクラシック音楽に対する漠然とした尊敬があったので敬遠気味ですんだのだが)
このことに触れる人は今ではほとんどいなくなってしまったが、いくら強調しても足りないと思う
インベーダーゲーム以降の大ブームが去ったあとのゲーセンは不良のたまり場と思われていてイメージは非常に悪かったし、当時たくさんあった家庭用ゲーム機は子供のオモチャにすぎなかった
今日のゲームやパソコンのイメージ向上はすがやみつると堀井雄二とファミコンの偉大な貢献があったからなのです
Re: (スコア:0)
ただの無線小僧だった。
局発のPLLをディジタル制御したくてコンピュータに寄り道した。
そのまま帰ることはなかった。
Re: (スコア:0)
1980年代に青春時代を過ごした女性は総じて機械音痴だね。
パソコンは教えられたことしかできない。自分で調べられない。
そして今でもコンピュータアイテムを嫌っている。
Re: (スコア:0)
1960年代の半導体などの技術革新により無線・コンピュータともに飛躍的な性能向上があり、
1970年代は日本のアマチュア無線の最盛期で(局数で米国を抜き日本の無線機メーカーが世界を席巻した)
技術者や学生がミニコンなどに触れる機会に恵まれるようになり、個人でも高価な電卓を買う人が増え、最新の関数電卓が憧れの的で
リレー回路以来の蓄積と広く流通していた汎用ロジックICのおかげでデジタル技術(ステートマシン)は広く普及していたが
当時のICで実用的なコンピュータを自作することは難しく、趣味的なごく小規模な4ビットや8ビットプロセッサに留まっていた
そういうところにやってきたのがマイコンというわけ
無線、マイコンともにアマチュアが技術の最先端にいたのです
Re: (スコア:0)
大学や高校のサークルや部活でもマイコンに最初に手を出したのは(もとからミニコンをよく使っていたガチや数学以外は)アマチュア無線や物理・科学一般のサークルや部活で、それが分裂したり乗っ取られたりして1970年代終わりごろからマイコン・パソコン部ができる
なぜかというとゲーム目当ての連中が押し寄せてきて「パソコン部」の看板でもサークルの勧誘ができるようになったのですね
> 第一世代でもアーケード系とパソコン系ではぜんぜんちがう。アーケードはストリート文化なんです。作り手としても学生運動やフォークソングブームに乗っかったひとたちが流れ込んでい
Re: (スコア:0)
アスキーのAXシリーズはじめMSXの初期ソフトを作っていた中に東大マイコンクラブメンバーがいて、ゲームアーツ創業メンバーとなるのでしたっけ。道理で質が飛び抜けたものがちょくちょく出た訳ですな。
Re: (スコア:0)
はい、当時はパソコンゲーム開発者は大学生のアルバイトや契約社員が多かったのです
特に地方のソフトハウスにはその地方の有力大学の学生が集まり、質の良いソフトが作られました
コンピュータ専攻の学生も少なくないので基礎もしっかりしていて、早い時期から良いコンパイラが作られたりしていました
Re: (スコア:0)
五代ひろみさん!
男だとは・・・
ハイテクメディアの変遷(私見) (スコア:0)
その後,80年代のパソコン通信/BBSを経て,90年代にWindows95の普及と共にインターネットがアレゲ趣味のメディアとなった,って感じ?
電子工作的な自作文化はマイコン/パソコンのフリーソフトに受け継がれたと見ても良いのかな.
# もともと何かを作りたい意欲があった人は結構居て,
# 実体がない≒法律の縛りがない(cf.アマチュア無線)から手を出すまでのハードルが下がっただけで,
# 直接関連はない別個の現象だったのかも
## ナイコンのくせにBASICやZ80マシン語の入門書買ってもらってた小学生(当時)のAC
Re: (スコア:0)
PC8001のようなプラットフォームができてゲームが売られるようになったのが普及の原動力ですね
自分で工作したりプログラムを書いて楽しむ人はそれ以前からいたのですが、そういう人たちもやっぱりゲームをするし、
ゲーム目的の人も初期の素朴なゲームを改造したりして、それがハードにも手を出して共通の話題ができ、アマチュア無線でも電子工作でもゲーセンでもないパソコン文化が生まれたように思います
もちろん仕事で買ったけどプログラミングにハマった人も少なくないと思いますが
(1980年頃の雑誌を読んだ印象です)
電子工作好きな子供がワンボードマイコンにハマったりしたの
Re:ハイテクメディアの変遷(私見) (スコア:2)
TK-80の場合はビットインに「完成させたが動かない」と持ち込まれるクレームが多く、調べると半導体を壊してしまっているケースが大半だったそうです。
メーカー側としても手間がかからないはずのキットが逆に手間がかかって割に合わないので完成品を出そうという方に収束していったとか。
Re: (スコア:0)
Altair 8800 や IMSAI とかを最初に国内に持ち込んだ業者は工人舎とかトヨムラとかその辺りの無線屋じゃなかったかな。
PET-2001は工人舎で触ったな。
他の業種じゃ海外から高価な電子部品のキットを取り寄せてアマチュアに売るというノウハウが無かったでしょう。
Re: (スコア:0)
秋葉原の店舗なんかだと正にそんな感じでしたよ。