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その際たるものが、PSYVARIARのBUZZシステム(だっけ? かするやつ)あたりですかねぇ。 自機の当たり判定を的確に把握して弾幕を紙一重でかわせる人には面白かったかもしれないけど、ライトプレイヤーに受け入れられるはずもなく…
より多くのコメントがこの議論にあるかもしれませんが、JavaScriptが有効ではない環境を使用している場合、クラシックなコメントシステム(D1)に設定を変更する必要があります。
開いた括弧は必ず閉じる -- あるプログラマー
まぁ、妥当な線では (スコア:3, 興味深い)
喉から手が出る程待ち望んでいた事ではないでしょうか?
一時は、セガの規模からすると引取れる体力のある企業は日本には無く、
MS位しか引取り手が居ないんじゃないかとまで言われていただけに、
サミーが無事引き取ってくれて良かったんじゃないかと思います。
Re:まぁ、妥当な線では (スコア:1)
Re:まぁ、妥当な線では (スコア:1)
贈与額は2000億円とも言われていますし。
Re:まぁ、妥当な線では (スコア:1)
セガの内情はそこそこ聞いていますが、一部社員が会社を私物化するわ、会長の道楽でアレコレ動かされるわで駄目になって、リストラ対象者を一日中監禁するような事までやって退職を強要するような苛酷なリストラをやって、それでもダメで結局吸収…
セガの中の人(経営幹部除く)も大変だな。って冗談抜きで言いたくなりますね…。
Re:まぁ、妥当な線では (スコア:0)
なんだかんだ言っても、セガが駄目になったのには開発のレベルが
低下してしまったのが原因ではないでしょうか?
AM業界が先細りだと言うことを考えても、最近のゲームでメガヒットが
全然無いと言うのは痛すぎるかと。
AMとCSの開発を統合した上、分社化→一部再統合なんてやってるから…
Re:まぁ、妥当な線では (スコア:2, すばらしい洞察)
>低下してしまったのが原因ではないでしょうか?
一介のセガファンとして、外部からセガを見ている印象なので、
事実とは違う考察かもしれませんが、
セガの開発のレベルが低下したというよりは、
ゲームが(とくに家庭用ゲームが)ポリゴン全盛時代になってからは、
ゲームの開発に必要とされる技術的/プログラミング的スキルが上がったので、
本来ならば、外部から、高い能力(スキル)を持った人を中途採用するか、
もしくは自社内で、ゲーム業界全体のレベル向上に合わせて、
きちんとスキル養成する制度なりシステムを整えなければいけないはず。
ゲーム関係のプログラマーさんには、
スキルは自分で勉強して付けるものだという考えの人も多いようですが、
やはり、とくに大企業内で日々の仕事をこなしながら、
個人だけの力で、必要とされる最新技術の全てを網羅して勉強するのは、
キツイ、というか非効率だと思われます。
完全に一人で勉強をするんなら、何のための組織だヨ!ってことになるし・・・。
もちろん、セガにも、学習システムや技術的スキル向上システム(社内講座や学校?)
は、有ったのだろうと思いますが、
その社内システムや教育の方法論を決めたり考えたりするのは、
セガ社内の上層部なわけで・・・・。
何をやっても苦労するような会社(集団)に、有能な人は中途採用で集まりにくいし、
社内で頑張っている人にも限界ってものが有るだろうし、、、
大量のゲームタイトルを、過酷なスケジュールで同時に作らされると、
グラフィックスの作り込みも、3Dモデリングの作り込みも、
満足に高められないままマスターアップにするしか無くなるわけだし、
プログラミングやアルゴリズムの熟成や、
ゲームシステム自体を熟成させるのに必須の思考錯誤も十分にできないだろうし、
結果、「荒くて硬い」悪い意味でセガっぽいゲームを出荷することになり、
開発者の自尊心が傷ついて、モチベーションが下がる・・・・。
このようなループが、90年代以降のセガには蔓延していたように見えます。
そんな中でも、頑張って、
ハイクオリティーなゲームを出していたセガ内の開発部門も有りますが・・・。
ゲーム開発会社って、こういうループに陥って行き詰まったところが多いですよね、
データイーストしかり、UPLしかり、旧アイレムしかり、コンパイルしかり・・・・。
パソコン系も含めれば、他にも多くの印象深いメーカーが消滅しました。
これらのどのメーカーも、その全盛期には、
独創的で優れた発想のゲームを作れる開発人員と開発部隊が有りました。
しかしなぜかメーカーとしては崩壊しました。
原因を考えれば、大きいのは経営陣の経営面の失策だろうし、
社内で、一般社会の常識では信じられないような事件ばかりが頻発して(笑
社内の雰囲気が荒廃して、「組織」としての仲間意識や帰属意識が維持できなくなったりしたんだろうなぁ・・・と想像しています。
しかし、今ごろになって、
アニメやゲームは日本の文化だ!金銭的にも輸出産業だ!とか言い出した
日本政府や東京都さん、遅いよ!(笑
データイーストやUPLや、
縦スクロール横スクロール・シューティングゲーム系メーカーが崩壊する前に
手助けしてやってくれてれば・・・!
