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ここ数年まであまり使われなかった比喩だけど、ここ最近で使う人が増えてきた印象。この比喩表現が頻繁に使われたのって、韓国の文政権の対日政策で韓国メディアが書き出したのが始まりでそれから頻繁に使われるようになった印象がある。日本では後戻りできない表現として、よく使われていたのが一線を越えるとか、賽は投げられたとか、使われていたのにどうして日本でも使う人が増えたんだろうね。Googleトレンドで調べても以前はあまり使われていなく、2023年からたまに見るようになったらしい。
日本では後戻りできない表現として、よく使われていたのが一線を越えるとか、賽は投げられたとか、使われていたのに
「賽は投げられた」と「ルビコン川を渡る」は同じだろうに… よく使われていたかなぁ。変わらないような気がする。ルビコン川 [wikipedia.org]:
一般にルビコン川の名前は、紀元前49年1月10日、ローマ内戦においてユリウス・カエサルが元老院の命令に背き、軍を率いてこの川を渡った故事によって知られる。この際に「賽は投げられた」(alea iacta est, アーレア・ヤクタ・エスト)と部隊に檄を飛ばしたことはあまりにも有名である。「ルビコン川を渡る」(
元コメはルビコン川をメコン川と間違えてそうな印象。
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未知のハックに一心不乱に取り組んだ結果、私は自然の法則を変えてしまった -- あるハッカー
リビコン川を渡ると言う比喩 (スコア:0)
ここ数年まであまり使われなかった比喩だけど、ここ最近で使う人が増えてきた印象。
この比喩表現が頻繁に使われたのって、韓国の文政権の対日政策で韓国メディアが書き出したのが始まりで
それから頻繁に使われるようになった印象がある。
日本では後戻りできない表現として、よく使われていたのが一線を越えるとか、賽は投げられたとか、使われていたのに
どうして日本でも使う人が増えたんだろうね。
Googleトレンドで調べても以前はあまり使われていなく、2023年からたまに見るようになったらしい。
Re: (スコア:2)
日本では後戻りできない表現として、よく使われていたのが一線を越えるとか、賽は投げられたとか、使われていたのに
「賽は投げられた」と「ルビコン川を渡る」は同じだろうに… よく使われていたかなぁ。変わらないような気がする。ルビコン川 [wikipedia.org]:
一般にルビコン川の名前は、紀元前49年1月10日、ローマ内戦においてユリウス・カエサルが元老院の命令に背き、軍を率いてこの川を渡った故事によって知られる。この際に「賽は投げられた」(alea iacta est, アーレア・ヤクタ・エスト)と部隊に檄を飛ばしたことはあまりにも有名である。「ルビコン川を渡る」(
Re:リビコン川を渡ると言う比喩 (スコア:0)
元コメはルビコン川をメコン川と間違えてそうな印象。