longest-one-way-trip (23456) の日記
JR東西線は京橋~尼崎間を結ぶ12.5kmで、1997年3月8日に開業している。
その日だったか、その日でなくても近い日に乗りに行った記憶がある。記憶がもうあやふやになっているけれど、北新地駅から京橋駅まで乗ったと思う。新築のにおいがツンとするホームを降りていった。昼頃か夕方頃で、人は少なかった。地下線は景色が見えなくてつまらないが、それでも、地下を走るとなんだかハイテクに思えてしまって、わくわくした。
JR東西線の駅前は、どれも新しい。私鉄との接続駅にも、新しい名前をつけた。JRの傲慢だという話も当時はあったが、どれも新鮮に響いた。もっとも、私が不便をしていないのは、その後もあまり乗る機会がなかったからだろう。
京橋駅で降りて、JR東西線開業と同時に廃止になった片町線の片町駅の方に歩いていった。その頃はこういう視点はなかったから、片町線廃止までに記念乗車に行くとか、そういう考えは起きなかった。小さい頃、時刻表を見ていて、大阪にも山手線のような環状線があるけれど、その輪っかに、ちょこっとだけ突っ込んでいる線路があるの知って、まだ見ぬ土地を興味深く思ったことがある。
その日は、大阪城北詰駅か大阪天満宮駅まで歩いて、また東西線で帰ったと思う。10年も経たない話なのに、ずいぶん記憶がいい加減なことに気付く。ポイントを気をつけておさえていないと、日常の記憶というのは、どんどん飛び去っていくものだと今更ながら、かみしめる。
大阪~尼崎間も、いつだったか忘れたけれど、乗っている。やはり地下線は景色が見えなくてつまらない。トンネルから地上に出る頃には、すでに尼崎まで来ていたかという印象だった。
尼崎の一つ手前、加島駅へは、自転車で行ったことがある。何をしに行ったのだろう。ふらふらと、ポタリングだったのだろう。JR西日本の地下駅が珍しかったのかもしれない。
新設駅は7駅だったが、どれもJR西日本初の地下駅であった。…参考にしていたwikipediaの記述をなぞって、そう書いてはみたが、JR難波駅の地下化の方が早かったようだ。1996年3月22日のことである。
JR東西線はJR宝塚線、学研都市線と直通している。JR宝塚線に乗るときはその後も尼崎から乗ったし、学研都市線には一度しか乗っていない。
2000年8月26日だったと思う。自分の記憶にしては日付が正確なのは、TOEFLを受けに行った日だからである。当時は、2ヶ月に一度程度しか開催していなかった。その日の会場は、同志社大学の京田辺キャンパスであった。最寄り駅は同志社前。JR東西線の直通列車が出ている。
あの日は、お金がなかった。遅刻気味に起きて、家を飛び出した。自宅は阪急沿線にあった。お金はないが、かろうじて残額のあったラガールカードで乗った。
この日は土曜日。最近は、土日でもATMは開いているところが多いけれど、その頃は少なかった。梅田にはあったが、それでも早朝で、開いてなかった。24時間使えるシティバンクのカードは持っていたが、支店は心斎橋にあった。梅田にATMコーナーができるのは、その後、数年待たねばならない。
阪急梅田駅から北新地駅まで歩いた。大阪駅にも寄ったと思う。大阪~同志社前650円。北新地まで歩けば安くなると思ったのかもしれない。あるいは、京橋で乗り換えるなら、歩いてしまえとも思ったのだろう。
まだ開店前の店舗が並ぶダイヤモンド地下街を急ぎ足で抜けた。北新地まで歩いても、同志社前まで650円なのは、変わりなかった。
みどりの窓口に泣きついてみた。「お金がないんですが、北新地から650円の切符って、カードで買えますか?」と。すがりつくような気持ちである。
駅員さんは「あぁ、いいよ」と言ってくれた。うれしかったのと、そんなことができるのかと知ってびっくりした気持ちだった。
「どこまで?」と聞いてきた。同志社前までと答えると、北新地駅と同志社前駅の名前が入った、カードサイズの立派なみどりの乗車券が出てきた。
自動券売機には、1,890円以上のきっぷはみどりの窓口でお求めくださいと書いてあるが、そういう切符も買えるのだと、この時、初めて知った。
その切符は、同志社前駅で降りるときに、回収された。
帰りは、興戸から近鉄奈良線に乗った。
今日は、「吾妻線」は「あがつません」と読むと初めて知った。ずっと「あづません」だとばかり。だから、先ごろ出版された吾妻ひでおの漫画を携えていこうと思っていた。それは買い忘れたのだけれど、考えてみれば「吾妻ひでお」と書いて「あじましでお」と読むのであって、こちらも勘違いであった。