コンピュータービデオゲームの進化と変化の歴史を、
文化だと考えるなら、任天堂やナムコやセガやタイトーやコナミも重要だけれど、
独創性とこだわりで突っ走った中小メーカーの方が重要だとも言えるんだよなぁ。ほんとうに。
Re:まぁ、妥当な線では (スコア:2, 参考になる)
>縦スクロール横スクロール・シューティングゲーム系メーカーが崩壊する前に
シューティングゲームは滅びる運命にあったと思います(まだ絶滅してないけど)。だんだん弾幕が芸術的かつ、難易度が高くなるの相乗効果というか、シューティングゲームファンとメーカーとのいたちごっこみたいな進化しかしてないというか、ステージの最後には必ずボスがいて2ボタン式のショット+ボムの単調なシステムが殆ど。 バリエーションを出すとしたらグラフィックと弾幕とBGM、後は何か新しい要素がついてくる程度で進化なんて雀の涙程度。
潰れて当たり前だったのかも。今じゃシューティングゲームなんてバクチに近いかも、作る勇気のあるメーカーさんは老舗くらいでは?
何気にネットワークシューティングゲームだとか(メタルホークの自機を各自所有できて1つの空間を共有してチューニングしながらどこかの誰かと協力プレイで戦艦を撃沈するとか、たまに自分の格納庫を集団PKが攻めてくると尚良し)、自分が敵側に回ってザコやボスをうまく配備して主人公を倒すゲームとか、3Dなファンタジーゾーンとか(PCエンジンで出るとかいう話がいつの間にかなくなったんだっけか?)、格闘ゲームのシステムを組み込んだシューティングゲームとか(SFXVIみたく最強装備ビックバイパー同士の闘いは熱いというか、ゲームにならんかも、あ、アトミックロボキッドは自機と同タイプの敵との対戦ステージがあったね)、あぁ、なんかあまり思いつかん(笑) シューティング好きが一般人が受けるようなシューティングを作るのは難しいかもしれませんが、もっと一般受けするように努力して色々な形で進化させるべきだったのかもしれません。そうすれば一般人に受け入れられつつも一方で好き勝手なゲームを出すというスタイルも出来たのかも。
なんか一目見ただけで「あ、絵が変わっただけか」と思われるようなものが殆どなのがあまりにも寂しいです、例えば、サイキョーのシューティングが全部同じに見えてしまいます。
あぁ、でも金銭的な部分だけが手助けとは限らないか。もちっと「一般受けするものを望んでる」とか、「いい加減弾幕は一般人には無理だっちゅーの、やめれ」とか、「エンターテイメントなシューティングゲームをもちっと出しやがれ」とか色々口出しして市場のニーズを伝えるとかシステムを進化させるために一緒に考えてくれるとかそういうのもありですよね、というわけで、
ごめんなさい、突っ込みは取りやめます、でも一応書いてしまったのでそのまま投稿だ(笑)
#他のジャンルについてはとりあえずようわかりません、超STG大好き人間なのでID。
#そういえば、「はちゃめちゃファイター [ic-net.or.jp]」はめちゃくちゃキャラクターがかわいいのだが、その難易度ギャップにだまされて二度とSTGなんかせんぞとか思った人もいるかもしれず(笑)
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Re:まぁ、妥当な線では (スコア:1)
その際たるものが、PSYVARIARのBUZZシステム(だっけ? かするやつ)あたりですかねぇ。
自機の当たり判定を的確に把握して弾幕を紙一重でかわせる人には面白かったかもしれないけど、ライトプレイヤーに受け入れられるはずもなく…
