AD (8507) の日記

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煽り

AD による 2003年10月07日 21時37分 の日記 (#159698)

私はあるコメントに対して「煽り」や「釣り」と評価し、体の良い逃げ言葉として使うことが大嫌いである。

もちろん、下らない相手を小ばかにしたコメントなどは腐るほど見える。それを一々かまっていられないのもまた事実かもしれない。
だが、安易に相手のコメントに対して煽りや釣りなどというレッテルを付け、それに対する論理的な反証もなく相手の意見を無視するのは果たして議論にあるべき態度か。
せめて(実際に発言しなくてもよいが)反証を試みる、或いは考察してみる程度はしてもよいのではないか。

また、発言者は自分の発言が「煽り」や「釣り」と判断されることに抵抗はないのか。

「煽り」や「釣り」と評価されるということは、自分の意見は端から軽く見られてしまう、或いは論理的な部分とは全く関係なく信用されないということになりかねない。

精神論をいうと要らぬ反発を招くようだが、自分の発言が軽んじられることを好むとは奇怪としか私には思えない。自分の言動・発言に拘りや誇りなどはないのですか。

私は、自分の発言には私なりのこだわりを持っている。だから、私は自分の発言が安易に軽んじられるのは好まない。これは普通のことかと思っていたのだが、一部の論者はそんなことはどうでもいいらしい。

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クラックを法規制強化で止められると思ってる奴は頭がおかしい -- あるアレゲ人

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