吾妻線は、乗るのが難しい。渋川から終点大前まで行く下り列車は、一日5本である。いや、もちろん、吾妻線のためだけに群馬に行って、乗って帰ってそれだけ、というプランなら、簡単である。でも、それだけじゃ、つまらないだろう。
私としては、吾妻線で一箇所は途中下車をしたい。沿線は温泉が豊かだが、その場所は川原湯温泉と決めた。それから、ちょっと足を伸ばして、上越線のガーラ湯沢まで行ってみたい。スキーをしない私には無縁の場所で、それゆえに未乗区間となっている。それから、帰りがけにループ線も見てみたい。
と、いささか欲張り目なプランを考えると、吾妻線の時刻表と、かなり相談をしないといけない。吾妻線は、万座・鹿沢口までの列車なら多い。それが終点の一つ手前の駅であるのがフラストレーションを起こさせる。終点・大前駅は無人駅である。終着駅が無人駅というパターンは珍しい。ともあれ、本数が少ない。まずは、大前駅にたどりつくことを考える。
一番列車は6:14高崎発である。次となると10:41発である。一番列車には東京から接続できないし、二番列車では一日が無駄になる。まずは先にガーラ湯沢に行って、というプランもありだが、上越線もまた本数が少なくて、それは無理である。結局、高崎で一夜を明かすことにした。
(続く)
「ガーラ線」というのは、上越線の支線、越後湯沢~ガーラ湯沢間1.8kmのことなんだろうと思う。いい加減な書き方だが、メモなのだから仕方がない。「ガーラ線」ではGoogleでのヒット件数が低い。あるいは「ガーラ支線」が正解なのかもしれないと思って検索するが、それでも低い。結局のところ、正確なところを記したければJRの出版している資料にあたれというところに帰着するのだが、所詮これはメモなのである。
でもなんだか、「ガーラ支線」って書いた方がそれっぽい気がしてきたので、タイトルをなおす。
ガーラ湯沢駅は1990年の12月に開業している。越後湯沢駅の保線基地裏山を利用したJRのスキー場プロジェクトであったそうだ。そういえば、そのころ、Zooが"Choo Choo Train"を歌いながら松明を持ってスキー場を滑り降りてくるCMがあった、と思った。「思った」はいい加減だが、メモなのである。"Choo Choo Train"というのは、「汽車ぽっぽ」ぐらいの意味らしい。電車で行くスキー場という宣伝であったわけだ。
ガーラ線は、上越線の支線である。上越新幹線のそれではないのだが、なぜか標準軌であって新幹線車両しか乗り入れてこない。よって、1.8km乗るにも特急料金を取られるのだが、「特定特急料金」というヤツで、そんなに高くない。すなわち、100円である。運賃についても、特急電車であるからして青春18きっぷは使えず、140円の初乗り料金を支払う必要がある。
ガーラ線のメモは、前橋から始めようと思う。この日は、前橋から12:15の両毛線電車でまず新前橋に出る予定であった。12時過ぎに駅に着く。越後湯沢~ガーラ湯沢間の乗車券・特急券を所望しようと、みどりの窓口に寄ろうとしたら、行列が4~5人。先頭のお客が話しこんでいて、なかなか明かない。さっさと諦めて、一本はやい12:09の電車で新前橋に出る。
新前橋のみどりの窓口でも、やはり2~3人は並んでいるのだが、接続に余裕があって、待てない時間ではない。2~3分で、自分の番が来る。乗車券はすぐに出てきたのだが、特急券が出せない様子。「何時の電車に乗るの?」と聞かれて答えたのだが、時刻表によると、その電車は季節運転が終了していたことが明らかになった。余談だが、この窓口氏は右手の指が、親指を除いて第2関節から先がなく包帯を巻いていた。マルスを親指一本で叩くのが慣れた手つきなのだが、やはり自由度は低い。つまらない趣味につきあわせて悪いと思って、礼を言い、「現地でなんとかします」と言って、辞した。
12:28発の上越線下り。座るとすぐに眠りについた。水上で気づいて、さらに下り電車に乗り継ぎ。すぐにトンネル。暗くなってうとうとするうちに、急に光が差して気づくと、そこは雪景色だった。線路脇には20cmほどの雪の層があった。この景色の移り具合、川端康成の気分がちょっとだけ分かった。
越後湯沢に着く。ガーラ湯沢発17:09の「ガーラ線」電車で越後湯沢に戻ってくる計画にする。わずか2kmほど先なのだから、歩いても良いが、まずはシャトルバスを探す。とはいえ、シーズンが過ぎようとしているこの時期、こんな時間からスキー場に行く客などいるわけがなく、バスも運行していない。やはり、歩きになった。ヨーグルトを飲み、笹団子を買って、シーズンオフ、ちょっとさびれ気味の温泉街を20分ほど歩く。右手には新幹線の高架橋。さらに奥には白い山々がそびえる。