文化とコンピュータービデオゲーム :長文 (スコア:1)
~中略~
>潰れて当たり前だったのかも。今じゃシューティングゲームなんてバクチに近いかも、
いやいや、日本政府や東京都が、
コンピュータービデオゲームを、
本当に「文化」として、認識すると言うのなら、
採算性や事業性は、ある意味では関係無いと考えたわけで。
「文化」の場合は、需要すら度外視する場合も有るわけで。
文化ならば、バクチなんですよ。絵画とかポエムとか詩とかを考えてみれば分かるはず。
ただ、ゲームの場合は、フリーソフトやGPLソフトで無い限り、
文化であるのと同時に、商業物でもあるので、100%バクチだと成り立ちませんという点は有ります。
「文化」って何?とか、「価値観」って何?と考えると、
いろいろな考え方が有りますが、例え話で説明すると、
例えば、有名作家作品なら、水墨画の掛け軸一本で、
数百万円したり数千万円したりするわけですよね。
例えば、この前あった事件で、
絵としての価値だけで言ったら1万円~2万円程度の価値しか無い絵が、
ゴッホの絵画だと分かっただけで6600万円になっちゃうわけですよね。
もちろん、無名作家の水墨画の掛け軸なんて、金銭的価値は無いに等しいし、
仮に、私が掛け軸を描いても、世間的な金銭的価値はゼロ円です。
なんでなんでなんで? と、考えてみましょう。
水墨画も、物質としては、単なる紙の上に炭素の粉が貼りついているだけですし、
2万円の絵画も、6600万円のゴッホの絵画も、どちらも、
布の上に、絵の具が載っているだけですよね。
でも、「価値観」として、数百万円になったり数千万円になったり、数億円になったりしてるわけです。
そして、なぜ、そういう価値観が出来あがったかを解析すると、
「この作者は、美術史上、画期的なことをやった」とか、
「この作者は、日本画の歴史上、画期的な技法と美しさを達成したから」とか、
そういう歴史的認識や歴史的テクストの蓄積が、親世代から子世代へ、
周囲の身近な人間関係や、文章や、映像などを媒体として伝わっているからですよね。
そこで考えてみましょう。
例えば、日本の相撲界の内部や相撲ファンの間では、
横綱を、ちょっと異常なほど、「特別な存在、1段高い存在、孤高、至高」と見て、
「とんでも系リスペクト」するシキタリが有りますよね。
しきたりというか、風習というか。ね。
そこで、例えば、ヨーロッパでもアフリカでも北南米大陸でもどこでも良いですが、
日本とは全然無関係な国の、日本文化には特別の興味が無い人物が、
相撲取りの横綱を、「スモーレスラーのチャンピオン」だと聞いて、
日本の相撲界内部の人間や相撲ファンが感じるような強度の、
「特別な存在、1段高い存在、孤高、至高」という受け取り方をするでしょうか?
もちろん、「あぁ、きっと強いんだね、力持ちなんだねぇ」という感想くらいは持つでしょうが。
逆に、その、日本とは特に関係が無い国の、
普通の日本人は聞いたことも無いような「国技」や「人気のスポーツ」の
チャンピオンだ、と、人物を紹介されても、
普通の日本人だと、「はぁ、凄いんですね、きっと強いんですね」くらいの感想しか感じないと思いませんか?
きっと、その当事国では、大スターで、「特別な存在、1段高い存在、孤高、至高」と受けとめられていて、
金銭的にも莫大な収入だったりしているはずですよね。
これは、なぜでしょう?
その横綱やチャンピオンの能力は、
日本人の前に居る時と、外国人の前に居る時では、変化したのでしょうか?
