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何回も言われてると思うけど現状で死ぬ権利認めたところで自殺圧力高まるだけで何も有益なことはないよ自殺したい人も、自殺したくなった原因が大抵の場合はあるわけで、それを可能な限り取り除く努力かラ始めないと月300時間労働の人に「自殺の権利あるから死んだら?」都下言うんじゃなくて、勤め先から避難させるのが先だよね今はそれが出来てないだから議論には早いと思う
ではALSの治療法は任せました。
脊髄小脳変性症(遺伝性)も追加で#いつ発症するか分からんので
現状ALSの診断は死亡宣告と同義になっていますが、発症前は五体満足の健常者が圧倒的大多数なのではないでしょうか。
どんどん筋力が落ちていって自発呼吸もできなくなる。それでも延命治療が行われ挿管して人工呼吸器に頼る生活になると発声ができなくなるので寝たきりで機器を使っての意思表示をする生活になる。そのうち意思表示もままならなくなり、呼吸困難による窒息死の恐怖に怯える日常が続き、やがて終焉を迎えます。
と言うようなことを医師に告げられても前向きに生きていこうと思える人ってどの程度いるのでしょうか。最初は強がっていても最終的には心が折れる人がほとんどに思えてなりません。
ALSの患者は、障害者でも患者でもなく「数年のうちに死ぬ人」なのが実情です。窒息死よりは安楽死、と言う考え方は決して間違ってはいないように思います。窒息で苦しくても体が動かないのですから傍目には穏やかな死を迎えたように見えるのかもしれませんが、静かに苦しんで死んでいくのだと思います(苦しみを感じることさえできなくなっている可能性はあるかもしれません)。
# ALSで先日死亡した俳優の三浦春馬さんが「僕のいた時間」と言うドラマで主役のALSの患者を演じていた [fujitv.co.jp]のを思い出した。このドラマはちょっと違うような気がした程度にしか記憶してないんだけれどもあらすじはこちら [thetv.jp]。
ALSはかなり特殊なので、他の病気と混ぜずに単体で議論した方がいいのでしょうね。脳死の反対で脳だけ生きてると言うか。
ALSでもホーキング博士やこの人みたいに意思疎通がギリギリ出来るところで安定して死なない人もいるし、身動きが取れなくなっても思考することが好きな人なら呼吸が止まるまでこの世に居たいと思うかもしれないし、動き回ることが好きな人はさっさと死にたいと思うかもしれない
積極的安楽死を認めると、親類に迷惑かけたくないとか、親類にさっさと死んでくれと言われたり仄めかされたり自分の都合以外で安楽死に追い込まれる可能性もあるから難しいと思う
「どんどん筋力が落ちていって自発呼吸もできなくなる。それでも延命治療が行われ挿管して人工呼吸器に頼る生活になると発声ができなくなるので寝たきりで機器を使っての意思表示をする生活になる。そのうち意思表示もままならなくなり、呼吸困難による窒息死の恐怖に怯える日常が続き、やがて終焉を迎えます」それめっちゃ速い老化現象?病気じゃなくても運良く高齢者になるまで生存すればそうなると思う。
老衰だと苦痛なく死ねる、みたいに思ってる人が多い気がするのだが何故なのだろう。老衰とはつまりただの多臓器不全であって、痛覚が遮断されるとか呼吸困難がなくなるなんてことはないのだが。『見た目的には穏やかに見えるが実は苦しんでいる』という可能性は高いだろうなあ。
俺が俺であることは俺の脳の問題で、体が動かなくなろうが、情報のインプット・アウトプットができる限り俺は生きる。
よっぽどアルツハイマーの方が死にたいね。お前は知能はどうでもいといいう考えの動物のような奴ってだけだね。
ていうかさ、お前ALSについて全然しらべないで発言してるよね。恥を知れよばか。
体が動かないのにどうやって情報のアウトプットしようってんだ。おまえ5分くらい息止めてみて自発呼吸ができない苦しさを少し感じてみろよ。恥を知れ。
> 現状ALSの診断は死亡宣告と同義になっていますが
そんなこと言うなら、生まれた瞬間に誰もみな死亡宣告を受けていますが。非常に運が良ければ老衰で死ねるけど、そこまでの過程で苦痛はまず避けがたい。それでも前向きに生きている人は多いですね。
うーん、そういう風に洗脳するということ?
