『日本人のためのイスラム原論』を読んでイスラームを理解するのだ。
これは、ひとことで言えば、イスラーム擁護論というか応援論な本。
やっとわかってきたけれど、著者の小室さんて、
「○○がわかると(一見難解と思われる)×××がわかる!」
っていうのが好きなのね。
それが事の本質なのか、ただの暴力的単純化なのか、
その見分け方すらできない、ぼくみたいな人間が、
いきなり奥義を得てもどうかしら? と思うけど、
誰かに教えたくなるような面白い話も多いので、とりあえず通読しよう。
(この先は「イスラーム世界の根底にある十字軍コンプレックス」らしい)
やっぱり、ウンウン唸って自分で考えたんでないから、
吹いて回ると、後で痛い目見るかもしれないな。
そういう経験だけは山ほどある。(笑)
それにしても、イスラームのシステムはスゲーよね。
なんか馬鹿みたいに「スゲー」というようにしか形容できないけど。
こういう何百年も継続して、使われれば使われるほど
ガチっと固まってくるようなシステムを想像(創造)するのは
面白いだろうなァ。
クローン人間あたりは、どう位置付けられるんだろうか。
倫理的にどうとかこうとかでなくて、聖典に書かれていることをベースに
確実に是か非かが定まって、それに(科学者を含めた)教徒全部が従うなら、
わかりやすくてよいなァ。
2002年03月30日 PM 07:06 現在、何について「激しく同意」していたのか不明。
こういう意味だったらしいので、書いた時点で元日記の真意を微塵も汲み取っていないことが判明。
--
「どうでもよいけど」人の言葉遣いのあれこれがどうしても気になってしまうのは、私の性質かしらん。
要旨をかいつまんでそこだけで評価するようには、まだなれないものなあ。
さらに、聴覚情報と視覚情報で評価基準に明らかな違いがあるけれど、それもどうかと。
どっちかといえば、音声が加われば文面とは違うニュアンスが付け加わる可能性があるので、
(つーか対面してるのに文句言えませんわな)前者の方に甘いような。
こっちみたいに、視覚側だと、勝手な声優を配置してる場合もあるし。(笑)
「さらに話をずらすと」まあ、たまに1行目のリンクみたいな暴力をたまに働かせて、
いくらか過敏な連中を言語(口調/言葉遣い)共同体に引きずり込むぐらいのもので。
(注・おっさん臭いのでやめませう)
いづれにしても、異文化(口調/言葉遣い)排除不要の「違和感フェチ」みたいなそれがしには、
害をを与えるような効果もなさそうで、やっぱどうでもよい話ですな。
勝手に頭の中でだけ気にしてなさい、みたいな。
ああ、それと、もう少し落ち着いてしっかり読もうっと。いろいろ。
あと「○○(自分の名前または自称詞)的に」も、個人的には使いたくない。
よくよく考えてみれば、「オレ的」以外な意見を吐くことは稀なわけで、
「何某の所有するところの意見」を引用するときみたいに、
「オレ様の身体から離れたところのオレ様の意見」を会話中に引用して、
婉曲な意味合いを持たせるのはどうよ?と、個人的には思うわけで。
難関校進学率が、ほぼイコールで実力を示す数値となる予備校において、
授業開始から二十数分も、自己紹介と雑談に使うのはどうかと思うのよ。
しかも、軽量ヴァージョンであることを断った上でさ。
久方ぶりに、自分のことをあんな楽しそうに語る(まくし立てる)人を見た。
まぁ、ほとんど毎日と言っていいほど鏡の中に見ているけれど、
前に挙げた講師サマと比べたらケツが青いよナ、と思った。(笑)
団塊ジュニアな世代っていうのは凄いんですね。
ポスト・バブルの就職氷河期一期生をナメちゃぁなりませんね。
「数学は言語」「自然を研究対象として評価する手段」って云ってらして、
あぁなるほど面白いナ、とも思った。
だいぶ前に、この日記にも書いたけどね。
ぼくはどうやら、第一学習社の数学Iの教科書から失敬して書いてたみたい。
進学校あたりでは絶対に使わない、易しい教科書ですけど。
ちなみに、ここによると、ギッブズて人が大昔に云ってるらしいね。
下の項では不要と思って省いちゃったけど、新・指導要領の「数学基礎」てのは、
数学史みたいなことをやる、というような話もしてたなぁ。
上の文科省のページによると、無理矢理リアルワールドと抽象世界を結びつけて、
役に立つよ/立たないよって、あーだこーだやる科目になる予定?
同様に、理科でも、「理科基礎」で科学史っぽいこととかやるみたいね。
どちらも、そこそこ面白そうではある。
社会生活に根差した科学的思考なんてのは、中学でやればいいけど、
科学史あたりは、未知のジャンルだから。
弘法筆を選ばず、アレゲはキーボードを選ぶ -- アレゲ研究家