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「昨日は誰も来なかった」の主語は「昨日」なのか「誰」なのか」記事へのコメント

  • 文学作品では語順が重要なので

    • 昨日は誰も来なかった
    • 誰も昨日は来なかった
    • Nobody came yesterday

    は意味はおなじだがかなり異なるニュアンスを持ちます。それぞれ

    • 「昨日は」が、たくさんいる人から「誰も」を選び、「昨日は」と「誰も」の関係が「来なかった」
    • 「誰も」が、たくさんある日から「昨日は」を選び、「誰も」と「昨日は」の関係が「来なかった」
    • 「Nobody」が、たくさんある動作から「came」を選び、「Nobody」と「came」の関係が「yesterday」

    です。なので

    • 対比するなら

      ・昨日は花子さんが来た

      ではなく、
      ・昨日は花子さんは来なかった
      なのではないですか?
      そうすると、(花子さんは病気したんだろうか)と同じニュアンスが感じられることも可能なので変えてしまったのでしょうか?

        • 昨日は誰も来なかった
        • 昨日は花子さんが来た
        • 昨日は花子さんは来なかった

        これらはすべて「昨日は」で始まるので、昨日の話だというニュアンスが共通します。

        • 誰も昨日は来なかった
        • 花子さんは昨日は来た
        • 花子さんは昨日は来なかった

        これらはすべて「人物のこと」で始まるので、人を話題にしているというニュアンスが共通します。

        • 昨日は花子さんは来なかった
        • 花子さんは昨日は来なかった

        この二つでは、主な興味の対象が「昨日」か「人物」かという違いがあります。文法的な主語ではなく、文頭にくることばが「文脈」を作るという感じです。

        昨日は誰も来なかった

        「昨日は」に

        • いや、文頭に重要度を付けるという主張をしているのは理解していますが、少なくとも日本語の場合はそんな単純なものではないと思いますよ。

          ・昨日は花子さんは来なかった
          ・花子さんは昨日は来なかった

          この例は短文なので初めの主語が重要度が高い解釈が順当かもしれませんがもう少し長い文になると、日本語は文末の方で「来た」(肯定)か「来なかった」(否定)が決定する文法なので、最後のほうに来る主語が文末の動詞と強力に結びつく解釈がしっくりとくる気がします。

アレゲは一日にしてならず -- アレゲ研究家

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