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ストリートライブと称して公共の場で演奏してる人たちは、それがオリジナルでないなら、まずほとんどはJASRAC管理下のものを
# ここでは歌詞については触れないです。
コピーバンドを経てオリジナルソングによるメジャーデビューが往々にしてあるわけで、そういう音楽文化の裾野を(後略)
そうですね...といいますか、音楽における創作はそうしたもの抜きにはできないものでしょう。
イスラムやインド音楽の音階はよく知らんのですが、その他のほとんどの音階は「周波数比が単純な音の集合」ですし、コード進行なんてものは「部分集合を行ったり来たりするときのパターン」にすぎません。「聴き手に一定の効果/印象を与える、協和度が比較的低い部分集合から高い部分集合へ移行するパターン」を要所要所に織りこんで巧みに利用する音楽とか、「いにしえより伝わる、お決まりのパターン」を繰り返す音楽とかいろいろありますが、いずれにしても「コモンズ」性が高いものだと思います。
旋律にしても同じことで、「集合の範囲を広げて、時間軸に一つずつ並べたパターン」といえます。で、それら「コモンズ」を逸脱しても、聴き手にひたすら不安な印象を与えたり(現代音楽って...あ、いや、それ以上いうとこの後の文と矛盾するな)、何を聴いても同じに聴こえたりします(なじみのないジャンルの音楽に出会うとしばしばそうなりますが、それはそのジャンルの音楽の「コモンズ」を知らないというだけで、そのジャンルの音楽に欠陥があるわけじゃない)。
それら「コモンズ」をふまえながら、いかに新鮮な要素つまり心地よい程度の逸脱(「新しい」音楽には「不快だ」「音楽じゃない」という批判はつきもの)を盛り込むか、あるいはいかに演奏者の「声」を魅力的で固有のもの(多くの民謡はそうだし、BLUESの強い影響下にあるROCKも同じことだ。平凡な演奏者によるカバーなんて誰も見向きしない。いい例がMick Jaggerで、あのへんてこりんな声で長生きしてるのは彼にしか出せない声を持っている、つまり彼がMick Jaggerだからだ)にするかが、音楽家の創作/演奏における腕の見せ所でしょう。
もちろん私も著作権という考え方は理解できるのですが、それだけでは上記の音楽の創作を捉えきれないと思います。で、ここがいちばんいいたいところなのですが、そういう点は音楽家自身が理解できないわけがない(「コモンズ」を学ぶことを抜きに作曲は学べない)のに、そういうことは(少なくとも私が見聞きした範囲では)あまり説明されない一方で、全ての曲が0から創作されたものであると思わせるような説明はしばしば見かけ、それは主に著作権保護を訴える文に登場します。
で、JASRACはどうだろう。やつらの言い分は信用できるかな。やつらにまかしといて大丈夫かね。
# というか「コモンズ」は買ったばかりで、まだ一章しか読んでなかったり。ははは。
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海軍に入るくらいなら海賊になった方がいい -- Steven Paul Jobs
こんなんだと・・・。 (スコア:1)
別に僕は、アンチ邦楽派とかじゃないし、外国であ
------ 「俺は死ぬまで詩を謳い戦場を駆けまわるのだ」(曹操/蒼天航路)
Re:こんなんだと・・・。 (スコア:0)
アーティストのコピーバンドでライブをやったとか
言いますけど、これもJASRAC的にはNGになるんでしょうか。
Re:こんなんだと・・・。 (スコア:1, 興味深い)
権利者本人でも許可と使用料が付きまとう [srad.jp]のだから、まして他人では。
ストリートライブと称して公共の場で演奏してる人たちは、それがオリジナルでないなら、まずほとんどはJASRAC管理下のものを
Re:こんなんだと・・・。 (スコア:0)
Re:こんなんだと・・・。 (スコア:2, 興味深い)
# ここでは歌詞については触れないです。
そうですね...といいますか、音楽における創作はそうしたもの抜きにはできないものでしょう。
イスラムやインド音楽の音階はよく知らんのですが、その他のほとんどの音階は「周波数比が単純な音の集合」ですし、コード進行なんてものは「部分集合を行ったり来たりするときのパターン」にすぎません。「聴き手に一定の効果/印象を与える、協和度が比較的低い部分集合から高い部分集合へ移行するパターン」を要所要所に織りこんで巧みに利用する音楽とか、「いにしえより伝わる、お決まりのパターン」を繰り返す音楽とかいろいろありますが、いずれにしても「コモンズ」性が高いものだと思います。
旋律にしても同じことで、「集合の範囲を広げて、時間軸に一つずつ並べたパターン」といえます。で、それら「コモンズ」を逸脱しても、聴き手にひたすら不安な印象を与えたり(現代音楽って...あ、いや、それ以上いうとこの後の文と矛盾するな)、何を聴いても同じに聴こえたりします(なじみのないジャンルの音楽に出会うとしばしばそうなりますが、それはそのジャンルの音楽の「コモンズ」を知らないというだけで、そのジャンルの音楽に欠陥があるわけじゃない)。
それら「コモンズ」をふまえながら、いかに新鮮な要素つまり心地よい程度の逸脱(「新しい」音楽には「不快だ」「音楽じゃない」という批判はつきもの)を盛り込むか、あるいはいかに演奏者の「声」を魅力的で固有のもの(多くの民謡はそうだし、BLUESの強い影響下にあるROCKも同じことだ。平凡な演奏者によるカバーなんて誰も見向きしない。いい例がMick Jaggerで、あのへんてこりんな声で長生きしてるのは彼にしか出せない声を持っている、つまり彼がMick Jaggerだからだ)にするかが、音楽家の創作/演奏における腕の見せ所でしょう。
もちろん私も著作権という考え方は理解できるのですが、それだけでは上記の音楽の創作を捉えきれないと思います。で、ここがいちばんいいたいところなのですが、そういう点は音楽家自身が理解できないわけがない(「コモンズ」を学ぶことを抜きに作曲は学べない)のに、そういうことは(少なくとも私が見聞きした範囲では)あまり説明されない一方で、全ての曲が0から創作されたものであると思わせるような説明はしばしば見かけ、それは主に著作権保護を訴える文に登場します。
で、JASRACはどうだろう。やつらの言い分は信用できるかな。やつらにまかしといて大丈夫かね。
# というか「コモンズ」は買ったばかりで、まだ一章しか読んでなかったり。ははは。