ちょうど、ガーラ湯沢方面にMaxが一編成走ってきた。私が乗りたかった列車だろう。ガーラ湯沢駅で客扱いはしないが、いったん引込み線に入るということらしい。口惜しい思いをしながら、駅に向かう。トンネルをくぐり坂を登って、ガーラ湯沢駅到着。エレベータを待つ間、横の表示板を見ていたら、いかにも爽やかという若い男性が爽やかな声で「何かお探しですか」と声をかけてくる。「駅を」と答えたら、エレベータが来た。
駅は2階。窓口も券売機も準備中。ここで2時間、時間をつぶさねばならない。温泉がいいな、と3階に行くのだが、1,300円は高すぎる。諦めて、おみやげ物やレストランを物色。1時間ほどすぎて、窓口が開いた。新前橋で発券してもらった乗車券をガーラ湯沢発に乗車変更してもらい、あわせて特急券を購入した。
改札口は発車15分前に開く。まだ30分も前なのに結構な列である。20~30mほどにも伸びている。飛行機の搭乗前みたいだ。余談だが、首都圏で生まれ育った私は、改札○分前にならないと改札口が開かない駅があるなんて、つい数年前まで、聞いたことがなかった。青森・北海道で体験したわけだが、それを新潟でも確認することになったわけだ。
16:55に改札口を抜ける。ピンク色のラインが入ったMaxが2番線に停車中。12両目から見ていって、1両目に乗り込む。自由席・禁煙車。2階、左方に席を取る。乗車率は低い。一桁パーセントである。午後の一番列車でこれであるから、客扱いする列車が少ないのは当然かもしれない。
列車は静かに滑り出す。新幹線の乗り心地。これを気分がよいと思える私は、まだ精進が足りないのかもしれない。思えば、Maxは初代しか乗ったことがない。2階席からの眺望がすばらしい。3分で越後湯沢駅到着。駅に着いても、去りがたく。でも、あわただしく降りた。
30分ほど待つ。越後湯沢駅のおみやげ物屋の一角に酒風呂というのがあった。800円。高いが、1,300円の後に聞けば、入ってもいいかなという気になるが、もう営業終了である。
在来線列車に乗る。越後中里駅前にはブルートレインの休憩所が並ぶ。どんどん日が傾く。土樽駅の手前で検札。「ループ線って、もう過ぎましたかね?」と車掌さんに聞く。突然の質問がよく聞こえなかったらしく、もう一度、大き目の声で繰り返す。「あれは、土合を過ぎて、右側だね」と教えてもらう。「あんまり見えないけどね」とも言われた。
土樽でスキー客が4~5人乗り込んできた。通路にスキー板を置いてふさぐ。ドアにもたれかかる。あああ、ループ線を見る場所を取られたと思っているうちに、彼らは土合駅で降りた。
ドアの前に陣取ると、もうひとり、近くの乗客がドア前に陣取った。白髪の、50歳ぐらいの、男性。長いトンネルを抜けて、右側に景色が広がった。線路が見えた。「これですね」と、その男性は喋りかけてきた。私は「は、はぁ」と応じてカメラを向けた。すでに日は沈んでいたのだが、雪景色と、よく除雪された黒い線路はいいコントラストを成していて、はっきり分かった。ただ、写真はブレにブレた。
水上、高崎と在来線を乗り換えて、上野に着いたのは22時前になった。この翌日に雨で散ってしまうことになる上野公園の夜桜は、あまりよく見えなかった。
左沢線は北山形~左沢間の24.9kmの地方交通線である。愛称はフルーツライン左沢線といい、青地に白く"FRUIT LINER"と描かれた気動車が山形駅まで乗り入れている。
前日、私は、東京から仙台に行くのに、奥羽本線(山形線)を経由した。福島での乗り継ぎは、新幹線つばさ号なら直通だが、在来線は不便なダイヤになっている。本数が少ない。特急に乗らせんかな、という設定である。それでも、JR北海道&東日本パスで乗りたい。
上野発5:10の一番列車で北上を始めて、福島に着いたのは10:08であった。奥羽本線の電車は13:22まで、ない。こういう場合、乗り継ぎと考えるから時間が無駄に思えるのであって、小観光を楽しめばよい。
福島交通飯坂線で、終点飯坂温泉まで行くことにする。福島交通の福島駅は、阿武隈急行と共用である。島式ホームの両側に福島交通と阿武隈急行の車両が並んで止まっていると、地方私鉄のバラエティを感じておもしろい。
福島交通の車両は、7000系。昔、東急線を走っていたそれである。2両編成に縮められているところが、小振りでかわいらしい。運転席のすぐ後ろに立って、前方を見る。