能力は変化するわけ無いから、同じままですよね。
では、なぜ、見る人によって「特別な存在、1段高い存在、孤高、至高」と感じたり感じなかったりするのでしょうか?
その答えは「価値観」ですよね。
人間(動物も同じ)を根本的に考えてみると、
人生の始まりである産まれた瞬間から(正確には母親のお腹の中から)、
人間の脳は、目や耳や鼻や口や触覚などなどの感覚器官から入力される情報を処理して、
それを経験として蓄積して成り立っているわけですよね。
その、産まれてから、感覚器官からの信号として脳に蓄積された情報の総体が、
「価値観」の根源になっていると考えられるわけです。
もう一つ、別の例え話を考えてみましょう。
有名な話ですが、プロ野球(というか野球は)という競技は、
ほとんど、アメリカや日本、台湾、韓国くらいの国でしか盛んではありません。
もちろん、それ以外の国でも野
ロン!リーチのみ。(Re:文化とコンピュータービデオ (スコア:1)
ゲームを文化と認めるとしたらとりあえずゲーム会社の人たちには文化人である事を誇りに思ってもらいつつ世間一般に受け入れられるものを劇希望いたしもうす。
あ、シューティングゲームはボスオンパレードでとってもでかくてカタイ奴をよろしく(マテ
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デジタライズ・マインド (スコア:1)
すすす、すいません。
セガマニアは、言葉通りの偏執狂 [infoseek.co.jp]なんです。
infoseek辞典より:偏執狂→一つのことに異常な執着をもち、常軌を逸した行動をする人。偏執狂(へんしゆうきよう)。偏狂。
セガマニアは日本人ではないのです。
セガ人(せがびと/せがじん)なのです。
よく、アメリカ人が、一般の日本人には想像も出来ないような
トンデモ無い事件を起こしてニュースになりますが、
そのアメリカ人と日本人の脳は、生物学的には同一ですよね。
違いは無い。では、なぜ価値観や倫理観や行動や違ってくるかと言うと、
それは、分析的に考えてみれば、
産まれてから現在までの、
周囲の身近な人物との係わり合いの経験の蓄積と、
それにプラスして、近代社会ならマスメディアからの情報を脳内で蓄積。
(それらは、目や耳や鼻などの五感(感覚器)からの単なる
情報(シグナル)として、脳というプロセッサーに送られ、その中で処理される。
つまり、自然情報も人工情報も真実も嘘も、脳にとっては本質的には差は無い。この恐ろしさに気付けよ乙女。)
そしてその2種類の情報を脳が脳内でブレンドして、
個人の脳内で、その個体固有の価値観が自然発生する。
つまり、セガ黄金期にセガ人だった人は、
メガドライブのカートリッジはバイト代を注ぎ込んで全部買い、
昼でも夜でも、いつゲーセンに行っても、なぜかそこに居て(笑。
10代~20代の多くの時間と脳の処理時間を、そして自身の周辺環境を、
セガのゲームと、その周辺のセガ情報の処理で埋め尽くし、
目や耳や鼻や触覚など感覚器から送られる情報を、
脳で処理して経験として蓄積しているので、
ある意味では、セガ人は、アメリカ人よりも日本人から遠い存在です(笑。
マジで、社会科学や比較文化論や民俗学的に見て、
文化や価値観が本当に違う種族になっているんですよ。
冗談で書いていると思われるかもしれませんが、
ころ論理は、もちろん完全ではないにしろ、
(少なくとも私は)かなり確度が高いと考えています。(笑
「フレームの元」とモデレートされそうな人とか言われちゃったかもしれないけれども、
全てのフレーム(過剰な論争)が、同等に悪だとは思っていないのでする。
なぜならば、
まったく本当に無意味な論争で、何の方向性も、もしくは、
面白がるためのメタ方向性地球周回軌道を外れてメチャクチャに飛んで
いってしまって見える人工衛星(論争)でも、
その無駄で猛烈な推進パワーによって、
何かの弾みで、万が一、第2宇宙速度を超えたりしたら、
地球の重力をのがれ、地球周回軌道から出てゆくことも有るからです。
つまり何の役にも立たない単なる失敗人工衛星だとしか見えないものが、
実は、失敗人工衛星どころか、
それは一段階新しいレベルの、新たなる人工惑星のシード(種)となる胎動だったのかもしれないからです。
地球周回軌道から太陽周回軌道へのintrinsic leapは、
理知的に、論理的に、初めから完全に狙って計画通りに起こすことは、
