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昭和38年段階で秘書が清書するほどの売れっ子だったのかと調べてみたら、狐狸庵を名乗りだしたのが昭和38年。それだけじゃなくて
> 1959年(昭和34年)> 11月 - マルキ・ド・サドの勉強/さらに理解を深めるために夫人を同伴してフランスに旅行、翌年1月に帰国。> 1960年(昭和35年)> 4月 - 帰国後に体調を崩し、東京大学伝染病研究所病院に入院。年末に慶應義塾大学病院に転院。> 1961年(昭和36年)> 1月 - 3回にわたり肺の手術を行なう。一時は危篤状態までに陥ったが、奇跡的に回復する。> 1962年(昭和37年)> - 5月、退院。> 1963年(昭和38年)> 3月 - 町田市玉川学園に転居。新居を「狐狸庵」と名付け、以降「狐狸庵山人」という雅号を使い始める。
という時期なので、体調のすぐれない時期で長い原稿を自筆する体力はなかったのかも。
狐狸庵閑話を「こりゃあかんわ」と発音させたセンスは流石だなあ、と今でも思う。
「イザヤ・ベンダサン」(=いざや、便、出さん)を日本人と推察した眼力は鋭い(ぐうたら人間学)。
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「科学者は100%安全だと保証できないものは動かしてはならない」、科学者「えっ」、プログラマ「えっ」
狐狸庵先生 (スコア:1)
昭和38年段階で秘書が清書するほどの売れっ子だったのかと調べてみたら、狐狸庵を名乗りだしたのが昭和38年。
それだけじゃなくて
> 1959年(昭和34年)
> 11月 - マルキ・ド・サドの勉強/さらに理解を深めるために夫人を同伴してフランスに旅行、翌年1月に帰国。
> 1960年(昭和35年)
> 4月 - 帰国後に体調を崩し、東京大学伝染病研究所病院に入院。年末に慶應義塾大学病院に転院。
> 1961年(昭和36年)
> 1月 - 3回にわたり肺の手術を行なう。一時は危篤状態までに陥ったが、奇跡的に回復する。
> 1962年(昭和37年)
> - 5月、退院。
> 1963年(昭和38年)
> 3月 - 町田市玉川学園に転居。新居を「狐狸庵」と名付け、以降「狐狸庵山人」という雅号を使い始める。
という時期なので、体調のすぐれない時期で長い原稿を自筆する体力はなかったのかも。
Re: (スコア:0)
狐狸庵閑話を「こりゃあかんわ」と発音させたセンスは流石だなあ、と今でも思う。
Re: (スコア:0)
「イザヤ・ベンダサン」(=いざや、便、出さん)を日本人と推察した眼力は鋭い(ぐうたら人間学)。