阿武隈急行線の方は、すぐに東北本線に合流してしまった。飯坂線は、しばらくは、東北本線と並走する。バラストの色が違い、レールの輝きも違う。こまめに設けられた駅をコトコトとつなぐ。2駅目、「美術館図書館前」なんていう駅名はローカル線のさまをうかがわせる。
運転士のほかに車掌が乗っているのは無人駅が多いからだろうが、ドアの開閉は運転士が行っていた。ドアの開閉のたびに、車両後方を見るのだが、運転席後ろに立っている私と視線がぶつかって、申し訳なくなってきた。停車すると、立ち位置を変える私。
飯坂線は単線。交換駅の前後にはポイントがあるが、スプリングポイントというやつだろうか。江ノ電と、どこであったかの路面電車で見たことがある。
飯坂駅に着く。看板を見て、観光地図をもらって、鯖湖湯という、新しく改装された共同浴場を目指す。果たして、臨時休業であった。
他にすることもなく、おとなしく引き返す。それでも時間があまるからと、医王寺駅で下車。医王寺という寺があって、そこが観光名所になっているそうだ。看板はあまり出ておらず、道順に不安になりながら、徒歩で約2km。ようやくみつけた。
券の売り場で宗派を確認して、入る。真言宗だそうだ。建物と並木と石碑と宝物殿。大河ドラマ「義経」の舞台のひとつだというが、テレビを見ないので、知らない。戻る。
ふたたび、医王寺駅。最初に福島から乗った電車の車掌さんであった。私は検札されなかった。
この日の乗車券は、一日券だった。700円だったと思う。福島~飯坂温泉を往復すると720円であるから、おとくである。しかし、800円だかで、記念乗車券が売られていたのを、その後、知った。そっちの方がよかったなぁ。
常陸太田支線は水郡線の支線である。支線を持っているというのは何やら立派に感じる。地方交通線では珍しい部類ではないか。常陸太田支線は、水郡線上菅谷駅から常陸太田駅間の19.6kmである。5駅を15分程度で走る。
こういった盲腸線には、かならず延伸論者というか、論者とはいかないまでも、どこそこの鉄道駅につなげたいと想像して楽しむファンがいるものだけれど、常陸太田支線には、そういったひとがいないようである。そもそも、このような盲腸線が出来た経緯を私は知らない。
さて、この日は15時12分常陸太田発の列車に乗車したのだが、車中は西日が強すぎてカーテンは締め切り。私も眠くてじっとしていたという体たらくであった。書くことは少ない。話は、この日が最終運行の前日だった日立電鉄を中心に据えることになる。
この日は、3時発の予定であったが、仕事がおした。仕事といっても商売ではなくて、手紙を何通か書く必要があった。が、なかなか筆が進まない。結局、5時過ぎになって書き上げて、出発。日立電鉄は翌日にまわすかとも思ったが、それは危うい。どこの鉄道であったか、廃線日は大雨か何かで運休になったというケースがあった。
青春18きっぷの3回目は、御茶ノ水駅からに決めた。途中の郵便局の時間外窓口で手紙を出しすがら、御茶ノ水まで歩く。6時20分頃、改札を入った。しかし、おなかがすいた。この先、茨城まで食事が摂れないとなると空腹に耐えかねる。ホームを突っ切って別の改札を出てコンビニを探すのだが、駅前には見当たらない。
結局、早朝から開いている駅前のパン屋でパンを買う。そして、さっき青春18きっぷに検印を押してもらった入口からまた入るわけだ。駅員さんがちょっと妙な顔をしていた。6時28分、御茶ノ水駅始発の総武線各駅に乗車。
6時59分、西船橋から武蔵野線。新松戸乗り換えで、柏。柏からは7時31分の高萩行きに乗り換える。友部ぐらいまでは意識があった。水戸で何分か停車していて、そのときに起きたらしい。後で時刻表を見ると停車時間は14分であったが、夢現に、何分だか遅着したとアナウンスがあった気がする。
後ろの席に、水戸から、話し声の高い客が乗ったようだ。9歳と5歳と、60歳を過ぎたくらいの男性。9歳男子が一生懸命話す。鉄道好きらしい。大阪から茨城に直通する列車はないんだ、とか云々、「おじいちゃん」につっこまれるままに話す。その「おじいちゃん」なのだが、なんだか、ちょっと皮肉な口調で、この不快な話し方は記憶があるな、と考えるのだが、記憶の奥底で思い出せない。
そうこうしているうちに、大甕。ここから日立電鉄に乗っても良い。が、今日は晴天である。常陸多賀から2kmも歩けば日立電鉄の終点鮎川駅である。そのルートをとった。9時52分、常陸多賀着。駅前の地図をよく頭に入れて、出発。