そもそも今回の人は、別に生きているのが恥ずかしいからとかではなく、単純に病気が辛いから自殺したかったわけでしょ?そりゃ同じ病気でも希望を持って生きる人もいるけど、そういう人ほどマスコミに取り上げられやすいから、ちょっとボリュームを抑えて聞いておいた方が良い。もっと弱者の意見を聞かねばならんと思うのですよ。
そらALS患者会などをやれるひとは、まだまだALSでも軽傷レベルの人でしょう。希望のあるコメントもできて、マスコミ受けのいい材料にもなる。行きたいなら、自分で周囲を説得してオランダにも行ける。
本当に重症化してつらくなった人は、そんなコメントもできない、行動力もない状態だと思うのだけれど。そして現代医学では、ALSは悪くなるだけであって、良くなりはしないと分かっている。「声なき声」を見落としているのは、どちらなんだろう。
以前、リウマチは進行を止めることができない病気だったのですよ。10年ほど前に親戚がリウマチになった時、たまたまそのタイミングで「リウマチの進行を止める薬」ができてきたんですよね。運が良かった。進行してたら今頃手も足も変形してベッドで寝たきりでしたね。ALSの薬は現在の患者の生存してる間に、開発の目処とかないんでしょうか?
自分がALSになった時を想像すると、社会がどんなプロパガンダをしようと死にたくなるだろうな。おいしい料理を食べることもドライブもゲームもオナニーもセックスも何も出来ない人生なんて生きてる意味を見いだせないよ。今回の女性だって社会からの差別だので死を選んだわけじゃないでしょ?
安楽死制度などが実現した結果としての、自分がALSになって「生きていたいのに圧力をかけられる」というリスクと、自分がALSになって「死にたいのに死ねない」というリスクを考える。圧力をかけられるだけなら否定できるが、死にたいのに死ねないはどうしようもない。従って、最もどうしようもない状況である後者を先に対応すべきです。
// 気が変わるなんて誰にでも起こりうることなので、どんな状況になっても自分は絶対に死にたいなんて思わない(またはその逆)という断言は無意味// ありうることとして両方を比較して考えましょう
ALSの場合、他者からの評価を気にして死を選ぶより、自分で自分の今後に苦痛しか見いだせずに死を選ぶほうが多いんじゃないかな……
ALSではホーキング博士という偉大すぎる先達がいるので、生きていてもよい、恥ずかしくもない、という認識を持つこと自体はそこまで問題ではないと思う。というか社会にまで主語広げずとも接する人間の選び方とカウンセリングの範疇な気が。
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計算機科学者とは、壊れていないものを修理する人々のことである
先にやることがある (スコア:4, 参考になる)
何回も言われてると思うけど
現状で死ぬ権利認めたところで自殺圧力高まるだけで何も有益なことはないよ
自殺したい人も、自殺したくなった原因が大抵の場合はあるわけで、
それを可能な限り取り除く努力かラ始めないと
月300時間労働の人に「自殺の権利あるから死んだら?」
都下言うんじゃなくて、勤め先から避難させるのが先だよね
今はそれが出来てない
だから議論には早いと思う
Re:先にやることがある (スコア:0)
ではALSの治療法は任せました。
Re: (スコア:0)
脊髄小脳変性症(遺伝性)も追加で
#いつ発症するか分からんので
Re:先にやることがある (スコア:4, すばらしい洞察)
現状ALSの診断は死亡宣告と同義になっていますが、発症前は五体満足の健常者が圧倒的大多数なのではないでしょうか。
どんどん筋力が落ちていって自発呼吸もできなくなる。それでも延命治療が行われ挿管して人工呼吸器に頼る生活になると発声ができなくなるので寝たきりで機器を使っての意思表示をする生活になる。そのうち意思表示もままならなくなり、呼吸困難による窒息死の恐怖に怯える日常が続き、やがて終焉を迎えます。
と言うようなことを医師に告げられても前向きに生きていこうと思える人ってどの程度いるのでしょうか。最初は強がっていても最終的には心が折れる人がほとんどに思えてなりません。
ALSの患者は、障害者でも患者でもなく「数年のうちに死ぬ人」なのが実情です。窒息死よりは安楽死、と言う考え方は決して間違ってはいないように思います。窒息で苦しくても体が動かないのですから傍目には穏やかな死を迎えたように見えるのかもしれませんが、静かに苦しんで死んでいくのだと思います(苦しみを感じることさえできなくなっている可能性はあるかもしれません)。
# ALSで先日死亡した俳優の三浦春馬さんが「僕のいた時間」と言うドラマで主役のALSの患者を演じていた [fujitv.co.jp]のを思い出した。このドラマはちょっと違うような気がした程度にしか記憶してないんだけれどもあらすじはこちら [thetv.jp]。
Re: (スコア:0)
ALSはかなり特殊なので、他の病気と混ぜずに単体で議論した方がいいのでしょうね。
脳死の反対で脳だけ生きてると言うか。
Re: (スコア:0)
ALSでもホーキング博士やこの人みたいに意思疎通がギリギリ出来るところで安定して死なない人もいるし、
身動きが取れなくなっても思考することが好きな人なら呼吸が止まるまでこの世に居たいと思うかもしれないし、動き回ることが好きな人はさっさと死にたいと思うかもしれない
積極的安楽死を認めると、親類に迷惑かけたくないとか、親類にさっさと死んでくれと言われたり仄めかされたり自分の都合以外で安楽死に追い込まれる可能性もあるから難しいと思う
Re: (スコア:0)
「どんどん筋力が落ちていって自発呼吸もできなくなる。それでも延命治療が行われ挿管して人工呼吸器に頼る生活になると発声ができなくなるので寝たきりで機器を使っての意思表示をする生活になる。そのうち意思表示もままならなくなり、呼吸困難による窒息死の恐怖に怯える日常が続き、やがて終焉を迎えます」
それめっちゃ速い老化現象?
