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日本製品の良いお客様だったらしい
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%96%E3%83%89%E3%82%A5%E3%... [wikipedia.org]> 博士は「日本は非常に重要な輸入元だった」と強調した。
享年85歳。
って表記に違和感があったんだが、同じくWikipediaによると、
また享年に年齢を数える単位である「歳」を付けることも本来は誤用であった(同じ意味の漢字である「年」と「歳」が重複になるため)が、満年齢を用いることと同様に享年に「歳」を付ける表記も一般的になりつつあり、例えば『広辞苑』は凡例に「-九十歳」と記載するようになった。「数え年でなければ誤り」「歳を付けるのは誤り」とは、言い切れなくなりつつある。ただし、曲亭馬琴の作品、竹豊故事(1756年(宝暦6年)刊)などでも、「歳」をつけており、現在の誤用であるとは言えない。国立国語研究所のFAQでは、使ってとがめられるほど大きな間違いとはいえないとしている。
いつの間に変わったんだ・・・https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%AB%E5%B9%B4 [wikipedia.org]????「日本語は、時代によって変化するものなのです。」
これですが、私がWikipediaを最初に書き換えていって、そのあと、国立国語研究所がQAを出して、今の表記になりました。もともと、「享年は数え年。歳をつけるのは誤用」という説は、中国古典文学に詳しい作家がエッセイで唱えたもので、それを極東ブログが取り上げて広まったようです。そして、Wikipediaに「享年は数え年。歳をつけるのは誤用」と誰かが記述して、それが当たり前になったようです。しかし、私が「出典もないし何か妙だな」と調べ始めて、どうやらエッセイが初出であるらしいこと、そのエッセイの理屈も怪しい説であること、江戸時代には定着してたらしいことを突き止め、Wikipediaに「要出典」タグをつけ始めました。それで、国立国語研究所に誰かが質問したらしく、QAが出たことで、「誤用説は怪しい」と一気に流れが変わったようです。
https://srad.jp/comment/1315761 [srad.jp]https://srad.jp/comment/1315841 [srad.jp]最初に私がスラドにコメントを書いたのが、これらです。Wikipediaを始めて書き換えたのもこの頃だと思います。もう13年も前なのか。
昭和31年に亡くなった祖父のお墓にも享年五十二才と書かれてます。もっと古いお墓を見て回るとより確実性が増すかもしれません。
ウィキペディア> 享年(きょうねん)とは人が「天から享(う)けた年数」という意味であり、この世に存在した年数である。行年(ぎょうねん)」ともいい「娑婆で修行した年数」、「行(時が進むの意味)[注 1]の年数」の意味。「享年70(満69歳)」(数え年の場合)のように用いる。享年を数え年ではなく満年齢で表し「享年69(歳)」と表すこともある。満0歳児が亡くなると、天から享けた年数は1年(弱)になります。
数え年は> 中国語では虚歳という[2](満年齢は週歳・実歳・足歳)。虚歳と実歳の存在は、旧暦と新暦に由来するともいわれ、中国的な人生観の重層を示唆するともいわれている[2]。なので、享年とは微妙に異なる概念にも思われます。
江戸時代あたりに漢語の意味が薄れたのか、「享年」が「亡くなったときの年齢」の意味に変化したようです。年齢が数え年であれば、数字は従来と一致します。・天がn年の生を授けた・人がn歳で亡くなったの違いでしょうか。後者は人間中心であり、より近代的な感じがします。
中国語古典文学では、「行年六十」などと「行年」を使っていて、これは数え年(私は知りませんでしたが、おっしゃられる虚歳のことなのですね)で、下には歳がつかないということで、統一されています。一方、日本では、私が調べたところ、江戸時代より前には同様の表記を見つけられませんでした。江戸時代以降では、「行年」「享年」「亨年」のいずれかで、下には全て「歳」か「才」が付きます。そして、数え年のことなのか、満年齢のことなのかは良くわかりませんでした。(国立国語研究所は、満年齢が適当なのではないかとしています。)
「満年齢を使ったり、歳を付けたら誤用」説は、日本の享年が中国古典文学の行年の用法を正しく受け継がなければならないという認識で提唱されています。しかし、そもそも行年から享年に変わっている時点で別物ですし、年の数え方も中国の概念を正確に輸入しているとは限らないわけです。日本人は古くからその辺りはゆるく使っているので、そこまでめくじらを立てて、「誤用だ。誤用だ。」というようなものではないのだと思います。
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私は悩みをリストアップし始めたが、そのあまりの長さにいやけがさし、何も考えないことにした。-- Robert C. Pike