私は、1kmを10分で歩くのを目安にしているから、2kmなら20分。高校の角を右に曲がると、まず、常磐線の踏切があった。工場の塀を右手に沿いながら、数百メートルも歩くと、今度は日立電鉄の踏切である。レールが光を反射してなかなか綺麗だが、ゆがんでいるのもよく分かる。
道が分からず、ちょっと不安になりながらも、鮎川駅に着いた。着いてびっくり、駅前には30人ほどのひとが列を作っていた。警備員がいて整理を行っている。廃止当日ではないにしても、平日なのに結構な賑わいである。
列がなかなか進まないのは理由があった。券売機がひとつしかないのである。JRであれば、混雑が予想されるときは臨時の売り場を設ける。こちらは人手が足りないのであろう。さらに、その券売機は新千円札に対応していなかった。廃止が分かっているのに、券売機を更新することはなかったわけであるが、その旨の表示が小さく、お札を入れてから戸惑う客も多かった。加えて、これが一番の問題だと思うのだが、自分の番がきてから、運賃表を見て、財布を取り出す客の多いことであった。
結局、長く待たされて、10時35分発の電車に乗った。
今日は疲れたけど、感動の醒めないうちに書かないとな。鹿島線も。
鹿島線は書きません。
嘘です。…が眠いぞ。
線路の向こうの端には、なすの243号。同じく17時8分発で、同時にスタートを切ったらしかった。子供が見つけて、すかさず叫ぶ。「はっ! しんかんしぇん! でんしゃよりはやい!」 無邪気な驚きようだ。とはいえ、快適さを重視する新幹線と京浜東北線では、こちらの方が加速に分がある。すぐさま、子供は訂正をする。「あっ、でも、でんしゃのほうがはやい!」 子供は正直だ。
神田駅に止まるため速度を落とすと、追いかけっこの決着がついた。でも、子供の興味はもう別に移っていた。ポスターか何か貼ってあったのだろう、「ピカチュウ!」と叫んだ。車内の他の子供も「ピカチュウ!」と叫んだ。
さて、京浜東北線に完乗したのは、いつかは知らない。日常のアシである。いつの間にか完乗していたのだ。そもそも、京浜東北線というのは運行系統の名前である。線路の戸籍は、大宮~東京間が東北本線で、東京~横浜間が東海道本線である。ふつうは別にカウントしない。
只見線は、会津若松と小出を結ぶ135.2kmの路線である。小出というのは、新潟県魚沼市。この年の10月23日の新潟中越地震で被災した地域である。上越新幹線が被害を受けたのは大きく報道されたし、また上越線も幹線ゆえ報道での取り扱いがそこそこあったが、実際のところ、只見線も被害に遭っている。ネット上のあるサイトでは、レールは左右に曲がり、隆起している様が写し出されていた。その後、只見線は11月20日に復旧している。
只見線に乗るなら冬である。国鉄末期、赤字減らしのために只見線も廃線候補となっていたが、福島・新潟の豪雪地帯を走る路線であり、並走する国道は冬期は通行止めとなってしまうことから、バス転換できず、廃線を逃れたという経緯がある。ローカル線らしく、本数は少ない。全線通して走るのは上下線とも一日各3本。1番列車は6時台に出るし、3本目の最終列車が着くのは21時頃。泊りを覚悟したくなければ、昼にある1本が唯一の選択肢となる。加えて、在来線のみで乗り継いでいこうとすると、小出発13時12分、会津若松着16時59分という上りのみが現実的な解となる。
さて、この前日、仙台から東京までどう経由して帰るかというのが課題であった。東北本線直行ではおもしろくない。かといって、磐越東線も水郡線も乗ったことがある。とすると、只見線に乗りたくなるのだが、これが難物で、会津若松発13時8分の列車は小出までは良いが、そこから乗り換える上越線列車が越後中里で止まってしまい、在来線乗り継ぎではその日のうちに帰れない。30キロ先の水上まで行けばもっと遅くまで電車はあるのだと思うと口惜しくなる。
ところが、思いがけずにうれしいことが起こった。小出から乗ることになる上り上越線列車が、12月18日から2月28日まで水上まで延長運転されることになったのだ。しかも、水上着は19時52分。乗り換えの高崎行きは19時54分発と、接続も極めて良い。なぜかは知らない。スキー客がふえる冬だからなのかもしれない。ともかくも、これを逃す手はない。これは私のためのダイヤなんだと思った。
さて、当日。仙台駅前にバスが7時42分着。予定では7時37分着だから、5分遅着。かなりシビア。終点まで乗ったのは私だけ。
7時47分、仙台発。5番線。ギリギリセーフで乗れた。700系4両編成。大河原でほとんど降りた。車掌のイスに座る。「忍錠にて解錠にて」と書いてあるが、金属片を突っ込んだら車掌席が降りた。使えた。9時6分、福島でほとんど降りた。ゴミ清掃のひとが通っていった。同じ車両が、9時40分発の郡山行になる。郡山10時27分着。この列車、このまま10時42分発の黒磯行きになるそうだ。