病気じゃなくても運良く高齢者になるまで生存すればそうなると思う。
元コメとはズレるけども (スコア:0)
老衰だと苦痛なく死ねる、みたいに思ってる人が多い気がするのだが何故なのだろう。
老衰とはつまりただの多臓器不全であって、痛覚が遮断されるとか呼吸困難がなくなるなんてことはないのだが。
『見た目的には穏やかに見えるが実は苦しんでいる』という可能性は高いだろうなあ。
Re: (スコア:0)
俺が俺であることは俺の脳の問題で、体が動かなくなろうが、情報のインプット・アウトプットができる限り俺は生きる。
よっぽどアルツハイマーの方が死にたいね。
お前は知能はどうでもいといいう考えの動物のような奴ってだけだね。
ていうかさ、お前ALSについて全然しらべないで発言してるよね。恥を知れよばか。
Re: (スコア:0)
体が動かないのにどうやって情報のアウトプットしようってんだ。
おまえ5分くらい息止めてみて自発呼吸ができない苦しさを少し感じてみろよ。
恥を知れ。
Re: (スコア:0)
> 現状ALSの診断は死亡宣告と同義になっていますが
そんなこと言うなら、生まれた瞬間に誰もみな死亡宣告を受けていますが。
非常に運が良ければ老衰で死ねるけど、そこまでの過程で苦痛はまず避けがたい。
それでも前向きに生きている人は多いですね。
Re: (スコア:0)
うーん、そういう風に洗脳するということ?
そもそも今回の人は、別に生きているのが恥ずかしいからとかではなく、単純に病気が辛いから
自殺したかったわけでしょ?そりゃ同じ病気でも希望を持って生きる人もいるけど、
そういう人ほどマスコミに取り上げられやすいから、ちょっとボリュームを抑えて
聞いておいた方が良い。もっと弱者の意見を聞かねばならんと思うのですよ。
Re: (スコア:0)
そらALS患者会などをやれるひとは、まだまだALSでも軽傷レベルの人でしょう。
希望のあるコメントもできて、マスコミ受けのいい材料にもなる。
行きたいなら、自分で周囲を説得してオランダにも行ける。
本当に重症化してつらくなった人は、そんなコメントもできない、行動力もない状態だと思うのだけれど。
そして現代医学では、ALSは悪くなるだけであって、良くなりはしないと分かっている。
「声なき声」を見落としているのは、どちらなんだろう。
Re: (スコア:0)
以前、リウマチは進行を止めることができない病気だったのですよ。
10年ほど前に親戚がリウマチになった時、たまたまそのタイミングで「リウマチの進行を止める薬」ができてきたんですよね。
運が良かった。進行してたら今頃手も足も変形してベッドで寝たきりでしたね。
ALSの薬は現在の患者の生存してる間に、開発の目処とかないんでしょうか?
Re: (スコア:0)
自分がALSになった時を想像すると、社会がどんなプロパガンダをしようと死にたくなるだろうな。
おいしい料理を食べることもドライブもゲームもオナニーもセックスも何も出来ない人生なんて生きてる意味を見いだせないよ。今回の女性だって社会からの差別だので死を選んだわけじゃないでしょ?
Re: (スコア:0)
安楽死制度などが実現した結果としての、
自分がALSになって「生きていたいのに圧力をかけられる」というリスクと、
自分がALSになって「死にたいのに死ねない」というリスクを考える。
圧力をかけられるだけなら否定できるが、死にたいのに死ねないはどうしようもない。
従って、最もどうしようもない状況である後者を先に対応すべきです。
// 気が変わるなんて誰にでも起こりうることなので、どんな状況になっても自分は絶対に死にたいなんて思わない(またはその逆)という断言は無意味
// ありうることとして両方を比較して考えましょう
Re: (スコア:0)
ALSの場合、他者からの評価を気にして死を選ぶより、
自分で自分の今後に苦痛しか見いだせずに死を選ぶほうが多いんじゃないかな……
ALSではホーキング博士という偉大すぎる先達がいるので、
生きていてもよい、恥ずかしくもない、
という認識を持つこと自体はそこまで問題ではないと思う。
というか社会にまで主語広げずとも
接する人間の選び方とカウンセリングの範疇な気が。