なかなか難しい・・・のではないだろうか、と私は考えています。
初めから狙っていて首尾良くそれを見つけるのではなく、
実験の途中で偶然に発見される発明や発見は、意外に多いという話です。
ただ、注意しなくてはならない点は、
第3宇宙速度を超えてしまうと、太陽系外へ飛び出してしまい、
たんなる電波系やとんでも系になってしまうので、
大軌道修正用メインロケットエンジンの噴射時間の さじ加減は、
非常に微妙ですよね(笑。
電波さんやトンデモさんが、一人なら、
個人に搭載されたロケットエンジンの出力以上の推進力は出せませんが、
電波さんや、トンデモさんが複数人数、フレーム(過剰な論争)に参加すると、
超重量級の妄想&ルサンチマン質量をペイロードとして搭載した衛星同士のガチンコ勝負なので、
お互いがお互いの巨大質量とトンデモ重力を利用してスイングバイして、
まるで、夢の永久機関のように、簡単に第3宇宙速度を超えてしまう可能性が高くなるので、
ここんとこ試験に出ます。要チェックやで~!(笑。
時代が泣いている。
Re:デジタライズ・マインド (スコア:1)
一言で言うなら「Taiyakissさんはセガが世界一」の一言で要約しちゃってもよろしいでしょうか?(^^
とりあえず私はメガドライブでエイリアンソルジャーとガンスターとスペースハリアー2とスーパーファンタジーゾーンが遊べれば満足だったりします。 そういえばテラドライブはいったいどこにいったんだろう。一度も現物を見た事がなかったりして(^^;
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Re:まぁ、妥当な線では (スコア:0)
>日本政府や東京都さん、遅いよ!(笑
いいかブラザー、政府が保護に本腰を入れて来たって事は絶滅危惧種に認定されたってことだ(爆
Re:まぁ、妥当な線では (スコア:0)
Re:まぁ、妥当な線では (スコア:0)
セガってサターン時代でも(個人的には)結構面白いゲームを作ってましたよ。
(少なくともPSの多くのゲームよりは)
>> なんだかんだ言っても、セガが駄目になったのには開発のレベルが
>> 低下してしまったのが原因ではないでしょうか?
と言う意見は、バーチャ全盛時代からNAOMI時代に移るまでの事だと解釈してるんですけど、違いますかね・・・?
で、個人的にはNAOMIが今回の末路を生む原因かな、と。
素直にModel4やら5を作っていれば、PS2やX-BOXなどが出ても
業務用のアドバンテージはそれなりに
サターン以前からのセガユーザーとしての視点 (スコア:1)
>セガってサターン時代でも(個人的には)結構面白いゲームを作ってましたよ。
>(少なくともPSの多くのゲームよりは)
うん、私も、サターン時代にも、
全てのセガ社内開発ゲームがダメだったとは思いません。
面白いゲームも出していたと思いますよ。
ただ、マーク3~メガドラ時代からの初期のセガファンだった当時の私は、
ゲームを、
グラフィックスのクオリティーと、
プログラミングテクニック、そして、
限られたハードウエア資源を、どのように駆使しているかを、
それぞれの要素を分解して解析して、
「このゲームが、どのようなプロセスで制作されているか、
そして、開発環境はどんな状態なのか」を、
分析的に見る目が厳しくなりすぎていて(笑、
当時、サターンのゲームを見ると、
グラフィックスは、とにかく量的にボリュームを増やして、
周囲の平均レベルに追いつかせる(量的な)作業で手一杯、精一杯に見えたし、
プログラミングテクニック的にも、
サターンゲームのプログラマーは、サターンのハードの、
富士通FM-7的な、頭でっかち大失敗設計思想に苦労させられながら、
とにかく3Dポリゴンを少しでも多く出して、
スムーズに動かすことだけで手一杯で、精魂尽き果てているように感じられてしまい、
2D描画がメインのゲームは別として、ポリゴン系のゲームは、ほとんど全て、
どれを見ても、
「このゲームを、この同じ製作スタッフで、
ソニーのプレイステーション上で開発することが出来ていたら、
サターン上の開発作業では技術的なローレベルなプログラミング作業に割かれていた
苦労や労力の部分を節約できて、その分、
もっともっと、余裕を持って、作品を深く、作り込めたはずだろうに・・・。」
という感想になってしまい、
私の思い出の中の多くのサターンゲームは、残念無念感が強いのです。