時刻表の上では、まったく別の3本の列車であるが、この電車、7時14分に松島を出て、11時43分に黒磯に着く。4時間半の大旅行をしているのだな。車両の運用というのもの、ときどき考えてみると面白い。
郡山駅、もっとも本屋寄りは2番線である。1番線は線路が撤去されている。磐越西線は2番線から。10時52分発の臨時快速に乗る。このあと11時10分の普通電車でも間に合うが、臨時というレアものの響きには弱い。郡山駅2番線と3番線の間には、光のページェント号が待機していた。
クハ455-306。ボックス・シートの一画を陣取る。ひとつむこうの人が自分撮りを試している。カメラを、テーブルに置いたり、窓枠に寄せたり、背もたれの上に乗っけたり。自分もよくやったものだ。
磐梯熱海で列車交換のため、3分停車。快速ゆえに、駅を飛ばしてきたわけだが、ここで3分もロスなら、駅を飛ばすこともないのにと思ったり。更科信号所でまた交換。会津若松に12時ちょうど着。
会津若松で1時間、潰さねばならない。夏の苦い思い出もあるが、それはさておき、駅前でテレビの収録をやっていた。駅舎を背にしたレポーターが「さーて、とうとう会津若松までやってきました」と言っていた。駅舎の中から興味深くうかがう人たち。何のテレビ番組かは不明だった。
待つこと1時間あまり。会津若松13時8分発が入線。2両編成キハ40-2024とキハ48-546。乗員3名。手動で重い自動ドアを開ける。続々とおばあちゃんがたが乗り込む。出発。七日町で中学高校生がたくさんのってきた。若宮でいっぱい降りた。私は北海道旅行の帰りである。いい加減疲れて、寝る。
駅に止まっては目がさめて、ときおり、ターンテーブルなどが見えた。蒸気機関車時代の名残だろう。雪はより一層深くなってくる。会津川口8分停車。ホームに降りて、列車をバックに自分撮りを試みる。煙草休憩をしている乗客のひとが「自分で撮れんの、それ」と声をかけてくる。「えぇ、だいたい見当をつけて」と口を開いたところでシャッターを押したらいい表情だった。
本名~会津蒲生間は、ホームが短い。後ろの車両のドアは開かない。只見線で一番有名な鉄橋を過ぎた。写真でしか見たことがなかったが、只見駅の手前のそれであったようだ。寝過ごさずにすんで、よかった。さて、只見駅。只見線というだけあって、只見駅が中心である。20~30人乗車してきた。6分停車。この駅もターンテーブルあった。
只見前後で、さっきの煙草休憩のひとが携帯電話で商談をしているのが聴こえてくる。商談は雑談に移った。「140kmの道を4時間かけて…。1日に3本しかない…。今日は越後湯沢で泊り。明日はぐるっと回って夜帰ってくるつもり」などと話をしている。このおじさん、鉄らしい。60歳前後のおじさんで、テーブルには缶ビールとピーナッツが広げてあった。
只見~田子倉間で長いトンネル。県境なんだろうか。ここで、検札。JR北海道&東日本パスであったが、ここで初めて、スタンプを押してもらう。5日間の使い終わりの日。「会津若松運輸区」である。記念押印というのか、はからずしもいい記念になった。
しかし、それにしても寒い。どんどん暗くなってくる。と、気づいた。うしろの車両にはデッキがついて2重扉になっているが、この車両、そんなものはないから暖気が逃げていく。とはいえ、せっかく乗った車両だからと、乗りつづける。乗客約3名。鉄道少年と件のおじさん、そして、私。後ろの車両も人影が、ほぼ、ない。
16時30分、田子倉通過。右手、暗いシェルターの中に駅名標が見えた。もちろん待つ人はなし。大白川での停車も、ドアを開けたまま。ここで、おおきな南京錠のような、タブレット交換というヤツを、初めて見た。
小出17時42分着。4番ホームは、スプリンクラーで融雪していた。雪を溶かす水がチョロチョロ流れている。ここで、今日から上越線開通により時刻が変更になっているのを知る。新潟中越地震で不通になっていた小出~宮内間がこの日から運転再開されたのだ。確かにニュースで聞いてしってはいたことだが、時刻変更とまでは考えが及ばなかった。
びっくりして、水上からの電車があるか心配する。駅の掲示板をなめまわすようにして、見る。果たして、あった。よかった。さて、安心したらおなかもずいぶんすいてきた。売店にはたいしたものはない。駅舎で考える。牛丼でもそばでも食べられないかと下りに乗ることにする。小出、17時51分発。5分遅発。越後堀之内、北堀之内、と止まる。電車の中から駅舎を眺めるのだが、小出の方がずいぶんと賑やかだったことを知る。
