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終わりの始まり
終わりの始まりではなく、終わりそのものでしょうこれは。
終わりの始まりは、今から見ると1998年に、アメリカ通商省がウエスチングハウスエレクトリックカンパニーの商用原子力部門のイギリス売却を認可した時だと思われる。 この頃に、ちょうどシェールガスが採掘できそうだという話になった頃。コスト高だとは言われたが、あっという間に変わっていく。
さらに、2006年、同じアメリカのGEが原子力部門を独立させて、日立と共同で子会社化した。この時当時のブッシュがやたらと原子力は新たなエネルギーだと推しまくったのでその流れに従って日立は金を出したような形だ。今からみると、これはGEの原子力部門を高く買わせたいトップセールス以上でも以下でもなかった。結論から言うとGEは既に見限っていて、大きな追加投資をやっていない。日立は金を出させられたが。
そして2011年3月11日で、これらの流れが表面化する。シーメンスのトップはここぞとばかりに自社の風力を世界中にアピールし、GEのトップはシェールガスの採掘と風力・再エネのほうが儲かると言い放つ。
これらの動きは、国策としては原子力を必要としている人々がいても、純粋に経済的に原子力が成立しなくなっている事を示している。投資の対象とならなくなっているんだ。 今回も東芝は英国子会社をなり振り構わず売却先を探したようだが、買い手が見つからず失敗してこのニュースだ。 ハイリスクハイリターンの投資会社すら寄りつかなかったという事実は、終わりの始まりと言うより、終わりそのものだと思われる。
原子力があくまでも必要だ、と言う人々は「もはや儲からない」という壁を突き崩すだけの補助金が無ければこれ以上は投資対象にならないと言う事を理解しなければならない。ただ、少なくとも日本においては、原子力に莫大な追加出資することを公約に掲げた政党は惨敗している。
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原発産業と原発厨の (スコア:-1)
終わりの始まり
Re: 原発産業と原発厨の (スコア:0)
終わりの始まりではなく、終わりそのものでしょうこれは。
終わりの始まりは、今から見ると1998年に、アメリカ通商省がウエスチングハウスエレクトリックカンパニーの商用原子力部門のイギリス売却を認可した時だと思われる。
この頃に、ちょうどシェールガスが採掘できそうだという話になった頃。コスト高だとは言われたが、あっという間に変わっていく。
さらに、2006年、同じアメリカのGEが原子力部門を独立させて、日立と共同で子会社化した。この時当時のブッシュがやたらと原子力は新たなエネルギーだと推しまくったのでその流れに従って日立は金を出したような形だ。今からみると、これはGEの原子力部門を高く買わせたいトップセールス以上でも以下でもなかった。結論から言うとGEは既に見限っていて、大きな追加投資をやっていない。日立は金を出させられたが。
そして2011年3月11日で、これらの流れが表面化する。シーメンスのトップはここぞとばかりに自社の風力を世界中にアピールし、GEのトップはシェールガスの採掘と風力・再エネのほうが儲かると言い放つ。
これらの動きは、国策としては原子力を必要としている人々がいても、純粋に経済的に原子力が成立しなくなっている事を示している。投資の対象とならなくなっているんだ。
今回も東芝は英国子会社をなり振り構わず売却先を探したようだが、買い手が見つからず失敗してこのニュースだ。
ハイリスクハイリターンの投資会社すら寄りつかなかったという事実は、終わりの始まりと言うより、終わりそのものだと思われる。
原子力があくまでも必要だ、と言う人々は「もはや儲からない」という壁を突き崩すだけの補助金が無ければこれ以上は投資対象にならないと言う事を理解しなければならない。ただ、少なくとも日本においては、原子力に莫大な追加出資することを公約に掲げた政党は惨敗している。