ゲーム自体の出来が悪いのでは無く、環境と戦略をキチント整えてあげていれば、
クリエイターは、絶対にもっと良い物を作れたはずなのに・・・。という悔しさ。
私が書いた、セガとMY青春。 [srad.jp]を読んで貰えたら分かると思いますが、
私は、セガ内部のクリエイター(ハード/ソフトの開発部隊)のことは、
悪く言っていないつもりです。
セガファンだったわけですから、セガの作品は好きだったわけです・・・。
しかし、、、愛するものとして(大げさ)、
セガの、企業としての戦略に、疑問と不満が有りまくりです。
企業としての戦略は、社内の一介のクリエイターにはどうにもならなかったはずですよね。
だから、やたらに、セガ上層部セガ上層部と書いたんです・・・。
NAOMI基板の前にも、
サターンのアーキテクチャーベースのアーケード基板である、
ST-V基板(だったかな?)も有りましたね・・・。
というより、古いセガファンから見れば、
セガの家庭用ゲーム機は、
8bit機時代も、16bit機時代も、32bit機世代に入っても、
企業としてのセガ上層部の戦略は、シッチャカメッチャカだったんですよ・・・。
アーケードゲーム機や、アーケードシステムマザーボードの開発は、
セガ全盛期のアーケードのハード開発部門に在籍していた人材が、
爆発的に独創的で優秀だったおかげなのか、奇跡的に上手くいっていましたが、
これも、セガを企業として経営や運営をする上層部の能力の高さだったとは、
少なくとも私は考えていません・・・。
なんていうかな、、、そういうことなのです。
Re:サターン以前からのセガユーザーとしての視点 (スコア:0)
SH系使わなければ、無駄な開発コストも要らなかっただろうし。
SH使って一度失敗してるのに、またSH使って転けたのはなんとも。
Re:サターン以前からのセガユーザーとしての視点 (スコア:0)
ところで、ST-Vを例に出さなかった理由は、取るに足らない存在だからです(苦笑
書き忘れましたけど、SGLは衝撃的でしたね。
「”あの”サターンでここまでやれるんか!」と、当時はビックリしたものです。
あとご指摘の通り、PSがセガのハードだったらと思う事はかなりあります。
でも、DCがPSに見えるのは気のせいでしょうか?
セガハード史上まれに見る出来でありながら、あまりの出来の良さに、
業務用で
ゲーム機のCPU選択+セガの良い点を誉める (スコア:1)
すまんことです、長文です。
家庭用ゲーム機のCPU選択についてと、
あまりにもセガの問題点だけを挙げ連ねて、けなし過ぎたので、
良い部分も書きたいと思います。
>やっぱ、SHに嵌められたのかなのぁ…
>SH系使わなければ、無駄な開発コストも要らなかっただろうし。
うーん、そうですね。でも、一般論しか書けないけれど、
CPU選択というのは、CPUアーキテクチャ選択だけの問題では無く、
各方面の、様々なファクターが複雑に関係し合って、
その結果、製品が成功したり、失敗したり、普通の売上げだったりするので、
SHアーキテクチャのCPUを選択したことだけが性能や単純に悪かったとは言えない。
まず、CPU周辺をハードウエア面からのファクターを考えると、
CPU内部の1次キャッシュメモリの量や方式や効率の良し悪しも有るし、
CPUのパッケージから、外部へ出ているバスラインの方式や効率も有るし、
もちろんクロックスピードの速さ遅さも有るし(これはCPU製造メーカー側の生産/設計能力のファクター)、
もちろんもちろん、CPUのコア自体のアーキテクチャも有るし。
CPU周辺をソフトウエア面(根本的な開発環境)からのファクターを考えると、
上で書いたCPUのハードウエア上のファクターを最大限に効率良く使いこなす、
非常に優れた最適化が出来るコンパイラやアセンブラが用意されているかどうか、
デバッガが使いやすいかどうか、などなどの全てが非常に重要ですよね。
結局、ARM系にしてもMIPS系にしてもSH系にしても、
上で挙げたようなファクターの全てが整わないと、
高い性能は出ないので、SHだからダメだったというわけでは無いと思います。
実際に、私は、ドリームキャストの場合は、
CPUやグラフィックスチップなどのハードウエアだけなら、決して悪くないと思います。
上では、CPU周りだけのアーキテクチャの話をしましたので、
次は、ゲームマシン全体のアーキテクチャの話をチョロッとしたい!