さて、ここで問題である。駅に掲示されていた時刻表によれば、この下り電車は「越後川口18時35分」である。私が小出から乗ろうとしていた上り電車は「越後川口18時32分」である。ここまま越後川口まで行ってしまうと、電車が捕まえられない計算である。北堀之内の人気のない駅舎で30分も待つのはさびしい。かといって越後川口まで行くとすれちがってしまう。
しかし、ふと、ここである事実を知る。それは、ごくごく初歩的なものだった。そういえば、宮脇俊三の『時刻表2万キロ』でも類似の話が紹介されている。気づいてみれば、つまらない話である。越後川口には、18時9分に着いた。運行再開間もない徐行運転と雪のため、4分遅着である。この電車はここで20分待って、18時35分発になる。
越後川口~越後滝谷間は、単線運転だったのだそうだ。その交換駅が越後川口。上り列車がやってくるまで、下り列車は待機をする。「越後川口18時35分」というのは、発時刻であって、実際にはずっと前に着いているのであった。それだけの話であるが、実際に、よく知らされずに経験してみると、ドキドキするものである。
越後川口の待合室には、女子高生がいた。暖房のためとはいえ閉め切ったところでふたりきりというのは居づらいので、駅の窓口のガラス窓を開けてスタンプを押させてもらう。18時32分、越後川口発。上り列車で戻る。さきほどの下り列車もそうであったが、結構な賑わいで、立つひともいた。今日から運行再開だもんね。
小出に4分遅着。さっきの、煙草休憩のひとが乗ってくる。六日町9分遅着。越後湯沢9分遅着。スノボ板の人、何人か乗ってくる。岩原スキー場前、11分遅着。スキー場のオレンジ色の灯り。越後中里、ブルートレインのホテルが見えた。12分遅着、検札。ここで長く停車。もともとそういうダイヤで遅れを一気に取り返す。土樽を過ぎ、トンネルに入って、窓外に火花が散るのが見えた。後ろの若い男のスキー客2~3人が「びっくりした」、「えっ? ハプニング?」と口々に喋っている。10秒ぐらいの暗転だが、突然だと長く感じる。水上、20時27分定刻、2番線到着。1番線には、高崎からの20時23分着が6分遅着で入ってきた。この折り返しに乗ることになる。
待合室をふらふらしているうちに改札開始。水上21時13分発。寝る。新前橋3分停車。前に両毛線からの3両連結。さむい。停車するたびに冷気が入り込んでくる。都市部に近づいたという証拠だろうか、駅に着くと自動ドアが開く。高崎22時23分着。5番線。この列車は、折り返し、23時10分の桐生行きになる。
高崎からは、4番線、22時33分発。E231系である。久しぶりに乗った。そういえば、10月16日のダイヤ改正以来ではないだろうか。4両目5両目に足が向くが、グリーン車車両はもう有料化が始まっていた。上野0時14分着。0時19分の京浜東北線の桜木町行きの最終で秋葉原。0時22分着。0時29分の総武線各駅停車で御茶ノ水。終電の1本前。0時31分着。御茶ノ水止まりである。もうそんな時間である。向かい側のホームから「中央線の」各駅停車に乗る。武蔵小金井行き終電。次駅水道橋下車。ガード下のらんぷ亭でチキン丼を食べて今回の旅行はおしまい。
2004年12月26日に津軽線に乗っている。以下はそのメモである。
津軽線の青森~蟹田間は既乗。もっと言えば中小国まで既乗であるが、乗ったのは津軽海峡線の特急とか急行だったから、停車はおろか、ホームすらない。今回は特に印象深かった蟹田~三厩間を中心にメモをする。
この日の朝、5時35分に青森駅着。札幌発の急行はまなすを長万部から乗車した。前夜は踏み切り事故で大幅にダイヤの狂った津軽海峡線であったが、一夜で定刻運行が復活している。まだ薄暗い中、他のホームには、特急のいなほやつがるが待機している。青函連絡船はなくなったとはいえ、終着駅の貫禄は十分である。
6番線から、6時5分発の蟹田行き。発車の10分ほど前にホームに入ってきた。特急つがるに使われるE751系の間合い運用である。雪の降る中、暖色系の色が映える。
さすが特急車両と思わせる良い車内である。クロスシートの座り心地がよい。余談だが、この列車には、車内でのみ発売されるというグリーン券がある。いまでこそ、湘南新宿ラインなどは、青春18きっぷでも乗れるグリーン車があるが、こうした特急車両が青春18きっぷで乗れるというのは、おもしろい。ただ、値段は、確か、750円だったと思った。というわけで、普通車に乗った。いや、普通車でも十分すばらしいのだ。
