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von_yosukeyan (3718) の日記

2002 年 01 月 14 日
午前 03:47

人生の切売

遠藤浩輝は好きな漫画家だったりするんですが、雑誌の近状んところは結構ふざけてますが作品自体やあとがきなんかはかなりシュールなことを書いてて、思わずどきっとしちゃうこともあったり。
ちょっと長いけどEDEN6巻のあとがきを引用してみます。

たとえば、TVの企業CMでよくある、赤ん坊を抱く母親の映像。「我々は環境のことを考えています」「子供達の未来のことを考えています」というイメージ戦略であることはよくわかっている。それでも。仮にその親子がオーディションで選ばれた赤の他人同士だと知ったら、僕たちはどう思うか?「裏切られた」とまでは思わないまでも、なんともいえない疎外感を感じないだろうか? あたかも自分の中の「母子の愛」という幻想が商売に利用されてしまった、という。そう、僕たちは決して商品化されない「何か大切なものを持ちたがっている。それは「幼少期の感動」とか「日常の中の些細な喜び」とか「癒し」だったりするのだが、そんなのいまや、映画やTVドラマや小説やマンガやポップミュージックの中ですっかり商品化されてしまっている。僕たちの「感情」は資本主義から見れば「市場」でしかない。つまり、「癒し」のような本来商品化されるべきでないと思われていたものが商品化されたとき、「決して商品化されない、かけがえのないもの」が、より本物の「癒し」として高い価値を持つ。分りやすい例は「性」だろう。売春、風俗、SM、コスプレ、フェチといった「商品化された性」が氾濫すればするほど、市場はいまだ開拓されていない”ピュア”な領域を求めて動き出す。

少年少女の「これから経験すること」が、現実よりも先にドラマや映画の中で描かれる。それによってステレオタイプ化した陳腐な「喜怒哀楽」はパロディとして「笑い」の中で消費される。そして市場はいまだ「言葉に置き換えられていない”ピュア”感情」を「植民化」すべく動き出す。

僕は漫画家だ。言うまでもなく、先に述べた「感情の植民地化」の一端を担っている。つまり、「自分自身の切売」というヤツ。「自分で望んだことだろう?」といわれればそれまでだし、矛盾するようだが「自分の中の大切な、かけがえのないもの」は他者に共有されないと生きている意味がなかったりもする。そう、コミュニケーションとしての表現の本質と、商品化は全く別の話だ。コミュニケーションは「サービス」じゃない。コミュニケーションは、あなたに一生消えない傷を負わせることだってできる。「感動」?「切なくて悲しくて」? そんなもんをお手軽にマンガの中で得ようなんて、大間違いだ。

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  • 感情の商品化が悪いことであるという説明が
    いまいち不完全なような.

    「私はより多くの人に癒しを提供したい」といって
    曲を売っているアーティストの癒しは,その時点で
    偽物なんでしょうか.

    最初の赤ん坊を抱く母親の例は,他人同士でない本物の
    母子を使えば問題なし?
  •  がありますね、確かに。ドラマみたいな展開がないと恋だと思わないとか、雑誌のデートコースをなぞるのがデートだと思っているとか。
    (知人の後輩にそんなのがいて、カレシの方が持て余したらしい。)

     きついケースになると、感性がどっぷり商業主義漬け、というのがいました。教授に「愛とは、そういうものではありません」と切々と数時間諭されたそうですが、自説を引っ込めただけで反省はしていない模様。「経験」による知識の裏づけが、説得を受け入れなかったようですし、教授もまさかその子がその世界に入っているなんて想像も出来なかったのでしょう。

     この作家の方は、こういう事例を危惧されているのかもしれません。

     うーん、ある種「趣味の市民権」→「商業化・市場化」→「ダメ」って、怖いですね。やはり、「社会性」や「現実を生きる」ということは、大事なのかもしれないです。
     でも、ダメなときはだめなのでしょうね。

     ところで。今、貴殿の日記は Opera6.0 on WinMe でみると、改行されないのです。
      IE6.0 なら、きちんと改行されて読めます。(;_;)
     他の方のは、特にそういうことはないのですが・・・。

長期的な見通しやビジョンはあえて持たないようにしてる -- Linus Torvalds

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