wikipediaによると (スコア:0)
日本製品の良いお客様だったらしい
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%96%E3%83%89%E3%82%A5%E3%... [wikipedia.org]
> 博士は「日本は非常に重要な輸入元だった」と強調した。
Re:wikipediaによると (スコア:0)
享年85歳。
って表記に違和感があったんだが、同じくWikipediaによると、
また享年に年齢を数える単位である「歳」を付けることも本来は誤用であった(同じ意味の漢字である「年」と「歳」が重複になるため)が、満年齢を用いることと同様に享年に「歳」を付ける表記も一般的になりつつあり、例えば『広辞苑』は凡例に「-九十歳」と記載するようになった。「数え年でなければ誤り」「歳を付けるのは誤り」とは、言い切れなくなりつつある。ただし、曲亭馬琴の作品、竹豊故事(1756年(宝暦6年)刊)などでも、「歳」をつけており、現在の誤用であるとは言えない。国立国語研究所のFAQでは、使ってとがめられるほど大きな間違いとはいえないとしている。
いつの間に変わったんだ・・・
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%AB%E5%B9%B4 [wikipedia.org]
????「日本語は、時代によって変化するものなのです。」
Re:wikipediaによると (スコア:4, 参考になる)
これですが、私がWikipediaを最初に書き換えていって、そのあと、国立国語研究所がQAを出して、今の表記になりました。
もともと、「享年は数え年。歳をつけるのは誤用」という説は、中国古典文学に詳しい作家がエッセイで唱えたもので、それを極東ブログが取り上げて広まったようです。
そして、Wikipediaに「享年は数え年。歳をつけるのは誤用」と誰かが記述して、それが当たり前になったようです。
しかし、私が「出典もないし何か妙だな」と調べ始めて、どうやらエッセイが初出であるらしいこと、そのエッセイの理屈も怪しい説であること、江戸時代には定着してたらしいことを突き止め、Wikipediaに「要出典」タグをつけ始めました。
それで、国立国語研究所に誰かが質問したらしく、QAが出たことで、「誤用説は怪しい」と一気に流れが変わったようです。
Re: (スコア:0)
https://srad.jp/comment/1315761 [srad.jp]
https://srad.jp/comment/1315841 [srad.jp]
最初に私がスラドにコメントを書いたのが、これらです。
Wikipediaを始めて書き換えたのもこの頃だと思います。
もう13年も前なのか。
Re: (スコア:0)
昭和31年に亡くなった祖父のお墓にも享年五十二才と書かれてます。
もっと古いお墓を見て回るとより確実性が増すかもしれません。
Re: (スコア:0)
ウィキペディア
> 享年(きょうねん)とは人が「天から享(う)けた年数」という意味であり、この世に存在した年数である。行年(ぎょうねん)」ともいい「娑婆で修行した年数」、「行(時が進むの意味)[注 1]の年数」の意味。「享年70(満69歳)」(数え年の場合)のように用いる。享年を数え年ではなく満年齢で表し「享年69(歳)」と表すこともある。
満0歳児が亡くなると、天から享けた年数は1年(弱)になります。
数え年は
> 中国語では虚歳という[2](満年齢は週歳・実歳・足歳)。虚歳と実歳の存在は、旧暦と新暦に由来するともいわれ、中国的な人生観の重層を示唆するともいわれている[2]。
なので、享年とは微妙に異なる概念にも思われます。
江戸時代あたりに漢語の意味が薄れたのか、「享年」が「亡くなったときの年齢」の意味に変化したようです。年齢が数え年であれば、数字は従来と一致します。
・天がn年の生を授けた
・人がn歳で亡くなった
の違いでしょうか。後者は人間中心であり、より近代的な感じがします。
Re: (スコア:0)
中国語古典文学では、「行年六十」などと「行年」を使っていて、これは数え年(私は知りませんでしたが、おっしゃられる虚歳のことなのですね)で、下には歳がつかないということで、統一されています。
一方、日本では、私が調べたところ、江戸時代より前には同様の表記を見つけられませんでした。
江戸時代以降では、「行年」「享年」「亨年」のいずれかで、下には全て「歳」か「才」が付きます。
そして、数え年のことなのか、満年齢のことなのかは良くわかりませんでした。
(国立国語研究所は、満年齢が適当なのではないかとしています。)
「満年齢を使ったり、歳を付けたら誤用」説は、日本の享年が中国古典文学の行年の用法を正しく受け継がなければならないという認識で提唱されています。
しかし、そもそも行年から享年に変わっている時点で別物ですし、年の数え方も中国の概念を正確に輸入しているとは限らないわけです。
日本人は古くからその辺りはゆるく使っているので、そこまでめくじらを立てて、「誤用だ。誤用だ。」というようなものではないのだと思います。