列車が動き出すと、すぐ、眠りについた。起きたのは蟹田に着いてからだった。2番線到着。もう日が出ていて、明るくなってきていた。せっかくならこの列車で三厩まで行ってくれたらいいのに、と考えて、ふと思い直す。ここから先は30kgレールだった。それに、三厩の1面1線の小さなホームにこの特急が止まっていたらどんなにシュールだろう。そこまで考えて、またふと思い直す。いや、それはいいかも。
雪のつもったホームを慎重に歩き、跨線橋を渡り、いったん、待合室に入る。今度は3番線から、7時17分発の三厩行きに乗る。キハ40といったか、白地に赤いラインの入った車両だったと思う。ボックスシートの一画を占領する。乗客は10人いたかどうか。そのくらいだった。
蟹田~三厩間は一日5往復しかない。そのうち青森駅に直通するのは1本のみ。たった28.8kmではあるが、これを乗らないことには、完乗は果たせない。難易度では岩泉線ほどではないが、それでもやはり、そんな運行状況を知った当初は驚きで、まさか、それに乗る機会を得るとは思わなかった。この先は、目をぱっちりあける。
次の中小国は、「雲の向こう、約束の場所」に登場した。それだけの縁であるが、実物を見れば思い出す。ここから、津軽海峡線のレールが右手に登場する。複線だ。堂々とした様で、そのまま高架橋を登っていく。下り線は、上りきる前に、上り線と離れて、ちょっと大回りをする。北海道新幹線への布石である。
次の駅は、「大平」と書いて「おおだい」と読む。「平」と書いて「たいら」と読まないのは、花輪線の「八幡平」と同様か。津軽線のこの先にも「大川平(おおかわだい)」という駅がある。アイヌ語に漢字を当てたのかしらとツラツラ思うが、思考に材料がない。ここで語源を調べたらいっぱしのエッセイになるのだが、それをしないところが、メモの域である。
大平という駅がなければ、あるいは少し青森側に移設すれば、津軽二股まで津軽海峡線の高架を走らせることができたかもしれない。キハ40も新幹線も走る区間というのは、なかなかシュールでおもしろいと思うのだが、そうはいえど、海峡線にあるのは津軽今別駅であって、津軽線のそれとは違う。
運賃を比較すると、中小国~津軽二股間は19.6km。JR東日本の地方交通線で320円。中小国~津軽今別間は14.3km。JR北海道の地方交通線で260円。なるほど違うものだな。
津軽二股まで津軽線で行くと、5.3km長くなる計算なのだが、この長い分で、一山越えることになる。なんという山かは知らないが、木々には雪がまとわりついて、すばらしい光景だった。津軽線の一番の見所は大平~津軽二股間ではないだろうか。
津軽二股の駅の手前で、津軽海峡線の車庫のようなものが見えた。高架より下方にある。もしかしたら、津軽線と渡り線でもあるんじゃないかと想像してみるのだが、そういう情報はないようである。
津軽二股の駅前は、道の駅である。「アスクル」という名だそうだ。文具屋ではない。北海道新幹線奥津軽駅決定という看板がある。2003年の9月に津軽海峡線を利用したときにも、同じ看板を見た。あの当時は北海道新幹線の着工自体は決まっていなかったはずだから、駅名のみが「決定」したということだったのだろうか。
津軽線は、津軽海峡線をくぐって、その東側に出る。大川平~三厩は不覚にも寝た。大川平のあたりで、遠くのとおり沿いにパチンコ屋を見た。こんなところにもあるんだなぁ、と文化の息遣いを感じた。
三厩には7時56分着。駅舎のあたりをうろつく。乗ってきた列車は折り返し、8時5分発の蟹田行きになる。これに乗車することになる。三厩滞在時間は10分ない。今日は、後に計画が詰まっている。三厩で見所があれば、もっと滞在する計画も立てたが、どうもめぼしいものはなかった。むかしは三福航路というのがあって、北海道に渡れたそうだが、今はない。夏場であればそういうプランもあったかもしれないが、ともあれ、この日は、そさくさと引き返した。
さきほどは寝てしまった区間を戻る。左手には海が見えた。日が昇ってきて、美しい。右手に青函トンネルを出たばかりの津軽海峡線の高架橋が見えた。これはまたすぐ別のトンネルに入るのだが、そのちょっとした間隙で、白地に紫の列車が青森方面に行くのが見えた。白鳥41号だろうか。
蟹田着8時46分。1番線到着で、すぐ待合室にはいる。ストーブを囲んで津軽弁で談笑するおばさん方がいた。2番線から9時9分発の普通列車で、青森に戻る。青森には9時53分、6番線着である。