私は、サターンのハードウエア設計思想は好きでは無いと書きましたが、
いろいろな所で、よく言われている通り、
プレステ2のハードウエア設計思想は、
実は結構、サターンやニンテンドウ64の設計思想に似た感じの、
「複雑&特殊&切り捨てた部分と執着して設計した部分の激しい混在」
的な設計思想になっていると思います。(少なくとも私の感覚では。)
プレステ2がプレステ1のCPU+要素部品をワンチップ化してサブCPUとして搭載したように、
サターンはツインSHに+して、自社の過去のゲーム機で使ったモトローラ68k系とZ80系のCPUをサブCPU的に積んだように。
ニンテンドウ64のCPU周りとグラフィックス複合チップ内部のアーキテクチャの全体を俯瞰して見ると、
不思議と、プレステ2の設計思想に似ていますよね。
これも、よく言われていることですが、
ドリームキャストは逆に、プレステ1のようなシンプルな、
強力なグラフィックスチップ+単純で強力なCPUという、すっきりした構成でしたね。
今まで書いてきたような、
CPU周りのハードとソフト、ゲーム機全体のアーキテクチャ、
グラフィックスチップなどの重要な要素部品などは、
「お金さえ出せば作れる」と思ってしまいがちですが、
それは大きな勘違いですよね・・・。
それらを開発するためには、
全てにおいて、「人的資産」が重要です。
もちろん予算(コスト)や、十分な開発期間(納期)も重要ですが、
やはり一番だいじな部分は人材(人的資産)です。
LSIの設計にしても、LSIの製造プロセス構築にしても、
ソフト面での、コンパイラやアセンブラなどのローレベルな開発ツール郡の開発にしても、
ゲーム機全体のアーキテクチャ構築にしても、
能力が高い人に50億円を渡して開発を任せるのと、
能力が平凡な人に50億円を渡して開発を任せるのと、
能力が無い人に50億円を渡して開発を任せるのでは、
実現できる根本性能にも納期にも圧倒的な差が出てしまいます。
ソニーや任天堂が勝てていたのは、やはり、
ハードウエア面でもソフトウエア面でも、LSI設計製造面でも、
優秀な人材を徹底的に集めて使うことに、ある一時期は成功したからでしょうね・・・。
人材と言うと、ゲームソフトの企画開発で例えると分かりやすいです。
青詐欺とか白詐欺とか、いろいろ呼び方は有りますが。
ペテン師(詐欺師)的な人が多いんですよ(笑。
人材には4つくらいパターンが有ります。
まず、多いのは、
ノーサイド (スコア:1)
あまりにも思い入れタップリに書き込みすぎていたので、
反省して、今回は、論理的に要点だけ簡潔に書きたいと思いまする。
>ところで、DCを捨てた時にかなり呆れただけで怒りを収めたものの、
>今回の件で「職人企業では無くなってしまうな」と言う思いが強いです。
>そんなセガをTaiyakissさんは今まで通りの愛情を注げますか?(苦笑
うーむ、前の書き込みでも書いたのですが、
実は、マーク3時代からセガマニアだった私は、
セガの家庭用ゲーム機が、メガドライブからサターンへと機種が変わった時点で、
セガマニアで居ることを自分自身で終わりにしました。
なぜなら、セガがDCを捨てた時にAnonymous Cowardさんが呆れたように、
マーク3を発端としたセガマニアだった私達の世代は、
セガがメガドライブを出したときに、セガは、
というよりセガの営業や販売部門が出した公式見解では、
まだ発売予定だったマーク3(マスターシステム)用ソフトを、
きちんと発売する、メガドライブが発売されてもマーク3は見捨てない。
と明言したのにも関わらず、メガドライブが発売されると、
あっさりとマーク3用の発売予定ソフト群は(国内)発売されずに消滅しました。
そして私はメガドライブを買いました。
メガドライブのBGチップ1個内の発色数と、サンプリング音の異常ノイズに不満を持ちながらも、
ええ、ゲーム図書館にも加入しましたし、SPECにも入会しました。
そしてサターンが発表されました。
パソコンで多少プログラミングをしていた私は、
サターンの設計思想とアーキテクチャーを知って、少なからず失望しました。
そしてセガのセガの営業や販売部門が出した公式見解では、
サターンが発売されてもメガドライブは見捨てないと明言していました。
しかし、、、、当然のようにマーク3の時と同じことを繰り返しました。
せっかく、熱心にセガを応援しているセガマニアを、
セガの営業や販売部門は、単なる金づるにしか見ていないこと、
その上、その、のらりくらりとした発想と態度に怒りが爆発するやら情けないやらで、(私達)は、
ふざけるなーーーーーーーーーーーーーーー。と、
セガマニアを引退しました。
セガに対する愛情やコダワリや情熱が完全に無くなったわけでは無いので、
その後の私は、「観察者」としてセガを見ていました。
営業部門や広告宣伝部門や上層部の意味不明さを、
セガの社内で働いているクリエイターは、
どう感じているのだろうか?と暗澹たる気分に陥りながら。
松任谷由美氏の名曲、ノーサイドの気持ちですね・・・・。
グッバイセガ、さよならエンタープライゼス・・・・。
何をゴールに決めて
何を犠牲にしたの 誰も知らず
歓声よりも長く
興奮よりも速く 走ろうとしていた あなたを
少しでもわかりたいから
人々がみんな立ち去っても私 ここにいるわ
同じゼッケン 誰かがつけて
また次のシーズンを かけてゆく
.
.
.
.
>で、個人的にはNAOMIが今回の末路を生む原因かな、と。
>素直にModel4やら5を作っていれば、PS2やX-BOXなどが出ても
>業務用のアドバンテージはそれなりに保たれたのではないでしょうか?
>それが足かせとなって、家庭用の移植を考えないゴツイ基板を作れないのでは?
うーん、いや、PC-Watchやwww.4gamer.netで、元Oh-Xのライターさん
などが書いた記事を読んでも分かる通り、
現在のLSI製造プロセスの、極端な極まり方(技術的難易度の高まり方)
や、3Dグラフィックスチップ内部のアーキテクチャを設計する作業の、
極端な先鋭化と、
パソコン用に出回っている現在の汎用のグラフィックスチップ以上の性能向上は難しいのと、
つまり、昔とは違うファクター(時間軸の変化/経過による)として、開発の規模が大きくなり過ぎているので、
それらを総合して、実現させるのに必要なコスト
の高さが極まってきています。
家庭用機のプレステ2と、そのアーケード基板バージョン、
家庭用機のXboxと、そのアーケード基板バージョン、
家庭用機のゲームキューブと、そのアーケード基板バージョン、
それぞれ固有の問題は有るにしろ、
ほぼ、文句が出ないくらいの高機能ハードウエアが、
これだけのバリエーションが有る中で、
セガ(だけでなく全てのゲーム関連メーカーも同じ)が、
例えばModel4や5のような、
アーケード用に極まった高性能のゴツイ専用システム基板を開発するのは、
非常にリスクが高い・・・、
Re:まぁ、妥当な線では (スコア:0)
それは、某鈴木氏の事ですか?(笑
フェラーリの逸話を聞いて驚いたりしたものです。
そんな事出来ると思えるような環境って、なかなか無いですよねぇ?